Chapter: 第四十八話「夢だった景色」発売から二週間が過ぎたある日の朝。相沢ひまりは、コーヒーカップを両手で包み込みながら、窓の外を眺めていた。スマートフォンには、毎日のように読者から感想が届いている。『子どもが寝る前に毎日読んでいます』『親子で笑顔になれる絵本でした』『続編を楽しみにしています』一つひとつの言葉を読むたびに、胸が温かくなった。その時、スマートフォンが震える。神崎蒼からだった。『今日は時間ある?』ひまりはすぐに返信する。『あります』『出かけよう』『どこへですか?』少し間が空き、返事が届く。『着いてからのお楽しみ』ひまりは思わず笑った。「珍しいですね」***午後。待ち合わせ場所で合流した二人は、ゆっくりと街を歩いていた。「神崎さん」「うん」「どこへ行くんですか?」「もう少し」「秘密ですか?」「うん」相変わらず短い返事だった。それでも、不思議と安心できる。しばらく歩くと、大きな商業施設が見えてきた。中へ入り、エスカレーターで上の階へ向かう。到着したのは、大型書店だった。「本屋さん?」「うん」「何か探すんですか?」蒼は何も答えず、児童書コーナーの方へ歩いていく。ひまりも後をついていった。そして、その瞬間だった。「あ……」思わず足が止まる。目の前には、大きな特設コーナーが設けられていた。色とりどりの絵本が並ぶ中、一番目立つ場所には、自分の絵本が何冊も積まれている。手書きのポップには、大きくこう書かれていた。『大人気! 発売後すぐ重版決定!』『親子で読みたい、心温まる一冊』『スタッフおすすめ!』さらに棚の横には、小さな子どもたちが描いたイラストまで飾られていた。「すごい……」ひまりは小さく呟く。夢を見ているようだった。店内には親子連れが次々とやって来る。「これ、この前読んだ本だ!」男の子が嬉しそうに指を差す。「もう一回読んで!」母親は笑顔で本を手に取った。別の場所では、小さな女の子が表紙を見つめていた。「このうさぎさん、かわいい!」父親がページをめくる。「読んでみようか」そんな何気ない会話が、ひまりの耳に届く。「神崎さん……」声が少し震える。「うん」「本当に読んでもらえているんですね」蒼は静かに頷いた。「届いてる」その一言だけで十分だった。***ひまりは、少し離
Last Updated: 2026-09-10
Chapter: 第四十七話「重版決定!」発売から一週間。朝早くから、出版社の編集部は慌ただしい空気に包まれていた。「三浦さん!」営業部の若手社員が、資料を片手に編集部へ駆け込んでくる。「各書店から、また追加注文です!」「また?」担当編集者の三浦は驚いた表情で資料を受け取る。発売初日から好調だった相沢ひまりの絵本は、一週間経った今も勢いが衰えるどころか、さらに注文が増え続けていた。全国の大型書店。街の小さな書店。オンライン書店。どこでも売れ行きは好調だった。「在庫が足りません!」営業担当が声を上げる。「このままだと来週には初版がなくなります!」編集長も資料を見つめながら大きく頷いた。「これは予想以上だな」会議室には次々と関係者が集まってくる。印刷会社への確認。流通会社との調整。書店への連絡。編集部全体が慌ただしく動き始めた。その様子を見ながら、三浦は思わず笑みを浮かべる。「やっぱり届いたんだ」誰よりも信じていた作品だった。その思いが形になり始めていた。***午後。緊急の編集会議が開かれる。編集長が資料を机へ置いた。「結論から言います」部屋の空気が引き締まる。「重版を決定します」その一言と同時に、編集部から拍手が起こった。「おめでとうございます!」「これはすごい!」「発売一週間ですよ!」「ここまで早い重版は久しぶりです!」三浦も思わず立ち上がる。「ありがとうございます!」編集長は笑顔で頷いた。「作者にも早く知らせてあげてください」「はい!」三浦は急いでスマートフォンを取り出した。***その頃。ひまりは自宅で次回作のラフスケッチを描いていた。以前のような焦りはない。好きだから描く。その気持ちを忘れないように、一筆ずつ丁寧に線を重ねていた。スマートフォンが震える。画面には三浦の名前が表示されていた。「こんにちは、三浦です!」電話の向こうの声は、いつも以上に弾んでいた。「こんにちは」「おめでとうございます!」「え?」「重版が決まりました!」「……え?」ひまりは言葉を失う。「今、何とおっしゃいましたか?」「重版です!」「発売一週間で重版が決定しました!」しばらく沈黙が続く。「相沢さん?」「……本当ですか?」「もちろんです!」「書店さんから追加注文が相次いでいます!」「たくさんのお子
Last Updated: 2026-09-05
Chapter: 第四十六話「初めての絵本発売」朝。相沢ひまりは、目覚まし時計が鳴るより少し早く目を覚ました。今日は、ずっと待ち続けてきた日だった。机の上には、一冊の絵本が置かれている。表紙には、優しく微笑む子猫と、小さなうさぎ。その下には、はっきりと自分の名前が印刷されていた。作・絵 相沢ひまり何度見ても実感が湧かない。「今日から、この子たちが全国の本屋さんに並ぶんだ……」小さく呟き、そっと表紙を撫でる。発売日。夢だった日が、ついにやってきた。***午前中。出版社では朝から慌ただしく電話が鳴っていた。担当編集者の三浦は、営業担当からの連絡を受けて目を丸くする。「えっ、本当ですか?」受話器の向こうから、明るい声が聞こえる。「はい。各書店さんから追加注文の問い合わせが入っています」「もうですか?」「発売初日とは思えない勢いです」電話を切った三浦は、大きく息を吐いた。「これは予想以上だ……」すぐにひまりへ電話をかける。「おはようございます、三浦です」「おはようございます」「おめでとうございます!」「ありがとうございます」「実は、発売初日から追加発注が続いています」「えっ?」ひまりは思わず聞き返した。「本当ですか?」「はい。予想を上回る反響です」「まだ午前中なのに……」「書店さんから『もっと送ってください』という連絡が何件も来ています」ひまりはしばらく言葉を失った。「そんなことって……」「あります」三浦は笑った。「良い本だからです」その言葉に、ひまりの胸が熱くなる。***午後。ひまりは帽子を深くかぶり、神崎蒼と一緒に大型書店を訪れていた。今日は読者として、本屋へ来ただけ。誰にも気づかれないように店内へ入る。児童書コーナーへ向かうと、一番目立つ平台に、自分の絵本が積まれていた。「……あった」ひまりは立ち止まる。「本当に並んでる」夢ではなかった。子どもたちが次々と絵本を手に取っていく。「ママ、この絵かわいい!」「読んで!」小さな女の子が嬉しそうに抱きしめる。母親はページをめくりながら微笑んだ。「優しい絵だね」その言葉を聞いただけで、涙が込み上げそうになる。さらに少し離れた場所では、店員が新しい本を平台へ補充していた。「あれ?」ひまりは首をかしげる。「もう減ってる……」蒼も平台を見る。確かに、積まれ
Last Updated: 2026-09-04
Chapter: 第四十五話「銀の盾が届いた日」午前十時過ぎ。インターホンの音が静かな部屋に響いた。「はい」玄関を開けると、宅配業者が大きな段ボール箱を抱えて立っていた。「お届け物です」「ありがとうございます」ひまりは両手で受け取る。思っていたよりも重い。送り状を見ると、差出人には「YouTube」と記されていた。「……え?」思わず目を丸くする。胸がどきりと高鳴った。急いで箱を部屋へ運び、テーブルの上へ置く。「もしかして……」思い当たるものは一つしかなかった。スマートフォンを手に取り、神崎蒼へメッセージを送る。『神崎さん、お時間ありますか』数分後。『ある』『大きな荷物が届きました』『今から行く』短いやり取りに、ひまりは思わず笑みを浮かべた。***しばらくして蒼が部屋を訪れる。「こんにちは」「こんにちは」蒼はテーブルの段ボールを見るなり、小さく頷いた。「届いたね」「やっぱり、これですよね?」「たぶん」ひまりは緊張した面持ちでカッターを手に取る。「開けます」ゆっくりと封を切る。|緩衝材《かんしょうざい》を取り除くと、一枚の手紙が入っていた。「手紙?」そっと取り出し、読み始める。『チャンネル登録者数十万人達成、おめでとうございます。あなたの努力と創造性が、多くの人へ笑顔と感動を届けています。その功績を称え、このクリエイターアワードを贈ります。』ひまりは何度もその文章を読み返した。「私に……?」声が震える。蒼は静かに微笑んだ。「相沢さんに」その下には、丁寧に包まれた銀色のプレートがあった。ひまりは両手で持ち上げる。「わあ……」思わず息をのむ。鏡のように輝く表面。中央には再生ボタンのマーク。そして、その下には。**Aizawa Himari**チャンネル名が美しく刻まれていた。「本当に……私の名前」目頭が熱くなる。子役を辞めた日。芸能事務所を追われた日。自分には何も残っていないと思っていた。そんな自分の名前が、今こうして世界に一枚だけの盾へ刻まれている。「夢みたい……」涙が一筋、頬を伝った。***蒼は銀の盾を静かに見つめる。「重い?」「はい」ひまりは少し笑った。「思っていたより重いです」「努力の重さ」蒼らしい一言だった。ひまりは思わず吹き出す。「そうかもしれませんね」しばらく二人で銀の
Last Updated: 2026-09-02
Chapter: 第四十四話「おかえり!」翌日の朝。 相沢ひまりは窓を開け、ゆっくりと深呼吸をする。春の風が頬を優しく撫でた。机の上には、昨日描いた子猫のイラストが置かれている。仕事でもない。誰かに見せるためでもない。ただ、好きだから描いた一枚。その絵を見つめていると、不思議と胸が温かくなった。「……もう一度、描いてみようかな」自然とそんな言葉がこぼれる。ペンタブレットの電源を入れる。真っ白なキャンバスが映る。以前のような恐怖は、まだ少し残っていた。それでも、昨日とは違う。ペンを持つ手は震えていなかった。一本。また一本。ゆっくりと線を重ねていく。完璧じゃなくていい。上手じゃなくてもいい。好きだから描く。その気持ちだけを大切にしながら、ひまりは久しぶりに一枚のイラストを描き上げた。画面の中で、小さなうさぎと子猫が並んで花畑を歩いている。「描けた……」思わず笑みがこぼれた。その瞬間、スマートフォンが震える。神崎蒼からだった。『どう?』短いメッセージ。ひまりは描き上がったイラストの写真を送り返す。数秒後。『笑ってる絵だ』その一文を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。「ありがとうございます、神崎さん」小さく呟き、スマートフォンをそっと置いた。***午後。ひまりはパソコンの前へ座る。今日は配信予定の日だった。休止のお知らせを出してから、初めての配信になる。配信画面を開く。開始時刻までは、あと三十分。 相沢ひまりは、マイクの位置を何度も直しては、深呼吸を繰り返す。「……大丈夫」そう呟いてみる。けれど、胸の鼓動は少し早かった。配信を休止してから初めて、みんなの前へ戻る日。「待っていてくれるかな」期待よりも、不安の方が少しだけ大きい。机の上には、昨日描いた子猫のイラストが置かれていた。その絵を見つめると、自然と肩の力が抜ける。「よし」ひまりは小さく頷き、配信画面を開いた。 待機画面には、すでに多くのコメントが流れていた。『今日かな?』『無理しないでね!』『配信があったら嬉しいな』『待機!』『ひまり先生、おかえり!』まだ始まっていないのに、「おかえり」という言葉が並んでいる。ひまりは目を潤ませた。「まだ始めてもいないのに……」待っていてくれた人がいる。それだけで十分だった。深呼吸をする
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第四十三話「好きだから描く」朝。今日も柔らかな陽射しが窓から差し込み、部屋の中を優しく照らしていた。相沢ひまりは、ゆっくりと目を覚ます。ここ数日続いていた胸の重苦しさは、少しだけ軽くなっていた。昨日、公園で神崎蒼から言われた言葉が何度も頭に浮かぶ。「休むのも仕事」その一言に救われた気がした。とはいえ、机の上にあるペンタブレットを見ると、まだ胸が少しだけ締めつけられる。「今日は……描かなくてもいい」自分にそう言い聞かせ、部屋を出た。***昼前。ひまりは近所のスーパーへ買い物に出かけた。牛乳やパンを買い、帰ろうとした時だった。近くの小さな公園から、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。自然と足が止まった。「少しだけ……」そう呟き、公園へ入る。休日ということもあり、多くの親子が遊んでいた。鬼ごっこをする子。砂場で山を作る子。ベンチでは、お母さん同士が楽しそうに話している。ひまりは少し離れたベンチへ腰を下ろした。その時だった。「できたー!」元気な声が響く。五歳くらいの男の子が、大きな画用紙を高く掲げていた。近くにいた保育士らしき女性が笑顔で尋ねる。「何を描いたの?」「ぼく!」得意げに見せる絵には、大きな丸い顔。体は棒のような一本線。腕も足も長さが違う。空には紫色の太陽。木には赤い葉っぱ。犬は水色だった。ひまりは思わず見つめる。「すごいね!」保育士が笑う。「どうして太陽が紫なの?」男の子は胸を張った。「好きだから!」「犬はどうして水色なの?」「かっこいいから!」「木が赤いのは?」「きれいだから!」どの答えにも迷いがない。周りの子どもたちも次々と画用紙を見せ始める。「わたしは虹をいっぱい描いた!」「ぼくは恐竜!」「これはママ!」どの絵も自由だった。上手い下手なんて誰も気にしていない。ただ、描きたいものを思いきり描いている。ひまりは、その光景から目が離せなかった。「……そうだった」小さく呟く。子どもの頃。自分もそうだった。空をピンクに塗ったことがある。猫に羽を描いたこともある。先生に「自由に描いていいよ」と言われるだけで、胸が躍った。誰かに評価されるためじゃない。賞を取るためでもない。ただ、描くことが楽しかった。「私……」いつから忘れてしまったんだろう。ーーー帰宅したひまりは
Last Updated: 2026-08-26
Chapter: 第21話 「決戦への招待」 【深夜の王都・王立麻雀殿堂・屋根裏部屋】漆黒の闇に覆われた王立麻雀殿堂の屋根裏部屋に、ぼんやりとした月明かりが差し込んでいた。窓の隙間から吹き込む風が、埃の積もった古い書物をそっと揺らす。夜の静けさの中、ただ風の音だけが、不気味なほどに響いていた。その静寂を切り裂くように、一羽の黒い鳥が、音もなく窓から飛び込んできた。その羽は闇に溶け込み、まるで幻影のようにゆっくりと部屋の一角に降り立つ。そのくちばしには、黒く重そうな、まるで呪文が込められているかのような封筒がしっかりと握られていた。黒い鳥(心の声)「これが……あのヴァイス侯爵からの挑戦状……。王国の命運を賭けた最終決戦の招待……。私の役目は、この手紙をリリィ嬢に届けることだけ……」鳥は使命を終えたかのように、机の上に封筒をそっと落とすと、静かに羽を震わせて、再び闇の中へと飛び去っていった。その封筒からは、微かに魔力が発せられ、まるで生きているかのように脈動している。【控室・ミミの部屋】その日の夜、ミミは緊張で寝付けず、何度も寝返りを打っていた。昼間の麻雀殿堂での出来事が、まだ鮮明に脳裏に焼き付いている。ヴァイスの冷たい笑み、リリィの決意に満ちた表情、そして最後の爆発音。様々な感情が渦巻き、彼女の心を揺さぶっていた。ふと、机の上に置かれた見慣れない黒い封筒が、月明かりを反射して光っているのが目に入った。それは、今日の麻雀殿堂でセディリオが受け取ったものと同じ封蝋で封じられている。ミミの胸に、嫌な予感がよぎった。ミミ(低い声で)「……ヴァイスからの挑戦状?」恐る恐る、震える手で封筒に手を伸ばす。封蝋を剥がす指先が冷たくなっていた。ゆっくりと封筒を開け、中の文面を読み上げる。ミミ「『王国の未来を賭け、最終決戦の場でお前を叩き潰す。準備せよ』……」その短い文面には、ヴァイスの歪んだ自信と、リリィに対する明確な敵意が凝縮されていた。ミミは思わず息をのむ。その時、ドアが静かに開き、リリィが部屋に入ってきた。彼女の顔は、昼間と変わらず穏やかで、しかしその瞳には強い光が宿っていた。リリィ「……来たわね。とうとう最終決戦の招待状が」ミミはリリィに封筒を差し出した。リリィはそれを一瞥すると、静かに頷いた。ミミ「こんなに……早く来るなんて……。まだ一晩も経っていない
Last Updated: 2026-09-10
Chapter: 第20話 「反乱の序曲」 【国立麻雀殿堂・中央アリーナ 決勝戦】ドーム型の巨大なアリーナは、ヴァイスの占拠宣言によって静まり返っていた。壇上ではヴァイスが不敵な笑みを浮かべ、その隣に《黒手》の幹部たちが立つ。観客席にはヴァイスの部下が潜り込み、威圧的な視線を観客に送っていた。しかし、その緊張の中、麻雀卓を挟んでヴァイスと対峙するリリィの表情は、どこまでも穏やかだった。ヴァイス「ほう……。麻雀卓の向こう側は、随分と余裕だな。だが、その余裕もすぐに消え失せるだろう。この試合は、貴様の希望を打ち砕き、この国を私の支配下に置くための、反乱の序曲だ」リリィ「いいえ。これは、あなたの野望を打ち砕くための、正義の麻雀です」その言葉を合図に、静かに試合が始まった。【第一局・東一局】牌山が自動で積まれ、配牌が配られる。リリィは手牌をゆっくりと確認し、その表情を一切変えない。しかし、ヴァイスは配牌を取った瞬間、満足げに口角を上げた。ヴァイス「……ツモ」わずか三巡目。彼は大きく牌を卓に叩きつける。「倍満だ」観客席がどよめく。あまりの速さに、誰もが言葉を失っていた。ヴァイスの部下たちが、不気味な笑みを浮かべている。 ミミ(王族席)「なっ……もう倍満!? 早すぎるよ!」レオンハルト(王族席)「しかも配牌からの速攻だ……不自然だ。ヴァイスの打牌に、霊力の気配は感じられないが、何らかの不正が仕掛けられているはず」セディリオ(王族席)「……リリィ、落ち着け。焦る必要はない」リリィは笑みを崩さず、静かに次局の準備を始める。 リリィ「いいですね、その速さ。でも――速さだけじゃ、勝てませんよ」ヴァイス「ほう? その負け惜しみ、いつまで言えるかな」リリィの言葉に、ヴァイスはわずかに眉をひそめる。彼の麻雀は、牌山に細工を施し、ツモをコントロールすることで成立している。しかし、リリィは、その不正の仕組みを既に理解しているようだった。【第二局・東二局】ヴァイスはまたも早い手を作りにいく。彼の目的は、リリィに考える隙を与えず、圧倒的な速さで勝負を決め、彼女の心を折ることだった。しかし、リリィの打ち筋が変化する。ミミ(王族席)「……あれ? リリィ、わざと鳴いて流れを止めてる?」レオンハルト(王族席)「そうだ。ヴァイスの速攻を封じ、山を荒らしている。ヴ
Last Updated: 2026-09-05
Chapter: 第19話 「裏切り者の正体」【国立麻雀殿堂・王族控室 早朝】重たい空気が、まるで湿った布のように部屋を覆っていた。窓の外は曇天で、街のざわめきは遠い。控室にいるのはセディリオ、リリィ、ミミの三人。誰も言葉を発さず、ただ時計の針の音だけが、耳に響いて聞こえる。沈黙を破ったのは、セディリオだった。その声は低く、鋭く、まるで空気を裂くかのように響いた。「……内部に裏切り者がいる」その言葉に、控室にいた全員の視線が、一斉に彼に注がれる。リリィ「……裏切り者?」セディリオ「ああ。昨夜、ヴァイス側に機密情報が漏れた。我々の調査網をくぐり抜けて、だ。ヴァイスが我々の動きを読み、先手を打ってきている。これは偶然ではない」ミミ「機密って……大会の警備計画のこと?」セディリオ「そうだ。警備兵の配置、王族の移動ルート……すべて。我々がここに来る直前の情報だ。ヴァイスは、この情報を利用して、今日、この殿堂を占拠するつもりだろう」ミミの耳がぴくりと動く。「そんなの、王城のごく限られた人しか知らないはずじゃ……。まさか、その中に裏切り者がいるってことですか?」その瞬間、扉がノックもなく開いた。入ってきたのは――王国警備隊長、レオンハルト。彼は鎧を身につけ、緊張した面持ちで立っていた。レオンハルト「お呼びでしょうか、殿下。早朝から、大変申し訳ありません」セディリオの視線が鋭く細まる。「レオンハルト、君にも確認しておきたい。昨夜の情報漏洩について……何か心当たりは?」レオンハルトは一瞬、言葉に詰まる。「……ありません。警備計画は私の直属部隊と殿下、そして宰相閣下しか知り得ない情報です。もちろん、部下には|箝口令《かんこうれい》を敷いております」リリィはその声をじっと聞いていた。(……声が硬い。呼吸が浅い。緊張……いや、何かを隠してる。まるで、嘘を重ねるたびに、心が硬化していくみたい)ミミは小声でリリィにささやいた。「ねえ、なんかあの人……目の焦点が泳いでない? こっちをまっすぐ見られないみたい」リリィも小声で答える。「ええ、しかも視線が殿下を避けてる。ヴァイスの悪意に侵されている感じはしない。それどころか、苦悩している……まるで、誰かに脅されているみたい」【数時間後・作戦会議室】王城の作戦会議室。大きな円卓を囲んで、セディリオ、宰相、高官数名、リリィ、ミミ、
Last Updated: 2026-09-04
Chapter: 第18話 「仕組まれた敗北」 【王都・国立麻雀殿堂 決勝当日】巨大なドーム型の天井から、金色の装飾が眩く輝き、その光が観客席を照らしていた。今日の決勝戦は、この大会の歴史の中でも、類を見ないほどの注目を集めている。開場を待ちわびた人々が、早くから列をなし、観客席は早くも満席となっていた。太鼓の荘厳な音と、地鳴りのような歓声が交互に響き渡り、会場全体が期待と熱狂に包まれていた。舞台袖で、リリィは静かに目を閉じて呼吸を整えていた。彼女の耳には、観客の声援も、太鼓の音も、まるで遠い世界のできごとのように聞こえていた。ただ、胸の奥で、ヴァイスの悪意が放つ、不気味な気配だけが、冷たい風のように吹き抜けているのを感じていた。そこへミミが駆け寄る。彼女の顔には、緊張と、そして小さな不安が浮かんでいた。「リリィさん……なんだか、今日の会場、雰囲気が違います。いつもの熱狂とは、違うような……」「違う?」リリィは静かに問い返した。「うん……観客席のあちこちに、黒服の人たちが固まってるんです。警備員とも違う、異様な雰囲気。普通の警備じゃない感じがします」リリィはまぶたを開け、ミミの肩に手を置いた。その瞳は、一点の曇りもなく、ただ真実を見据えていた。「……たぶん、ヴァイスの差し金。今日の試合で、何かを仕掛けてくるつもりよ」ミミの瞳が不安に揺れる。「やっぱり……。どうするんですか、リリィさん! このまま試合なんて……」そこへセディリオ王子が現れた。彼の顔にも、緊張の色が濃く浮かんでいる。「君の勘は正しい。今日は……特に気を付けろ」「何か掴んだの?」リリィはセディリオに視線を向け、真剣な声で問う。セディリオは眉をひそめ、低く答えた。「ヴァイスが“仕組まれた敗北”を用意している。試合中に不正を仕掛けるつもりだ。君の勝利が、彼にとって最も都合の悪いことだからな」「……どんな不正を?」「詳細まではまだ。だが、《黒手》が牌山に細工を施す可能性が高い。普通の目では分からない……それも、魔法牌の霊力を応用した細工だ。我々の調査では、それが最も奴らにとって有力な手段だとされている」リリィは一瞬黙り、やがて小さく笑った。その笑みには、不安も恐怖もなく、ただ強い闘志だけが満ちていた。「なら、こっちも魔法牌の理論で暴いてやる。私が一番よく知っているはずよ、魔法牌の力のことを」【試合開始
Last Updated: 2026-09-02
Chapter: 第17話 「暗躍する影」 王都大会の夜。分厚いカーテンが外の月明かりを遮り、室内は暖炉の炎の赤だけで照らされていた。その豪奢な屋敷の主、ヴァイス侯爵は、深紅の肘掛け椅子に身を沈め、指先でワイングラスをゆっくりと回している。甘く濃厚な葡萄酒の香りが部屋に漂い、その香りさえも彼の傲慢さを際立たせるようだった。「報告します」黒いローブを纏った部下が、絨毯の上に片膝をつく。彼の声は、侯爵の耳に届くよう、しかし他の者には聞こえないように、極限まで抑えられていた。「例の少女、リリィは本日も大会で勝利を収めました。これで七連勝です。民衆の熱狂は、もはや抑えられないほどに高まっております」ヴァイスは口の端をわずかに吊り上げ、冷笑を漏らす。「ふん……やはり来たか、こういう存在が。異世界から来たという噂までついて、民衆は夢中だ。王家の都合の良い英雄を仕立て上げ、民衆の目を欺こうとしている。だが、その手には乗らん」「それだけでなく、王族からの信頼も……セディリオ殿下などは特に、彼女に自らが護衛につくほどに……」ヴァイスはワイングラスをテーブルに置き、指先で軽く二度叩いた。カン、カン、という小さな音が、部屋の静寂を不気味に切り裂く。「つまり、今あの小娘を潰せば――王族も民衆も、私を避けては通れなくなる。民衆は絶望し、王族は権威を失う。その隙に、私はこの国の全てを手に入れる」部下がためらいがちに口を開く。「しかし、殿下……“あの組織”を再び動かすおつもりですか? 前回は失敗に終わりましたが……」ヴァイスの目が鋭く光る。その瞳には、燃え盛る炎のような狂気が宿っていた。「お前は忘れたか? 《黒手》は元から私の掌の上にある駒だ。以前、殿堂で起きた騒ぎも私の命令だ。あれはただの試運転だった。あの時は、まだ駒が未熟だった。だが、今回は違う。準備は整った」部下は息を呑む。「では、あのクーデター未遂も……?」「そうだ。あれも、ただの試運転。本番はこれからだ。この大会の決勝戦こそが、全てを決する舞台となる」ヴァイスは立ち上がり、窓辺に歩み寄る。外の街灯が揺らめき、その光が彼の背に長い影を落とした。「国立麻雀殿堂――あの場所を制圧すれば、王国の心をも奪える。人々が希望を託した場所を、絶望の場所に変えてやる」【場面転換:国立麻雀殿堂・大会控室】大会後、控室でリリィは椅子に腰掛け、濡
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第16話 「王族すら魅了」 王都大会の舞台裏。特別な空間に、リリィ、セディリオ、そしてミミの三人は招かれていた。そこに待っていたのは、この国の最高権力者、国王その人だった。広間の空気は重く、壁に飾られた歴代の王たちの肖像画が、静かに三人を見下ろしているようだった。国王は、荘厳な玉座に座りながらも、その眼差しは穏やかで、威圧感よりもむしろ知的な好奇心を湛えている。「異世界から来た者が、わが国の伝統ある麻雀の大会でここまでの実力を示すとは、まことに驚異的だ。君の打ち筋は、我々がこれまで見てきたどの雀士とも違う。それは、ただの技術ではなく、新しい可能性を感じさせるものだ」リリィは小さく息を飲み、真摯に答えた。「陛下のお言葉、身に余る光栄です。私はただ、麻雀が好きなだけで……。この国の麻雀に、少しでも新しい風を吹き込めたのであれば、嬉しく思います」国王は笑みを浮かべる。その表情は、一人の人間としてリリィに語りかけているかのようだった。「好きという情熱は、技術に勝る力となる。それこそが、君をここまで強くしたのだろう。しかし、国を背負う重責もまた、理解してほしい。君の勝利は、この国の民に希望を与えている。それは、王家にとっても大きな意味を持つ」「はい……」リリィは言葉を詰まらせながらも、決意を込めた。「私にできる限り、王国のために尽くします。たとえこの先、どんな困難が待ち受けていようとも、私はこの使命から逃げません」そのとき、セディリオ王子が静かに話し始めた。彼は一歩前に進み出て、国王とリリィの間に立つ。「リリィ殿は、私の最も信頼する戦士である。彼女の強さは、その技術だけでなく、何よりも揺るぎない精神にある。彼女は、この国の誇りとなるべき存在です。これからも我々の国の誇りとなることを願う」国王は深く頷きながら、厳かな表情で言った。「そのために、この場で君に特別な庇護と支援を約束しよう。君には、王家の戦士としての地位と、それに伴う一切の権限を与える。そして、君が望むならば、国の研究施設や魔術師団の力を、君の魔法牌の研究に自由に用いることを許可する」リリィの目には、感激と、そして重い責任を感じる涙が浮かんだ。(この信頼を裏切るわけにはいかない。私はもう、一人の雀士ではない。国の未来を背負う、王家の戦士……。私はもう、逃げられない……)【控室での葛藤:孤独と支え】|謁
Last Updated: 2026-08-26