「金城さん、はじめまして」佐々木俊介は右手を差し出し、金城琉生と握手をした。金城琉生は彼と握手をしながら言った。「佐々木部長のお名前、どこかで聞いたことがあるような」彼は佐々木俊介の名前に聞き覚えがあった。佐々木俊介はそれを聞いて、身に余る光栄に思った。「金城さん、私の名前をご存じなんですか?」まさか自分がビジネス界で名前を知られるほど有名になっているとは。今まで一度も会ったことのない金城家の御曹司ですら彼の名前を聞いたことがあると言っている。金城琉生は笑って言った。「なんとなく聞いたことがあるような気がして。たぶん誰かが佐々木部長の名前を出した時に耳に入ったんだと思います。以前、佐々木さんご本人にお会いしたことはありませんでしたが、今日こうやってお会いできましたね」佐々木俊介は急いで自分の名刺を取り出し、金城琉生に手渡して微笑み言った。「金城さん、こうやって知り合えたのも何かの縁でしょう。これは私の名刺です。よろしくお願いいたします」金城琉生は佐々木俊介の名刺を受け取り、それを見たあと名刺ケースに入れた。彼はずっとニコニコ笑っている成瀬莉奈を見て、この女性はかなりの美貌の持ち主だと思ったが、ただちらっと見ただけで、彼女から視線を外した。金城琉生の目には、内海唯花こそ、この世で一番素敵な女性なのだ。内海唯花以外の女性は彼はどうでもいい。彼らは金城琉生に席を勧め、一緒にお酒を飲みながらビジネスの話をし、会話が弾んだ。……佐々木唯月は子供用の粉ミルクとおむつを購入した後、ベビー用品店から出てきた。粉ミルクをベビーカーの上に載せると、いくつか買ったおむつの袋を置く場所がなかった。店員がおむつは五袋買ったら一袋おまけでついてくると言ったので、彼女は五袋購入したのだった。それプラス一つおまけだから、合計六袋もあった。ベビーカーは荷車ではないから、そんなに多くのおむつを載せるところなどなかった。仕方なく、佐々木唯月は再び佐々木俊介に電話をかけた。佐々木俊介は電話に出なかった。彼女は何度も電話をかけ、六回目でようやく佐々木俊介が電話に出た。「唯月、なんの用だ?俺が今忙しいってわからないのか?俺が今スーパーにでもいて、いつでも電話に出られるとでも思ってんのかよ。今後は何か大変な用事以外では俺に電話をかけ
「陽ちゃん」佐々木唯月はぶつかった衝撃で道に飛び出していった粉ミルクの缶は気にする暇もなく、急いで息子を抱きあげ、怪我がないかよく観察した。そしてひたすら息子に尋ねた。「陽ちゃん、どこか怪我した?どこが痛い?ママに教えて」「ママー」佐々木陽はただ泣くばかりで、両手を佐々木唯月の首にきつく回して放さなかった。彼は怪我はなく、ただ突然倒れて驚いているだけだった。「ドンッ!」そこへとても大きな音が響いた。佐々木唯月はその音がしたほうを見た。一台の車があの粉ミルクの缶にぶつかり、その衝撃で缶が飛んでまた下に落ちてきた。タイミングが良いのか悪いのか、その缶がまたその車のフロントガラスに落ちた。粉ミルク一缶は結構な重さがあり、一度空へ飛びあがって勢いをつけて落ちてきたのでフロントガラスが割れてヒビが入ってしまった。その車は急ブレーキをかけた。佐々木陽は突然のことに驚き泣き止むと、ぎゅっと母親の首をしっかりとつかみ放さなかった。佐々木唯月はその車が何なのか見てみたら、なんとポルシェだった!高級車!これって、まさか彼女に修理代を請求したりしないよね?以前、彼女の不注意でマイバッハを傷つけてしまったことがある。妹の夫がその車の持ち主と知り合いだったので、その縁のおかげで東隼翔は修理代の一部だけを請求し、彼女は大金を出さずに済んだ。もし今回また彼女に修理代を要求してきたら、本当にお金がない。佐々木唯月はかなり焦ってその車の持ち主が降りてくるのを見ていた。その背が高くガタイの良い大きな体にはどうも見覚えがある。あれは東さんじゃないか?どうしてまた彼?本当に偶然すぎる。東隼翔はフロントガラスを確認した。マジか、また修理しないと。そして地面に転がっている粉ミルクの缶を見て、道端に倒れている佐々木唯月のベビーカー、それから地面に散乱したおむつの袋や粉ミルクを見た。それで東隼翔は理解した。佐々木唯月だとわかった後、東隼翔は一生分の運はもうすでに使い果たしてしまったのかと思った。どうして毎度毎度、このふくよかな女性なんだ!彼は後ろを向いて車に乗った。佐々木唯月は彼が車を運転して去るのだと思い、ほっと胸をなでおろした。しかし彼は車をただ路肩に移動させただけだった。そして再び車から降り、あの粉ミルク
東隼翔は無言の佐々木唯月を見ていた。彼の親友である結城理仁が内海唯花と結婚したので、このふくよかな女性は親友の義姉にあたるから、東隼翔は佐々木唯月に修理代を請求するつもりはなかった。今回も彼女はわざとやったわけではない。彼にも車のスピードを出し過ぎた責任がある。佐々木唯月は彼に見つめられて、内心とても緊張していた。彼女は息子をきつく抱きしめ、口を開こうとした時、東隼翔のほうが先に口を開いて彼女に尋ねた。「こんなにたくさん買い物をして、旦那さんを呼んで来てもらったらどうですか?それか、あまり買い過ぎないようにするとか」「家からここまで買い物に来るのは少し遠いですから、一度にたくさん買って帰りたくて。夫には電話をしましたが、今忙しくて迎えに来る時間がないと言われたんです。だから、自分で持って帰るしかありません。さっき道にあるブロックに気づかず、それにぶつかってしまって、ベビーカーが倒れたんです。その時、粉ミルクが転がっちゃって、それが東さんの車にぶつかるとは思いもしなくて」佐々木唯月は小声で説明した。「子供が泣いてしまったので、先に抱っこしたんです。だから転がった物を拾う余裕がなかったんです。東さん、今回も本当にわざとではありません」それから少し黙ってから彼女は言った。「もし修理代をご請求されるのであれば、修理代の半分を負担するのでお願いできませんか?私もうっかりしてて、東さんもスピードを出していらっしゃったでしょう。それでこんなことになってしまったから、東さんにも責任はあると思うんです」東隼翔は心の中で不満を言っていた。この間は結城理仁が彼に電話してきたから、彼に免じて彼女には18万円の修理代の請求しかしなかった。実際は彼自身が出した金額は佐々木唯月よりも多く負担していたのだ。あの時、結城理仁は彼が内海唯花と結婚していると言わなかったから、もし言っていたら、彼は佐々木唯月に修理代を請求することはなかっただろう。東隼翔は手を伸ばしておむつの袋を持った。佐々木唯月は訳が分からず彼を見ていた。彼が全てのおむつの袋を車に載せてから、また戻ってきてベビーカーを押し彼女に言った。「車に乗ってください。あなた達二人を家まで送ります」このふくよかな女性の夫は彼女に対してあまりよくしてくれていないのだろう。妻が電話して手伝ってほし
佐々木唯月はそう言われてすぐに返事をした。彼女は本当にそのようには考えていなかった。第一に彼女は夢見る乙女な年齢をとっくに過ぎている。第二に彼女は結婚していて妻であり母親でもある。最後に彼女は今や結婚前のような美女ではなく、太っちょの醜い女だ。東隼翔は笑って言った。「では、修理代の件について話しましょうか」佐々木唯月はまた緊張してきた。彼女は今貯金はあまりない。今回彼の車の損傷はこの間よりも明らかに大きい。だから、修理代も以前よりかかるだろう。修理代を請求されれば彼女は破産してしまう。さらには佐々木俊介から彼女はする事なす事ろくでもないことばかりだと罵られるだろう。この間はベビーカーがうっかり車体を少し傷つけただけで、18万円も支払った。「どちらにお住みですか?」「久光崎です」「あそこは周りに学校が多い地区ですよね。あなた達は将来を見越して久光崎にマンションを購入したんですね」今久光崎で家を買おうと思っても、人気がある地区だからなかなか新しく家を買うことができないのだ。「夫が結婚する前に買った家なんです。今毎月ローンを返しているんですよ。東さん、今回修理代はおいくらお支払いすればいいでしょうか?その……私は別に責任逃れしようとか、弁償したくないとかそんなことを思っているわけじゃないんです。私は今専業主婦で、収入がなくて、貯金もあまり多くないんです。たぶん、修理代金を捻出するのが難しいかと。ですから、分割払いでもいいでしょうか?」佐々木唯月は探り探り尋ねた。「今、頑張って仕事を探しているんです。仕事が見つかってお金を稼げるようになったら、きちんと残りをお支払いしますので」東隼翔は車を運転しながら言った。「そんなに硬くならなくて大丈夫ですよ。今回は修理代は払ってもらわなくて結構です。この間修理代をもらったのは、今後あなたに注意してもらいたくて、教訓のためにああしたんです。お子さんがベビーカーに乗ってて、もし交通事故になったら、相手の車はどうなるかわかりませんが、ベビーカーのほうは弱いですから、お子さんが痛い目に遭うことになりますよ」佐々木唯月はもしそうであればどうなっていたか考え、血の気が引いてしまった。「修理代をいただいても、意味がないように思います。あれからまだ一か月ちょっとしか経っていませんよ。それな
佐々木唯月は彼を見つめた。東隼翔は彼女がまた変なことを考えているとわかった。この女性の警戒心は非常に強い。彼は説明した。「俺が言いたいのは、あなたの家に誰もいないなら、息子さんを一人で家に放置しないほうがいいということです。あなただけ下に荷物を降りて来るなんて少し危ないですよ」彼女の息子は見た感じ2、3歳くらいだ。この年齢の子供はまさにやんちゃでよく動き回る年頃で、何に対しても興味を持ち触っておもちゃにしてしまう。もし危険なもので遊んで何か起こってしまえば、後悔してももう遅い。「ありがとうございます、東さん、注意してくださって。今すぐ上にあがります」佐々木唯月はたくさんあるおむつの袋を持ち、東隼翔にお礼を言って、急いで上にあがっていった。心の中で東隼翔は威圧的で、顔には恐ろしい傷もあって見た目は良い人そうではないが、とても気配りができて優しい人だと思った。人は見た目によらないとはまさにこのことだ。東隼翔は佐々木唯月がいなくなってから車に戻り運転して去っていった。道の途中で彼は結城理仁に電話をかけた。理仁が電話に出ると、彼は言った。「理仁、俺の車、お前の奥さんの姉さんに恨みでもあるみたいだ。あのな、さっきまた彼女のせいでポルシェのフロントガラスが割れたんだぞ」「どういうことだ?お前、彼女にぶつかったのか?それとも彼女がまたお前の車にぶつけたのか?」義姉の話なら、結城理仁は多少は関心を持っている。義姉は彼にずっとよくしてくれていた。「そうじゃないんだ」東隼翔は事の経緯を親友に話した。話した後、彼は言った。「理仁、俺の車ってお前の義姉さんに恨みでも買ったんだろうか?俺、明日ディーラーに行って二百万ちょいの車でも買おうかな。今後自分で運転する時はその安い車で出かけよう。また彼女に出くわして高級車を壊されたら、たまったもんじゃないし」もう二度目だ。一度目はまだよかった。車体に少し傷が入っただけでそこまでひどくなかったから、修理代もそんなにかからなかった。しかし、今回は前回よりも状態がひどい。三度目は今回よりももっとひどい目に遭ってしまうかもしれない。結城理仁「……」彼はそれを聞いた時、どう言っていいのかわからなかった。本当に偶然すぎる。毎度毎度、彼の義姉なのだから。義姉が今結婚して
結城おばあさんに気に入られるくらいだから、内海唯花は何か魅力を持っているはずだ。結城理仁は少し黙ってから言った。「別に会ってもしかたないさ。目があって、鼻があって、口があるだけだ」「はははははは」東隼翔はケラケラ笑った。親友は内海唯花に会わせてくれるつもりがないらしい。九条悟のほうはもしかしたらもう会ったことがあり、内海唯花について詳しいかもしれない。九条悟は噂好きだし、ネットワークも広いのだから内海唯花の祖先まで知り尽くしている可能性もある。東隼翔はこの話題はそれ以上続けず、親友が忙しいのがわかっていて、電話を切ってしまった。時間が経つのはとても速い。あっという間に夜になった。結城理仁はロールスロイスに座り、眉間を押さえた。彼は少し疲れていた。おそらくここ数日、少しおかしくなっていたからだろう。一日で二日や三日分の仕事をこなしていたのだから、疲れないほうがおかしい。「若旦那様、今日も屋見沢のほうに戻られますか?」運転手は尋ねた。結城理仁は座席にもたれかかり、目を閉じてしばらく運転手に返事をしなかった。二分ほど経ってから、彼は低い声で言った。「トキワ・フラワーガーデンに送ってくれ」「かしこまりました」七瀬は主人の話を聞いて、ほっと胸をなでおろした。主人はようやく奥さんのもとに戻ってくれるようだ。これで彼らも安心して日々過ごすことできる。主人は彼らボディーガードに対して何か八つ当たりのようなことをするわけではなかったが、ここ数日明らかに不機嫌そうで、ボディーガードたちは気を引き締め緊張状態が続いていたのだ。何か小さなヘマをしたらクビにされてしまう。結城理仁は会社から家に帰るのではなく、接待を終えてから帰っているので、家に帰る道のりはいつもより遠かった。それで二十分ほどかかって、ようやくトキワ・フラワーガーデンに到着した。結城理仁が玄関のドアを開けて部屋へと入った時、中は真っ暗だった。内海唯花はまだ帰ってきていないのだろうか?彼は部屋の電気をつけた後、時間を見てみると十一時だった。あのお嬢さんはもうすぐ帰って来るだろう。幸い彼があがってくるのが早かったので、ロールスロイスから降りる所を見られて正体がばれるようなことにならずに済んだ。二、三日ここには帰っていなかった。結城理
結城理仁はまたあの鶴を手に取り、妻の話を聞いた。「あなたが持ってるその鶴は神崎さんにあげたのより一回り大きいのよ。もっときっちり作ったんだから、どう?きれいでしょう?」自分のが神崎姫華が持っているものよりも大きいと聞いて、結城理仁はわけもわからず嬉しくなった。しかしそれを表情には出さず、淡々とうんと一言答えた。「きれいだ」内海唯花は笑って「あなたが気に入ってくれたならそれでいいわ」と言った。彼女は車の鍵をロ―テーブルの上に置くと、キッチンのほうへと歩いて行った。「ちょっと夜食を作るけど、あなたも食べる?」と彼に尋ねたが、理仁の返事を待たずに独り言をつぶやいた。「あ、忘れてた。あなたって夜食は太るから食べないんだった」結城理仁は彼女が勝手に判断してそう言ったので、もう何も言えなかった。しかし、結局彼はお腹は空いていなかった。内海唯花はキッチンでまたうどんを作っていた。結城理仁は暫くそこに立っていて、キッチンの入り口へと歩いて行った。キッチンの中には入らず、その入り口に立ち止り、内海唯花がネギとミツバを洗っているのを見ていた。彼女はうどんを作る時にこの二種類の薬味を入れるのが好きだった。そして、たまごと焼いた餅も入れた。彼女は以前、焼き餅を入れると歯ごたえがよくなってもっと美味しいと言っていた。「プルプルプル……」内海唯花の携帯が鳴った。彼女はうどんを作る手を止め、ぶつくさと言った。「こんな遅くに一体誰が電話かけてきたのよ」彼女が携帯に表示されているのが金城琉生であるのを見た時、眉間にしわを寄せた。しかし、やはり金城琉生からの電話に出て、結城理仁は彼女が「琉生君、どうしたの?」と尋ねるのを聞いた。金城琉生め、また電話かけてきやがった!結城坊ちゃんはすぐにウサギのように、ぴんと聞き耳を立てた。「唯花姉さん、唯月さんの旦那さんって佐々木俊介って言いますか?」金城琉生は家に帰った後、聞いたことがあるような気がしていた佐々木俊介という名前をどこで聞いたのか思い出したのだ。内海唯花の義兄の名前が確かこの名前だった気がしたのだ。それで彼はすぐに内海唯花に電話をして確かめようと思った。もちろん、彼には内海唯花から感謝されたいという下心があった。「ええ、義兄さんの名前は佐々木俊介って名前だけど、どうしたの?彼と知り
九条悟はすぐにそれが金城琉生だと当てた。今夜、金城琉生はホテルのビジネスパーティーに参加していたのだ。彼は金城グループでは、まだまだただの社員に過ぎないが、会社の継承者に内定している。金城家の御曹司という身分だから、パーティーではまるで水を得た魚のように、周りの人間からチヤホヤされ、ご機嫌取りをされていた。結城理仁は何も言わず、それを黙認したと同然だった。「だったら、証拠を今すぐ君に持って行ってあげようか?今トキワ・フラワーガーデンにいるのか?」彼は親友が社長夫人の人柄を探るために、自分の正体を隠して結婚し、わざわざトキワ・フラワーガーデンに家を買ったのを知っていた。「いや、いい。明日俺にくれ。今日はもう遅い、早めに休んでくれ。俺も風呂に入って寝る」九条悟はずっと結城理仁と内海唯花のことを見てきたが、結城理仁は九条悟に多くのことを話したくなかったので、すぐに電話を切ってしまった。九条悟はぶつくさと言った。「今夜寝られるか?ライバルに手柄を横取りされようとしてるってのに」結城理仁が寝られるかどうか、それは彼自身だけが知っている。内海唯花は金城琉生の話を聞いた後、全く驚いた様子はなく、腹を立てていた。「琉生君、教えてくれてありがとう」内海唯花は腹を立てていたが、すぐには爆発させず、金城琉生にお礼をしてまた尋ねた。「彼らの写真はある?」証拠が必要だ。それがあれば金城琉生が出会ったのが佐々木俊介というゲス男であると証明できる。「写真はないんです。パーティーで彼の名前をどこかで聞いたことがあるような気はしたんだけど、すぐには彼の名前をどこで聞いたのか思い出せなくて。家に帰った後にようやく唯花姉さんのお義兄さんがそんな名前だったなって思い出したんです。だから、電話して確かめようと思って。唯花姉さん、お姉さんに夫の浮気の証拠をこっそりと集めるように伝えてください。あの男が財産を他の誰かに渡してしまわないように」「ええ、そうするわ、ありがとう」金城琉生は笑って言った。「唯花姉さん、ただ教えただけですから、お礼なんていりませんよ。じゃあ、お休みのところお邪魔してすみません。唯花姉さん、おやすみなさい。明日の朝、明凛姉さんが好きな朝食を持って行きますから、唯花さんも一緒に食べてください」金城琉生はよく従姉の好きな食べ物や飲み物
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら