INICIAR SESIÓN「彼女がうつ病、か。お前、本気で言ってるのか?」海斗は舌で頬の内側を押し、にやりと笑った。「これはこいつが病院で手に入れた、偽の診断書だ。お前はずっとこいつに騙されてたんだよ。この馬鹿が」湊は信じられないといった様子で書類を受け取ると、完全に打ちのめされた。「嘘だって?ずっと俺を騙してたのか?じゃあ、俺が今まで君のためにしたことは、いったい何だったんだよ!」湊は全ての書類を引きちぎると、梨花の顎を強くつかんだ。「このクソ女、死にたいらしいな」その瞳は今にも目の前の梨花を八つ裂きにして染むのではないかと言うほどの、怒りに満ちていた。その言葉を聞いた梨花が、突然笑い出す。「何馬鹿なことを言ってるの?私があなたの首にナイフでも突きつけて、無理やりあんなことさせたとでも?人間欲張りすぎちゃだめなんだよ。全てを手に入れようだなんて、そんなの無理な話なんだから。私が今こんなことをしてるのも、全てはお腹の子のため。もし海斗さんが本気を出したら、あなたは自分がどれだけ耐えられると思う?」「お腹の子」という言葉を聞いて、湊の表情が少し和らいだ。湊は声を顰めて、宥めるように言う。「もう落ち着けって、な?俺は海斗さんの甥だ。いくら海斗さんでも、お腹の子にまで、ひどいことはしないよ。だから心配するな」そう言うと、湊は海斗の前にどさりとひざまずいた。「海斗さん、全部俺のせいです。罰なら俺が全部受けますから。梨花のお腹の子は、あなたにとっても血の繋がった親族になるんです。どうか、この子たちだけは見逃してあげてください」空気が張り詰めたそのとき、探偵が駆けつけた。手に持った証拠を掲げる。「見つかりました。ここに、平野さんが松本さんを流産させた、全ての証拠があります」湊はまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。「なんだって?葵、お前の流産は事故じゃなかったのか?」「そんな見え透いた嘘を信じるなんて、あなたぐらいだよ」湊は震える手で証拠を受け取ると、我慢できずに、梨花の頬を思いきりひっぱたいた。「この野郎。よくも俺の子をやりやがったな!」梨花は狼狽えながらも、湊に言い訳をする。「私が悪かったのは分かってる!で、でも、あれは……あなたが私とも彼女とも一緒にいようとするから……あなたの負担が大きいと
私は冷めた目つきで、湊から目線を外す。「ここに来たのは、あなたに一つだけ聞きたいことがあったから。あのさ、私が事故でお腹の子を失ったこと……あなたは前から知ってたんじゃないの?」あれはただの悪戯では済まされない。誰かが私の靴の裏に油を塗って、帰り道には釘をばらまいて、最後には大きなトラックを私にぶつけた。もし海斗がいなかったら、私はとっくにあの事故で死んでいただろう。だから、あれがただの悪戯だなんて信じられないのだ。絶対に、犯人は本気で私の命を奪いにきていた。もしこの件に湊が一枚噛んでいたなら、絶対に許さない。しかし、湊は顔を真っ青にするばかりだった。「子供?事故?てか、お前……いつの間に妊娠なんかしてたんだ?」私は目じりの涙を拭うだけで、湊の言葉には答えなかった。「湊、この件に関わってなくてラッキーだったね。もし関わってたら、地獄を見せてあげたのに」私はそう言い捨てて、床にへたり込む湊をちらっと見る。背を向けて立ち去ろうとすると、彼に呼び止められた。「葵。俺たち、もう一度やり直せないかな?」私は問い返す。「砕け散ったガラスの靴って元通りになると思う?」「なるさ!新しいのを買ってもいいし、修理に出したっていい。お前が望むなら、絶対に元通りにできる!」湊が必死の形相で言った。「でも、私はもう踊れない」私がずっと来ていなかったからだろうか、部屋のレイアウトは昔のままだったが、窓際にはうっすらとホコリが積もっていた。影の中にいる湊をじっと見つめてから、私は静かに背を向け、その場を後にした。引越し業者の人たちが来て、湊の荷物を全て外に運び出していく。これで彼は、正真正銘の無一文となった。全てを終えたあと、私は探偵に電話をかけ、あの流産の件を調べるよう依頼した。案の定、全ては梨花の単独犯行だった。湊がこの件を知らなかったことは、彼の命を救ったと言えるだろう。しかし、私が梨花のところへ行く前に、彼女の方から家に押しかけてきた。海斗の前に立った梨花が、私を指さして罵る。「よくもまあ海斗さんと一緒になれるね!人としてどうかしてるんじゃないの?」彼女は私を罵倒しながらも、海斗には媚びるような笑顔を向けた。「海斗さん。あなたはご存じないと思いますが……この女、ものすごく腹黒いんで
しかし、海斗は言ってくれた。「葵。木っていうのはね、傷ついたところが一番硬くなるんだ。だから、どん底から抜け出した君は、誰よりも強い人になるんだよ」一番ひどい時には、海斗の親指の付け根に噛みついて、肉を食いちぎってしまったことさえあった。私が回復してからも、海斗の手には三日月みたいな形の傷跡がずっと残っている。「これは傷跡なんかじゃない。俺たちが愛し合った証拠だよ」海斗はふいに手を掲げ、自分の傷口をその場の人々に見せた。その仕草ひとつで、重苦しかった空気が一瞬にして和む。その場にいた皆はどっと笑い出し、改めて私たちへ向けられた視線には、はっきりと羨望の色が混じっていた。1週間後、私は湊と暮らしていた家に行った。「葵。帰ってきてくれるって、信じてたよ」ドアを開けると、床には酒の瓶や缶が散らばっていて、湊からもかなり強いアルコールの匂いがし、私は思わず鼻を押さえた。興奮した様子で、湊が床から這い上がってくる。「葵、あの日の食事会、俺は行かなかっただろ?それに、お前のことを俺の叔母なんて認めてない。だから、お前たちの結婚なんて認められないようなもんだろ?」湊が私の体を触ってこようとしたので避けると、彼はバランスを崩してドアに倒れ込んだ。すると、湊はまた思いついたように家中をひっくり返して何かを探し始め、一足のガラスの靴を私に見せてきた。「これ、お前が昔ダンスのコンクールで取った賞品。この靴で、お前と梨花はずいぶん言い合ってただろ?俺、お前がずっと気にしてたの、知ってるんだ。だから、ほら。このガラスの靴、取り返してきたぞ。どう、この靴は好きか?」そう言って、湊は私の足に靴を履かせようとしたが、私は身を引いてかわした。そして、私はそのガラスの靴を受け取ると、思いっきり床に叩きつけて割った。「湊。このガラスの靴、私がまだ履けると思う?」湊の目は戸惑いと焦りでいっぱいになった。「誰かに頼んで直してもらうから。もし直せなかったら、新しいのを買ってきてやるから、な?」「もういいの。ただ、あなたに分かってほしかっただけ。このガラスの靴は、私たち二人と同じ。もう元には戻れないの」すると湊は、今度は花束を差し出してきた。「お前が好きだった白ユリだよ。お前が帰ってくるのを待って、毎日一束ずつ買ってたん
湊の顔が、さっと青ざめていくのが見えた。「海斗さん……なに、言ってるんですか?」湊が私の手に触れているのを見た海斗の顔が、すごく険しくなる。「彼女は俺の妻だ。手を放せ」しかし、湊は絶対に手を離そうとしなかった。「海斗さん、どういうことですか?なんであなたが葵と……葵は、俺の彼女ですよ!」「葵は誰のものでもない。彼女は彼女自身のものだ」海斗は、私を見るなりふっと優しい目になった。「葵。こいつに触られて嫌か?」私は湊の手を思いっきり振り払う。「離して、湊。私はあなたと別れて婚約したって何度も言ったよね?信じなかったのはあなたでしょ?」「いつそんなこと言ったんだよ?」湊は泣きそうな顔をしていた。「あなたが私で悪ふざけしてた時も、荷物を取りに行った時も、ウェディングドレスのお店の前でも……けど、聞こうとしなかったのはあなたでしょ?」「そんな……」湊は雷に打たれたみたいに固まった。「ありえない、そんなはずじゃ……」その間、海斗はずっと私の手を握ってくれていた。「湊。お前の両親と、おじいさんおばあさんももうみんな着いてる。さあ、一緒に入ろう」湊は冷ややかに笑った。今ここに入れば、私が海斗の妻だと認めることになると、彼は知っていたから。何度も後ずさりした湊だったが、最終的には椅子にどさりと座り込んだ。「葵が俺の叔母だなんて、絶対に認めませんから」「じゃあ、お前の会社はいらないのかな?」湊はようやく気づいたようで、はっと顔を上げた。「海斗さん、俺の会社が潰れかかってるのって、あなたの仕業なんですか?なんでこんなことを……」「お前が葵を悲しませたからだろ?」海斗が冷たく言う。「お前がまだ彼女を諦めきれていないのは分かってる。もし今後、しつこく付きまとわないと約束するなら、見逃してやるよ。でも、断るって言うなら、お前の会社は明日にでもこの世から消えるだろうな」その瞬間、時間が止まったかのようだった。湊が深く息を吸い込む。「いやです!俺が葵を諦めるなんて、絶対にありえませんから!」「いいじゃないか。さすがは松本家の男だな」そう言うと、海斗は電話を取り出した。「すぐに破産手続きを始めろ」立て続けの衝撃に、湊はその場で完全に固まってしまった。そして彼が我に返
湊の視点:「梨花、俺の見間違いか?なんで葵が?」数秒固まってしまっていたが、俺はやっと我に返った。梨花はそれが葵だと気づいていたが、わざとこう言った。「そんなわけないでしょ?きっと、葵さんにそっくりなだけだよ。だってあんな女を好きになる男なんているわけないもん」梨花の言葉を聞いて、俺はもう一度確認しようとしたのだが、新婦はもうすでに離れたところに座っていて、顔がよく見えなかった。だから、梨花の言葉を信じ、なんとか自分を落ち着かせる。「だよな。海斗さんはプライドが高いし、言い寄ってくる女はいくらでもいる。葵を好きになるはずがないか……」それでも俺はどこか上の空で、誰かに話しかけられても、気のない返事で頷くことしかできなかった。新郎新婦が誓いの言葉を述べるのを見ながら、俺はふと、昔の出来事を思い出した。それは、何度も葵にプロポーズした時のこと。葵は本当に馬鹿だったと思う。プロポーズは全部、俺のいたずらだったのに。しかし、葵は懲りもせずに毎回応えてくれていた。そう思い、俺は葵の良さを改めて実感した。すると梨花が話しかけてきた。「湊さん、またお腹が痛くなってきた。病院に連れて行ってくれない?」真っ青な顔で俺を見上げる梨花を見て、胸の奥がちくりと痛む。梨花は18歳のときに両親を亡くしていた。我が儘な子だというのは分かっているが、俺にも責任というものがある。梨花の両親に、彼女のことは任せてくれと約束した以上、絶対に守らなければいけない。そう思い、俺は躊躇うことなく梨花を連れて結婚式の会場を出た。「心配いりませんよ。正常な胎動です」医師の言葉を聞いた俺は、張りつめていた神経をようやく緩めることができた。そのとき、俺はふと思い立って、葵にメッセージを送った。【今どこにいるの?ちょっと話せない?】しかし、メッセージは既読にすらならず、何の返事もなかった。続けて何度か電話をかけたのだが、誰も出ない。乾いた唇をなめる梨花に、「お水もらえないかな」と言われ、俺は我にかえる。いつもの葵なら、メッセージも電話もすぐに出てくれたのに。今日は明らかにおかしい。俺は梨花の看病をしながら、もう一度、葵にメッセージを送ってみることにした。【まだ怒ってるのか?もういい加減、機嫌直せよ】しかし、返ってくる
湊は携帯をぎゅっと握ると、申し訳なさそうに俯く。「葵、戻ったらちゃんと説明するから。待ってて……」そう言い残すと、梨花には目もくれず、湊はそのまま行ってしまった。梨花が憎しみのこもった目で私を睨みつけてくる。「これ全部あなたの仕業でしょ?わざわざ勝ち誇りに来たの?これで満足した?」急に私に近づいてきた梨花は、意地の悪い笑みを浮かべた。「私が妊娠したのが羨ましいんでしょ?いいこと教えてあげる。あなたが流産して病室で悲しんでたとき、私と湊さんは隣の病室で愛し合ってたんだよ。それに、私たちの子どもはその時にできたんだから」私は怒りで全身が震え、ありったけの力で梨花の頬をひっぱたいた。「よくも叩いたわね!あなたなんか、死んじゃえ!」梨花が私を突き飛ばした。私の背後には窓があった。はっとした私は梨花の手を掴む。死ぬなら一緒だ。この階からだと5メートルぐらいの高さがあるから、落ちたら死なないまでも、大怪我はするだろう。しかし、幸いなことに下は人工池だった。そこへ、車のキーを梨花に預けたままだったことを思い出した湊が、ちょうど引き返してきて、私が池に落ちる瞬間を目撃した。「葵、大丈夫だ!今すぐ助けに行くから!」そのとき、誰かが叫んだ。「女の子がもう一人、池に落ちたみたいだぞ!」その声を聞いて、はっとした湊は躊躇うことなく向きを変え、梨花のほうへ泳いでいった。「湊さん……」助けられた梨花は、湊の腕の中で声を上げて泣き出した。しかし、湊は私がまだ水の中にいることを思い出したのか、急に梨花を突き放す。「葵は?葵がまだ水の中にいる!」湊がまた水に飛び込もうとしたとき、私がもう岸に上がっていることに気づいた。「お前……いつのまに泳げるようになったんだ?」湊の言う通り、私は確かに泳げなかった。昔、何度もスイミングスクールに申し込んだけど、いつも湊に止められてた。「俺がいるんだから、お前が水に落ちるようなことは絶対にさせないって!」でもその後、私はあの男に出会った。男は私に水泳も、クライミングも、アーチェリーも、全部自分で教えてくれた。彼が傍にいられないときでも、私が自分の身を守れるようにって。私は静かに答えた。「婚約者が教えてくれたの」その場を去ろうとしたけど、ふと思い