結婚して5年、春日部玲奈(かすかべ れいな)は自分を犠牲にして家庭に全てを捧げてきた。 子供の面倒、義父母の世話、夫である新垣智也(にいがき ともや)にもプライベートな時間を作ってあげた。 彼女は全てを犠牲にしてきたのに、夫は外に愛人を作って、車も家も仕事までもその女のために用意した。その愛人は至れり尽くせりの生活を送っていたのだ。 自分から気持ちが離れてしまった夫を取り戻すため、玲奈は第二子に男子を産もうと決心する。 夫は二人目に積極的で、新垣家の夫人としての立場を認めてくれているものだと思っていたのに、実は智也は愛人が子供を産むのにリスクがあるから、玲奈を子作りの道具としてしか見ていなかったのだった。 夫を失っても、まだ娘だけは自分と一緒にいてくれると思っていたのに、手塩にかけて大事に育てたその娘さえも、よその女に取られてしまったのだ。 そしてようやく玲奈は心を鬼にして、お腹にいる二人目を堕胎し、離婚をすることを決意する。夫と娘などもう必要ないのだ。 しかし、離婚協議中に、以前は家に帰ることすら嫌がっていた夫が珍しくリビングで彼女を引き留めた。「二人目を産むと言ってなかったか?」
View More宮口教授はとても嬉しそうだった。「やっと君に連絡がついたよ。ちょっと聞きたいことがあってね。君は大学院に進むつもりはないのかな?」玲奈はそれを聞いて驚き、そのつもりはないと言おうと思ったが、少し考え、やはり自分の本心に背きたくないと思って「あります」と答えた。宮口はまた尋ねた。「では、私のところに来る考えはあるかね?」玲奈は「宮口先生、もちろん先生の研究室で勉強できればと思っていますが、私はやっぱり自信が……」彼女はこの時、年齢的にもとても若いというわけではなく、他の現役大学生たちと比べて有利なところはないと考えていた。宮口は笑って言った。「分かったよ。そのつもりがあるならそれでいいんだ。君がその気なら、チャンスはあるんだから。試験まではまだ三か月ある、できそうかね?」大学時代、彼女は自分が学年トップの成績であったことを思い出し言った。「宮口先生、私、一生懸命やってみます」宮口「そうか、では、良い知らせを待っているよ。私の研究室に君の席を残して待っているからね」玲奈はとても感激した。「どうもありがとうございます、宮口先生」電話を終えると、玲奈は自分の顔が涙でびっしょりと濡れてしまったことに気付いた。当時、智也のためでなければ、彼女は絶対に大学院に進んでいたはずだ。しかし、彼女はその時、結婚を選択した。しかし、今考えてみれば、やはりとても後悔していたのだった。大学院に進むという決心をした後、玲奈は昂輝に電話をかけた。「先輩、私、大学院に行きたいと思います」昂輝はその話を聞いて、とても驚き喜んでいた。「それはおめでとう。それを聞くことができて、俺もとっても嬉しいよ」玲奈は鼻をすすりながら言った。「先輩、現役の学生たちに負けないように、精一杯やってみます」昂輝は言った。「そのままでいいんだ、君は今十分優秀なんだからね。他の余計なことはあまり考えなくていい」玲奈は鼻の奥をツンとさせた。「ありがとうございます、先輩」……翌日、玲奈はやはり小燕邸に行くことにした。愛莉が起きる前に、彼女に朝食を作ってあげた。ちょうど用意が整った時、入り口から宮下の声が聞こえてきた。「智也様、沙羅お嬢様、お帰りですね」玲奈がそちらのほうへ顔を向けると、智也と沙羅はお揃いの運動着を着ていた。沙羅はポニーテールを作
バーを出るまで拓海はずっと玲奈の腰に手を回して放さなかった。この時の玲奈は非常に気持ちが沈んでいて、拓海にそうされていることすら忘れていた。そして拓海が車のドアを開けたところで玲奈はやっと我に返り、一歩下がってこう言った。「須賀君、今夜はどうもありがとう」拓海は玲奈が何か深く考え込んでいるのに気付いたが、それを口に出すことはなく、彼女のほうへ近寄った。身を少し屈めて目線を彼女の位置と合わせ、微笑み見つめて言った。「いっつもそんな他人行儀みたいにお礼を言っちゃって」玲奈はまた少し後ろに下がったが、車にちょうどぶつかり退路を塞がれて警戒するような目つきで拓海に言った。「あの……」「何を考えているの?」と尋ねる前に、拓海のほうが姿勢をまっすぐに正して言った。「俺と一緒に寝てくれない?」彼は真剣な表情で、それが冗談には聞こえなかった。玲奈は彼のその表情を見て、一気に心がざわつきはじめた。「それ以外のことだったら、何でも聞くけど」そう言うと、拓海は彼女を見つめて言った。「だったら、パーティーに参加してもらえるかな」玲奈は相手に借りを作りっぱなしではいけないと思い、応えることにした。「ええ、分かったわ」それを聞いて、拓海は笑顔になった。少し相手をからかうような様子を見せている。「長谷川明(はせがわ あきら)の話は本当だったな。女性に頼み事をする時には、まずはちょっと行き過ぎたお願いをしてみろってね」玲奈はそれで自分がはめられてしまったことを知り、眉をひそめて言った。「須賀君、あなたね……」拓海はすぐに目線を彼女のほうへ落として、ニヤニヤとご満悦そうに、彼女の瞳を見つめていた。そして彼は真面目に彼女の顔を見て尋ねた。「怒っちゃった?」玲奈は何も言葉を発することなく、顔を背けてしまった。拓海はそれを見て笑った。端正なその顔はとても優しく真面目だった。「君は笑った顔がとっても可愛いよ。思わずキスしてしまいたくなるくらいにね」そう言いながら、彼は体を前のめりにして玲奈に近づいた。突然彼との距離が縮まり、玲奈は一瞬にして心が乱れ、彼から顔を背けて素早く彼を避けてしまった。その時彼女は「須賀君、私帰りたいわ」と言った。彼女が懇願するような声でそう言ったので、それを聞いた拓海は思わず彼女の願い事なら何でも叶えてやろうと思
拓海が彼らを不快にさせることができるのは、玲奈にとって清々することなのだ。そして玲奈は薫も洋のことも一瞥もすることなく、拓海のほうを向いた。「須賀君、行きましょう」それを聞いて、拓海は彼女のほうへ一歩進み腰に手を回した。その時、彼女のシャンプーの甘い良い香りが漂ってきて、玲奈に魂が吸い取られそうだった。彼は目を細めて少しの間それを堪能し、ニカッと悪い笑みを浮かべて言った。「オッケー、玲奈ちゃん」拓海に近寄られると、得も言われぬ圧迫感に襲われて、玲奈は彼を押し退け距離を取ろうとした。しかし、彼は逆に彼女の腰をさらに力強く抱きしめてきた。「玲奈ちゃん、オーディエンスに囲まれてるんだからさ、ちょっとは俺の面子も考えてくれよ、ね?」それで仕方なく、彼のやりたいようにさせておいた。まあ、ただこのように見せかけるだけだし、腰に手を回されているだけで、別に大したことでもあるまい。拓海が今このように玲奈を抱きしめているシーンは薫と洋からしてみれば、明らかに彼らを挑発するためのものだと分かるだろう。薫はすぐキレるタイプの人間だから、怒りが湧いてくるとすぐにそれをぶちまけてしまう。彼はすぐに拓海を罵った。「この恥知らずが」その声は大きかったので、拓海にも聞こえていたが、彼は別に怒ることなくハハハと大きく笑った。それはさらに彼らを挑発させるようなものだった。この時、薫は突然玲奈の背中に向かって声を荒げた。「春日部玲奈、その須賀がどんだけ女を侍らせているか、知らないわけじゃないだろ?」玲奈は足を止め、淡々とした口調で薫に返事をした。「よく知らないわ」薫はそれを聞いて笑い、一歩前に出て言った。「お前、そいつと一緒にいれば、幸せに過ごせるとでも思ってんのか?正直に教えてやるよ、お前はたくさん咲き誇る薔薇の中の一本に過ぎないってことをな」玲奈は黙って、それには何も返事をしなかった。薫は玲奈が黙っているのは、さっきの話を聞いて動揺しているからだと勘違いしていた。そして、彼がまた何か言おうとした瞬間、拓海が玲奈を庇うような形で彼女の前に壁を作り、薫に向かっておかしそうに笑って言った。「高井君はよく俺のことをご存じのようだな。もしかして、俺もお前に群がる薔薇たちの中の一人なんじゃないのか?」薫は白目を剥いて拓海に「てめぇと話してんじゃねぇ!」
玲奈と智也はどちらも口を開かず、個室の中は不気味な静けさだった。しかし、このように二人きりになるチャンスはなかなか得られないと思い、玲奈のほうから口を開いて言った。「智也、ちょっと話せる?」彼女はわざと姿勢を低くさせるつもりではなく、ただ、智也に自分と話す気はあるのかどうか確認したかったのだ。もし、その気がないのであれば、彼女もこんなところで時間を無駄にしたくない。智也はちらりと玲奈を見た。彼は落ち着いた様子で暫く考えてから尋ねた。「何を話したいんだ?」玲奈は単刀直入に彼に尋ねた。「私の兄と義姉さんが仕事でトラブルが起こったのって、あなたが関わってるの?」智也も正直にそれに答えた。「そうだ」彼の仕業だということは聞かなくても分かっていたことだが、はっきりと智也の口から真実を聞くと、玲奈の心はズキッと痛んだ。彼女はそれでもめげずに智也に尋ねた。「どうしてそんなことをするの?」智也も別に多く説明したくもなく、玲奈から視線を外した。「別に理由などない」玲奈は智也の考えがよく理解できず、彼女はただ怒りを抑えて彼に尋ねた。「あなた、一体私にどうしろっていうの?」智也は暫く待ってもその返事をくれなかった。しかし、長い長い沈黙の後、彼はやはり玲奈のほうを見て言った。「愛莉には君が必要なんだ」この間、智也が直接田舎に彼女を探しに行く前に、愛莉が玲奈の作ったご飯を食べたいと言っていると伝えていた。玲奈は突然この時、ゆっくりと最近あった出来事を思い出していた。「私が愛莉に優しくしてあげれば、うちの家族には手を出さないでくれるってこと?」智也は彼女を凝視して言った。「そうだ」玲奈は智也がまさかこんなにはっきりとそれを認めるとは思っておらず、少し呆けてしまった。「分かったわ」智也はそれに淡々と答えた。「ああ」もうここまで話はついたが、玲奈はそれでも安心できず、尋ねた。「だったら、いつ兄と義姉さんへの圧力を解くの?」智也は「それはお前次第だろう」と言った。それを聞いて、玲奈はこの件の主導権を握るのは永遠に智也なのだと理解した。しかし、彼女にも他の解決方法はないので、ただ彼の言うことに従うしかないのだ。ここまで話したので、これ以上は別に何も話す必要はなかったが、玲奈は自分の心に湧いていた疑問を口に出した。「
拓海は言った。「それはもちろんだよ。俺みたいに一人の女性に一筋な男なんて、久我山では滅多にいないんだからね」スタッフは乾いた笑い声を残して、そこから去っていった。拓海は玲奈が信じてくれないのを恐れ、焦って言い訳をした。「玲奈ちゃん、他人の俺の評価なんてあてにならないんだよ。自分自身で俺のことを深く知っていけば分かることだよ。俺はね、本当に一途な男なんだから」玲奈は顔を上げて拓海を見つめ、それには何の返事もしなかった。それに、何も感じていないようだった。拓海は彼女の反応がかなり薄いのを見て、ため息をついた。「まあいいや、玲奈ちゃんは絶対に俺のよさが分かる日が来るよ」そう言うと、拓海は玲奈の肩を抱き、店の奥へと向かった。ある999という個室番号の前まで来ると、そこで立ち止まり、拓海はノックもせずに足で蹴ってそのドアを開けた。ドアが乱暴に開かれた時、中にいた数人がドアのほうへ目を向けた。玲奈はこの時、智也が数人いる中の真ん中に座っていて、近くには薫と洋がいるのが分かった。薫と洋の隣には女性の姿があり、彼女たちはどちらもかなりセクシーで、露出の高い服を着て座っていた。彼らから奇異な目で見つめられる中、拓海は玲奈の肩を抱いたまま、一歩一歩堂々と中に入っていった。彼はローテーブルの前まで来ると、挑発するかのように、テーブルの上にあった酒の瓶や缶を床に叩き落とした。酒のボトルは粉々に割れ、入っていた酒は床にこぼれてしまい、ひどい有り様だった。酒のボトルが床に落ちて割れるその音はその場にいた人を不愉快にさせた。拓海はどこから取り出したのか、ハンカチをテーブルの上に置き、ローテーブルを押し退けて、玲奈の肩を押して、テーブルに座らせた。玲奈は智也たちの目の前に座った。智也は全く顔色を変えておらず、驚くこともなく非常に落ち着いていた。それとは違い、薫はまるで人食いの鬼のように顔を歪めていて、隣にいる洋は眉をひそめるだけだった。薫と洋の隣に座っている女性は少し驚いて慌てたらしく、服の胸元を上にぎゅっとあげ、警戒したように拓海を見つめていた。「玲奈ちゃん、何か言いたいことがあるなら、ここで直接聞いたらいいよ。今日はこの俺がここにいるんだからね、君の邪魔する奴は、俺が容赦しないよ」拓海は飄々とした声で言ったが、彼の表情は形容し
玲奈が小燕邸を出て車に乗った瞬間、助手席のドアが突然外から開いた。そしてすぐにある人物が車に乗り込んできて、心ここにあらずの玲奈は突然のことに非常に驚いていた。そしてその人物が誰なのかはっきりした時、彼女はホッと緊張でピンと張りつめていた心が緩んだ。拓海は助手席に座り、わざとらしく彼女のほうへ体を寄せて玲奈との距離を詰めてきた。彼はじろじろと玲奈の表情の変化を楽しむように見つめ、突然キラキラとした笑顔で尋ねた。「どうしたの?俺ってそんなに怖い人なの?俺を一目も見たくないくらいに?それとも、恥ずかしくて俺の目が見られないのかな?」玲奈はこの時、拓海の冗談に耳を貸す余裕などなかった。「私には用があるから、須賀君は車を降りてもらえる?」拓海はそれに納得しない様子で、座席にもたれ掛かり、両手を頭の後ろに組んで横目で玲奈を見つめて言った。「どうしたの?久我山に帰ってきた瞬間、俺のことを忘れちゃった?」玲奈は苛立ちをつのらせた。「須賀君、私、本当に用事があるのよ」拓海は玲奈の言葉に悲しみが混じっているのに感づき、さっきまでのチャラチャラしていた態度を改めて、姿勢を正した。彼は玲奈のほうへ手を差し伸べたが、彼自身もなぜそのようにしたのかよく分からなかった。しかし、結局その手の動きを止めることなく彼女の頭を撫でて尋ねた。「どうしたの?」彼のその声からは、拓海が彼女を心配している気持ちが読み取れた。この時の玲奈の頭の中はごちゃごちゃで、夫と娘に失望し、辛い気持ちを抱えていた。そして、そんな心理状態の中、自分を気にかけてくれる拓海の声を聞いてしまったものだから、玲奈は悲しみが込み上げてきて、泣き出してしまった。彼女は必死に泣かないように自分の感情を抑えようとしたが、抑えれば抑えようとするほど気持ちが高ぶってしまい、次から次に涙が溢れ出てきてしまった。拓海はそれを見て慌て始めた。「玲奈ちゃん、泣かないでよ。お……俺、人を慰めるのは苦手なんだよ。君、用事があるって言ってたよね?だったら、俺に何の用事なのか教えてくれよ。君の代わりにやってきてあげるからさ、泣かないでよ」何かに憑りつかれてしまったかのように、玲奈もあまり考えることなく、泣きながら話し始めた。「わ……私、ただ彼にちょっと聞きたいことがあっただけで、なのに彼ったら私に会わない
Comments