――翌日 昼食を一緒に食べた後、2人の少女はジェニーの部屋で話をしていた。「これが教会に持って行って欲しいお菓子よ」ジェニーは紙袋に入った花模様が描かれた美しい缶を取り出し、蓋を開けた。「まぁ、とても美味しそうなクッキーね」缶の中には、丸いジャムクッキーが並べられていた。「ええ、お父様が買ってきてくれたの。私は以前に食べたことがあるから、教会の子どもたちと一緒にジェニファーも食べてね?」ニコニコしながらジェニーは缶の蓋を閉めると紙袋に戻した。「私まで貰っていいのかしら?」「もちろんよ。だってジェニファーだけ食べないのは変でしょう?」「分かったわ。それでどう? この格好」今日のジェニファーはいつもよりも、良い服を着ていた。何しろジェニーの身代わりとなって教会に行くのだから、それなりの身なりで出掛けなければならない。「素敵よ、よく似合っているわ。教会の人たちは一度しか会っていないから、誰もあなたを見ても、別人だとは思わないはずよ」「本当? なら自信が湧いてきたわ」もしバレたらどうしようと不安に思っていただけに、ジェニーの言葉は心強かった。「ジェニファー、もう教会の場所は覚えたかしら?」「ええ、大丈夫よ。だって、このお屋敷は丘の上にあるから教会の屋根が見えるもの。それに実は今朝一度教会に下見に行ってるのよ」朝が早いジェニファーは他の使用人たちが起き出す前に、こっそり屋敷を抜け出して教会まで行ってきたのだった。「え!? そうだったの!?」これにはジェニーも驚いた。「だいたい片道歩いて20分位で行けたわ」「すごい……歩いて20分で行けるなんて。私は無理ね。歩いて行ける自信もないわ」その様子は少し寂しげだった。「大丈夫よ。丈夫になれば、きっとジェニーも歩いて色々な場所へ行けるようになるはずだから」「そうね……頑張って丈夫にならないとね」その時。ボーンボーンボーン午後1時を告げる鐘の音が部屋に響き渡った。「それじゃ、そろそろ行ってくるわね」ボンネットを被り、ポシェットを肩から下げたジェニファーは紙袋を手にした。「あ、ちょっと待ってジェニファー」部屋を出ようとすると、ジェニーが呼び止める。「どうしたの?」「あのね、お願いがあるの。絶対に屋敷の人たちには教会へ行くことは言わないでくれる?」「もちろんよ。だっても
「あのね……この屋敷は大きな丘の上に建っているでしょう?」「そうね。外に出れば、町が見下ろせるもの」ジェニーの言葉に、ジェニファーは頷く。「その町には教会があるの。そこへ私の身代わりでジェニファーに行ってもらいたいの」「え? ジェニーの代理じゃなくて私があなたになって行くってこと?」「ええ、そうよ。私の名前で教会に行ってもらいたいの」「だけどバレないかしら? わざわざジェニーのフリをしなくても、教会には代わりに来ましたって言えばいいと思うのだけど」ジェニファーの言葉にジェニーは首を振る。「それじゃ駄目なの。だって私その教会に必ず遊びに行きますって約束してしまったの。……私、他の人たちに自分の身体が弱いことを知られたくないのよ……だって、皆私が弱いってことを知ると気を使ってくるのだもの」「ジェニー……」ジェニーの言葉は寂しそうだった。「初めて療養の為にこの町に来たとき、お父様と一緒に挨拶するために教会へ行ったの。そこでは親のいない、小さな子どもたちがシスターに育てられていたわ。それで、皆が私を慕ってきてくれて……とても楽しかった。それで、また遊びに行くって約束したのだけど……お父様が許してくれないの。その後に、酷い熱と喘息で寝込んでしまったから」「そんなことがあったの……」ジェニファーは俯くジェニーの手をそっと握りしめた。「その後も暫く体調が悪い日が続いて、それでお父様は私が町へ行くことを禁止してしまったの。屋敷の人たちにお願いしても誰も連れて行ってくれないわ。皆、お父様から強く言われているから。だから私、このままでは寂しくて死んじゃうって言ったら……」そこでジェニーはジェニファーを見つめた。「私が、ジェニーの話し相手として呼ばれたのね?」「……そうなの」「分かったわ。だったら任せて頂戴。私がジェニーになって、教会に行ってくる。そして、子どもたちと遊んでくればいいのね?」「本当? ありがとう! ジェニファー!」「お礼なんていいわよ」ジェニファーは笑顔を浮かべた。(可哀想なジェニー。絶対に約束を守りたいのね……私はこのお屋敷で沢山お世話になっているわ。だったら、ジェニーのお願いを聞いてあげなくちゃ)「それで、いつ教会に行ってくればいいかしら?」「出来れば……今日にでも行ってきてもらえないかしら? 約束してから一ヶ月以上経
――その日の夜のこと「何? そんなことがあったのか?」夕食の席で、ジェニーから家庭教師の話を聞かされた伯爵は目を見開いた。「そうなの、お父様。あの先生は酷いのよ。ジェニファーは勉強を頑張っているのに、すごく見下した態度を取ったのだから。私、もうあんな先生に教わりたくないわ」ジェニーは、まるで自分のことのように憤慨している。「そうだな……家庭教師の応募では、とても立派な履歴書を持って来たので信用して採用したが、どうにも人間的に問題があるようだ。よし、もうあの教師はクビにしよう」それを聞いたジェニファーは青くなった。「え? 伯爵様、私なら大丈夫ですから!」自分が原因で、仕事をクビにされては申し訳なくてたまらなかった。「ジェニファーが良くても、私が嫌だわ。もう顔も見たくないもの」ツンとした態度でジェニーは言い切る。「そうだな、私も反対だ。同じ生徒なのに平等に扱えないような人間から教育を受けるなど、もってのほかだ」伯爵も憤慨した様子を見せている。「……はい、分かりました」2人がそうと決めたなら、ジェニファーは何も口を挟めない。するとジェニーが口を開いた。「それで、お父様。家庭教師が見つかるまでは、ジェニファーと自習させてください」「自習か……。そうだな、そうしよう。時間をかけて良い家庭教師を探すことにしよう。ジェニファーもそれでいいかな?」ジェニファーはまさか自分にまで意見を求めてくるとは思わず、驚いた。「え? わ、私ですか?」「そうよ、ジェニファーも一緒に授業を受けるのだから、尋ねるのは当然よ?」ジェニーがじっとジェニファーを見つめる。「はい。それでは家庭教師の先生が見つかるまで、ジェニーと一緒に自習……します」コクリと頷くジェニー。「それでは話は決まったな。ジェニー。ジェニファーが分らない問題があったら、お教えてあげるのだよ?」「ええ、もちろんです、お父様。ジェニファー、明日から2人きりでお勉強しましょうね?」「うん、よろしくね。ジェニー」こうして女教師はその日のうちに解雇を言い渡され……翌朝、誰にも見送られること無くフォルクマン邸を出て行った――****――午前10時「ジェニファー、今日から2人きりで勉強ね。昨日掛け算で分からなかった場所があるでしょう? 私が教えて上げる」ジェニーがジェニファーの隣に椅子を
その日を境に、ジェニファーとジェニーの仲はより一層深まった。2人は四六時中、一緒に過ごすようになり勉強もするようになっていた――――午前10時ジェニファーとジェニーは本とノートを広げて、机に向かっていた。「はい、そうです。ジェニー様、良く出来ましたね」メガネをかけた女性がジェニーの背後に立ち、ノートを見つめた。「先生、ありがとうございます」ジェニーの言葉に女性教師は笑みを浮かべると、次にジェニファーに声をかけた。「ジェニファーさんは出来ましたか?」「あ、あの……まだ……です」赤くなりながら、ジェニファーは返事をする。「まぁ、まだ出来ないのですか? その問題は小学生の低学年向けの簡単な掛け算ですよ? ジェニファーさんはジェニー様は同学年ですよね?」「はい……」ジェニファーは、ようやく掛け算を覚えたばかりだった。それなのに、いきなり2桁の掛け算など出来るはずもない。「全く、不出来な生徒ですね。それに比べてジェニー様はとても優秀なお方です。教師として鼻が高いですわ」そして、ジェニファーに軽蔑の目を向ける。この女教師は、名門フォルクマン伯爵家に媚を売っていたのだ。もちろんジェニーは元々頭が良くて利発な少女だった。だが、あえて勉強が遅れているジェニファーを引き合いに出してジェニーを褒めていたのである。少しでも伯爵家に気に入られる為に、まだ早すぎる問題をジェニファーに充てがってジェニーと比較しようとしていた。(きっと、これでジェニー様もますます自信を持って伯爵様に私のことを話してくれるはずだわ)しかし……。「先生、ジェニファーを悪く言うのはやめていただけますか?」キッとジェニーは女教師を睨みつけた。「え……?」予想もしない態度に女教師は戸惑った。「ジェニファーは学校へ通わせて貰えていなかったのです。それでも読み書きは出来るし、足し算引き算だって出来ていました。ここへ来て始めて掛け算を覚えたばかりなのに、いきなりそんな難しい問題を出すなんて酷いです。ジェニファーは勉強をとても頑張っています!」「ジェニー……」ジェニファーはジェニーをじっと見つめた。(ジェニーが私のことを、そんな風に思っていてくれていたなんて……)一方、焦っていたのは教師の方だ。ジェニーを褒めれば、喜ばれると思っていたのに裏目に出てしまったのだ。(ま
自室に戻ったジェニファーは、すっかり落ち込んでいた。出窓の上に座り、膝を抱えて頭を埋め込んでため息をついている。(どうしよう……ジェニーが花粉で喘息発作を起こすなんて知らなかったわ。私のせいでまた具合が悪くなってしまったらどうしよう。こんなに色々してもらっているのに迷惑かけてしまうなんて……!)きっと、ジェニーに嫌われてしまったに違いない。ブルック家に送り返されることにジェニファーは覚悟を決めるのだった――カチコチカチコチ……あれから、どのくらいの時が過ぎただろう。ジェニファーはゆっくり顔を上げると、時刻は10時になろうとしていた。「そうだわ……荷造の準備でもしましょう。きっと今日出ていくことになるに決まっているものね」窓から降りると、ジェニファーは自分のトランクケースを引っ張り出してきた。室内のクローゼットにはフォルクマン伯爵から買ってもらったドレスや靴が沢山入っている。でもいくら買ってもらったからと言っても、これらはジェニファーの物ではない。ブルック家から持参した物だけがジェニファーの持ち物なのだ。古びた衣類をトランクケースにしまっている最中、ノック音と共に伯爵の声が聞こえてきた。『ジェニファー。私だ、入ってもいいかい?』「は、はい! どうぞ!」いよいよ、自分は追い返されるのだろうと思ったジェニファーは緊張しながら返事をした。「失礼するよ」扉が開かれ、伯爵が現れた。「ジェニファー、話があるのだが……ところで、一体何をしているんだい?」床に置かれたトランクケースに、衣類が入れられている様子を見た伯爵が尋ねてきた。「あの、帰り支度をしていました……」きっとジェニーのことで怒られるに違いない。そう思ったジェニファーは俯きながら返事をした。「帰る? 一体何故?」驚いた様子で伯爵は尋ねた。「それは、私がジェニーを……」「そうだ、ジェニーのことで話があってきたんだよ」「ジェニーの?」その言葉に、ジェニファーはドキリとした。(きっと、ジェニーは怒っているのだわ)しかし、伯爵の口からは思いがけない言葉が出てきた。「ジェニーがジェニファーに謝りたいと言ってるのだよ。一緒に部屋まで来てもらえないか?」「え? 私に……?」その言葉に耳を疑ってしまった。「ジェニーは私のことを怒っていないのですか?」「いや、怒る? 何
使用人の勝手口から外に出てきたジェニファーは、思い切り空気を吸い込んだ。「何て、気持ちいいのかしら。山はあんなに近くに見えるし、緑がとても綺麗」病弱なジェニーのために、伯爵は自然が美しい高原の別荘で療養させている。ジェニファーはここに連れてこられたときから、この自然溢れる場所を散策したいと思っていたのだ。「伯爵家の人たちに心配しないように、遠くに行くのはやめておかなくちゃね」そこで、ジェニーは屋敷の周辺を散策することにした。……ある目的のために。「あ、ここにも見つけたわ」ジェニファーは屋敷の周辺に咲き乱れる美しい花々を見つけると、一輪摘んでカゴの中に入れた。既にカゴの中には色とりどりの美しい花々が収められている。「フフフ……綺麗。ジェニー喜んでくれるかしら……」ジェニーの部屋は、少女らしく夢がいっぱい詰まったような部屋だった。ぬいぐるみや人形で溢れ、壁紙もカーテンも家具も何もかもが淡いピンク色で統一されている。ため息が出るほどに素晴らしい部屋だったけれども、ジェニファーはただ一つ気になっていた。それは部屋に花が無かったことだ。ジェニファーは花がとても好きだった。貧しい彼女は、着ている服も部屋もみすぼらしかった。だから、せめてもの自分の慰みに部屋のいたるところに花を飾っていた。花なら、道端に何処にでも生えている。美しい野花を摘んで、花瓶に差して花を愛でることがジェニファーの密かな楽しみだったのだ。花を見れば辛い毎日も、惨めな生活も耐える事が出来る。癒やしのような存在だったのである。「……これだけ摘めば、きっとジェニファーは喜んでくれるはずだわ」ジェニファーはカゴいっぱいになった花を見つめると、屋敷へと戻って行った――****――7時半カゴを持ったジェニファーは朝食を一緒にとるために、ジェニーの部屋を訪れた。扉をノックすると、すぐにメイドが開けてくれた。「おはようございます、ジェニファー様」メイドが笑顔でジェニファーを迎え入れる。「おはようございます。ジェニーは起きていますか?」「はい、もう席に着いてジェニファー様をお待ちしております。どうぞお入りください」「はい」メイドに促されて部屋に入ると、既にテーブルに向かって座っているジェニーの姿があった。「おはよう、ジェニファー。待ってたわ」「おはよう、ジェニ