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第四十八話「夢だった景色」

Author: 辻野幸枝
last update publish date: 2026-09-10 08:47:29

発売から二週間が過ぎたある日の朝。

相沢ひまりは、コーヒーカップを両手で包み込みながら、窓の外を眺めていた。

スマートフォンには、毎日のように読者から感想が届いている。

『子どもが寝る前に毎日読んでいます』

『親子で笑顔になれる絵本でした』

『続編を楽しみにしています』

一つひとつの言葉を読むたびに、胸が温かくなった。

その時、スマートフォンが震える。

神崎蒼からだった。

『今日は時間ある?』

ひまりはすぐに返信する。

『あります』

『出かけよう』

『どこへですか?』

少し間が空き、返事が届く。

『着いてからのお楽しみ』

ひまりは思わず笑った。

「珍しいですね」

***

午後。

待ち合わせ場所で合流した二人は、ゆっくりと街を歩いていた。

「神崎さん」

「うん」

「どこへ行くんですか?」

「もう少し」

「秘密ですか?」

「うん」

相変わらず短い返事だった。

それでも、不思議と安心できる。

しばらく歩くと、大きな商業施設が見えてきた。

中へ入り、エスカレーターで上の階へ向かう。

到着したのは、大型書店だった。

「本屋さん?」

「うん」

「何か探すんですか?」

蒼は何も答えず、児童書コーナ
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    発売から二週間が過ぎたある日の朝。相沢ひまりは、コーヒーカップを両手で包み込みながら、窓の外を眺めていた。スマートフォンには、毎日のように読者から感想が届いている。『子どもが寝る前に毎日読んでいます』『親子で笑顔になれる絵本でした』『続編を楽しみにしています』一つひとつの言葉を読むたびに、胸が温かくなった。その時、スマートフォンが震える。神崎蒼からだった。『今日は時間ある?』ひまりはすぐに返信する。『あります』『出かけよう』『どこへですか?』少し間が空き、返事が届く。『着いてからのお楽しみ』ひまりは思わず笑った。「珍しいですね」***午後。待ち合わせ場所で合流した二人は、ゆっくりと街を歩いていた。「神崎さん」「うん」「どこへ行くんですか?」「もう少し」「秘密ですか?」「うん」相変わらず短い返事だった。それでも、不思議と安心できる。しばらく歩くと、大きな商業施設が見えてきた。中へ入り、エスカレーターで上の階へ向かう。到着したのは、大型書店だった。「本屋さん?」「うん」「何か探すんですか?」蒼は何も答えず、児童書コーナーの方へ歩いていく。ひまりも後をついていった。そして、その瞬間だった。「あ……」思わず足が止まる。目の前には、大きな特設コーナーが設けられていた。色とりどりの絵本が並ぶ中、一番目立つ場所には、自分の絵本が何冊も積まれている。手書きのポップには、大きくこう書かれていた。『大人気! 発売後すぐ重版決定!』『親子で読みたい、心温まる一冊』『スタッフおすすめ!』さらに棚の横には、小さな子どもたちが描いたイラストまで飾られていた。「すごい……」ひまりは小さく呟く。夢を見ているようだった。店内には親子連れが次々とやって来る。「これ、この前読んだ本だ!」男の子が嬉しそうに指を差す。「もう一回読んで!」母親は笑顔で本を手に取った。別の場所では、小さな女の子が表紙を見つめていた。「このうさぎさん、かわいい!」父親がページをめくる。「読んでみようか」そんな何気ない会話が、ひまりの耳に届く。「神崎さん……」声が少し震える。「うん」「本当に読んでもらえているんですね」蒼は静かに頷いた。「届いてる」その一言だけで十分だった。***ひまりは、少し離

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    翌日の朝。 相沢ひまりは窓を開け、ゆっくりと深呼吸をする。春の風が頬を優しく撫でた。机の上には、昨日描いた子猫のイラストが置かれている。仕事でもない。誰かに見せるためでもない。ただ、好きだから描いた一枚。その絵を見つめていると、不思議と胸が温かくなった。「……もう一度、描いてみようかな」自然とそんな言葉がこぼれる。ペンタブレットの電源を入れる。真っ白なキャンバスが映る。以前のような恐怖は、まだ少し残っていた。それでも、昨日とは違う。ペンを持つ手は震えていなかった。一本。また一本。ゆっくりと線を重ねていく。完璧じゃなくていい。上手じゃなくてもいい。好きだから描く。その気持ちだけを大切にしながら、ひまりは久しぶりに一枚のイラストを描き上げた。画面の中で、小さなうさぎと子猫が並んで花畑を歩いている。「描けた……」思わず笑みがこぼれた。その瞬間、スマートフォンが震える。神崎蒼からだった。『どう?』短いメッセージ。ひまりは描き上がったイラストの写真を送り返す。数秒後。『笑ってる絵だ』その一文を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。「ありがとうございます、神崎さん」小さく呟き、スマートフォンをそっと置いた。***午後。ひまりはパソコンの前へ座る。今日は配信予定の日だった。休止のお知らせを出してから、初めての配信になる。配信画面を開く。開始時刻までは、あと三十分。 相沢ひまりは、マイクの位置を何度も直しては、深呼吸を繰り返す。「……大丈夫」そう呟いてみる。けれど、胸の鼓動は少し早かった。配信を休止してから初めて、みんなの前へ戻る日。「待っていてくれるかな」期待よりも、不安の方が少しだけ大きい。机の上には、昨日描いた子猫のイラストが置かれていた。その絵を見つめると、自然と肩の力が抜ける。「よし」ひまりは小さく頷き、配信画面を開いた。 待機画面には、すでに多くのコメントが流れていた。『今日かな?』『無理しないでね!』『配信があったら嬉しいな』『待機!』『ひまり先生、おかえり!』まだ始まっていないのに、「おかえり」という言葉が並んでいる。ひまりは目を潤ませた。「まだ始めてもいないのに……」待っていてくれた人がいる。それだけで十分だった。深呼吸をする

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    朝。今日も柔らかな陽射しが窓から差し込み、部屋の中を優しく照らしていた。相沢ひまりは、ゆっくりと目を覚ます。ここ数日続いていた胸の重苦しさは、少しだけ軽くなっていた。昨日、公園で神崎蒼から言われた言葉が何度も頭に浮かぶ。「休むのも仕事」その一言に救われた気がした。とはいえ、机の上にあるペンタブレットを見ると、まだ胸が少しだけ締めつけられる。「今日は……描かなくてもいい」自分にそう言い聞かせ、部屋を出た。***昼前。ひまりは近所のスーパーへ買い物に出かけた。牛乳やパンを買い、帰ろうとした時だった。近くの小さな公園から、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。自然と足が止まった。「少しだけ……」そう呟き、公園へ入る。休日ということもあり、多くの親子が遊んでいた。鬼ごっこをする子。砂場で山を作る子。ベンチでは、お母さん同士が楽しそうに話している。ひまりは少し離れたベンチへ腰を下ろした。その時だった。「できたー!」元気な声が響く。五歳くらいの男の子が、大きな画用紙を高く掲げていた。近くにいた保育士らしき女性が笑顔で尋ねる。「何を描いたの?」「ぼく!」得意げに見せる絵には、大きな丸い顔。体は棒のような一本線。腕も足も長さが違う。空には紫色の太陽。木には赤い葉っぱ。犬は水色だった。ひまりは思わず見つめる。「すごいね!」保育士が笑う。「どうして太陽が紫なの?」男の子は胸を張った。「好きだから!」「犬はどうして水色なの?」「かっこいいから!」「木が赤いのは?」「きれいだから!」どの答えにも迷いがない。周りの子どもたちも次々と画用紙を見せ始める。「わたしは虹をいっぱい描いた!」「ぼくは恐竜!」「これはママ!」どの絵も自由だった。上手い下手なんて誰も気にしていない。ただ、描きたいものを思いきり描いている。ひまりは、その光景から目が離せなかった。「……そうだった」小さく呟く。子どもの頃。自分もそうだった。空をピンクに塗ったことがある。猫に羽を描いたこともある。先生に「自由に描いていいよ」と言われるだけで、胸が躍った。誰かに評価されるためじゃない。賞を取るためでもない。ただ、描くことが楽しかった。「私……」いつから忘れてしまったんだろう。ーーー帰宅したひまりは

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