過去の恋愛で心に傷を負い、女性不信になった奏(かなで)は、オタク仲間のヒロに誘われ、地下アイドル「LUMINA」のライブに足を運ぶ。 ステージに現れたのは、透明感のある歌声、きらめく笑顔、そしてどこか懐かしさを感じる少女・香織(かおり)―― 彼女は、かつての“幼なじみ”だった。 推しとして、そして一人の人間として彼女を支えるうちに、奏の止まっていた時間が少しずつ動き出す。 アイドルとしての夢、家族の事情、再会した記憶。 そして「推す」という言葉に込めた、彼なりの本気の愛―― 一人のオタクが、少女の未来を変えるアイドル×オタクの恋愛ストーリー、ここに開幕。
view more「もう、誰も信じられない――」
そう呟いて、俺は幾度も自分の心を閉ざしてきた。
過去の恋愛で深く傷つき、女性という存在にさえ距離を置いてしまった。
数年ぶりの“現場”。
オタク仲間の誘いで足を運んだ地下アイドルグループ「LUMINA」のライブ会場は、薄暗くも活気に満ちていた。
ステージのスポットライトに照らされた彼女の姿。
白咲香織――歌声は透き通り、ダンスはしなやかで、その目は何かを訴えていた。
一瞬で俺の心を鷲掴みにした。
こんなにも誰かに惹かれるのは久しぶりだった。
そして、終演後の特典会で彼女が見せた優しい笑顔が、
俺の壊れかけた心に少しずつ灯をともしていく。
「こんにちは、今日はありがとう。…あの、初めましてですね、僕は奏です」
香織は明るく応えた。
「こんにちは! わあ、初めまして! 来てくれてありがとう、奏くん」
僕は少し照れくさそうに言葉を続けた。
「香織さんの歌、すごく良かったです。今日、友達に誘われてきたけど、一目惚れしました」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しいなあ、そんなふうに言ってもらえると頑張れるよ!」
俺は心の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「これからも応援します。無理しすぎないでね」
「ありがとう、奏くん。あなたの応援が、何よりの力になるよ。次のライブも待ってるね。」
その優しい対応に、
俺の壊れかけていた心が少しずつ救われていった。
香織の生誕祭が終わり、LUMINAの現場もしばらくお休み。仕事も夏季休暇に入ったので、俺は久しぶりに実家のある八王子へ帰省することにした。同じ都内といっても、帰るのは半年ぶりだ。「母さん、ただいまー」「おかえり奏。ごはん作って待ってたわよ」「ありがと。ちょうど腹減ってたし、助かる。荷物置いて着替えたら食べるわ」「はーい、ゆっくりしていってね」いつもの会話。少し懐かしい、実家の空気。自室がある2階に上がり、押し入れをがさごそと探る。「そういえば、この辺に……あった、あった」引っ張り出したのは、幼少期のアルバムだった。ページをめくると、記憶の中で引っかかっていたあの一枚が目に飛び込んできた。「あー……この子だ。俺のこと“かなくん”って呼んでた……あの“男の子”」手にした写真を持って、リビングに降りる。「ねえ母さん、この男の子って誰だったっけ?」「うん? ああ、この子ね……男の子じゃないのよ。女の子。髪短くて活発だったから、あんたが勘違いしてたのも無理ないけどね」「えっ……じゃあ、名前は?」「うーん……相当昔のことだし、ちょっと待ってね……」「しっかりしてくれよ、母さん」「言うじゃないの。でも、なんで急にこの子のこと思い出したの?」なんて答えようかと考えていると、母がふと思い出したように口を開く。「……あっ、思い出した。香織ちゃんよ。その子。白咲香織ちゃん」(──やっぱり……香織だったのか)「その子がどうかしたの?」「いや、なんでもない。ただの偶然。……せっかく作ってくれたごはん、冷めちゃう前に食べよ。いただきます」食後、久しぶりにのんびりと実家の空気に身を任せていたら、スマホにLINEの通知が入った。──ヒロ:「奏、今なにしてる?」俺:「実家だけど」ヒロ:「じゃあ新宿で飲まね? 八王子だろ? 中央線一本じゃん」(……めんどくせぇ。でも、生誕祭で世話になったしな)俺:「わかった。今から出る。アルタ前18時な」ヒロ:「了解!」────ということで、中央線に揺られて、新宿まで向かうことに。アルタ前で待っていると、「奏ー!」「ヒロ。誘ったくせに来るの遅いな」「すまんすまん。じゃ、いつものとこ行こうぜ」居酒屋までの道中、ヒロの“最近調子いい”っていう自慢話を聞き流しながら、俺の頭の中は、あのアルバムに
8月17日。今日は香織の生誕祭、当日。胸の高鳴りと、ほんの少しの緊張を抱えながら、俺は会場へ向かった。「おい、奏。大丈夫かよ、ふらふらしてんじゃん」「よう、ヒロ。仕事しながら動画編集してたら、ここ3日ほとんど寝てなくてさ」「そんな状態で平気か? これ、俺が持つから」両手にはネットで取り寄せた大量の白い大閃光と、コンビニで印刷した「香織おめでとう」のスローガン。「ありがとな。最高傑作できたから……楽しみにしてろよ」──香織が笑ってくれますように。「お、奏。フラスタ届いてるじゃん。白で統一されてて、香織のメンカラにぴったりだな。立派だし、めちゃくちゃ映えてる」「本当ですね! さすが奏さん。他のオタクには真似できないセンスですよ」背後から突然声がして、思わず振り返る。「うわっ、トモくんか。驚いた……でも本当にありがとう。君のおかげで動画、いい感じに仕上がったよ」「いえいえ。僕も楽しみにしてます。協力してくれたオタクたちも、奏さんとヒロさんともっと仲良くなりたいって言ってました。近々オフ会企画するので、その時はぜひお二人とも参加してください!」今まで人見知りを理由に避けてきた集まりだが、今回の準備を通して、仲間の存在の大きさを知った。「もちろん。お礼も兼ねて参加させてよ」「マジですか! やった! じゃあまた連絡しますね! 今日は楽しみましょう!」そう言い残し、トモは仲間たちのもとへ駆けていった。開場時間が始まると、俺とヒロは二手に分かれ、来場者一人ひとりに大閃光とスローガンを配っていく。「香織ちゃん、アンコールお誕生日おめでとうのタイミングで、これ振ってください! 白はメンカラです!」「ありがとうございます!……あっ、奏さん! トモくんに頼まれて動画企画に協力しました!」「参加してくれてありがとう。おかげで、いい動画が完成したよ」「私も香織ちゃん推しなので
香織の生誕祭の企画がまとまった俺は、ヒロにLINEを送った。──俺:「香織の生誕祭、やる内容まとまった!」俺:「明日、渋谷で会えない?」ヒロ:「おけ。ハチ公前でいい?」俺:「19時集合で」ヒロ:「飲み代は任せた」俺:「お前ほんとそればっかw」──翌日、渋谷の居酒屋でヒロと合流した。「ファンの“声”を集めた動画を作りたいんだ。 香織に、これからもステージに立ちたいって思ってもらえるような――そんな動画を」少し驚いた顔を見せたヒロだったが、すぐに頷いた。「いいじゃん、それ。俺がカメラ回すよ。で、奏が声かけていく感じで」「え、俺が声かけるの? そういうのはヒロがやった方が……」「何言ってんだよお前。人見知りなのは知ってるけど、これはお前の企画だろ。俺がやっても意味ねーんだよ。お前が言うからこそ、意味があるんだよ」「……わかったよ。じゃあ、明日の現場から少しずつ声かけていこう」「任せろ。全力で香織ちゃんに届けようぜ」翌日、俺たちは少し早めに現場へ向かい、メッセージカードと動画企画への協力を呼びかけることにした。(……俺とヒロ、なんか現場で浮いてないか? ちゃんと話、聞いてもらえるかな……)その不安は、見事に的中した。声をかけても目を逸らされたり、足早に立ち去られたり。ひそひそ話の視線も、ひりひりと痛い。なかなか協力を得られないまま、時間だけが無情に過ぎていく。そんなとき、会場近くで話している二人組のファンが目に入った。(……もう、やるしかない)意を決して、俺は声をかけた。「す、すみません!!」そのうちのひとりが、パッと顔を上げて、まっすぐこっちを見た。「はい! あ、えっ、もしかして香
朝の光が、いつもよりやけに白く感じた。目覚ましが鳴る前に目を覚ました俺の胸には、昨夜の香織の言葉が冷たく沈んでいる。──「私、アイドル辞めようと思ってて」あの声が、何度も頭の中でリフレインして離れない。スマホを手に取り、何気なくタイムラインを開く。そこには、いつも通りLUMINAの話題があふれていた。でも、その裏で香織がひとりで悩み、涙を流していたなんて――誰も知らない。洗面台の鏡に映る自分の顔を見ながら、自問する。(俺に、何ができる?)推しのために何かしたいと思っても、俺はただの一ファンにすぎない。オタクは、近いようで遠い存在だ。どれだけ想っても、どれだけ時間と金を注ぎ込んでも、その心の奥まで手を伸ばすことなんて、できるわけがない。現場でペンライトを振るくらいしか、俺にできることはないのかもしれない。――そう思うと、情けなくて、悔しかった。でも、何もしないで後悔するくらいなら――やってみよう。推しのステージを、この目で見届けに行こう。いつも通り、キンブレとチェキケースをバッグに入れて、玄関の扉を開ける。少しだけ冷たい風が、気持ちをしゃんと引き締めてくれた。駅へ向かう道すがら、心はどこか落ち着かない。昨夜の出来事がまるで夢だったかのように、街は変わらず騒がしい。途中のコンビニでエナドリを買い、缶を開ける音でようやく現実に引き戻された気がした。駅前では、オタク仲間たちがいつも通り軽口を交わしていた。彼らの明るい声が耳に入ってくるたびに、自分だけが何か重たいものを背負っているような気がして、少しだけ足取りが重くなる。ライブハウスに到着すると、入場列に並んだ。胸の奥が、じんわりと熱くなる。(本当に……やるんだな、今日も)間もなく、ライブが始まった。あんなことがあった翌日だというのに、香織の歌もダンスも、そして表情も――いつもと変わらなかった。(……これが、アイドルってやつか。やっぱ、香織はすごいな)ライブが終わり、メンバーたちの挨拶が順に始まる。最後に香織がマイクを手に取り、静かに口を開いた。「私からNox(LUMINAのファンネーム)のみんなに、お知らせがあります」スクリーンに映像が流れ出し、ざわついていた空気が一気に熱を帯びた。「8月17日、渋谷のライブハウスで私の生誕祭を開催します。……私に、No
「……かなくん――」ピリリリッ、ピリリリッ……目覚ましの音が、夢の続きを容赦なく断ち切る。誰かが俺の名前を呼んでいた気がする。まるで昔聞いたことのある声のように、胸の奥を揺らした。目を開けると、天井。見慣れた部屋。現実。手探りでスマホを手に取ると、ロック画面には、俺の推し、白咲香織の写真が映っていた。「香織……最高に可愛いな」スマホを握りしめる手に、無意識に力が入る。何度も見返したくなるその写真は、俺の心の支えであり、時に苦しくなるほどの愛おしさだった。あの日――ライブハウスのステージで初めて見た香織のパフォーマンスが、今でも頭から離れない。歌声、ダンス、そして表情――どれを取っても抜け目がなかった。これまで色んな地下アイドルの現場に足を運んできたけど、ここまで“完璧”だと思えたアイドルには出会ったことがなかった。一瞬で視線を奪われて、気づけばその存在に夢中になっていた。さらに、黒髪ボブに大きな瞳、整った顔立ち――見た目も完全に俺の好みだった。だけど、本当に惹かれたのはそこじゃない。見た目以上に惹かれたのは――そのまっすぐな眼差し、ブレない芯、誰にでも丁寧に向き合う誠実さ。ステージでは目が離せないほど輝いて、対話では思わず心を許してしまうほど優しくて。気づけば、彼女の存在が、俺の毎日を照らす“光”になっていた。でも―まさか、こんな夜が来るなんて。「お先に失礼します!」職場をあとにしながら、ポケットの中のスマホを取り出し、LUMINAのスケジュールを確認していた。「LUMINAの現場、次は明日か……早く香織に会いたいな」今日はライブも特典会もない“オフ日”。推しに会えない日は、どうしても気持ちが空っぽになる。家に帰っても一人だし、まっすぐ帰る気になれなくて、少し遠回りして晩飯を済ませた。通り道の小さな公園に差しかかる。昼間は子供たちでにぎわっている場所だが、夜になると街灯もまばらで、いつもは人影すら見かけない。ふと、ブランコのあたりに――誰かが座っているのが見えた。(……こんな時間に、人?)足を止めて目を凝らす。街灯の明かりに照らされたその姿は、長い髪に華奢な肩――どうやら、女性のようだ。さらに近づくと、微かに聞こえてきた。「……♪ 目を閉じれば浮かぶ景色 あの日のまま止まってる……」どこか寂し
「もう、誰も信じられない――」そう呟いて、俺は幾度も自分の心を閉ざしてきた。過去の恋愛で深く傷つき、女性という存在にさえ距離を置いてしまった。数年ぶりの“現場”。オタク仲間の誘いで足を運んだ地下アイドルグループ「LUMINA」のライブ会場は、薄暗くも活気に満ちていた。ステージのスポットライトに照らされた彼女の姿。白咲香織――歌声は透き通り、ダンスはしなやかで、その目は何かを訴えていた。一瞬で俺の心を鷲掴みにした。こんなにも誰かに惹かれるのは久しぶりだった。そして、終演後の特典会で彼女が見せた優しい笑顔が、俺の壊れかけた心に少しずつ灯をともしていく。「こんにちは、今日はありがとう。…あの、初めましてですね、僕は奏です」香織は明るく応えた。「こんにちは! わあ、初めまして! 来てくれてありがとう、奏くん」僕は少し照れくさそうに言葉を続けた。「香織さんの歌、すごく良かったです。今日、友達に誘われてきたけど、一目惚れしました」彼女は嬉しそうに微笑んだ。「嬉しいなあ、そんなふうに言ってもらえると頑張れるよ!」俺は心の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。「これからも応援します。無理しすぎないでね」「ありがとう、奏くん。あなたの応援が、何よりの力になるよ。次のライブも待ってるね。」その優しい対応に、俺の壊れかけていた心が少しずつ救われていった。
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