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第10話

Author: パントーロ
隆成は突然、ソファから転げ落ちるようにして目を覚ました。

夜が明け始め、薄明かりが部屋に差し込んでいる。

夢だったのか。

けれど、その夢はあまりにもリアルだった。

夢の中で星奈が手に持っていたのは、あのカップ。自分がもらった大切なカップだった。

翌日、隆成はどこにも出かけず、ずっと別荘の中にいた。

目が覚めて最初にしたのは、もう一度、家中をくまなく探すこと。

星奈の痕跡が、どこかに残っていないかと、必死になって探した。

だが、最後まで何一つ見つからなかった。

玄関前にあった鉢植えでさえ、星奈はすべて持ち去っていた。

まるで最初から、星奈という人間が自分の人生に存在しなかったかのように――

隆成は失意のまま、ソファに腰を下ろした。

広い別荘でたった一人、空っぽの部屋で、隆成は自分の心の中に渦巻く疑念をひとつずつほどき始める。

星奈は、いったいいつから離婚を決意していたのだろう。

思い返せば、星奈はずいぶん前から様子がおかしかった気がする。

だが、頭の中は整理がつかず、どこから間違ったのかも分からない。

雫から何度も電話があったが、隆成は一度も応じなかった。

ようやく誰かが玄関のドアをノックした。

あわてて駆け寄り、もしかしてと思って開けた扉の向こうにいたのは、雫だった。

雫だと分かった瞬間、隆成の目から失望の色があふれ出す。

「どうしてここに来たんだ」

冷たい声で問いかけると、雫は慣れた様子で部屋に入ってきた。

かつて隆成が一番可愛がっていた、あの無邪気な笑顔を浮かべている。

「隆成さん、何度電話しても出てくれなかったから、心配になって来ました」

だが、今の隆成には、その気遣いさえ重く感じられた。

無言で雫の腕をつかみ、部屋から出そうとする。

雫は抵抗し、もみ合いになった拍子に、キッチン横のゴミ箱を倒してしまう。

その中から、細かく破られた手紙と、手つかずの料理が床に散らばった。

その瞬間、隆成の胸に昨日の夜の出来事が鮮やかに蘇る。

あの食事は、星奈が自分のために用意してくれたものだった。

それを、隆成は一口も食べないまま、無駄にしてしまった。

倒れたゴミ箱から油がにじみ出し、雫は袖をまくり「私が片付けるから」と言って部屋に残ろうとする。

「出て行け!」

隆成は思わず怒鳴っていた。

雫は驚き、そして傷
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