六道無月と名乗る少年と出会い、瀕死の深瀬かなたは、 浜屋菜の葉を守って無事に生き返ることができるのか?
View Moreこの年の五月二十六日は、地球と月の近地点で起こり日本で観測できる、最大の満月で月蝕だった。
地平線に近い位置で、午後六時四十四分から月が欠け始め、午後八時九分に皆既月蝕となる。
六道無月(ろくどうむつき)は、十二歳の手のひらにすっぽりとおさまるサイズの羅針盤を見た。先祖代々伝わる、羅針盤だ。
羅針盤が示している、皆既月蝕の影響が最も強い座標の、市内の総合医療センターに忍び込んだ。
同日、午後四時。
深瀬かなた(ふかせかなた)は、同級生で自宅も近い幼馴染みの浜屋菜の葉(はまやなのは)に、教室で相談を受けていた。
「実は、私、誰かに付きまとわれてると思うんだよね」
菜の葉は深刻そうな顔で、かなたを見る。
「誰かって、誰?」
かなたは
「気のせいじゃなく?」
菜の葉の思い込みではないのかと聞き返す。
「うん、気のせいじゃない。これ見て」
菜の葉は鞄から取り出した封筒をかなたに渡す。糊づけされていない封筒から、かなたは数枚の写真を見た。
ブレザー姿の菜の葉と、かなたが笑いあっている写真。菜の葉の横顔の写真。その他、どれも学校内と思われる隠し撮りだった。かなたの手から一枚、床に落ちた写真を見てぞっとした。それは菜の葉の家の夜の写真で、正面から自宅を写されていた。かなたは思わず
「なんだこれ、気持ち悪い」
眉をしかめた。
「自宅まで来てるの、誰かが」
菜の葉の声が震えている。子供の頃から菜の葉は明るくてよく笑うほうだったが、さすがに自宅まで写真に撮られていては、冗談にはできなかったのだろう。
かなたはなるべく穏やかな口調で訊ねる。
「警察に相談はした?」
「お母さんに行ってもらったんだけど、定期的に巡回します、って言われただけ」
「いやこれは完全にストーカーだろ。何かあってからじゃ遅いよ」
菜の葉がため息まじりに
「うち、母子家庭だから、お母さんが仕事のときに自宅に入られたら、どうしたらいいんだろう」
心細げな菜の葉の呟きに
「うーん……じゃ、しばらくぼくの家に来る? 菜の葉のお母さんがいないときだけ」
「えっ……」
かなたの提案に、菜の葉が躊躇する。
「大丈夫だよ、うちの妹の部屋に泊まれば」
「問題になたったりしないかな?」
かなたの提案に菜の葉が疑問を投げる。いくら幼馴染みとは言え、男子高校生の家に女子が泊まるのは学校に知られたら問題だと思ったのだろう。
教室の前扉から顔を出したのは、担任の佐野だった。
「こらー、何やってるんだ、さっさと帰れ」
「いま帰るところだったんですよ」
かなたが答えると、佐野は無視して、隣の教室へ、残っている生徒に声をかけに行ってしまった。佐野のかなたへの反応は毎回そんな感じで、かなたは気にもとめなかった。
かなたは携帯を出して、メッセージアプリで、菜の葉をしばらく泊めていいか、と母に送信した。すぐに『オッケー』とハートのスタンプが返ってくる。
「うちは大丈夫だって。菜の葉もお母さんに連絡入れておきなよ。必要なものがあるなら、帰りに菜の葉の家に寄って取ってくればいいし。ぼくは家の前で待ってるから」
「うん、今夜お母さん夜勤だったから助かるよ」
菜の葉は、ほっとした様子で、母親にメッセージを送った。
かなたと菜の葉が自転車置場へ行くと校務員がしゃがみ込んで、かなたの自転車を見ていた。かなたが
「あの……何か?」
声をかけると
「ブレーキが甘くなっているから、自転車は押して帰ったほうがいい。早めに修理に出しな」
校務員はぶっきらぼうに言って立ち去った。
「平気だろ」
かなたは気にせずに自転車に乗り、菜の葉も自分の自転車で校門を出た。
校道から大きな通りへ抜ける。大通り手前で下り坂が急傾斜になっていて、手押し信号がある。
一時停止線前で自転車を止めようとして、かなたは異変に気づいた。ブレーキがきかない。
大通りは自動車が勢いよく行きかっていた。
かなたは焦ってブレーキレバーを強く握ったが、自転車は止まらず一時停止線を過ぎ車道へ突っ込む。かなたの右からトラックが近づく。トラックの運転手が口を開けてハンドルをきったのが、かなたから見えた。時間が止まったようで不思議だ。
トラックはブレーキも同時に踏んだらしく、車体がかなたの自転車の前輪部分を潰し、横転する。
かなたの体は一瞬、宙に浮いたが重力に引っ張られて、アスファルトに叩きつけられた。
菜の葉の悲鳴と、周囲のクラクションと、急停止した自動車のタイヤがアスファルトにこすれる音が同時にした。
かなたは自分の体が生温いお湯に浸されたような液体の感触を覚えて
「ああー、なんだよ、これ」
と言おうとして、唇が動かない。
菜の葉がかなたに近づこうとしているのを通行人が止めているのが見えた。
道路に倒れている自分の体を、かなたは見ていたが、通行人がかなたの体を取り囲んで携帯のカメラを向けている。
なんでぼくの体が血だらけで倒れている?
いまここにいるぼくはなんだ?
ぼくはどうなっているんだ?
疑問が駆け巡っていた。人だかりの中に菜の葉を見つけたかなたは、菜の葉の目の前に立つが、菜の葉の視線はかなたを通りこして、かなたの体を見つめている。
菜の葉の顔の前で手を振って気づかせようとした。しかし菜の葉は気づかない。
かなたは、菜の葉の横に移動して大声をだしてみた。
『ぼくはここにいる、ぼくが見えていないのか?』
まるで伝わっていない。
サイレンが聞こえ救急車が到着した。かなたの体が車内に運び込まれ、動揺している様子の菜の葉も同乗する。菜の葉の背中ごしに自分の体を見つめる気分は複雑だ。
救急隊員がかなたの体の制服から生徒手帳をみつけ、菜の葉に確認する。
「患者さんのお名前は深瀬かなたさんでよろしいですか? 高校は小江戸北高校一年生、男性、十六歳ですね? 付添いのかたのお名前と患者さんとのご関係は?」
震えながら菜の葉が答える。
「浜屋菜の葉、十五歳、同じく小江戸北高校一年生、深瀬とは同級生です」
救急隊員が無線で状況を説明する。
「総合医療センター受け入れ可能、向かっています」
と言うと隊員が
「深瀬さんに呼びかけ続けてください」
菜の葉を促した。かなたの体に向かって菜の葉が必死で呼びかけ続ける姿を、かなたはただ見つめるしかなかった。
医療センターに到着すると、かなたの体はストレッチャーで運ばれて、看護師が
「学校へ連絡したので担任の先生と、ご家族の方がいらっしゃるまで、こちらでお待ちください」
菜の葉が待合室へ通された。
菜の葉がぼんやりと通路が見える席に座り、そばでかなたは佇んだ。
これからぼくはどうなるんだろう。
漠然とした不安が高まってくる。
雲の合間から射しこむ太陽が沈み始め、西日が待合室の菜の葉を照らした。すっと菜の葉が向けた視線の先には、黒のカーディガンに黒のタートルカットソーと黒い半ズボン姿の、黒ずくめの男の子が廊下を横切り、菜の葉は気になったのかその子を追った。小学高学年くらいだろうか、生意気そうな顔つきの男の子が振り返る。
「なにか用?」
「こんな時間に誰かのお見舞い?」
菜の葉が訊ねると
「祖父に会いにきた」
男の子が答えた。
「入院しているの?」
「いや、祖父は三年前に死んだ」
男の子が当然のことのような口調で返す。
「え?」
一拍置いて菜の葉が聞き返す。
「亡くなったの? この病院で?」
「違うよ、今夜は皆既月蝕だから〈あの世の門〉が開いて死神が来る。会えなくなった人にも会えるかもしれない」
男の子はそう言うと菜の葉の肩ごしに、かなたをじっと見つめた。
『ぼくは死んでいるのか?』
かなたが男の子と目が合い聞き返すのと、菜の葉の言葉が同時だった。
「え? なに? 私の後ろになにかいるの?」
「そんなことを教えてやるほど俺は親切じゃない」
「その言い方だとなにかいる、って言っているようなものだよね?」
菜の葉は男の子の目線を追い、かなたが佇む方向を見たが、一向に気づかない。
「私の名前は菜の葉。あなたは?」
少し沈黙したあと男の子が
「無月」
と名乗り、無月は手元に乗せた丸く古びた羅針盤に目を落とし、菜の葉を置いて、廊下奥の非常階段へ向かう。
かなたは自分の状態がどういう存在になっているのか無月ならわかるのではないかと思い、非常扉を開けた無月の後ろをついていくことにした。
非常階段の扉を閉めると無月が話しかけてくる。
「菜の葉のところにいてやらなくていいのか?」
階段の上を見ながら淡々と無月が昇っていく。
『無月との話がすんだら菜の葉のところに戻るよ。それから、ぼくは死んだのか』
かなたはいま一番気になっていることを聞いた。
「かろうじてまだ生きてるんじゃない? あんたの足に鎖が見えているだろう?」
無月に言われて初めて、かなたは自分の足元を見た。確かに鎖はどこかへ繋がっていた。
『これ何』
「あんたの魂と肉体を繋いでいる鎖。それが消えたら、あんたは肉体に戻れない」
『どうしたら戻れる?』
「俺がこれから会いに行く死神に聞いてみればいい。あんたにとって、どんな姿で現れようとも、そいつは死神だから、見せかけの姿に騙されるな」
無月は足を止めずに、どんどん上を目指す。
『どこまで行くの』
「ここの屋上」
息も切らせず無月が答える。
「あんたはただ俺についてくるだけか。これから俺が会うのは死神だ。質問したら必ずしも正直な答えが返ってくるとは思わないほうがいい。嘘にならない程度には答えるが『聞かれなかったから教えなかった』で済まされる。それで『騙した、騙された』と責めるのは人間の物差しでしかない。人外の者に人間の理屈は期待するな」
無月の言葉が、見た目年齢以上の経験値と、無月が置かれている世界の過酷さを滲ませていた。
『さっきからぼくのことを「あんた」呼ばわりだけどさ、ぼくの名前は深瀬かなた、だ』
いくら大人びていても、たとえそれが無月を囲む世界の真実だとしても「あんた」呼ばわりは生意気で腹が立つ。
かなたがもう一言二言、言ってやろうとしたとき、階段の行止りに扉があった。もちろん施錠されている。
無月がポケットから、こよりを出して深呼吸し、そのこよりに長く息を吹きかけ、扉のノブの鍵穴に、こよりを吸い込ませた。
カチャリと小さな音がして、無月が開錠された扉を開け、ためらうことなく屋上に出る。
無月は空を見上げて、それから手元の羅針盤を見て頷く。
「戌ひとつの刻(午後七時頃)だ。そろそろ〈門〉が開く」
もう一度、羅針盤を確認し、ポケットからチョークを出し屋上のコンクリートの床に円を描いてゆく。
『何、落書きしてるの?』
話しかけても集中している無月は答えない。
円の中に黙々と三角形の組合せの幾何学模様を、無月が書き込んでいた。
描き終わった無月が円から一歩さがり、両手を組んで指先が複雑な動きをした。
すると、空からなのか地鳴りなのか、どこからかホルンの音に近い低く、空気をビリビリと振動させるような音が響き、かなたは耳を押さえ周囲を見渡した。
黒い濃霧が、暗く欠けた月から床に描いた円に、ぐるぐると竜巻のように伸びて、かなたの視界を覆い、しばらくしてゆっくりと黒い霧が消えてゆく。
円の中にチワワがいた。毛並みは茶色く長い被毛。
無月は大真面目に
「おまえの真名を聞かせろ」
チワワに問いかけた。
『プリン!』
かなたは思わず声をあげ、円に近づこうとした。
「バカが!」
無月がかなたを睨む。
『だってあの子は去年、亡くなったプリンだよ! うちで飼っていた犬だ』
「かなたには、こいつが飼い犬に見えるのか。こいつは死神だ」
プリンは目を細めてかなたと無月を交互に見て
『そうだよ、いかにも私の名はプリンだ。残念だったな、私を呼び出した小僧。それにしても恥ずかしい名だの』
プリンは男性とも女性ともつかない声で言い、後ろ足で耳を掻く。
『妹が小さい頃、犬型のキャラクターが流行っていて名付けたんだ。覚えてるだろ、プリン』
『そうだったかの。そんな気がしなくもない』
しらばっくれる死神とかなたのやり取りを忌々しげに聞いていた無月が、かなたに詰め寄る。
「見かけに騙されるなと、言っただろう。あれは死神だ。死神が真名を告げる前に、かなたが名前を呼んでしまった。これでもう真名は聞けない。先にまやかしの姿の名前を呼んでしまっては死神が真名を名乗ることはない。真名がなければ、こちらの要求は願えなくなってしまう」
無月の言葉で、かなたは自分が余計なことを言ってしまったと悟った。
すると死神はかなたを見たあと無月に言った。
『こいつの魂を私への供物として差し出すなら、小僧の願い、聞き届けてやらんこともないぞ』
無月が黙り込んでしまったので、かなたは急に不安になる。無月が考えているのか、迷っているのか、判断できない。
続けて死神は『いいものを見せてやろう』と言って、コンクリートの床を前脚で、ちょん、と触ると水面のように灰色の床に波紋が広がり、ゆっくり凪いで水たまりみたいになった。つられて死神の視線の先をかなたも見つめた。
ぼんやりと何かの映像が灰色の水面に写し出される。無月もそれを見ている。
その映像はやがてフォーカスを合わせて、待合室の菜の葉を写した。座っている菜の葉の元へ走ってくる女性は、菜の葉の母だ。娘に駆け寄り、落ち着かせるように背中をさすっている。すぐ後からかなたの両親と、担任の佐野も待合室に現れる。
かなたの母は泣いていて化粧がボロボロだった。父は怒りを抑えられないのか待合室の椅子を蹴って、菜の葉を怯えさせていた。
振り絞るような声で菜の葉が
「下校するときに校務さんに、かなたの自転車のブレーキが甘くなっているから、押して帰るように言われたんだけど、かなたは自転車に乗ってしまった……私も平気だろうと思って止めなかったんだ。あのとき止めていれば」
「あいつは昔から人の言うことをきかない」
父はさらに苛立ちを握った拳で壁にぶつける。
「人の話を聞かないのはあなたに似たんですよ」母が顔を両手で覆って叫んだ。
そこまでの光景を見ていたかなたが目を背けると、死神は冷えびえした口調で訊ねたる。
『私への供物はどうするのか早く決めてくれんか? 小僧の願いは、おまえが台無しにしたんだから、おまえの決断次第よ』
かなたは自分が死神の供物にされるのか、と肉体を抜け出しているはずなのに背骨を駆けのぼる恐怖を感じた。無月がようやく口を開いた。
「俺の願いは三年前に亡くなった祖父、六道無禄(ろくどうむろく)に会うことだ」
無月はかなたの魂を差し出す気なのか。
「飼い犬の見せかけに騙されて死神の真名を聞けずに貴重な交渉の機会を失ったからな」
無月はかなたへ、当然と言い放つ。
『死神への供物、ってことは、つまり、ぼくはどうなるんだ?』
『供物となれば私の中に取り込まれる。安心しろ、私の中に取り込まれれば、もはや輪廻の循環から離れて、永久に再びこの世に生を受けることはなくなる。生きる苦しみからは逃れられる。むしろ感謝してもらわねばのう』
いやだ。もう二度と菜の葉にも会えない。友達にも、腹が立つ父にも、あんなに泣いてくれる母にも、クソ生意気な妹にも、会えなくなる。どうする……どうする……考えろ。
無月は本気で死神の供物にぼくの魂を差し出す気なのか?
『じゃあ供物になる前に最期にお別れを言いに行きたい。ダメか?』
プリンの姿で死神は天を仰いで目を閉じた。
『いいだろう、ただし別れを告げられるのは一人、そしてこの月蝕のあいだだけだ。よく考えて選べ。百まで数えてやろう』
そう言われて真っ先に浮かんだのは
『菜の葉に会いたい』
かなたは迷わなかった。
『おや、まだ三十一までしか数えておらんが、いいのか、それで』
頷いて心に決めた。
『では浜屋菜の葉をここに呼んでやろう』
『え? ぼくが行くんじゃないの?』
『時間稼ぎのでまかせかもしれんからのう。こちらに呼んでやろうと言うのだ』
かなたの考えなどお見通しだった。死神は灰色の水たまりの中に向かって、犬の声で三回吠えた。
水面に写し出された菜の葉があたりを見渡して
「犬が鳴いてる……」
糸に操られるような動きで待合室を出る。菜の葉の母が「どこに行くの?」と止めたが「ちょっとトイレに行ってくる」と答えて、先ほど無月とかなたが昇ってきた非常階段の扉を開けた。
死神はまだ水面を見つめていて『ほう……』と興味深そうに目を細める。
『今夜は一兎を追って二兎を得ることになりそうだのう……』
呟いた。
水面から顔をあげた死神はペロリと犬の鼻先を舌で舐めた。無月が死神から徐々に距離を取って数歩下がったが、死神は目で追っただけで、特に言及しなかった。
夜空では刻刻と月が欠け続けている。
屋上に菜の葉が現れた。視線を巡らせてチワワを見つける。
「どうして……プリン?」
信じられない顔をした。無月を見て
「さっきはおかしなことを言う子だと思っていたけど、こう言うことだったの? 会えなくなった人に会える〈あの世の門〉が開く、って」
戸惑っている菜の葉の前に、かなたが近づく。
かなたの姿を見て、はっ、としたように菜の葉が口元を押さえた。
「犬の鳴き声を追ってきたら、プリンがいて……なぜ、かなたがいるの? 生きてるの?」
菜の葉がかなたに触れようとして、伸ばした手がかなたの体を通過する。
「死んじゃったの?」
くしゃくしゃに泣き出す。
「どうして……」
かなたは答えられなかった。
菜の葉の顔を見たら、死神の供物になり二度と菜の葉に会えなくなるのが惜しくなった。
なぜか、妹と菜の葉と一緒に食べたスイカの味を思い出して無性に食べたくなった。あの夏の時間が途方もなく幸せだったんだ、と思えた。もう二度と一緒にいられない。
『とても大切な時間だった……』
かなたは両手をそっとあげて菜の葉を抱きしめようとした手で、菜の葉の頬の輪郭を包んだ。
『泣くんじゃない、最期なんだから笑え』
菜の葉の目を覗き込んで言い聞かせる。自分にも言い聞かせた。
往生際悪く、菜の葉と生きたいと願った。
「おー、浜屋、こんなところで一人で泣いているのか?」
無神経に菜の葉に声をかけてきたのは、屋上までやってきた佐野だった。
「先生、浜屋が心配で追いかけて来ちゃった。ずぅーっと浜屋が一人になるのを待っていたんだ。泣いてる顔もかわいいね」
首筋がぞわっと逆立つような粘着質な声で菜の葉に、にじり寄る。かなたは菜の葉から見せられた盗撮写真を思い出した。佐野がポケットから携帯を取り出す。菜の葉は固まったまま、かなたと同じことを考えたのだろう。動けなくなっている。
涙に濡れた菜の葉の顔を、佐野が間近で携帯のカメラを向けて連写する。
菜の葉のブレザーの内ポケットから、菜の葉の携帯が震える音がして、ようやく我に返ったように菜の葉は自分の携帯を取った。携帯を持つ菜の葉の手から佐野がそれを取り上げて、液晶画面に表示された着信を確認する。
「浜屋、うるさいお母さんから電話だ、よっ」
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