彼は少し止まって、また言った。「明日の朝は俺が君を店まで送るよ」彼がこんなにも気を使ってくれるので、唯花は電動バイクを店に残して、理仁の車に乗った。牧野明凛は夫婦二人が帰って行くのを目線で見送り、つぶやいた。「だんだん夫婦らしくなってきたわね」結城理仁は常に冷たくて寡黙だが、しかし彼の内海唯花への優しさは細かいところに見て取れた。「もし私も結城さんみたいな人と巡り合えたら、喜んで即結婚するわ」残念なことに、彼女のお見合い相手たちは結城理仁には遠く及ばない。あれらのいわゆるハイスペック男というのは、ただ収入が高いだけで、そのように呼ばれているだけなのだ。実際、ハイスペックという言葉からは、かけ離れている。この前のカフェ・ルナカルドでお見合いしたあの相手は、内海唯花のほうを気に入っていた。私的に仲介業者を通して内海唯花のことを尋ねていて、既婚者であることを知ったのに、まだくだらない夢を見ていた。牧野明凛は直接、あのお見合い相手に電話をかけ、ひどく怒鳴りつけた。もしも奴が私的に内海唯花にコンタクトを取り、彼女の結婚生活をめちゃくちゃにしたら、地位も名誉も傷つけると。内海唯花の目の前に現れなければ、牧野明凛は彼の命を助けたのと同じことだと思った。本気で内海唯花のところに行き告白でもしてみろ。彼女が相手を完膚なきまでに痛めつけるだろう。なんといっても空手を習っていたのだから。「途中に姉の家があるから、姉の家に行って様子を見てから帰りましょう」内海唯花は一日に一回は姉のところに行かないと、どうも慣れないのだ。結城理仁は、うんと一言返事した。少しして、夫婦二人は佐々木唯月の住むマンションに到着した。この時間帯はだいたい夜ごはんを終えた時間で、食後に子供を連れて外で散歩をするのが好きなマンションの住人が出てきていた。だから、この時刻はマンション周辺がとても賑やだった。結城理仁が車を停めた後、内海唯花が先に車を降り後部座席のドアを開け車から果物の入った袋を二つ取り出した。それは理仁がどうしても義姉に贈り物をしたいと言って買ったものだ。夫婦は佐々木唯月が住んでいる棟のほうへと歩いて行った。すぐに内海唯花はどこかおかしいことに気が付いた。彼女は姉の家に三年住んでいて、マンションの住人をよく知っていた。それが今日みんなが彼女を
姉妹二人はとても仲が良いとマンションの住人はよく知っていた。佐々木唯月が妹にその件を話さなかったのは、妹を心配させたくなかったからだ。「坂本さん、ありがとうございます」内海唯花は坂本おばあさんにお礼を言い、結城理仁を引っ張って、急ぎ足で姉の住むマンションへと入って行った。「昨日お姉ちゃんを送り届けたら、義兄さんがご飯を作っていなかったことで責めてきたの。その時、義兄さんの顔つきは、まさに誰がを殴りそうな感じだった。それが私に気づいた瞬間、また顔つきが変わったわ」内海唯花は結城理仁にぶつぶつ言った。「お姉ちゃん、どうして私に教えてくれなかったのよ」内海唯花は姉にとても心を痛めていた。女性が結婚するのはまるで転生するのと同じだ。彼女はひどい男のもとに転生してしまったのだ。三年の結婚生活で、義兄の姉に対する態度は180度変わってしまった。結城理仁は落ち着いた声で言った。「義姉さんも君に心配かけたくなかったんだよ。さっきあの坂本さんが言ってたじゃないか、義姉さんは包丁を持って、旦那さんを街中追いかけまわしたんだろ。つまり義姉さんは旦那さんに負けなかったわけだ。あまり心配しなくて、大丈夫さ」内海唯花が心配しないわけがない。でも、彼女は結城理仁には多くは話さず、彼を引っ張ってマンションの上の階へとあがって行った。そして姉が彼女に渡していた鍵を取り出して玄関のドアを開けた。佐々木唯月はこの時キッチンでご飯を作っていて、玄関のドアが開く音が聞こえると、佐々木俊介が戻ってきたのかと思いフライ返しを持って出てきた。もし佐々木俊介がまた暴力を振るおうものなら、もう容赦はしないと考えていた。佐々木俊介は実家に帰った後、一切彼女には連絡をよこしていなかった。しかし、彼女の義父母と義姉がひたすら彼女にメッセージを送り罵ってきた。彼ら佐々木家のLineグループでも彼女の悪口を言っていた。佐々木家の他の親戚たちに、彼女は妻としての役割を全くこなしていなかったから、夫に殴られる羽目になったのだと言って、佐々木家の他の親戚たちにも、彼女が悪いと言うように頼んだ。彼女が殴られたのは全て彼女が悪いのだ、佐々木俊介は何も間違っていない。彼女の当然の報いなんだと口から出る言葉はすべて彼女への悪口ばかりだった。ある親戚は年上の虎の威を借りて、彼女に対し
昔は姉が妹を守っていた。今その妹は大人になり力をつけ、今度は彼女が姉を守る番なのだ。「唯花」佐々木唯月は妹を引き留め、言った。「必要ないわ。お姉ちゃんも軽い怪我しただけだから。彼にも何もメリットはなかった。私が包丁持って街中を追いかけまわしたから、あの人ビビッて今後は家庭内暴力なんてする勇気はないでしょう」「お姉ちゃん、家庭内暴力は繰り返し起こるわ。あいつが手を出してきたのに、カタをつけておかないと、ちょろいと思われてまた手を出してくるはずよ」家庭内暴力など決して許してはいけない!「お姉ちゃんも分かってるから。だから絶対にあの人に負けないで殴り返してやったの。そして包丁持って街中追いかけまわしたのよ。あなたは知らないでしょうけど、彼は私の行動にすごく驚いてて、両足をガタガタ震わせてたわ。夫婦が初めて喧嘩する時は必ず勝たないといけないって言うでしょう。私のほうが勝ちよ。今後彼が私に手を上げようとするなら、彼自身どうなるかよく考えないとね」佐々木唯月は妹が佐々木俊介のところに行かないように力強く引き留めた。「彼も実家に帰っちゃったわ。あの人のところに行くってことはあの佐々木家全員を相手にしないといけないから、逆にやられちゃうかもしれない。行かないで、お姉ちゃんはもう彼に遠慮したりしない。今後彼が手を出そうが怒鳴りつけてこようが、私も相手になってやるんだから」「お姉ちゃん、どうしてすぐ私に教えてくれなかったのよ」内海唯花はとても胸が苦しくなり姉のまだ青あざが残っている顔をそっと触り、自分がその傷を受けたかのように辛そうに尋ねた。「お姉ちゃん、まだ痛む?佐々木俊介の奴!こんな力強く殴るなんて!長年培ってきた情もあるし、陽ちゃんも生んであげたってのに、お姉ちゃんにこんなひどい事するなんて」佐々木唯月は苦笑した。「私は今こんなふうになっちゃったもの。彼はもうずいぶん前から私を嫌っていたわ。結城さんも一緒に来たの?」「来てるよ。リビングで陽ちゃんと遊んでくれてる」佐々木唯月は声を抑えて、妹に念を押した。「唯花、あなたもお姉ちゃんの結婚が今ではこんなに面倒なことになったのを見たでしょ。寿退職をしてあの人の私を一生面倒見るっていう戯言を信じ込んじゃったせいね。あなたは絶対に経済的に独立していたほうがいいわ。女の人はどんな時だろうと、自分
姉妹はお互いに支えあって長年生きてきたから、唯月は妹のことを熟知していた。妹が彼女に代わって鬱憤を晴らしてくれようと思っているのを知っていて、わざと妹を長く家にいさせていた。お酒を持ってきて、妹と一緒にそれを夜遅くまで飲み続け、深夜になって夫婦はようやく帰って行った。内海唯花はお酒が飲めるほうでも飲めないほうでもなく普通だ。姉が持って来たお酒は度数が高いものだったから、一杯飲んだ後、彼女は少し酔ってしまい、姉の家を離れる頃には頭がクラクラしていて歩くのもふらついていた。佐々木唯月はこの新婚夫婦を玄関のところで見送った。彼女は昔働いていた頃、よく上司に付き合って接待に行き、お酒に強くなっていたので、一杯の度数が高いお酒を飲んだくらいではどうということはなかった。「結城さん、唯花は酔ってるから、よろしくお願いします」佐々木唯月は妹の夫にしっかりとお願いをしておいた。妹をここまで酔わせておけば、内海唯花が佐々木俊介のところに殴り込みにいくこともできないだろう。唯月は妹が佐々木家に行って、彼らが束になって妹をいじめるのが怖かったのだ。あのクズ一家は、彼女たちの実家の親戚たちと張り合えるくらい最低な奴らだ。「義姉さん、ちゃんと唯花さんの面倒を見ますから安心してください」結城理仁は軽々と内海唯花の体を支えながら下へとおりていった。唯花が何度も転んでしまいそうになったので、理仁は彼女をお姫様抱っこするしかなかった。「君はそんなに酒に強くないのに、それでも飲むんだから。義姉さんが酒を持ってきた理由はこんなふうに君を酔わせるためだろう。それなのに、バカみたいに飲んじゃって」内海唯花は両手を結城理仁のクビに回し、おくびを出した。その酒の匂いが鼻に刺さり、結城理仁は顔を横に背けて彼女に言った。「俺のほうをむいてその息を吐き出すなよ。酒の匂いで鼻がもげてしまいそうだ」「もっと嗅がせてやるわ!」内海唯花はわざと彼の顔に近づいた。「お姉ちゃんの意図が分かっていながら、私を止めなかったわね」結城理仁は彼女がこのように近寄るのに慣れていないので、危うく彼女を地面に落としてしまいそうだった。「おまえな!」彼は怒って低く張った声で言った。「頭は冴えてるって分かってるぞ。俺の隙を狙ってふざけるのも大概にしろよ!」内海唯花はふんと鼻を
内海唯花は彼に起こされ体を起き上がらせた。まるで子供のように手で目をこすった後、彼を瞬きせずに、じっと見つめていた。突然、彼女は彼の方に手を伸ばし、瞳を輝かせてはっきりした声で言った。「お兄さん、抱っこして私を降ろして」結城理仁はイライラしながら手を伸ばし、彼女をポンと叩いて冷たい声で言った。「忠告しただろう。酔ったのをいいことに俺をからかうんじゃないって。君はほろ酔い状態だろ、頭がはっきりしていないわけじゃないはずだ。君が今自分で言ってることと、やってることは、心の中でははっきり分かってるはずだぞ」そうだ、内海唯花ははっきりと分かっている。しかし、酒が入っているので、彼女はその勢いに任せているのだ。結城理仁が彼女にふざけるなと警告すればするほど、彼女はつい彼をいじりたくなる。大の大人の男が、一人の女性にマウントを取られないか恐れるって?誰かに知られたら、笑われるだろう。結城理仁「......」内海唯花は、ひひひと笑って彼に尋ねた。「あなたもしかして結城御曹司とおんなじで、実は秘密があるとか?」彼は男女関係においては、彼女よりも純粋なのだ。内海唯花は酒の力を借りて、思わず彼をからかってしまいたくなった。「どんな秘密があるって?」「アレがダメなのか、それか女性よりも男性のほうが好きなのか」結城理仁の表情は暗くなっていった。「おばあさんはいつも私たちをくっつけようとしてるでしょう。私はずっと30歳になる男性に彼女がいないなんて、きっとブサイクなんだって思ってたの。あなたに会った後、誤解してたって気づいたわ。あなたはブサイクなんかじゃなくて絶世のイケメンなんだって。それから、また考えたの。あなたってもしかしてちょっと問題があるんじゃないかって......」内海唯花はケラケラ笑って、両手も忙しく結城理仁の顔に伸ばし自由気ままに彼の端正な顔を触った。「結城さん、あなたDVなんかしないよね?言っておくけど、私は空手を習ってたの。私にそんなことしてみなさい、完膚なきまでにあなたを叩きのめしてやるんだから。あらまあ、こんなにカッコイイんだもん。本当にちょっとキスしたいわ。なんならちょっとお姉さんにキスしてみてよ。ねえ、ねえ、記念にちょっとだけキスを......」内海唯花はやりたい放題、彼をからかい調子に乗ってい
結城理仁は別に怒ってはいなかった。ただ内海唯花に自分が笑っているところを見られたくなかっただけなのだ。彼はマンションに入ると、妻が後に続いて来ていないことに気付き、足を止めた。後ろを振り向き大きな声で彼女に尋ねた。「もしかして、今夜はずっとそこに突っ立って過ごすんじゃないだろうな?」内海唯花はハッとして、嬉しそうに彼のほうに走ってきた。「結城さん、怒ってないの?」結城理仁は冷ややかに彼女を一目見た。彼の目つきはいつも通り氷のように冷たかったが、手を伸ばして彼女のおでこをツンと突いて言った。「次はないぞ!」内海唯花はまるで間違いを犯した小学生のように、手を挙げて誓った。「次は絶対にしないと誓います!」結城理仁は何も言わず体を前に向けて歩いて行った。内海唯花は急いで彼に続いた。彼の逞しいその後ろ姿を見つめながら、内海唯花の酔いはだんだん覚めてきた。そして心の中で不満をつぶやいていた。おばあさんは彼女に彼を押し倒せと言ったが、彼のこの氷のように冷たい様子では、彼女は本当に彼を襲えるような自信はなかった。しかし、彼をからかって遊ぶのは本当に面白い。彼女もたった一杯のお酒でこのように彼をからかえるのだ。普段なら彼の顔に触れるのが限度だ。ただ顔を触っただけでも、痴漢を警戒するかのように彼女に警戒心を持っている。まるで彼の顔に触れたのではなく、彼のズボンを脱がせたかのようだ。家に帰り、結城理仁はそのままキッチンへと入って行った。内海唯花は彼が一体何をするのか分からず、一声尋ねたが、彼女に返事をしなかった。だからわざわざ返事をもらえず恥をかくような真似をしないようにベランダへ行き、ハンモックチェアに腰掛けた。体を椅子にもたれかけ、つま先で地面を蹴って椅子を軽く揺らした。その時考えていたのは姉の結婚についてだった。彼女と結城理仁はスピード結婚で、結婚する前はお互いに相手のことを知らなかった。スピード結婚をした後は、二人とも相手を尊重し合っている。たぶん、まだお互いによく相手を知らず、どちらも自分の欠点を見せていないからだろう。否定できないのは、彼女は姉よりも幸せな結婚生活を送っているということだ。少なくとも、結城理仁が彼女に対してどのような態度を取ろうとも、彼女が悲しむことはないのだ。だって愛していないんだから!しかし、
数分経ってから、内海唯花はつぶやいた。「私があなたの部屋に入りたいとでも思ってるの?いつか、懇願されても絶対に入ってやらないんだから」自分も部屋に入ると鍵をかけることを思い出し、内海唯花はつぶやくのを止めた。つまるところ、これはスピード結婚の後遺症のようなものだ。結城理仁自ら作ってくれたあさりの味噌汁を飲み終えて、内海唯花は部屋に戻って休んだ。この夜はもう二人に会話はなかった。次の日、内海唯花が目を覚ますと、太陽はすでに昇っていた。彼女がベットサイドテーブルにある携帯を見ると、すでに七時過ぎだった。早起きに慣れている彼女はこの時間に起きることはあまりない。彼女は普段明け方六時くらいに起きているのだ。昨晩お酒を飲んだせいだ。幸いなことに、起きても二日酔いにはなっていなかった。しかし、お腹がとても空いていた。昨夜は姉に心を痛め、姉の家で夕食を食べる時に彼女はあまり食べていなかったので今お腹ぺこぺこだったのだ。素早く服を着替え、洗面を終えると部屋を出た。キッチンに行って朝食を用意しようと思っていた時、食卓の上にすでに並べられた朝食が目に入ってきた。それは彼女の好きなイングリッシュ・ブレックファーストで、美味しそうな食べ物が食卓に並んでいた。結城理仁はスクランブルエッグを二皿持ってキッチンから出てきた。内海唯花が起きて来たのを見て、淡々と言った。「俺が起きた時、君はまだ起きてなかったから、外でいろいろ買って来たんだ。それからスクランブルエッグは今作った」「全部あなたが作ったのかと思ったわ」危うく彼の料理の腕が高級レストランのシェフみたいだと褒めるところだった。外で買って来たものだったのか。内海唯花はお腹が空いていたので、夫に遠慮せず食卓に座り箸を持ってまずはソーセージを挟んで食べた。「これとっても美味しいわね。コンビニで買ったんじゃないでしょ?」イングリッシュ・ブレックファーストを作るなら、確かにコンビニでもその材料は揃っているが、そこまで美味しくはないだろう。やはりホテルで食べる朝食には負ける。「車でスカイロイヤルホテルまで行って買ってきたんだ。あそこの朝食はいろいろあるし、味もとても良いって有名だしな。食べないなら食べないで済むけど、食べるならやっぱり一番美味しいものを食べないとと思って」実際は、彼
「俺も別に義姉さんのために、君がケリをつけに行くのを止めようとしているわけじゃないんだ。だけど、もし義姉さんと旦那さんが完全に決裂してしまって、関係を修復できないような状態にまでなってしまえば、俺だって君が佐々木俊介のところに行くのは賛成だよ」内海唯花は面白くなさそうに、ベーコンをひと噛みしてから言った。「あなたのその言葉は理にかなってるわ。衝動で突っ走るようなことはしないから安心して。直接的じゃなくて、もっと違う方法であいつらに分からせてあげるわ。でも、しっかり警告だけはしておかないと。お姉ちゃんには頼れる実家がなくて、簡単にいじめられる存在だなんて奴らに思わせないわよ」結城理仁は彼女が自分の意見を聞き入れたのを見て、それ以上は何も言わなかった。朝食を食べてお腹いっぱいになった後、少し休んでから夫婦二人は一緒に出かけて行った。内海唯花が姉のことをとても心配しているのが分かっているので、結城理仁は彼女を店に送る前に、少し寄り道して佐々木唯月の家まで車を走らせた。唯花に姉の様子を確認してもらうためだった。彼のその気遣いに唯花はとても感動した。昨夜、これ以上は結城理仁をからかってはならないと、自分自身を戒めたばかりなのに、彼のこの優しさに唯花はその戒めの言葉を空の彼方に放り投げてしまった。明凛はこう言っていた。結城理仁はとても良い人だから、唯花たち二人がまだ夫婦関係であるうちに、彼の心を掴みなさい。半年後に離婚するという約束は、結婚してからすでに一か月経ち、残り五か月になった。その残りの時間に結城理仁との仲を深め、愛情を芽生えさせて本当の夫婦になりなさいと。そうしないと、将来後悔するかもしれないから。神崎姫華が言うように、誰かを愛したら追いかけるのだ。たとえ、その想いが相手に届かなくても自分は努力したのだから、結城理仁が自分のものにならなくて後悔したりはしないだろう。唯花は彼にあげた手作りの招き猫が車の中にあることに気づき、何気なく言った。「あなたにあげた招き猫、まだ車にあるのね」「後で会社に着いたら、デスクの上に飾るよ」それを聞いて唯花は微笑んだ。「もし誰かに聞かれたら、商品を宣伝しておいてね」「わかったよ」結城理仁は快くそれに応じた。彼は九条悟に彼女のネットショップでたくさん商品を買わせることにした。九
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら