お金の力で下剋上

お金の力で下剋上

last updateDernière mise à jour : 2026-01-21
Par:  衣川ととなEn cours
Langue: Japanese
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過去、富豪といえば、と言われていたが祖父のやらかしによって没落しつつある西園寺家。立て直すために奮闘する父を見て育った娘、千尋がとった行動は貧民街で子どもを拾うこと?!過去の栄光を今によみがえらせるために千尋と主従関係を結んだ子どもの万緒が奮闘しながら宿った感情に振り回されて――。

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Chapitre 1

01 少年と少女の出会い

天野希一(あまの きいち)の義妹である塚本京美(つかもと ことみ)が救出された時、頭部を強打して記憶をすべて失っていた。

彼女は希一の服の裾を必死に握りしめ、澄んだ瞳を不安に揺らしてつぶやく。「あなた、怖い人たちが……」

その姿を、本物の妻である小野寺千佳(おのでら ちか)は、影の中から夫のこわばった横顔を見つめていた。

やがて希一は静かに京美の手を握り返す。「大丈夫だ、俺がいる」

京美が完全に眠りに落ちたのを確かめてから、ようやく彼の視線は千佳に向けられる。

「医者の話では、損傷した部位はかなり重要な場所だ。今の状態は脳の防御反応で起きている記憶喪失なんだ。無理に思い出させたり、大きな刺激を与えれば……」

一度言葉を切り、彼は低く続ける。「千佳、しばらくの間は彼女をこのまま信じさせておいてくれないか」

千佳はゆっくりと俯き、左手の薬指に視線を落とした。

希一は京市でも名の知れた御曹司で、いつも女を取り替えるように身の回りに侍らせてきた。

だが六年前、あるパーティーで千佳を一目見た瞬間に心を奪われる。

翌日には遊び相手を全員遠ざけ、九十九本のバラを抱えて彼女の会社の前に立っていた。

「千佳、俺と結婚してくれ!」

彼女は即座に断った。

希一の名は京市で知らぬ者のないほど有名で、その隣に同じ顔が並ぶことは決してなかった。

千佳には、自分がその特別な一人になれる自信はなかった。

けれども彼は諦めずに半年以上も追い続け、飛行機で花を撒くのは日常茶飯事、星を買って千佳と名づけ、島を誕生日の贈り物として買い取り、さらには一族の反対を押し切って胸に彼女の名を刻んだ。

彼の友人たちは口を揃えて言った。「希一さんがここまで入れ込む相手なんて初めてだ」

彼女の友人たちもひそかに後押しした。「遊び人が本気になったんだ、これ以上の幸運はないよ」

それでも千佳は首を縦に振らなかった。だが、彼女が危険にさらされた時、彼が迷わず身を投げ出して守った。

その一瞬、千佳の心は揺れた。

結婚後の彼はさらに惜しみない愛情を注ぎ、彼女が好きだと言えば数億円の品であっても一瞬の迷いもなく差し出した。

京市の夫人たちが競って訪れ、夫を操る秘訣を尋ねるほどだった。

だが、そんな彼のそばにはいつも義妹の京美という影がつきまとっていた。

京美は希一の父の戦友の遺児で、幼い頃から天野家に引き取られて育った。

そして希一は、ことごとく京美に肩入れしてきた。

最初は結婚式の前。京美が「ウエディングドレスを一度も着たことがない」と言い出し、半年かけて仕立てられたイタリア製の純手縫いのドレスに、大きな裂け目を作ってしまった。

千佳が怒りを爆発させても、京美は泣きながら希一の胸に逃げ込み、彼は逆に千佳を責めた。「ドレス一着のことだろ、京美に悪気はなかった」

二度目は、京美がピーナッツバターを千佳の牛乳に入れ、「栄養になる」と言った時。

ピーナッツアレルギーの千佳は窒息しかけ、命を落とすところだった。

それでも彼は京美をかばった。「ただの冗談だろ、気にするな」

三度目は、千佳が初めて身ごもった時。

京美が「支えてあげる」と手を取ったものの、わざとらしく足を滑らせて二人して階段を落ち、千佳は流産した。

その後、京美は「償いに死ぬ」と泣きわめき、彼はまた千佳を諭した。「京美も反省してるんだ、責めるな」

……

幾度となく繰り返される「偶然の事故」で、希一は必ず京美を庇った。

千佳は泣き、怒り、離婚届まで用意して署名を迫った。

だが彼は赤く充血した目で彼女を壁に押しつけた。「俺が死ぬ以外に、お前が俺から逃げる道はない!」

泣き叫ぶ千佳に対して、彼は結局柔らかな声で言った。「京美は妹だ。妻はお前だけだ」

そして今回、京美が拉致されて救い出されたものの、深い昏睡に陥った。

希一は片時も離れずベッドのそばに付き添い、そこにあるのは兄妹以上の感情だった。

彼は綿棒で京美の乾いた唇を濡らし、その仕草は壊れ物を扱うかのように優しかった。

通りすがりの看護師は感嘆の声を漏らした。「奥さんにあんなに優しいなんて、理想の旦那様ね」

千佳は胸を締めつけられながらも、自分に言い聞かせた。京美は傷ついたのだ、兄である希一が世話をするのは当然だ、と。

彼女自身も三日間、寝ずに病院を走り回った。

そして先ほど、京美は目を覚ました。

悲鳴をあげながら希一に抱きつき、涙を溢れさせる。

「あなた……縄が……痛かった……私を置いていかないで」

その一言一言が、針となって千佳の胸に突き刺さる。

……

希一の腕の中で安心しきった顔で眠る京美を見つめながら、千佳はかすかに震えるまつげを伏せた。

「しばらくって、いつまでのこと?」

彼の瞳は一瞬にして冷たくなる。「千佳、京美は俺の妹だ。見捨てるわけにはいかない」

千佳の唇が小刻みに震えた。「もしも彼女が一生思い出さなかったら?そのまま一生夫を演じ続けるつもり?

私は何なの?」

希一は答えず、彼女を見ようともしなかった。

千佳はうつむいて小さく笑った。三度目までなら我慢もした。けれど「しばらく」がいつまでなのか彼が言わないなら、自分が決めるしかない。

病室を出ると同時に、彼女は左手の薬指の指輪を引き抜き、入口のごみ箱に投げ入れた。

もう京美と張り合わない。疲れ果ててしまった。

病院を後にした千佳がしたことは三つ。

一つ目、自分の戸籍を抹消すること。

二つ目、入国管理局で移民の手続きをすること。

三つ目、弁護士に離婚協議書を用意させること。

希一、彼女はもう要らなかった。
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01 少年と少女の出会い
トタン壁が肩を寄せ合うように連なり、家々は一本の身体のように路地へ張り付いている。路地は人ひとりがぎりぎり通れる幅しかなく、すれ違うときには息遣いが触れ合う。足元には泥と生活排水が混じり、裸足の感触がこの街の朝を告げる。家の前では、手動の火起こし棒を擦る音が続き、やがて小さな炎が生まれる。煤で汚れた鍋が火にかかり、米と香辛料の匂いが路地に満ちる。女たちは桶に水を張り、衣服を石に叩きつけて洗う。布が水を打つ音が、子どもたちの笑い声と混じり合う。電気は不安定で、昼間の光が頼りだ。洗濯物が頭上に張られ、色あせた布が太陽を細かく裂く。貧しさは壁の薄さに滲んでいるが、人の手の温もりは、この狭い路地に確かに残っている。その少年には、名前がない。少なくとも、呼ばれる名前を持っていなかった。路地の端で腐りかけのパンをかじり、他人の家族の笑い声を横目に聞いているあいだも、誰一人として彼を呼ばない。叱る声も、急かす声も、愛称もない。名前は人と人を結ぶ糸だが、彼の世界では最初から結ばれていなかった。家族の輪の中では、名前が飛び交う。父の名、母の名、子どもを呼ぶ短い声。そのたびに、少年の胸の奥で何かが小さく崩れる。自分が存在している証が、音として一度も空気を震わせたことがないからだ。彼はパンを噛みしめながら、自分が「誰」なのかを考えない。考えても答えがないことを、もう知っている。ただ息をして、食べて、夜を迎える。それだけが許された役割だった。この街には、名前を持たない子どもがいる。そしてその事実は、空腹よりも静かで、深く残酷だった。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-07
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02 少年と少女の出会い
痣と煤に覆われた少年は、白く照り返す路地にしゃがみ込み、地面の隙間を見つめていた。踏み固められた土とごみの間に、乾ききったパンの欠片がある。誰かに踏まれ、泥を吸ったそれを、少年は迷わず拾い上げた。指先は黒く、爪の間に砂が噛んでいる。軽く息を吹きかけると、土は落ちるが、欠片はさらに脆く崩れた。口に運び、ゆっくり噛む。硬さが歯を打ち、舌に酸味が残る。動くたび、腕の痣が鈍く疼く。それでも噛む手は止まらない。頭上では洗濯物が風に揺れ、鍋の音と笑い声が、影も落とさず通り過ぎていく。少年は目を伏せ、水で流すように飲み下した。食べ終えると、照り返しの強い地面をもう一度探す。何もないと知り、立ち上がる。煤に染まった背中は白昼にさらされ、彼は次の影を探して歩き出した。 地面ばかり見て歩いていた。踏めば割れそうな石、乾いた泥、何もないことを確かめるために。顔を上げたのは、足元に落ちた影が、急に二つに増えたからだ。細くて、きれいな形の影。見上げると、そこには少女の足があった。汚れのない靴。ほつれのない服。路地には似合わない白さで、少女はきょろきょろと辺りを見回していた。迷子なのだと、すぐに分かった。ここに来る子じゃない。声をかける勇気はなかったけれど、少女のほうが先に口を開いた。「……おおきい道、しりたい」たどたどしい言葉だった。発音も、間の取り方も、この街のものじゃない。その声が耳に触れた瞬間、胸の奥が熱くなった。怒鳴られもしない。追い払われもしない。ただ、助けを求める声だった。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-08
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03 少年と少女の出会い
胸の奥に残った、あの小さな温もりが消えなかった。だからだと思う。路地が騒ぎ、強盗を追う男たちが押し寄せてきたとき、体が勝手に動いた。目の前に、僕より小さい少年がいた。踏み潰される。そう思った瞬間、腕を伸ばして引き寄せた。次の瞬間、誰かの肘が当たり、地面に叩きつけられた。背中が焼けるように痛んだ。でも、あの子は無事だった。立っている。よかった、それでいい。そう思った次の瞬間、怒鳴り声が落ちてきた。「なんてことするの!」母親の手が、痛みを連れて頬に来た。説明はできなかった。言葉は、いつも僕を置いていく。夕暮れの路地に、足音が近づいてきた。顔を上げると、あの少年が立っていた。手には湯気の立つパンと、割れた瓶に入った温かいスープがあった。「昼間は、ありがとう」小さな声だったけれど、はっきりと届いた。少年は少し早口で続ける。「お母さんには、説明したよ。ごめんなさいって……これを渡してって、言われたんだ」差し出された手は少し震えていた。謝りながら、視線はすこし揺れている。その表情は、怒られるのを覚悟した子どものものだった。僕は首を横に振りながら受け取る。パンはまだ柔らかく、指先に温もりが残った。少年はそれで役目を終えたみたいに、ほっとした顔で軽くうなずいて背を向けた。呼び止める言葉は見つからないまま、背中だけを見送る。煤に染まった影が路地に溶けていく。瓶の口から、スープの匂いがした。昼間の出来事が胸を締めつける。助けたこと、怒鳴られたこと、叩かれた音。悲しい記憶だったはずなのに、今は違った。謝罪と一緒に手渡された温もりが、その輪郭を少しだけ丸くしていた。パンを割り、スープを飲む。美味しい。胸の奥まで温かい。彼は静かに感謝した。少年に、少年の母親に、そしてこの小さな優しさが残してくれた変化に。悲しみは消えなかったけれど、確かに、温かい思い出に変わり始めていた。 
last updateDernière mise à jour : 2026-01-09
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04 少年と少女の出会い
路地裏で、僕は三角座りをしていた。背中に当たる壁は冷たく、昼なのに影は動かない。膝を抱え、空腹をごまかすみたいに時間が過ぎるのを待っていた。待っていれば、たまに何かが起こる。何も起こらない日より、少しだけましだ。「みつけた!」弾む声がして、顔を上げた。ぱたぱたと駆け寄ってくる、きれいな姿の少女。埃のない靴、明るい服。路地が一瞬、違う場所になった。前に会った子だと、すぐわかった。「……また迷子?」自分でも、なぜそんな言葉が出たのかわからない。少女は首をぶんぶん振った。「ううん!」そう言って、くるりと後ろを向き、誰かに手招きをする。僕は不思議で、同時に嫌な予感がして身構えた。革靴の音が近づき、スーツ姿の男の人が現れた。ここにいるはずのない人。逃げるべきか、迷った。「すまないね」男の人はそう言って、僕の前にしゃがんだ。声は静かで、怖くなかった。差し出されたのは、バスケットいっぱいの食べ物だった。パン、果物、包み。匂いがはっきりして、喉が鳴る。僕は、口をぱくぱくさせるだけだった。何も言えない。現実だと思えなかった。「パパにね、言ったらお礼しなきゃって! だから持ってきたの!」少女が嬉しそうに言う。僕は反射的にバスケットを受け取り、すぐに押し返した。「だめだ。こんなにいいもの、もらえない!」胸が苦しくて、頭が真っ白になった。持っていたら、壊れる。罰が来る。そんな気がした。僕は飛び上がり、そのまま走った。振り返らず、ただ逃げた。角を曲がって立ち止まる。息が荒い。腹は空いたままだ。でも胸の奥に、消えない温かさが残っていた。僕は確かに、見つけてもらったのだ。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-10
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05 少年と少女の出会い
「みつけた!」その声で、僕ははっと目を覚ました。胸の奥が跳ね、夢だったと知って少しだけ息をつく。朝の路地はまだ冷え、トタン壁が鈍く光っている。あの日以来、僕の毎日は少し変わった。壊れた壁を直したり、誰かの代わりに洗濯物をしたりして、パンや少しの銭をもらう。それが、今の僕の日常になりつつあった。昼前、街がざわついた。喧嘩や揉め事でもないのに、人だかりができている。ここでは珍しい。近づくと、視線が一斉に僕に向いた。「これ、こいつじゃないか?」大人たちが口々に言う。理由はわからない。胸がざわつくのに、足は勝手に人だかりへ進んだ。真ん中に、黒く光る大きな車が止まっている。見たこともない車だ。窓が下がる音がした。静まり返る中、上品な女性が僕を見つめて微笑んだ。「あら、彼だわ」その一言が、僕の世界をまた動かそうとしていた。ドアが開く音がして、黒い車から女性が降りてきた。足音ひとつで、路地の空気が変わる。近づいてきた彼女は、迷いなく僕の前に立ち、高級そうな手袋をはめた手で、そっと顎に触れた。驚く間もなく、顔を左右に向けられる。「うん、うん……」意味ありげにつぶやく声。近い。香りも、視線も、全部が近すぎて、頭が真っ白になる。僕に会いに来た? 触っている? そんなはずはない。そう思うのに、現実は動かない。体はこわばり、息の仕方さえ忘れた。「もう! また逃げられちゃうじゃない!」その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。聞き覚えがある。後ずさると、反対側のドアが勢いよく開いた。少女が飛び出してくる。あの、綺麗な子だ。「今日こそは逃がさないわよ!」指をぱちん、と鳴らす。乾いた音が合図みたいに響くと、運転席から男の人が降りてきた。前に会った人じゃない。背が高く、無駄のない動き。逃げ道を探す前に、腕が伸びてきた。「ちょっと――」声にならない声。軽く、でも確かに抱きかかえられる。抵抗する間もなく、僕は車の中へ押し込まれた。革の匂い、柔らかい座席。外の路地が遠ざかる。逃げるも何も、ないじゃないか
last updateDernière mise à jour : 2026-01-11
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02 卒業式と始まり
黒く艶めくリムジンが、学園の正門前で静かに停まった。門の向こうには、世界中の富豪や政治家の子どもたちが集う、生粋のお金持ち学園が広がっている。ここでは高級車も日常の風景だが、それでもこの車が到着すると、空気はわずかにざわめいた。車内で宮藤万緒はネクタイを締め直し、袖口と襟元を整える。鏡越しに確認したあと、向かいに座る主人へと視線を向けた。西園寺千尋は、非の打ちどころのない佇まいで座っている。モデルとして世界に名を知られるその姿は、制服姿であっても別格だった。「今日も完璧だ。お嬢様」万緒が微笑むと、千尋もまた柔らかく微笑み返す。「ええ。あなたもよ、万緒」その瞬間、リムジンのドアが開いた。外の光が差し込み、待ち構えていた視線が一斉に集まる。「それじゃあ、行きますか」万緒は先に降り、自然な動作で手を差し出す。千尋はその手を取り、二人は並んで校内へと歩き出した。まるで長年そうしてきたかのような、息の合った所作だった。すれ違う学生たちの視線には、隠しきれない羨望が宿っている。モデルとして名高い千尋と、顔立ちも成績も申し分なく、機転が利いて誰にでも気さくな執事――いや、もはや学園の象徴のような存在である万緒。その二人が並ぶ姿は、この学園において特別な意味を持っていた。千尋は視線に応えるように微笑み、時折お上品に手を振る。そのたびに、周囲から小さなため息や囁きが漏れる。万緒は一歩半歩前を歩きながら、学生たちに向けて丁寧に小さくお辞儀をした。その控えめな仕草に、今度は小さな歓声が上がる。「やっぱり素敵……」「完璧すぎる……」そんな声を背に、二人は歩みを止めない。向かう先は講堂。卒業式が行われる場所だ。学園で最も華やかな日、その中心に立つのは間違いなくこの二人だった。誰もが認め、誰もが憧れる――西園寺千尋と宮藤万緒は、今日も学園の視線を一身に集めながら、堂々とその道を進んでいった。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-13
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03 卒業式と始まり
講堂の舞台裏は、表の華やかさとは違い、ひっそりと張りつめていた。西園寺千尋は、答辞の原稿を胸に抱き、深く息を整えていた。卒業生代表。その肩書きは名誉であり、この学園では頂点に立つ証でもある。だが、胸の奥には別の記憶が、冷たい影のように広がっていた。――叔父の汚職。学園の外では、西園寺家の名は囁きと侮蔑を伴って語られる。かつての威光は色あせ、同情や好奇の視線に変わった。父は名誉を取り戻そうと奔走しているが、結果は思うように出ていない。その背中を思い出すたび、千尋の心は静かに軋んだ。屈辱を噛み砕くように、彼女は一度だけ拳を握りしめる。感情を乱さず、しかし否定もしない。悔しさも怒りも、すべてを自分の中に正しく置くために。「……私は」小さくつぶやき、千尋は目を閉じた。過去の栄光に縋る気はない。取り戻すのでも、真似るのでもない。現在に、西園寺家を復活させる。その中心に立つのは、自分だという確かな意志が、胸の奥で硬く結晶していた。名前が呼ばれる。千尋は背筋を伸ばし、舞台へと足を踏み出した。その背中を、舞台袖から宮藤万緒が見守っている。表情はいつもより引き締まり、微動だにしない。主人の決意を、彼はすでに理解していた。千尋が歩く一歩一歩は、静かで、しかし揺るぎがない。照明の下に立った彼女は、学園で知られる“モデルの西園寺千尋”ではなく、未来を背負う一人の当主としての顔をしていた。万緒は、その姿に目を逸らさない。志は同じだ。西園寺家を、過去の影から救い出し、今の力で立たせる。そのためなら、どんな役割でも引き受ける覚悟がある。執事として、片腕として、影として。千尋が口を開く。凛とした声が講堂に響いた瞬間、万緒は静かに息を吐いた。彼女は一人ではない。舞台袖でそう確信しながら、彼はただ真っ直ぐに、その背中を見つめ続けていた。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-14
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04 卒業式と始まり
名前が呼ばれた瞬間、講堂の空気が一段、澄んだ。西園寺千尋は一歩前に出る。照明が落ち、舞台の中央へと伸びる光の道が彼女を迎えた。制服の裾は揺れず、歩幅も乱れない。ここに立つために積み重ねてきた時間が、その背中を真っ直ぐに支えていた。舞台袖で宮藤万緒は静かに佇む。拍手の波に紛れ、彼はただ主人の横顔だけを追っていた。千尋の肩は落ち着いている。目線は高く、迷いがない。――大丈夫だ。万緒はそう確信する。彼女が背負ってきた重さも、今抱いている決意も、すべてを知っているからこそ。千尋が演台に立つ。原稿に視線を落とす一瞬、そして顔を上げる。その間に、彼女は過去を舞台の外へ置いた。叔父の名、歪められた評価、父の苦闘。すべては、ここから先の言葉のための土台でしかない。声が響く。凛として、揺るがない。言葉は丁寧で、しかし逃げない。未来を語るとき、千尋の声には覚悟が宿っていた。過去に甘えず、現在の責任を引き受ける意志。それは卒業生代表の答辞であると同時に、ひとつの宣言だった。万緒は胸の奥で、同じ志を静かに繰り返す。西園寺家を“過去の栄光”に戻すのではない。“今の力”で立たせる。そのために、自分は影でいい。前に出るのは千尋でいい。彼女が歩く道を、整え、守り、時に切り開く。それが執事としての務めであり、彼自身の選んだ生き方だ。拍手が広がる。千尋は一礼し、演台を離れる。舞台袖に戻る瞬間、視線が一度だけ万緒を捉えた。短い、しかし確かな合図。万緒は小さく頷く。言葉はいらない。二人の間に、同じ未来がはっきりと描かれている。光が落ち、幕が下りる。だが、終わりではない。ここからが始まりだ。万緒は主人の背中を見送りながら、心を固めた。西園寺千尋は、現在を率いる。自分はその隣で、決して揺るがぬ支えとなる。
last updateDernière mise à jour : 2026-01-15
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05 卒業式と始まり
春の陽射しが降り注ぐ学園の中庭は、卒業式を終えたばかりの熱気に包まれていた。その中心で、西園寺千尋は堂々と立っている。つい先ほどまで答辞を読み上げていたとは思えないほど、彼女の表情は落ち着いていた。背筋は伸び、視線は前へ。生まれながらにして人の上に立つ者のそれだ。その少し後ろ、半歩下がった位置に宮藤万緒はいた。執事として、主人の影となるべき距離。「すばらしい答辞でした」万緒は軽く拍手をしながら言った。声量も、仕草も、すべてが控えめだ。だが、その言葉に嘘はなかった。主人として誇らしい――そんな感情は、胸の奥にきちんとしまっておく。「これくらい当然でしょ」千尋は小さな声でそう返し、わずかに口先を尖らせた。周囲に聞かせる気はない。だが万緒には、彼女が照れていることがよく分かる。その空気に、異物が割り込んできた。「以前の姿を思い出しますよ」拍手をしながら歩いてくる学園長。その姿には、かつて富豪層のリーダーとして名を馳せた頃の威圧感が色濃く残っていた。言葉は柔らかいが、声には明確な棘がある。万緒は一瞬で察する。――面倒だ。無意識に、喉の奥で小さな音が鳴った。「……チッ」ほんの微かな舌打ちだった。しかし、それを聞き逃すほど、千尋は鈍くない。「聞こえてるわよ」前を向いたまま、低く窘める。万緒は肩をすくめ、即座に表情を整えた。千尋は何事もなかったかのように学園長へ向き直り、完璧な笑顔を浮かべる。「学園ではとてもお世話になりましたわ。とても、ね」柔らかい声。しかし、その言葉の裏に込められた感情を、学園長も察したのだろう。彼の口元が、わずかに歪んだ。「“課題”をすべてこなせたのは君たちがはじめてだったよ。これからが楽しみだ」それだけ言い残し、学園長は背を向けて歩き去っていく。その背中を見送りながら
last updateDernière mise à jour : 2026-01-16
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