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第1126話

Author: 似水
白くて柔らかな足が、ぴたりと合うスリッパに収まる。舞子はゆっくりと賢司の家に足を踏み入れた。

前回は気が動転していて、部屋をよく見る余裕すらなかったが、今回は玄関に立った瞬間に気づいた。この家全体が、あの主寝室と同じ色調でまとめられている。

ひんやりとして静かで、どこか、賢司自身の人柄をそのまま映したような空間だった。

賢司は舞子のすぐ後ろに立ち、どこか落ち着かない彼女の様子を見て、ふと思った。

本当は、こういう言葉は、自分から言うべきなんだろう。

舞子はまだ若くて、しかも一度自分を拒絶した。その手前、いまさら気持ちを口に出すのは、きっと簡単なことじゃない。

一方の舞子も、心の準備を整えていた。ちょうどいいタイミングを計っていたそのとき、不意に視界に影が差した。

「舞子」

低くて、心地よく響く声が、頭上から降ってきた。

顔を上げると、真っ直ぐこちらを見つめる賢司の視線とぶつかった。

端正で凛としたその顔は、テレビでニュースを読むアナウンサーのように真剣で、いつになく真っ直ぐだった。

「こんなに時間が経ったし、もう気持ちはないだろうと思ってた。でも、違った。むしろ前より強くなってる。もう一度聞く。俺と、付き合ってくれないか?」

舞子は呆然とした。

澄んだ切れ長の目の奥に、明らかな驚きが浮かぶ。

賢司……また告白してきた?

前回、あんなにきっぱり断ったのに、それでも?

胸の奥で、見慣れない感情が渦巻いていた。ときめきに似ているけれど、それが何なのか、自分でもよくわからない。

ただ、一つだけはっきりしていた。いま目の前にいる賢司は、本気だった。冗談でも気まぐれでもない。

舞子はそっと息を吸い、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

「私も、ちゃんと考えてみたの。たぶん、私たちって気が合うと思う。だから、ちょっと試してみるのもいいかなって。でも――」

言いかけたところで、賢司はただ静かに、真っ直ぐ彼女を見つめていた。

舞子の中に、躊躇や不安があること。もしかしたら、少し計算もあること。彼はそれを感じ取っていた。

舞子はそっと視線を落とし、自分の心の奥を探るように言った。

「まず、付き合ってみて……もし合わないって思ったら、そのときは静かに別れよう。それでもいい?」

「いいよ」

賢司は迷いなく頷いた。

付き合い始めたばかりで「別
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