これ以上は私でも我慢できません!

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By:  ルーシーUpdated just now
Language: Japanese
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結婚して5年、春日部玲奈(かすかべ れいな)は自分を犠牲にして家庭に全てを捧げてきた。 子供の面倒、義父母の世話、夫である新垣智也(にいがき ともや)にもプライベートな時間を作ってあげた。 彼女は全てを犠牲にしてきたのに、夫は外に愛人を作って、車も家も仕事までもその女のために用意した。その愛人は至れり尽くせりの生活を送っていたのだ。 自分から気持ちが離れてしまった夫を取り戻すため、玲奈は第二子に男子を産もうと決心する。 夫は二人目に積極的で、新垣家の夫人としての立場を認めてくれているものだと思っていたのに、実は智也は愛人が子供を産むのにリスクがあるから、玲奈を子作りの道具としてしか見ていなかったのだった。 夫を失っても、まだ娘だけは自分と一緒にいてくれると思っていたのに、手塩にかけて大事に育てたその娘さえも、よその女に取られてしまったのだ。 そしてようやく玲奈は心を鬼にして、お腹にいる二人目を堕胎し、離婚をすることを決意する。夫と娘などもう必要ないのだ。 しかし、離婚協議中に、以前は家に帰ることすら嫌がっていた夫が珍しくリビングで彼女を引き留めた。「二人目を産むと言ってなかったか?」

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Chapter 1

第1話

春日部玲奈(かすかべ れいな)が白鷺邸に帰ってきた時には、すでに夜の10時を回っていた。

今日15日は排卵日だ。

第一子は女の子だったので、義父母はずっと次は男の子を産めと催促していた。

もし、彼女が嫁いだのが他の家であれば、彼女は彼らに王位継承者が必要なのかと臆せず尋ねるところである。

しかし、新垣家は久我山(くがやま)市一の財閥家で、この家には莫大な財産を受け継ぐための男子が必要だったのだ。

寝室に行くと、新垣智也(にいがき ともや)はすでに寝る準備を済ませていた。

一言も気にかけるような言葉もなく、二人はさっそく本題に入った。

3分後、智也はバスルームに体を洗いに行き、玲奈はベッドに横たわったまま両足を上げピタリと壁につけ、智也からの「生命の源」をしっかり奥まで届けられるように姿勢を保っていた。

目的を達成し、一滴も余すことなく漏らさないようにしなければ。

するとすぐに、智也はバスルームから出て来て、今服を着ている玲奈に背中を向けて言った。「定期的に調べろよ、何か兆候があればすぐに俺に電話しろ!」

結婚して5年、彼は彼女に対して一言しゃべることすら億劫そうだった。

彼らの結婚は、ただ法律上の夫婦という関係で、中身は空っぽだった。

智也は外に愛人を作っていた。玲奈は智也のSNSを全て調べ、小さな手がかりを頼りに、その浮気相手の女のアカウントを見つけ出すことができたのだ。

この時から、彼女はこっそりと二人の浮気を調べていた。

夫の行動を探るには、彼女は結婚をぶち壊しにしたその浮気相手の女から調べていくしかなかった。

その女は頻繁にSNSをアップしていた。小さいことでは日常生活の事、大きなことでは何かのイベントや誕生日の事などだ。

二人目を計画し始める前は、玲奈はおおよそ智也に会うことなどできなかった。しかし、今は彼らは月に一回会っている。

智也が急いで出て行こうとするのを見て、玲奈は急いで体を起こし、彼の背中に向かって言った。「ちょっと話したいことがあるの」

智也は振り返り、無表情で彼女に尋ねた。「何を話し合う必要がある?」

玲奈は声のトーンを落とし、懇願するような声で言った。「私、あなたと平凡な日々を過ごしたいの」

この結婚を続ける必要などないことは分かっていたが、玲奈はそれでも試してみたかったのだ。

もしもがあれば?

やっとの思いで結婚したい人と一緒になれて、娘までできたというのに、この結婚を失敗のまま終わらせたくなかった。

しかし彼女のその懇願は、うねりをあげる大海原に小さな小石を投げ入れるのと同じように、智也の耳には全く聞こえていないようだった。もしくは聞こえないふりをしているだけなのかもしれない。

彼は服を着ると、腕時計をはめて外へと向かった。

玲奈はベッドからおりた。しかし、以前のように彼に縋りつき、一緒にいてほしいと懇願することはなかった。

智也が完全に部屋から出て行ってしまう寸でのところで、玲奈は突然崩れ落ち、彼に問いただした。「智也、ここには一カ月に一回だけで、あなたから電話をかけてくれることもなかった。食事ですらも一緒に取ったことはないわ。夫婦なのに心は離れ離れで、こんな結婚生活は一体なんだって言うの?」

智也は足を止め、暫くしてからやっと玲奈のほうへ顔を向けた。彼は彼女の涙、苦痛には見向きもせず、ただこう言った。「お前が男子を妊娠できたら、ここに住んでやっても構わない」

そう言い終わると、彼は一瞬もためらわず去って行った。

玲奈はそこに立ち尽くしたまま、彼を追いかけることはなかった。

8年彼を思い続け、5年の結婚生活を過ごしてきた。彼女は自分の全てを捧げてきたのだ。娘を出産する時に羊水栓塞症で、医者には三回も命の危険を告げられた。

しかし、このようなことを経験しても、彼女はまた死の危険も顧みずに男の子を産むため二人目の妊娠をする決意をしたのだ。

しかし、彼女はこの時、突然戸惑いを感じた。こんなことをして一体何になると言うのだ?価値あることなのか?

シャワーを終わらせバスルームから出てきた時、玲奈はいつもの癖で携帯を取り、自分のあるSNSアプリのアカウントにログインし「フォロー」の中から可愛いアイコンの「ララ」というハンドルネームを探した。

そのアカウントに入り、玲奈は新しい投稿に気づいた。それは2分前に投稿されたばかりのもので、街灯の下に照らされる二人の人影の写真だった。その写真の右下を見てみると、二人がお互いに指を絡め合い、お揃いのブレスレットをつけているのに気づいた。

その投稿にはコメントが一緒についていた。『街灯の下の二人。一人は私、もう一人も私のもの』

それを見た瞬間、玲奈は息が止まりそうなほど胸が苦しくなったが、今の彼女は夫の不倫にはじめて気づいた時のあの衝撃ほど激しい反応は示さず、ある程度落ち着いて見られるようになっていた。

もしかしたら、もう慣れて麻痺してしまっているのかもしれない。

毎回会う時、智也が急ぐのは全てあのもう一人の女に早く会いたいがためだった。

しかし、智也が自分との間に家を継ぐ男子を作ることに積極的な姿勢を見せてくれているのだと落ち着いて考えてみれば、新垣家の夫人というこの地位は永遠に保証されるものだろう。

ただ結婚生活における綻びを自分が見てみぬふりをしていれば丸く収まるのだ。

……

それから一カ月後。

夜7時、玲奈は新しくもらった妊娠検査報告書を手に握りしめ、上機嫌で白鷺邸に帰ってきた。

リビングに入ろうとした瞬間、突然義母の新垣美由紀(にいがき みゆき)の話し声が聞こえてきた。「智也、あなたも32歳になったのよ。結婚して5年経ったでしょう。一人目が女の子だったのは、まあいいとして、二人目をもっと真剣に考えなさいよ。一カ月に一回夜を過ごすだけじゃ、どうやって玲奈さんを妊娠させるのよ?もし無理なら、外にいるあの女性に産んでもらったらいいじゃないの。もし、あなたの血を引く男の子が生まれたら、その子供を我が家の継承者として私は認めるわよ」

智也は母親の提案を聞いたそばからすぐに断った。「それじゃわけが違うだろ?」

美由紀は少し腹を立てて言った。「なんでよ?」

玲奈は中には入らず、横に隠れた。智也が彼女を擁護してくれたので、彼女はドキドキしていた。

そうだ、智也が外で不倫していようが、彼の妻は玲奈ただ一人だけなのだ。

そしてすぐに智也の声がまた聞こえてきた。「母さん、玲奈が愛莉(あいり)を出産する時に、命の危険があったことを忘れたのか?」

美由紀はそれを聞いてさらに怒った。「よくも口答えなんかできるわね。新垣家にあんな疫病神を呼び込んでしまった。他の人なら子供を四人でも、五人でも産めるというのに、玲奈っていうあの思わせぶりな女、第一子を出産するだけで新垣家は三日間もトップニュース入りしてたのよ、本当に疫病神でしかないわ!」

美由紀の玲奈への恨み言を智也は一切真面目に取り合おうとはせず、彼はただこう釈明した。「子供を産むには大きなリスクがあるんだ。玲奈は一度その命の危険に晒されたから、ある程度の耐性があるだろう。だけど、沙羅(さら)はまだ若いから、あんなリスクを負わせるなんて俺にはできないんだよ」

この言葉が部屋の外にいた玲奈に雷で打たれたようなショックを与えてしまった。彼女はその場に硬直し、泣きたいはずなのに涙は出てこなかった。

智也が自分を愛しておらず、自分を裏切り、二人はこれ以上結婚生活を続けていくことはできないということは分かっていた。しかし、玲奈は単純に子供で彼を繋ぎとめておくことができると思っていたのだった。

彼女は、智也が外でいくら女遊びをしても、新垣家の夫人という地位は永遠に彼女のものだと思っていた。

しかし、現実は彼女が思っていたよりも残酷だった。

彼女は智也にとって、子供を産むための道具でしかなかったのだ。

しかし、彼は彼女が愛莉を出産した後、産後鬱を患い、貧血持ちになってしまったことを忘れてしまっている。

彼女は医者によって死の淵からなんとか呼び戻してもらった人間だというのに。

智也は深津沙羅(ふかつ さら)が子供を産む時に、もしものことがあったらと心配しているが、玲奈のほうがもっとそのリスクが高いということを彼は忘れてしまっている。

部屋の中で、自分の夫と義母がまた何か話していたが、それは玲奈の耳には入ってこなかった。

彼女は命を犠牲にしてまで新垣家のために体をぼろぼろにしてしまったというのに、夜は誰もいない部屋で一人過ごし、夫には浮気をされてしまったのだ。

彼女は妊娠検査報告書を握り締め、そろそろすべてを終わらせる時が来たのだと思った。

今日、本来であれば彼らは毎月行われる二人目の子作りの日だったのだが、玲奈はもうそれに何の意味もなく感じた。

なるほど諦めるのは一瞬でできることだったのか。

お腹の中の子供も、もうここに留めておく必要もなくなった。

誰も彼女の生死を心配してくれなくても、彼女自身だけは自分を大切にしなくては。

家から出て行こうとした時、使用人の山田が彼女がいることに気づいた。「若奥様、お戻りになられていたのですね?」

玲奈は山田に向かって笑った。この時、彼女はそれならば今日離婚について話し合おうと考えていた。
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第1話
春日部玲奈(かすかべ れいな)が白鷺邸に帰ってきた時には、すでに夜の10時を回っていた。今日15日は排卵日だ。第一子は女の子だったので、義父母はずっと次は男の子を産めと催促していた。もし、彼女が嫁いだのが他の家であれば、彼女は彼らに王位継承者が必要なのかと臆せず尋ねるところである。しかし、新垣家は久我山(くがやま)市一の財閥家で、この家には莫大な財産を受け継ぐための男子が必要だったのだ。寝室に行くと、新垣智也(にいがき ともや)はすでに寝る準備を済ませていた。一言も気にかけるような言葉もなく、二人はさっそく本題に入った。3分後、智也はバスルームに体を洗いに行き、玲奈はベッドに横たわったまま両足を上げピタリと壁につけ、智也からの「生命の源」をしっかり奥まで届けられるように姿勢を保っていた。目的を達成し、一滴も余すことなく漏らさないようにしなければ。するとすぐに、智也はバスルームから出て来て、今服を着ている玲奈に背中を向けて言った。「定期的に調べろよ、何か兆候があればすぐに俺に電話しろ!」結婚して5年、彼は彼女に対して一言しゃべることすら億劫そうだった。彼らの結婚は、ただ法律上の夫婦という関係で、中身は空っぽだった。智也は外に愛人を作っていた。玲奈は智也のSNSを全て調べ、小さな手がかりを頼りに、その浮気相手の女のアカウントを見つけ出すことができたのだ。この時から、彼女はこっそりと二人の浮気を調べていた。夫の行動を探るには、彼女は結婚をぶち壊しにしたその浮気相手の女から調べていくしかなかった。その女は頻繁にSNSをアップしていた。小さいことでは日常生活の事、大きなことでは何かのイベントや誕生日の事などだ。二人目を計画し始める前は、玲奈はおおよそ智也に会うことなどできなかった。しかし、今は彼らは月に一回会っている。智也が急いで出て行こうとするのを見て、玲奈は急いで体を起こし、彼の背中に向かって言った。「ちょっと話したいことがあるの」智也は振り返り、無表情で彼女に尋ねた。「何を話し合う必要がある?」玲奈は声のトーンを落とし、懇願するような声で言った。「私、あなたと平凡な日々を過ごしたいの」この結婚を続ける必要などないことは分かっていたが、玲奈はそれでも試してみたかったのだ。もしもがあれば?
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第2話
玲奈が病院でもらった妊娠検査の紙を隠して、堂々とリビングに入って来ると、美由紀と智也は話すのを止めた。玲奈は今までの彼女とは打って変わって、二人に挨拶の一つもしなかった。以前の彼女は単純に、大人しく義父母の世話をし、物分かりの良い優しく思いやりのある妻を演じていれば、いつの日かきっと夫が自分をちゃんと見てくれるようになると思っていたのだった。しかし、そんな彼女に過酷な現実が突き付けられた。彼女は自分を犠牲にして、新垣家にその全てを捧げてきたというのに、彼らは彼女とはまともに取り合ってはくれなかった。彼女のみが5年という歳月を彼らに捧げてきたが、それはそろそろおしまいにする時が来たのだ。智也は今日用事があってここに来ていたので、山田に「山田さん、母さんを部屋の外へ」と言いつけた。リビングに入ってからずっと玲奈は一言も発することなく立っていた。しかし、彼女のその瞳はなぜだかいつもにはない冷たさを帯びていた。智也は新垣家の家業を、彼が中心となり担っている。会社の経営も順調で、性格も良い。年配者には敬意を払い、友達には誠実に付き合い、部下に対してはその能力に応じてきちんと評価をしてあげる。社員たちのこともきちんと気にかけてくれて……彼と交流したことのある人間はみんな揃って彼を褒め称えていた。多くの友人が、玲奈がそんな智也と結婚することができたのは、きっと前世で良い行いをしたからだろうと言っていた。しかし、そんな智也は玲奈にだけは、その思いやりを見せてくれなかった。結婚して5年、智也の玲奈に対する態度は、みんなに向けられるそれとは全く違うのだと分かっていた。この5年という結婚生活は全くの意味のないものであり、玲奈はこれ以上続けるつもりはなかった。玲奈の横を通り過ぎる時、美由紀は突然足を止め、彼女を責めるような口調でこう言った。「まだ男子を妊娠できないのであれば、先祖様にどう顔向けすればよいのかしらね?」今までの玲奈であれば、このようなことを言われたら、ただ黙ってひたすら耐えるだけだった。しかし今、我慢する必要もないと彼女は思った。美由紀を見つめる玲奈のその瞳には、もう彼女に媚びへつらうような色は見られず、鋭い口調で問い返した。「お義母さん、あなたも私も同じ女性です。妊娠するのが男子であるか女子であるかは、私一人で決め
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第3話
携帯画面にお勧めとして出てきたその投稿を、玲奈は見たくはなかったが、やはりいつもの癖でそれをタップしてしまった。そこに映ったのは、やはりある一枚の写真だった。智也が腰を屈めて沙羅の前にいる様子だ。そしてそれと一緒に付いていたコメントはこうだ。「ちょっとお酒を飲んで冷たい風に当たってたの。ただ電話を一本かけただけで、あなたがすぐ来てくれた。あなたと一緒にいられて、とっても幸せ」それを見ると、玲奈の心は、やはりどうしようもなくチクリと痛んだ。こんなにこの二人が愛し合っているのなら、大局的に見て、彼らの願いを叶えてあげるべきではないか?離婚するとなれば、玲奈はただ娘の親権ともらうべき財産分与をしてもらえれば、それ以外のことはどうでも良いのだ。携帯を戻し、玲奈は大股でサッとリビングへと入っていった。家政婦の宮下(みやした)は驚いた様子で「若奥様?」と声を漏らした。「愛莉は?」「お嬢様は上でバービー人形でおままごとをしていらっしゃいます」宮下がそう言い終わると、上の階から突然愛莉の驚くような声が聞こえてきた。「ママ?」長い時間娘に会っていなかったので、玲奈は心がぎゅっと締め付けられたようになり、大きな歩幅で上の階へあがると、娘を抱きしめた。そして、娘の前に膝を曲げて屈み込み、彼女の頬に手を当ててキスをした。キスをして、話し始めようした時、愛莉が手をさっきキスされた頬に当てて、しきりにゴシゴシと肌が真っ赤になるまで擦っていた。それを目の当たりにした玲奈は胸が苦しくなり、喉元まで来ていた言葉をそのまま呑み込んでしまった。彼女は少し瞳に涙を浮かべ、辛そうに娘を見つめていた。玲奈が何か話し始める前に、先に愛莉が口を開いた。「ママ、ちょうど良いところに帰って来たわ。ママに電話しようと思っていたの。私、もうすぐ幼稚園でしょ、私ね、東通りにある陽ノ光(ひのひかり)幼稚園に行きたいの」東通りにある幼稚園の話をした瞬間、愛莉の瞳がキラキラと輝きだした。玲奈はそれを聞いて訝しく思っていたが、娘からどうしてもと言われて、彼女もそれを断るわけにもいかなかった。それにただの幼稚園なわけだし、もしそこが合わなかったら、また他に移ればいいだけの話だ。それで彼女は娘の要求を受け入れることにした。「じゃ、東通りの幼稚園に通いましょう」
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第4話
車のドアを開け、智也は沙羅が降りる時に頭を上にぶつけないように手をかざし、沙羅に手を差し伸べた。二人が指を絡め合わせたその瞬間、玲奈もそちらへ振り返った。そして、心を突き刺すような親密な様子の二人が視界に入ってきた時も、玲奈は恐ろしいほど落ち着いていた。もしかしたら、もう悟ってしまった後だからなのだろう、そんなシーンを目撃しても心を平静に保っていられるのは。もし以前の彼女であれば、その場で泣き喚いていたかもしれない。しかしこの時、彼女はただ智也に対して「沙羅のほうがおまえより母親として相応しいからだ」とは一体どういう意味なのか問いただしたいだけだった。「智也、さっきのはどういう意味よ?」玲奈は唇を少し震わせ、そう尋ねた。その声のトーンも変化していた。沙羅は車を降り、智也と仲良さげに手を繋いだままだった。月の光の下、二人の親しげな様子が地面に長い影を作っていた。智也は玲奈の声など、まるで聞こえなかったかのように、沙羅を連れて小燕邸へ入ろうとした。もう何回このように彼から無視され続けてきたか分からない。玲奈の心には、すでにハチの巣のように無数の穴が空いている。しかし、娘に関しては決して引き下がるわけにはいかなかった。だから彼女は彼らの前に立ちはだかった。そして、一体どこから出たのか分からないくらいの力で智也の腕をガッと掴み、大きな声で訴えた。「智也、なにか言いなさいよ!」それでようやく智也は足を止め、玲奈のほうへ顔を向けた。彼女を見つめるその瞳は見た者を凍り付かせてしまうほど冷ややかなものだった。彼は腕をくるりと回し、簡単に玲奈の手を引き剥がすと同時に口を開いた。「おまえは仕事が忙しいし、愛莉はまだ小さいだろ。だから、彼女の世話をする人が必要だって言ったんだ。おまえが二人目を妊娠したら、沙羅に愛莉の面倒を見てもらうんだ」智也は昔からずっとこうだ。何か決めるのに、玲奈の意見など聞かず、まるで会社の上下関係のように決定事項だけを彼女にただ報告する形のだ。しかし、今回に限っては、勝手にそのようなことを彼に決められるわけにはいかない。それに、隣の県まで働きに行くと決めた時、玲奈はあらかじめ愛莉のお世話をしてくれる家政婦を探していたのだ。しかし、先月その家政婦は智也が勝手に解雇していたことを知った。彼女が出張
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第5話
玲奈が目を覚ました時にはすでに病室のベッドに横たわっていた。一華は彼女の状態を確認しに来て、あと二日しっかりと休んだら退院していいと伝えた。退院した後も、体調を考えて、一カ月は無理をせずにゆっくり休むよう言った。玲奈は一華に言われた通りにすることにした。彼女はもうまるまる一カ月はしっかり休養を取ると決めていたのだ。体は自分のものだから、自分がしっかり愛してあげなければ。一華が去ってから、玲奈は携帯を取り出してそれをちらりと確認した。案の定、智也からの電話は一つもかかってきていなかった。昨晩の出来事は、彼らにとって、きっとくだらない些細な出来事だったのだろう。しかし、玲奈にとってあれは人生における重大なターニングポイントとも言える。彼らへの執着を捨て去ってしまうのは、実のところ素晴らしいことである。これからの人生は精神的な苦痛に心をすり減らし、もがき苦しむ必要もないのだから。そして無意識に、あるアプリを開いた。最初にお勧めに上がってきたのはあの深津沙羅の新たな投稿だった。それから名前の下にあるステータスメッセージにはこう一行書かれていた。『相手はきっとあなたの知っている人』その投稿は、沙羅が小さな子供の手を繋いでいる写真だった。後ろ姿を見ただけで玲奈はすぐにそれが愛莉なのだと分かった。そして写真と一緒に投稿されていたコメントは『必要とされる感じって本当にイイものだわ』だ。そしてその背景は、あの小燕邸のリビングだった。きっと慣れているからだろう、玲奈はただ淡々と乾いた笑いを漏らした。そして「興味ありません」ボタンをタップした。こっそりと二人の不倫を探る日々は、これで終わりにしよう。退院してから、玲奈は一カ月だけ家政婦を雇って、身の回りの世話をしてもらい、自分はたっぷり一カ月間ごろごろと過ごした。一カ月後、彼女はその家政婦に給料を渡し、綺麗なロングスカートを履き、ナチュラルメイクをして、車を走らせ久我山へと向かった。今日はまた新たな月の15日だ。この日は彼女と智也恒例の第二子、子作りの日だった。実はこのセックスに関して、玲奈はあまり満足のいく経験をしたことはなかった。智也が毎回彼女と体を重ねるのは、それは義務的なものであって、できるだけ早く終わらせて沙羅の元へと駆けて行ったのだ。しかし、今夜久我山に戻
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第6話
ドアがゆっくりと開いた時、智也は自然に部屋の明りを消した。すると部屋の中は瞬時に暗闇に包まれた。智也はナイトガウンの紐を解きながら、声を出した。「もう遅いからすぐ始めるぞ。俺はまだ用があるからな」ドアが開いた時、廊下の明りが部屋に差し込み、入り口に立っている人の姿がぼんやりと見えていた。山田は智也のそのセリフを聞き、体を硬直させて、中へと入ることができずに小声で彼に教えた。「智也様、私です」智也はその声を聞いて驚き、ハッとして手を伸ばし部屋の明りをつけ、山田のほうを向いて怪訝そうに尋ねた。「あいつはまだ帰って来ないのか?」山田は緊張して汗をかきながら頷いた。「そのようです」その瞬間、部屋の空気は一気に凍った。山田は智也が不機嫌になっているのが分かったが、彼女にもどうしようもないことなので、ただ彼をなだめる言葉をかけるしかなかった。「若奥様は普段、早めにお帰りになるのです。先月も6時前にはお戻りになりました。今日まだお帰りにならないのは、きっと何か突発的な用事がおありなのでしょう」智也は山田がそのように言った意味をそのセリフから聞き取ったが、彼は多くは言わずに淡々と「分かった」と一言だけ返した。山田は智也に早めに休むようにと声をかけようと思ったが、智也は次の瞬間、サッとベッドから起き上がった。それで喉元まで来ていた言葉を呑み込むしかなかった。5分後、智也は着替えを済ませてさっさと白鷺邸を離れた。山田は一階で彼を見送った時、何かを忘れているような気がしていた。智也の車が視界から消えてしまってから、山田は玲奈から彼に書斎に彼に渡すものがあると伝えてくれと言われていたことを思い出した。車の中で、智也が白鷺邸を出てすぐに沙羅から電話を受け取った。「どうしたんだ?」薄っすらとした明りの中、智也は表情を柔らかくした。全く玲奈に向けるような鋭い冷たさなどはなかった。か細い女性らしい声が電話越しに伝わってきた。「智也、明日私すごく大切な演奏会があるの。だけど、明日は幼稚園で保護者の活動があるでしょ。たぶん私……」彼女が言い終わる前に、智也は彼女が何を言いたいのか理解した。「分かったよ。玲奈に参加させる」それを聞いて、沙羅はホッとした。「愛莉ちゃんには話してあるの。だから春日部さんにこのことを伝えてくれるだ
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第7話
この日の午後1時半、智也は会社の管理職たちと会議をしていた。自分の携帯が鳴りだした時、彼は無意識にその相手は玲奈だと思い、携帯に手を伸ばして出らずに切ってしまおうと思ったが、それは東通りにある幼稚園の番号だと気付いた。愛莉に何かあったのではないかと心配になり、智也は緊急で会議を一旦停止し、外に出てその電話に出た。「もしもし、新垣愛莉ちゃんの保護者の方でしょうか?」「はい、そうです」「本日、幼稚園では保護者とお子様たちのちょっとしたイベントがございます。愛莉ちゃんのご家族の方はまだいらっしゃっていないようですが」幼稚園の先生がそう智也に言ったので、彼は少し驚き、意外だった。「愛莉の母親が来ていませんか?」「もしお越しでしたら、このようにお電話はおかけしておりません。幼稚園での親子の活動と聞いて大人の方はそこまで重要なイベントだとは捉えられないかと思います。ですが、小さなお子様たちにとってはとても重要なイベントなのです。もう少しで始まりますが、ほかのお子様たちの保護者はすでに来ていて、愛莉ちゃんだけ一人ぼっちだと、どのような気持ちになると思いますか?」幼稚園のその先生の言葉には少し苛立ちのようなものが聞こえた。智也も別に子供に対して無責任な親であるわけではない。ただ、彼は玲奈が昨日のメッセージを読んで、愛莉のこのイベントに参加してくれるものだと思い込んでいただけなのだ。しかし、それが彼女は幼稚園には来ていないというのだ。この状況で玲奈に連絡していたのでは間に合わないので、智也は仕方なく「すぐに行きます」と自分が行くことにするしかなかった。そう言い終わると、彼は電話を切って、秘書に管理職会議は延期すると通知を出させた。午後4時半、親子のイベントは終了した。愛莉はこの日の午後ずっと顔をぶすっとさせていて、明らかに不機嫌だった。幼稚園が終わって、智也は愛莉と一緒に車に乗った。二人は後部座席に一緒に座り、智也は娘のことを気にかけて尋ねた。「今日は、ご機嫌斜めだったな」愛莉は悲しそうに目を赤くさせた。「ママ、どうして来なかったの。早めに来てって言ったのに。ほかのお友だちはみんなママが来てくれて、私だけパパだったよ。今日ララちゃんが演奏会じゃなかったら、別にママに来てもらおうとも思わなかったのよ」智也は娘の手を
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第8話
春日部家。玲奈はすでに半年実家には帰ってきていなかったので、この時少し微妙な空気が流れていた。食卓の上には様々な料理が並べられており、そのほとんどが玲奈の好物ばかりだった。智也と結婚することになったその当時、春日部家は一家揃ってその結婚に反対していた。しかし、玲奈は家族と縁を切ることで、春日部家はこの結婚を無理やり承諾させられたのであった。しかし、結婚してから智也は一度も彼女と一緒に春日部家に訪問してくれたことはなかった。父である健一郎(けんいちろう)と兄の秋良は冷たい表情をしていた。母である直子(なおこ)は目を真っ赤にしてずっと涙を拭っていた。兄嫁の綾乃はその場の雰囲気を良くさせるために頑張っていたが、どこから何を話せばいいのか困っている。陽葵はそんな彼らの表情をちらちらと盗み見ていた。玲奈が立ち上がって家族に謝罪の言葉をかけようとした時、秋良が突然厭味ったらしくこう言った。「明日は新垣実(にいがき みのる)の誕生日だろ、おまえ新垣家であいつらに奉公しないで、どうしてこっちに帰ってきたんだ?」その言葉のどれもがチクチクと皮肉交じりで刺してきたが、玲奈は笑って軽々とした口調で言った。「兄さん、今後はお父さんのためだけに誕生日をお祝いするわ」秋良はその言葉を聞いて驚き、内心明らかに彼女のことを心配してはいたものの、その口調は冷ややかだった。「どういうつもりだ?」玲奈は言った。「私、もう新垣智也と離婚することにしたの」その言葉が出た瞬間、その場はさらに変な空気になった。まるでその場にいたみんなの目が玲奈に注がれていて、それぞれがとても驚いているようだった。綾乃は少し心配になって、こう尋ねた。「じゃあ、愛莉ちゃんの親権は?」玲奈は失笑し、仕方ないといった様子でこう答えた。「お義姉さん、愛莉は私と一緒にいたくないんだって。だから親権は放棄するつもりなの」玲奈は母親だ。自分の子が要らないわけはないだろう?しかし、愛莉のことを思い出すと、心がぎゅっと締め付けられて苦しくなる。でも、もういい。意地を張らないことが最善なのだから。綾乃も同じ母親として、玲奈の辛さを自然と感じ取っていた。それに玲奈は愛莉のことをとても愛していることはここにいる誰もが分かっていた。そんな玲奈が自分から子供の親権を放棄するということは
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第9話
陽葵の手を引き病室を出たところで、ちょうどやって来た美由紀にぶつかってしまった。愛莉がアレルギーを起こし、玲奈が誕生日の食事の準備もしていなかったことで、美由紀は腸が煮えくり返っていたのだ。それで自分とぶつかったのは誰かも見らずにそのまま文句を口にした。「どこに目つけて歩いてるのよ、そんなに焦って歩かないでちょうだい」そう言い終わり顔を上げて、その相手をよくよく見てみると、それは玲奈だった。すると美由紀の腸はさらに大きく煮え返り、彼女に何か言おうと口を開こうとしたが、玲奈はそんな彼女の横をスッと通り過ぎ、陽葵を連れて去っていった。綾乃はその後から続き、軽く美由紀に会釈して、それを挨拶代わりにしておいた。美由紀はあまりの意外さに、その場に呆然と立ち尽くしてしまい、暫くしてからやっと玲奈を責めようと後ろを振り返ったのだが、その時には彼女たちは遠ざかってしまっていた。それを見て、美由紀は数歩前に進んだ。「玲奈、あんたまた子供のことをほったらかしかい?それでも母親だと言えるのか?」玲奈は後ろから自分を責める美由紀の声が聞こえたが、立ち止まることはなかった。もし、この玲奈が母親失格だという烙印を押されるのであれば、この世には合格できる母親など存在しないだろう。愛莉の面倒を見てきたあの数年間を思い出し、鼻のあたりがつんとなった。しかし、彼女がどんなに自分を犠牲にしても、あの新垣家はそれを見てはくれなかった。美由紀はまだ玲奈を罵っていたが、もう彼女には聞こえていないのを見て、病室へと入っていった。智也が愛莉を抱きしめているのを見て美由紀は不満をたらたらと述べた。「あなた、会社でまだ処理しないといけないことがあるって言ってなかった?どうして玲奈に子供の面倒を見させないのよ?」智也は愛莉を慰めながら横たわらせると、それに答えた。「愛莉がこんな状態だから、明日会社に戻って処理するよ」美由紀は買って来たフルーツをベッドサイドテーブルの上に置き、それを取り出しながら言った。「あんたもちゃんと玲奈のしつけをしなさいよ。子供の世話もしない、夕飯も準備しない、あの子反抗し始めたみたいね」智也は母親からりんごを受け取ると、洗って皮を剥きながら言った。「大丈夫、暫く放っておけば落ち着くだろう」彼は玲奈がきっと怒っているのだろうとしか思っ
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第10話
山田が二階の書斎にやって来た時、智也がデスクの上にある何かをめくっていた。足音が聞こえ、彼がふと顔を上げると、そこには山田がいて、尋ねた。「玲奈は?」山田は下の階を指さした。「若奥様は何かお急ぎの用で、焦って出ていかれました」智也は姿勢を正し、怒ったような様子だった。「出ていった?」彼は玲奈が言ったとおり、書斎にその協議書とやらを探しに来たが、そこには特に何もなかった。しかも、その彼女は何の説明もせず家を出て行ったのだから、怒って当然だろう。智也から怒りのオーラを感じ取り、山田はビクビクしながら尋ねた。「智也様は何かお探しで?」智也は言った。「玲奈からデスクの上に何かの協議書があると言われたんだが、おまえ、見なかったか?」山田は少し考えて、ハッとして言った。「ああ、思い出しました。若奥様から智也様にお預かりしているものがあったんです。私の部屋に置いていて忘れていました。今すぐお持ちします」智也は眉をひそめ、不機嫌そうにこう言った。「今後は書斎にあるものを動かすな」山田「はい」山田が下に探しに行った後、智也は腰かけようとした。その時携帯の呼び出し音が鳴りだした。美由紀から電話がかかってきたのだ。「智也、まだしつけ終わってないの?愛莉ちゃん、あなたに会いたいって言ってどうしても寝てくれないのよ」しつけ?智也は少し眉をひそめ、美由紀が何を言っているのかよく理解できなかったが、特に何も尋ねることなくただこう言った。「分かったよ、すぐに戻るから」一階で、山田は部屋の中を探していて、智也がすでに帰ってしまったことに気付かなかった。部屋中をひっくり返して探してみたが、あの協議書は見つからず、山田も思わずぶつくさと呟いた。「一体どこに置いたんだっけ?」……夜中、外は雨が降り始めた。車の中は暖房をつけちょうどよい温度だった。心晴は助手席にもたれかかり、手で顔を覆って絶えず嗚咽の声をあげていた。玲奈は心配そうに彼女を見つめていたが、何も尋ねなかった。そして少しすると、心晴が突然口を開いて話し始めた。「和真の奴、また浮気してた」この言葉を玲奈はもう何度も聞いたことがある。心晴と大崎和真(おおさき かずま)は8年の付き合いだ。大学から今に至るまで、二人は離れず一緒にいるが、結婚もできなかった。
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