LOGIN五年前、望月紗和(もちづき さわ)は妊娠七か月だった。 けれど、夫・御堂怜央(みどう れお)の特別な女である花宮莉乃(はなみや りの)に腹を蹴られ、お腹の子を失った。 さらに紗和を深く傷つけたのは、怜央の一言だった。 「莉乃もわざとやったわけじゃない。彼女を刑務所に行かせるわけにはいかない」 彼は紗和の意思を無視し、勝手に示談書に署名した。 それから五年。 海外留学から戻ってきた莉乃を前に、紗和が養子として育ててきた御堂晴翔(みどう はると)は、無邪気な顔で言い放った。 「ママ、きらい。いつも莉乃ママをいじめるんだもん」 その瞬間、紗和はようやく思い知った。 この家には、最初から自分の居場所などなかったのだと。 もう誰にも踏みにじられない。紗和は奪われたものを一つずつ取り戻し、8年ものあいだ捧げ続けた愛を、未練ごと断ち切った。 怜央と莉乃が破滅へ向かっていくのを見届けながら、紗和は密かに自分を守り続けてくれていた大物と籍を入れる。 やがて莉乃の本性が暴かれ、すべてを失った怜央は、紗和の前に膝をついた。 「紗和、全部俺が悪かった。お前を大切にしなかった。頼む、許してくれ。俺のところへ戻ってきてくれ」 けれど紗和は、静かに微笑むだけだった。 少しふくらみ始めたお腹に、そっと手を添えた。そこには、彼女を心から愛する人との新しい命が宿っていた。 そして彼女を愛する人は、いつだって彼女のそばにいた。 一度も、欠けることなく。
View More怜央が目を覚ますと、開いた傷口に激痛が走り、慌てて身体を起こした。すると、裸の莉乃が、同じく何も身につけていない自分の上に横たわっていた。頭はひどく重く、背中も激しく痛む。怜央はすぐにホテルを飛び出し、救急車を呼んで病院へ向かった。そして、開いた傷口を改めて縫合してもらった。処置を受けている間に、怜央は莉乃が自分に何をしたのか理解した。またしても莉乃に騙され、思いどおりにされたことを後悔した。今回ばかりは、莉乃も完全に一線を越えていた。怜央が最も嫌悪する手段を使ったのだ。その顔に、激しい怒りが浮かんだ。怜央はただ、莉乃に自殺してほしくなかっただけだった。それに、確実に国外へ送り出すつもりでもいた。まさか莉乃が、また自分を陥れるとは思ってもいなかった。怜央は銀行の担当者へ連絡し、莉乃が持っているカードをすべて停止させた。以前振り込んだ金も回収するよう求めたが、銀行からは、莉乃の口座には一円も残っていないと伝えられた。傷口の縫合が終わると、怜央は病室の看護師に、誰か見舞いに来なかったか尋ねた。千鶴子の側から問い合わせがあっただけだと聞き、ほっと息をつく。紗和は来ていなかったのだろう。怜央はそう思った。その後、本邸へ戻ると、庭へ入った途端、晴翔が駆け寄ってきた。大きな目で怜央を見つめ、尋ねる。「パパ、もうパパって呼んじゃいけないって言われた。本当なの?」怜央は息を吐いた。心の中では、莉乃を恨んでいた。子どもを産んでおきながら育てようともせず、自分が妻の座を奪うための道具にした。その結果、最も大きな犠牲を払うことになったのは、まだ幼い晴翔だった。怜央は答えず、晴翔の頭を撫でると、足早に中へ入った。屋敷へ入るなり、執事に尋ねる。「妻はどこだ?」「旦那様、奥様とご一緒にお食事中です」しばらくして、怜央もテーブルへ向かい、席についた。怪我のため酒は飲めず、茶を酒の代わりにして年長者たちへ挨拶をした。その後は壇上に立ち、親族や御堂家と親しい客たちへ、改めて支援への感謝を述べた。最後には珍しく、紗和にも感謝の言葉を口にした。これまで紗和は、自分のためにすべてを尽くし、見返りなど一切求めなかった。紗和の自分に対する気持ちは、痛いほどよく分かっている。
「知らない、知らない!みんなで私をいじめて、傷つけて……つらくてたまらないの!」莉乃は感情をぶつけるように、怜央を何度も叩き、爪を立てた。怜央は、莉乃には双極性障害があり、発作を起こすと理不尽に取り乱すこともあるのだと理解していた。そのとき突然、背中に傷口が裂けるような激痛が走った。莉乃はようやく手を止めた。「どうしたの?怜央くん、私、痛くしちゃった?」怜央は首を横に振った。少し落ち着いてから莉乃を送り出し、自分は病院へ戻って診てもらうつもりだった。だが莉乃は無理やり怜央のシャツを開いた。「傷口から血が出てる。かなりひどそうよ」怜央には自分で見えなかったため、鏡の前へ行って確かめた。確かに、莉乃が暴れたせいで傷口の一つが開いていた。莉乃は手に軟膏のチューブを持ち、顔を上げた。その目には、鋭い光がちらついていた。「痛い?さっき病院で傷に塗る薬を買ってきたの。先に塗ってあげようか?すぐ楽になるわ」怜央はその言葉を信じた。傷が開いたまま処置が遅れれば、感染する恐れもある。ひとまず外用薬を塗っておくのも悪くないと思った。莉乃が見せたチューブも、確かに外傷用の薬だったため、手当てを任せた。莉乃は怜央の背後へ回ると、手にしていた外傷薬を別のものへすり替えた。そして、あらかじめ用意していた、男性の身体を強く興奮させる薬を怜央の背中に塗り込んだ。血のにじむ傷口から、薬はすぐに吸収された。だが目の前に莉乃がいると、怜央は必死に衝動を抑え込んだ。冷水のシャワーを浴びて頭を冷やそうとしたものの、傷口を水に濡らすことはできず、ただ耐えるしかなかった。莉乃が見逃すはずもない。すぐに、あらかじめ用意していた媚薬入りのアロマキャンドルを、ベッド脇で焚いた。香りは室内全体へ広がるため、火をつけて間もなく、莉乃自身にも作用し始めた。身体が熱を持ち、焦りが募っていく。一方、怜央は薬が強すぎたせいか、そのまま意識を失った。莉乃は期待を裏切られ、激しい苛立ちを抱えた。だが怜央のスマホへ目を向けると、すぐに別の考えが浮かんだ。それに、身体の苦しさにも耐えられなかった。莉乃は怜央のそばで一人、衝動を紛らわせ始めた。そして、そのまま紗和へ電話をかけた。紗和が電話を切らないかぎり
紗和はスマホを手に取り、電話に出た。すると、受話口の向こうから、絡み合うような艶めかしい声が聞こえてきた。紗和は未成年の少女ではない。結婚して何年も経つのだから、それが何の音なのかくらい、すぐに分かった。莉乃はわざと怜央のスマホを使い、今この瞬間を聞かせているのだ。紗和に、はっきり聞かせるために。紗和は当然、相手は怜央なのだと思った。怜央と莉乃が深い関係にあることは、もう十分すぎるほど理解している。だが、頭では分かっているのと、実際に耳で聞かされるのとでは違った。その屈辱は、比べものにならないほど重かった。たとえもう怜央を愛していなくても、耐えられるものではなかった。莉乃の目的が、自分を傷つけることだけなのも分かっている。わざわざこの電話をかけてきたのも、そのためだ。ここで傷つけば、莉乃の思うつぼだ。そう分かっているのに、紗和の目からは涙が次々とこぼれ落ちた。堰を切ったように、止まらなかった。――2時間前。怜央は処置室から出てきたばかりだった。背中から腰にかけて白い包帯が巻かれている。最も長い傷は19針も縫っており、今回の怪我は決して軽くなかった。CT検査も受けたが、幸い骨や内臓には異常がなく、すべて外傷で済んでいた。執事も、多少は手加減していたのかもしれない。怜央がそう考えていたとき、病室の扉が開き、絵里香が入ってきた。「怜央、莉乃に対して、少しひどすぎると思わない?あの子だって被害者なのよ」絵里香は長年、こうした言葉を怜央に吹き込み続けてきた。怜央の母方で、同世代の親族として唯一近しい存在だったため、怜央もほかの兄弟姉妹より絵里香を大切にしていた。絵里香の言い分では、莉乃は怜央の妻になるつもりで、長年彼と付き合ってきた。それなのに、怜央が結婚した相手は莉乃ではなかった。大切な恋を奪われた莉乃こそ、この関係の被害者だというのだ。その一言で、莉乃が自ら御堂家の本邸へ乗り込み、騒ぎを起こした事実は消え去り、残るのは莉乃への同情だけになる。「莉乃は子どもまで奪われて、もう母親として会うこともできないのよ。それに皆の前で頬まで叩かれた。あなたもあの子の性格は知っているでしょう。プライドが高いんだから、あんな仕打ちに耐えられるはずがないわ」怜央も、莉乃
紗和は、別に知りたいとは思わなかった。自分はただ形だけ整えるために、食事を届けに来ただけだ。だが絵里香はすでに紗和のそばまで歩み寄り、得意げに答えを口にした。「紗和、怜央は莉乃を海外へ送るために出ていったのよ。今頃は空港にいるんじゃない?今から向かえば、別れのキスくらい見られるかもしれないわね」絵里香の声には、あからさまな嘲りがにじんでいた。その態度は、こう言っているようだった。自分が優位に立ったつもりでいるのかもしれない。後継者の地位を盾に、怜央に謝らせたつもりかもしれない。だが実際には、怜央は紗和の気持ちなど少しも気にしていない。ただ屈服しただけなのだ、と。絵里香は、紗和が終始何も気にしていないような顔で、妙に澄ましているのが何より気に入らなかった。御堂家の妻という地位を失えば、どれほど焦るかなど誰にでも分かる。だからこそ紗和は、何も言い返さず、宗一郎の判断に従ったのだ。莉乃と怜央に5年間も裏切られ、しかもその子どもを5年も育てさせられていたのに、それでも耐えた。絵里香は確信していた。紗和はただ平気なふりをしているだけだ。離婚すると口では言いながら、少し逃げ道を与えられれば、すぐに引き下がる。どこまでも惨めな女だと見下していた。だから今、紗和の澄ました態度を崩し、現実を突きつけてやりたかった。怜央は一度も紗和を大切にしたことなどない。愛したこともない。紗和は永遠に、最も惨めな立場の女なのだと。紗和は少し考えたあと、顔を上げた。そして淡々と、絵里香に細かく尋ねた。怜央が病院を出たのは何時頃なのか。どれくらい前に出ていったのか。どこへ向かったのか。本当に莉乃に会いに行ったのか。絵里香は嬉々として、話を大げさに膨らませた。怜央は背中の傷を処置したばかりなのに、鎮痛剤すら使わず、莉乃を見送りに駆けつけた。それほど莉乃を大切に思っているのだと、得意げに語った。すべて聞き終えると、紗和は一言だけ感想を述べた。「確かに、大切にしているのね」そう言って、背を向けて立ち去ろうとした。絵里香は、紗和が取り乱すどころか、涙すら見せないことに苛立ち、腕をつかんだ。「国際空港へ行くつもり?」「いや。私はもう帰るわ」紗和は答えた。「まだ食事をしていないなら、おばあ
reviews