Chapter: 第120話たまらず駆け寄り抱きしめかけた隼翔は、数歩手前で立ち止まり、「涼禾、やっと会えた。今日もとっても綺麗だよ。」と恐る恐る手を差し出した。その目は一点の曇りもなく、薄っすら浮かんだ涙のせいで一層キラキラ輝いていた。涼禾は、自分の不安を一瞬で綺麗に拭い去った隼翔の笑顔に、心からの笑顔を返して、「ありがとう、隼翔さん。これからもよろしくお願いします。」と言って差し出された手を両手で包み込むように握り返した。そこで安心した隼翔は素早く涼禾を抱きしめて、「涼禾、よかった。僕の方こそよろしくね。」と涙を流した。「やっぱりパパ泣いちゃったねぇ。」「やっぱりね。」陽亮と夏蓮は嬉しそうに笑いながら、「「パパ、ママ、結婚記念日おめでとう!!」」と二人に駆け寄った。隼翔はその会の間中、とうとう一度も涼禾から離れずに、会が終わっても病室に泊まり込んで皆を心配させた。しかし、その翌日から涼禾は目に見えて回復して1週間ほどで退院した。2年後、同じ病院で涼禾は退院を翌日に控えていた。退院準備の為に手伝いに来ている佐和子が、大きなため息をついた。「いよいよ退院だけど、明日から大変よ。もう一人家政婦さんを頼んだ方がいいんじゃない?」「やっぱり2人じゃ足りないかしら。」「暫くはあなたも無理できないでしょ?陽亮と夏蓮もいくらしっかりしていてもまだ2年生だし。」「そうねぇ。それに今回は元気な男の子ばかりだし。成長スピードもすごいしねぇ。」3週間前、涼禾は一卵性の三つ子を出産した。2年前、涼禾が回復してから隼翔が、「ねぇ涼禾、陽亮は雅輝にべったりだし、夏蓮は亮君や従兄弟たちにベッタリなんだ。僕にも僕に一番懐いてくれる子が欲しいと思わない?」と度々言うようになった。涼禾は笑いながら聞き流していたが、やがて妊娠に気づいて検査してみると何と三つ子だと分かった。双子に続いて三つ子とは…と不安になったのもつかの間、隼翔と江崎夫妻は大喜びだった。これで自分たちにも”一番“ができる、と。細身の涼禾にとって三人はかなりの負担だったが、周囲の手厚い支えがあって、やや未熟児ながらも手術で無事に生まれてくれた。三人は生まれてからどんどん成長して、今では通常の新生児並みになっている。「やっぱり三人じゃ狭かったのかしら?」真剣な顔で言う涼禾を見て、佐和子がくすくすと笑う。「か
Last Updated: 2026-05-05
Chapter: 第119話雅輝は思わずプッと噴き出して、「確かに。これは兄さん泣くね。」と笑い出した。亮もつられて、「ふふっ、気の毒…でも…あはは…。」と笑い出した。涼禾は訳が分からず陽亮と夏蓮を見ると、二人もにこにこしながら、「パパがねぇ、ママが会ってくれないってずっとしょげてるの。」「せめて明日ぐらい、少しでもいいから会えないかって。何日か前から部屋の前をうろうろしたり、おばあちゃんたちに様子を聞いたり。今日も私たちに聞いてきてくれって。」涼禾は困ったような顔になり、「パパがママに会いたいって?」「当たり前じゃない。」「何で僕だけ会ってくれないんだってブツブツ言ってるよ。」「パパ、無理して仕方なくとか……。」「「そんなわけがない!」」「ママ、パパはね、ママが大好きなんだよ。」「昨日もこの部屋の前をクマみたいにうろうろしてたって、おばあちゃんに叱られてた。」「隼翔さんが……、クマ?」家族の前以外では、いつも冷静な態度と冷たい眼差しの彼が?涼禾はその光景を思い浮かべて、思わずくすっと笑ってしまった。亮が穏やかな笑顔で涼禾に言った。「姉さん、もういろいろ考えなくていいんだよ。自分の心の望むままにすればいい。」「そうそう、弟の僕から言わせて貰えば、うちの兄はとても単純で純粋なんだよ。そして、びっくりするくらい一途なんだ。姉さん限定でね。」四人と話しているうちに、涼禾の心の強張りがすうっと解けていくような気持ちがした。「ありがとう、みんな。陽亮、夏蓮。パパに伝えて。明日の夜はみんなで記念日のお祝いをしましょう、って。」「「やったー!!!」」双子の喜びの声に続いて、雅輝が燥いで問いかけた。「姉さん、姉さん!みんなって僕は入ってる?父や母は?亮ちゃんは?」「ちょっと!僕は当然入ってるでしょ?」涼禾は賑やかな四人に笑顔で答えた。「みんなよ。私は大丈夫だから、亮ちゃん、参加者を決めるのも含めて準備をお願いできるかしら。」「任せて!姉さん。じゃあ、決まったからには姉さんは明日の夕方まではゆっくり休んでいてね。」「そうだね。もちろん僕も手伝うからね。」雅輝がそう言うと、四人は嬉しそうに会の準備について話しながら帰って行った。涼禾は、ほうっと一息ついてまた眠りについた。その表情は、1年前の最高に幸せだった頃に戻ったような穏やかなものになっていた
Last Updated: 2026-05-05
Chapter: 第118話「信じてる。でも、嫌悪感なんて頭で分かってても感じてしまうものでしょう?彼に我慢させるなんて耐えられない。」「………。」「隼翔さんと結婚できて、家族として過ごせた半年足らず。とっても幸せで……、彼があの頃と変わってしまったらと思うと……。会いたいの。でも、……。」娘の複雑な気持ちを聞いて、かける言葉に詰まってしまった佐和子だった。それでも、「ねぇ、涼禾。2年ちょっと前のこと、覚えてる?」「隼翔さんと再会した頃?」「ええ、あの頃もあなた、怖いって言っていたわね。」思い出す仕草をした後、小さく頷いた。「ええ。今とは違う理由だったけど。」佐和子も一つ頷いてから話を続けた。「あの頃は陽亮と夏蓮に背中を押して貰ったようなものだったけど、会ってみてどうだった?」涼禾はまた少し考えて、思わずくすっと笑った。「彼は……、彼のままだった。ううん、思っていた以上に私を想ってくれていて、嬉しかった。」「そう。私はね、あの頃以上に、彼はあなたを大切に想ってくれていると思うわ。」「……。」「焦ることはないわ。気が向いたら考えてみて。」佐和子は少し話し込みすぎて疲れさせてしまったかと心配になり、話を終えて休むように勧めた。素直に頷いて横になり、目を閉じた涼禾を見守ってから静かに部屋を後にした。翌日の午後には、亮と雅輝が付き添って陽亮と夏蓮が会いに来た。二人は幼稚園での様子やそれぞれの習い事の様子を報告した。「ママ、私ね、こんどはじゅうちゃんから“けんどう”をならうの。」「空手と合気道はもういいの?」「どっちも続けるよ。でもね、私はまだ小さいからむずかしいことはできないの。元気なからだをつくるのが一番なんだって。」「そう。いい先生に習っているのね。」 「ママ、僕はキーボードの早打ちソフトで記録を更新したよ!雅輝さんに習ってプログラミングも始めたんだ。」「陽亮もすごいわね。でも頑張りすぎて目を悪くしてはだめよ。」「うん!ちゃんとお休みしながらやっているよ。」涼禾は二人の頭を撫でながら亮と雅輝を見た。「亮ちゃん、雅輝さんありがとう。あなたたちの研究は順調かしら?」「来月から治験段階に進むよ。まずは3ヶ月間のデータを見てそれからの方針を決めていくつもり。治験者には聡美さんや島田さんの奥さんも参加してくれるんだ。」「島田さんの奥さん?」「あ
Last Updated: 2026-05-04
Chapter: 第117話「ママ、ありがとう。」「ママ、いつまでもみんなで待っているからね。」二人から差し出された花束を受け取れるように、佐和子が涼禾の手を取ろうとした。が、それより先に涼禾が自ら花束を受け取った。そして、「夏蓮、陽亮、少し会えなかった間に大きくなったわね。こんなママで、ごめんね。」と言うと、しっかりと二人を見つめ涙を浮かべた。涼禾の変化にその場にいた全員が息を呑んだ。「…涼禾……?」佐和子の呼びかけに、ゆっくりと顔を向けると、「お母さん、ごめんなさい。」ひと言返してまた眠りに落ちていった。ほんのひとときではあったが、涼禾が周囲に穏やかに反応したのは事件以来初めてのことだった。幼いとはいえ、男の子である陽亮に対しても拒否反応はなかった。僅かではあるが、今度こそ回復の兆しを得た皆は心から聡美に感謝した。聡美は、「私の方こそ皆様に感謝しています。私の拙い作品をこんなに素敵な場で披露させていただけたのですから。」と返した。この日をきっかけに、涼禾は少しずつ自分を取り戻し始めた。9月になり、結婚記念日まであと三日という日、涼禾の病室の前には朝から熊のようにドアの前をうろうろする隼翔の姿があった。ドアが開いて中から出てきた美沙は、その姿を見て呆れたような顔をして声をかけた。「まだいたの?」「だって、……お母さん。なぜ僕だけだめなんだ?陽亮や亮君、雅輝だって会えるようになったのに。この間は安藤のおじさんや颯太くんと健人君まで会えたじゃないか。そのうちお父さんや剣太郎君や柔治狼君も会えるようになりそうなんだろう?なのに何で僕はだめなんだ!」「情けない子ね。それだけ涼禾さんがあなたを特別に思っているってことでしょ。彼女の気持ちの整理がつくまで落ち着いて待ってあげなさい!」「だって……。」この3ヶ月間、涼禾は起きて正気を取り戻して過ごせる時間が少しずつ増えてきた。演奏会以前は、長時間眠り続けたり、起き上がってもぼんやりとして周囲に反応できなかったり、異性に怯えて距離を取ろうとしたりという状態だった。それが、夏蓮と陽亮を認識できたのをきっかけに、弟の亮と義弟の雅輝にも会えるようになった。室内に入っても拒否しなくなって、更に慣れて少し話せるようになり、短時間ながら以前のように親しみを持って接することができるようになった。佐和子や美沙や夏蓮や
Last Updated: 2026-05-04
Chapter: 第116話今までは何かの催しや、時折訪れる慰問の演奏者たちによって演奏されるだけだったが、この春休みだけは違った。二日に一回の間隔でお昼休みになると、1時間ほど演奏されるのだ。その曲たちは、ほとんどが誰もが聴いたことのある馴染みのあるものが、日によって変えられながら演奏されていた。ただ、毎回最後に演奏される1曲だけは同じ曲で、今まで聴いたことのない穏やかで、優しい曲だった。この二日に一度の小さな演奏会は、入院患者のみならず病院内のあらゆる人達の心を癒していった。春休みが終わり、この演奏会が無くなって多くの人達が残念に思った。涼禾もまた、その一人だった。演奏会のある日は、お昼になると必ず起き上がり、穏やかな顔で耳を傾けていた。そして最後の一曲を聴き終えると、時折頬に一筋の涙が溢れることもあった。砂川先生によると、感情を取り戻す兆候なのではと期待も持たれた。しかし、演奏会が無くなった後はまた、ほとんど横になったままの生活に戻ってしまった。そんな涼禾を見て、隼翔は一つの決心をした。涼禾を現在の中京市の病院から東都の病院へと転院させる事にしたのだ。移動時の疲労や環境の変化がかなりの負担になるだろうことは予測された。しかしそのリスクを冒してでも、家族の側で過ごして欲しいという思いが勝ったのだった。5月の半ば、細心の注意を払って涼禾の転院が行われた。やはり、転院直後の数日間は熱を出したり、悪夢に魘されたりと不調が続いた。けれどそれもだんだん落ち着き、やがて穏やかに過ごせるようになっていった。涼禾が転院したのは、瀬川グループ系列の病院で設備も環境も素晴らしかった。その素晴らしさのひとつとして、ピアノが常設された小ホールがあることが挙げられる。ある週末、その小ホールで少し変わった演奏会が計画された。観客が女性限定なのだ。なぜ?と思う人もいたが、ここは病院なのだから、おそらく何かの事情があるのだろうと納得したようだった。演奏会当日。佐和子と美沙、それに亜沙美と果奈も車椅子で参加している涼禾に寄り添うように席に着いた。観客は八人の患者ごとに、そのサポートメンバーとまとまって席を用意している。時間通りに演奏者の聡美が入って来た。アイスブルーの、天使のように清らかなイメージの衣装に身を包み、微かな微笑みを浮かべながら演奏が始まった。どの曲も初めて聴くもの
Last Updated: 2026-05-03
Chapter: 第115話『やめて…、誰か助けて…』くぐもった言葉にならない声が漏れる。何度も同じ目に遭ってしまう自分の愚かさが嫌になる。そんな涼禾を嘲笑うかのように男の言葉が続く。「だけどさぁ、せっかくの印が薄くなっちゃっているんだよねぇ。お仕置きを兼ねてもう一度しっかり身体に刻んであげなくちゃあ、ねぇ。」男がニヤリと笑いながらポケットから取り出した物を一振りすると、シュルリ、としなやかな音と共に焦げ茶色の革紐が垂れ下がった。「今度こそ完全に君は僕の物になるんだ。」パァーン!男が革紐を両手で強く引き、強度を確かめる音が響いた。その音が涼禾の脳裏に5年前の出来事を全て蘇らせてしまった。延々と続いた暴力に因る苦痛と、容赦無く浴びせられる暴言による屈辱、逃れられないと言う絶望感。それらから心を守る為に記憶を閉ざしていたのに。思い出してしまった今、まるで他人事のような諦めの言葉が浮かんだ。『今度こそ私は壊れてしまうんだ。』そんな涼禾を意に介することもなく、男は容赦無く大きく腕を上げて力を込めて革紐を彼女背中に振り下ろした。革紐はピシッと鋭い音を立てて白い華奢な背中に、赤い一筋の線をくっきりと刻んだ。焼け付くような激しい痛みが涼禾を襲う。と同時にこの後に続くだろう惨劇が脳裏に浮かんだ。涼禾は耐えきれずに、「いやーっ!!!」とありったけの力を込めて叫んだ。それでも男はニヤリと不気味な笑みを浮かべて再び腕を振り上げた。その時、隣室でドアが押し開けられ、男達が激しく争う音がした。その音がすぐに収まると、すぐにこちらの部屋に二人の男が駆け込んだ。男達は中の様子を見て一瞬顔を顰めたが、すぐに一人が犯人を制圧し、もう一人は上着を脱いで涼禾に掛けた後、彼女の拘束を全て取り去った。そして上着で涼禾の身体を包み込みながらゆっくり抱え起こしてくれた。「もう大丈夫ですよ。今度こそ全て終わりました。安心してください。」聞き覚えのある穏やかな男の声が聞こえてきたので、涼禾はゆっくり顔を上げると、大きく目を見開いた。「しま…だ、さん?」小さく呟く声に男が頷くと、安心したように表情を和らげて意識を手放した。涼禾が助け出されてから一月がたった。大田原は逮捕され、今までの様々な悪事に関する調査が行われている。尋問により証拠も出てきているようだ。浅野夫妻の事故や涼禾への殺人未遂
Last Updated: 2026-05-02
Chapter: 第66話箱の中には、三色の綺麗な硝子の小瓶がびっしり入っていた。数えてみると、30個もある。しかも一つ一つ工夫を凝らした手作りのようだ。驚いて瓶を見つめる凛華に父が、「気に入ったかい?一足早いクリスマスプレゼントだよ。工房長に頼んで作ってもらったんだ。出来上がったと連絡をもらったので早速君に見せたくて届けに来たんだ。」「凄いです!とっても素敵です。ありがとう、お父さん。そうだ!もう出来てる香りがあるんです。ぜひ、試して見てくれませんか。」「いいのか。」「もちろん!」凛華はすぐに既にできている凛華のレシピのを持ってきた。そして、グドムンドの手首にひと吹き吹きかけた。辺りに爽やかな香りが広がる。以前試したのよりもすっきりした感じがする。「どうですか?お水を替えてみたんです。それと、精油の産地を替えてみたりもしたんです。」「うん。爽やかさが増して普段でも使えそうだ。」「ふふっ。ちょっとお父さんに合うかなって思ったのでそう言ってもらえて嬉しいです。」「……僕?僕をイメージしてくれたのか?」グドムンドのあまりの喜びように、少し慌てて、「いえ、ただ、ちょっと、合うかなって思っただけですけど……。」「ちょっとでも思い浮かべてくれただけで嬉しい。プレゼントを届けに来たのに逆にプレゼントをもらった気分だよ。ありがとう、凛華。あっ、この香り、芙美華にも感想を聞かなくては!早く帰らなきゃ。じゃ、凛華またな。無理をしてはいけないよ。」父はお茶も飲まずに慌ただしく帰ってしまった。少しイメージしたと言っただけで、あんなに喜んでもらえるなんて予想もしなかった。もし、颯生さんに最初からあなたをイメージして創りました、なんて言ったらどんな反応をするのだろう。ただの知り合いの妹のような存在からそんな事を言われたら……、やっぱり迷惑に思うのだろうな。これは絶対に秘密にしなくては…と密かに心に決めた。マリア達とは、学園のミーティングルームを借りてそこで集合した。「凛華、アルフ、久しぶりね。どう?満足のいくものができたかしら。」「はい。今の私にとって最高の物ができたと思います。」「僕もだよ。この3カ月間、とっても楽しかった。」三人で近況報告をした後、それぞれの作品を交換して鑑賞し合った。「同じようなレシピなのに材料や成分の僅かな差でこんなに印象が違ってくるのね。」「
Last Updated: 2026-07-31
Chapter: 第65話「確かにそれは心配ですね。」てっきりグドムンドを諌めてくれると期待していた凛華と芙美華は驚いて颯生を見た。グドムンドもまた、同志を得たとばかりに颯生を見て、「分かってくれるか!だから芙美華の家みたいにして、凛華も家族も安心して思う存分に好きな事をさせてやりたいんだ。」『えっ?若桜家の離れってそんな理由で建てられたの?』凛華と颯生と勇真は驚いて、一斉に芙美華を見た。芙美華はばつが悪そうに視線を反らした。『『『そうだったんだ……。』』』「まぁ、取り敢えず今は叔父様に紹介してもらった工房の部屋をお借りできてるから充分です。先のことはまたそのうちに……と思っています。」凛華は話題を変えるように言った。「ところで、お姉様はお元気でしたか。確か今年は中学部になられたんですね。」「ああ、彼女は呑気に学校生活を楽しんでいるようだよ。音楽部に入ってバイオリンの練習を頑張るそうだ。」「そうなんですね。じゃあ、今度帰ったら一緒に演奏してみたいなぁ。」「凛ちゃんもまだピアノの練習しているの?」勇真が意外そうに聞いた。「いえ、ピアノは数年で止めてしまいました。三年ほど前からチェロの練習を始めたんです。寮にいた時は音楽室を借りて練習していたんですが、この家に住むようになって家で練習できるようになって嬉しいです。」凛華が答えると、「君たち、凛華のチェロを聴いたことないのかい?僕はもう何回か聴かせてもらったよ。中々の腕前で感動したよ。君たちはまだ聴けていないんだ。それは残念だね。」グドムンドが自慢げに話し始めた。複雑な表情の二人を見て芙美華がグドムンドを諌めた。「グム、大人げないわよ。どんどん親バカになってきちゃって、ごめんなさいね。」「いえ、今度聴かせて貰う楽しみが出来たので大丈夫ですよ。そうだ、凛ちゃんそのうちに同じ曲を練習して一緒に演奏しないか?」「ええ、いいですよ。来栖さんはピアノですよね。」「ああ、三人で弾ける曲を探して連絡するよ。」「楽しみです。」「僕もビオラなら弾ける。」話がまとまりかけた所で、颯生が参加の意思を示した。「へぇ〜。珍しいな。じゃあ翔月にも連絡しとく?」「そうだな。一人だけ知らなかったら寂しがるかもな。」どんどん話が膨らんでいく三人を、芙美華とグドムンドは微笑みながら見守っていた。9月に入っていよいよ医療実習が始
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: 第64話二人は何事かと真剣な顔になり、マリアの話の続きを待った。 「私ね、二人のそれぞれの作品は素晴らしかったって心から思っているわ。それは確かなの。だからかしら。二人のレシピを元に別の材料を使って私なりの香りを作ってみたいの。レシピの盗用になっちゃうけど、素敵な香りだからこそ自分風にアレンジして作ってみたいの。わがまま言ってごめんなさい。」 「「………。」」 二人は暫く考えていた。 先に口を開いたのは凛華だった。 「素敵です!私も自分のをそうやって作り直してみたいとは思っていました。それをマリアさん風にやってもらえるならぜひお願いしたいです。ただし、完成したら必ず私にも分けてください。それから、マリアさんのレシピを使うことを許してくれたらもっと嬉しいです。」 「もちろん、構わないわ。だけど、私も必ず分けてね。」 「ちょっと!僕を仲間外れにしないでよ。その案、僕も参加するよ。今日の3種類の香りが9種類になるんだね。楽しみだ!ねぇ、いつ頃までにできそう?取り敢えず次に集まる日だけでも決めておこうよ。」 実習発表の日は、3人の次の段階へのスタートの日となった。 凛華は発表会のあった日、両親と夕食を取りながらその日の出来事を報告した。そして二人に調香の作業ができる部屋と設備が欲しいとお願いした。 するとグドムンドは、 「分かった。早速秘書に連絡して凛華専用のアトリエを用意させよう。」 と言い出した。しかし芙美華がすぐに止めた。 「ちょっと待って。いきなりそれはだめだと思うわ。まずはどこかに間借りして、どんなアトリエにしたいかを考えてからでないと。後からいろいろ変更が必要になると思うわ。」 「そうなのか?だったら兄に相談してうちの系列の工房にでも頼んでみるか?」 「そんなのもあるの?」 「あるよ。」 「ところで凛華。まずはあなた達の作品を披露してくれないかしら。さっきからずっと気になっているの。」 芙美華に言われてようやく気づいた凛華は、 「あっ、忘れてた。」 と言って横に置いていたポーチから3つの小瓶を取り出した。 「えっと、これが……。」 「待って、凛華。どれが誰のか当てさせてくれない?」 「それは面白そうだ。僕も挑戦したい!」 二人はいそいそとリビングに移動して準備を始めた。
Last Updated: 2026-07-29
Chapter: 第63話「そうなんですね。今まで何か作業する時は一人だったので気づきませんでした。そう言えば、知らない間に凄く時間が経ってしまってたことがよくありました……。」 「これからは気を付けた方がいいわよ。タイマーをかけておくとか、誰かに声をかけてもらうように頼んでおくとか。」 「はい。気を付けます。」 「さて、じゃあ今日はもうおしまいって事でみんなで帰ろう!」 それからも三人で相談したり、教え合いながらようやくそれぞれの作品が完成したのは実習終了の四日前だった。 その翌日、早速担当指導員のスヴェンと、工房長とオーナーの三人が集まり、ちょっとした発表会が行われることになった。 「スヴェンから今回の実習生は優秀だと聞いてね。いつもは彼の判断だけで成績を出していたのだが、ちょっと興味が出てきて私達も参加させて貰うことにしたんだ。」 工房長のフレドリクに続いて、オーナーのソフィアも、 「私もよ。ちょうど時間も空いていたし、楽しみにして来たの。」 と言ってにこにこしながら席に着いた。 ついさっきまでお互いの作品を楽しみにして燥いでいた三人は、少し顔を引き攣らせながら恨めしそうな目をスヴェンに向けていた。 『もっと早く言って欲しかった。』 三人に見つめられたスヴェンも戸惑いながら、 『僕だってさっき聞いたんだ。まさか本当に二人とも来るなんて…。』 と思いながらも、仕方なく三人の視線を無視して発表会を始めた。 最初はマリアの発表だった。 資料として既に三人のレシピはそれぞれの手元に用意されている。その上で、コンセプトや工夫点の説明をしていった。 そしていよいよ実際に香りを確かめることになった。 マリアが瓶の蓋を開けた途端、辺りに爽やかな香りが広っていく。 まず、試験官である三人がムエットで更に詳しく香りを確かめた。すると今まで気軽ににこにこしていた工房長とオーナーが、次第に真剣な表情になっていった。凛華たちも邪魔にならないように少し離れた所で香りを確認しながら小声で感想や説明を言い合っていた。 十数分して香りがトップノートからミドルノートに移って行くと、再び試験官三人が驚きと満足そうな表情になっていった。 「想像以上の出来だわ。後の二人の作品が楽しみね。」 「全くだ。本当にこの工房にあった材料で作ったのか?
Last Updated: 2026-07-28
Chapter: 第62話「確かに。ラストノートはかなりその人に馴染んでくるけど、その人のイメージと違い過ぎるとちょっと、えって思っちゃうね。逆にぴったり合ってると心地よく感じるし。結構大事かな。」「第一印象、外面的イメージ、内面的イメージって感じですかね。」「周りにとってはね。自分では、さぁ行くぞ!って気合が入って、ガンガン頑張って、最後に終わったぁ~ってリラックスする感じ?」「そうなんですね!参考になります!」「いやいや凛ちゃん、僕たちの勝手なイメージだからね。正解とは限らないよ。」「いえ、自分ではそんなイメージすら沸かなかったので助かります。うーん、うん!何とか頑張れるかな?」「参考になった?じゃあ、記念すべき第一作は僕たちにも体験させてくれる?」勇真が興味津々で聞いてくる。凛華は、はいと答えようとして躊躇った。もし、颯生の為のものだと気づかれたら気まずくなるかも……。「ちょっと…自信ないです。いくつか練習して、お渡しできるような物ができた時でもいいですか。」凛華の困ったような顔を見て、颯生が、「冗談だよ、凛ちゃん。勇真の言ったことなんて気にせずに、自分で納得できるものを作ればいいよ。」「そうそう、ちょっと言ってみただけだから気にしないで。」「はい。でも、いつかお二人それぞれに合う香水を作れるように頑張ります!」「凛ちゃん、将来は調香師を目指すんだったっけ?」「いえ。調香は趣味になると思います。」「そうなんだ。」一瞬遠い目をした勇真だったが、やる気に満ちた笑顔の凛華を見ると、まぁいいか、と当てにせず待つことにした。颯生達と別れた凛華は調香の工房に戻った。資料室にはマリアが一人で調べ物をしていた。「こんにちは。今はマリアさんだけですか?」「ええ、アルフは別の部屋で試作品づくりをしているわ。」「もうレシピが出来んですか?」「どうかしら。彼は元々レシピは重視しないタイプでしょ。頭で考えるより鼻で組み立てる方が捗るんじゃないかしら。」「なるほど。」「やだ、真面目に納得しないでよ。冗談よ。イメージで組み合わせた香りが実際にどんな香りになるか確かめに行ったのよ。」「それは大事ですね。私もあと少ししたら実験しに行こう。」「その様子ならやっとイメージが固まったようね。」「はい!まだ何となくですけど。マリアさんはどうですか。」「私もイメージはで
Last Updated: 2026-07-27
Chapter: 第61話颯生は、逃げて行く彼女たちを厳しい目で一瞥した後、ロルフに向かって言った。「妹を助けてくれてありがとう。後は僕達が面倒を見るから大丈夫だ。凛ちゃん、おいで。」そして両腕を軽く伸ばして凛華を呼び寄せた。凛華は颯生を見て、何事もなかったかのように微笑んで言った。「大兄様、私は大丈夫ですよ。心配かけてすみません。ロルフさん、ありがとうございました。」凛華はロルフにきちんと頭を下げてお礼を言うと、急いで颯生の方へ向かって行った。颯生も数歩凛華に歩み寄ると、右手で凛華の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。無防備だった凛華は、颯生に引かれるがままに彼の胸元に顔をうずめて抱きつく格好になってしまった。慌てて身体を起こして颯生から離れた凛華は、流石に少し動揺して「ごめんなさい。」と照れながら謝罪をした。颯生もちょっと驚いたような顔をしたが、「僕こそ強く引きすぎた。ごめんね。」柔らかな表情で、改めて凛華の背中に手を当てて席へと戻って行った。ロルフは、そんな二人を黙って見送った。彼女もあんなふうに甘えるような顔をするんだな。よほどあの男を信用しているからなのだろう。彼は凛華を妹と言っていたが、彼女は一人っ子で兄弟はいなかったはずだ。だとすると、それくらい特別な存在だと言うことか。また少し、彼女が遠くなっていく気がして寂しさを感じた。席で待っていた勇真は、「相変わらず過保護だなぁ。クリスがヤキモチを妬くのも仕方ないんじゃないか。」「妹を守って何が悪い。そもそも僕は彼女と一緒に留学するなんて言ってない。修士は今の教授の元で学ぶつもりだ。それを勝手に思い込んで、違っていたからって凛華に友人たちをけしかけるなんて馬鹿げてる。」「でも、彼女さんだったらちゃんと説明して欲しかったんじゃないですか?」「「彼女?」」「えっ?違うんですか?」「違うよ。誰がそんな事を?」「さっきの人達です。」「全く……。僕は今だに女性との距離感が分からないよ。」「確かに。何度か一緒に食事をしたとか、親しく話したことがあったら、知らない間に恋人認定されていたりする。一体どこが友人と恋人の境目なんだ。誰か教えて欲しいものだ。」「そうなんですか?」「ああ、僕だって知らない間に同時期に三人もの彼女がいることになってた。そんな酷い男じゃないよ、僕は。」「来栖さんは優しいですものね。
Last Updated: 2026-07-26