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第5話

Author: 昭寧
「田村おばさんが、わざわざあなたのために紹介してくれた方よ。翔悟さんは公的機関にお勤めで、お給料は毎月きちんと出て、福利厚生もしっかりしてるのよ。

わざわざ上司にお願いしてお休みを取って会いに来てくれたんだから、早く起きて着替えて支度しなさい。後でそこの角のレストランでご飯にしましょう」

「会いにきたって?」

私は自分の耳を疑った。怒りが心の底から一気に込み上げ、先ほどの狼狽を押し流していく。

私は布団の端をめくり、ベッドから降りて二人を部屋から追い出そうと、声を張り上げた。

「出て行って!まだ着替えてないの!誰がノックもせずに部屋に入れなんて言ったの?会いたい人なんていないわ!」

母の顔から笑顔が消え、代わりに怒りの色が浮かんだ。彼女は一歩前に出て、私の布団を剥ぎ取ろうとする。

「お客さんに対してなんて口の聞き方なの?翔悟さんと上手くいけば、家族になるのよ。見られて困るものなんてないでしょう?

もうすぐ三十路にもなるのに、毎日外でふらふらして、相手もいないくせに、まだそんなに物分かりが悪いの!」

その時、父も部屋に駆け込んできた。彼は部屋の散らかり具合に目をやると、慰めの言葉一つなく、眉をひそめて母に加勢した。

「君のためを思って言ってるんだぞ。見てみろ、都会でボロい部屋を借りて、その日暮らしじゃないか。翔悟さんはこんなに条件がいいんだ、一度会うくらいどうってことないだろう?いつまでも子供みたいに拗ねるな。わがままにも程があるぞ」

私は父のその当たり前だというような顔つきと、翔悟と呼ばれた男を見た。

彼は気まずそうな素振りも見せず、逆に母に頷いて同意している。

「おばさん、そんなに怒らないでください。大丈夫ですから。私はリビングで彼女が支度するのを待っています。急いでいませんから、急かさないであげてください」

その瞬間、私の心の中に残っていたこの家への最後の未練が、粉々に砕け散った。

彼らは一度も私が何を望んでいるか尋ねたことがなく、一度も私の境界線を尊重したことがなく、私が持つ唯一のプライベートな空間でさえ、好き勝手に踏み込み、破壊する。

私は深呼吸をして喉の奥の嗚咽を抑え込み、冷たく言い放った。

「分かったわ、支度するから。先に外に出て」

母と父は私が「折れた」のを見て、ようやく表情を和らげ、翔悟を連れて寝室を出て行った。

私は素早くベッドの脇に置いてあった服に着替え、昨日からまとめてあったスーツケースを引き寄せると、身分証明書とキャッシュカードの再発行控えがバッグに入っていることを確認した。

ほどなくして、ドアの外から母の声が聞こえてきた。

「翔悟さん、先に下で待ちましょう。あの子にも早くするように言っておきますから。お待たせするのも悪いですしね」

そして、足音が次第に遠ざかっていく。

これが、私にとって唯一のチャンスだと分かった。

私はスーツケースを手に、そっと寝室のドアを開け、リビングに誰もいないことを確認すると、足早に玄関で靴に履き替え、ほとんど逃げるように外へ飛び出した。

私は団地の入り口まで早足で歩き、タクシーを捕まえて新幹線の駅へと直行した。

新幹線に乗り込もうとしたその時、突然スマートフォンが鳴った。母からの電話だった。

私が電話に出ると、受話器からすぐに母の甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。

「どこへ行ったの?翔悟さんがまだ下で待ってるのよ!また拗ねてるんでしょう?さっさと戻ってきなさい!」

私は受話器に向かって冷笑した。

「もう戻らない。あなたは人の話が聞けないんでしょう?なら、これからは、もう私に話す必要もないわ」
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