……西郊外にある山荘へと行く途中、内海唯花は明凛に電話をかけた。「明凛、今日はおばあさんを気晴らしのために外へ連れて行くから、お店に行けないのよ。お店のことはあなたに任せるわ」牧野明凛は笑って言った。「大丈夫よ。あなたはできるだけおばあさんと一緒にいて、発散させてあげてちょうだい。店には私がいるから、いつもと同じよ」どのみち明日は週末だ。彼女たちは週末になると、ふつうお店を開けない。店を開けても、内海唯花が店の中で自分のハンドメイド商品を作るくらいだ。通話を終えてから、牧野明凛は独り言をつぶやいた。「唯花の結婚生活はだんだんイイ感じになってきたわね」「明凛姉さん」聞きなれた声が響いた。それを聞いて牧野明凛は顔色を険しくさせた。金城琉生が向かって来るのを見て、やれやれといった様子で彼を批判した。「琉生、私はこの前あんたに言ったでしょ。全然わかってないの?今後はこの店には来るなって伝えたはずよ。あんたと唯花はそういう関係には絶対なれないんだから!」数日間会ってないだけで、金城琉生は少しやつれたようだった。目の周りにはくまができ、ひげも伸びていた。この時の彼は22歳という若者には見えなかった。このような従弟の様子に、牧野明凛は心を痛めた。愛というものは容赦なく人を傷つけるものなのだ。金城琉生が内海唯花に長い間片思いしていたのだから、すぐにあきらめろと言われてもそれはとても難しい話なのだ。「明凛姉さん」金城琉生は悲痛な叫びを漏らした。「自分に言い聞かせてみたけど、数日経っても無理だった。毎日すごく辛いんだ。少しでも時間があると唯花姉さんのことばかり考えてしまうんだ。本当に、本当に彼女のことが好きなんだよ。俺はあきらめきれない。姉さん、どうしたらいい?どうにかしてくれないか?」金城琉生は牧野明凛の両肩をがっしりと掴み、懇願した。「姉さん、俺は従弟だろ。姉さん以外に頼れる人はいないんだよ」牧野明凛は自分の両肩に置かれたその手を払いのけて、厳しい顔をして言った。「琉生、また何度も言わせる気?唯花はもう結婚しているの。彼女には夫がいるのよ。あんたが彼女のことを愛していたって、この事実は変えられないの。だから、自分の気持ちに区切りをつけなさい。彼女はあなたには相応しくないわ。あの子があんたを好きになることなんて絶対ないん
金城家は彼女のおばの夫の実家である。牧野明凛は小さい頃からおばが金城家でどれだけ苦労してきたのかを見続けてきた。彼ら牧野家は政府の土地計画によって得たお金からのし上がっていった家で、多くの賃貸の家や店を持っている。その資産は二十億に近かったが、おばが名家に嫁入りするのはとても大変だった。おばですらそうなのに、内海唯花は言うまでもないだろう。牧野明凛は決して内海唯花を貶しているわけではない。彼女はただ本当のことを言っているだけだ。「唯花さん……」「唯花なら旦那さんとデートしに行ったわ」金城琉生はそれを聞いて、顔色が一瞬にして青ざめた。そしてすぐに、彼は店の中に内海唯花の姿を探した。牧野明凛は彼の好きなように店の中を隅々まで探させてやった。金城琉生は内海唯花の姿が見当たらず、従姉が言った内海唯花は店にいないという言葉を信じた。彼は完全に生気を失った様子で去って行った。牧野明凛はため息をついた。彼女は金城琉生が早くあきらめをつけて、立ち直るを望んでいた。愛というもののために何か間違ったバカな真似はしないように願った。彼女は今、従弟である金城琉生と親友である内海唯花に挟まれた形で、非常に身動きがとりにくかった。従弟が唯花を深く愛していることに心を痛め、また全力で親友を応援したいと思っていた。従弟には親友の結婚生活の邪魔をさせるわけにはいかない。一方、西郊外の山荘では。結城理仁とおばあさんは結城家の老婦人と現当主という身分ではここにやって来ず、彼は他の一般人と同じように、駐車場に車を止めて、みんなを連れて入場のチケットを買いに行った。そう、この避暑地としても使われている山荘はテーマパークのように営業という形をとっていて、中に入るには入場券を買わなくてはいけないのだった。チケットを購入し、彼はそれを内海唯花に手渡した。そして彼女から陽を抱き上げた。「俺が陽君を抱っこしてあげよう」内海唯花が疲れないように。「陽ちゃんのベビーカーを車から降ろして、そこに座らせたらいいわ。ベビーカーを押しながら歩いたほうが、楽だから」結城理仁はすぐに車の鍵を清水に渡し、清水は車から陽のベビーカーを降ろした。入場口に入り、一行は中へと入っていった。そこに入ると、内海唯花はそこの美しさに釘付けになって、歩きながら言った。
内海唯花は携帯をポケットに入れ、自然と結城理仁の手を繋いで引っ張って行った。これは絶好のチャンスじゃないか。結城理仁はすぐに内海唯花の手をしっかりと握り返し、彼が彼女を引っ張る形にした。歩きながら、彼は彼女と二人、十本の指を絡め合った。うん、妻の小さな手を引いて歩くのはとても良いじゃないか!結城理仁は今まで恋愛経験がなく、傲慢な態度を取るのが好きな男である。妻の手を繋ぐことに成功した彼は、心の中にはまるでハチミツのような甘さが広がった。内海唯花は彼が彼女の手をぎゅっと握りしめてきて、絡め合った二人の十本の手を見つめた。彼のほうからこのように指を絡めてきたのだ。こっそりと結城理仁をちらちら見てみると、彼はやはりあの傲慢で冷たい様子だった。彼女は心の中で文句を言った。わざと知らん顔をして、うれしいくせに!それで、彼女は親指で彼の手のひらに何かを書いた。彼が彼女のほうを見た時、彼女も厳しい顔つきで前方を見つめていた。知らん顔して相手をからかうくらい、彼女だって負けはしないよ。結城理仁の口角が上がった。彼は内海唯花のこの性格が好きだ。恥ずかしがらずに、したいことはしたいようにする。「君のお姉さんのことが解決して、時間ができたら、またここに君を連れてくるよ。数日ここに泊まろう」彼は遠くに見える木造の建物を指さした。「あの山荘に泊まるんだ。なかなか良いと思うよ」「約束よ」「俺がいつ君に嘘をついたことがある?」内海唯花は笑った。「あなたが私に嘘をついたとしても、あなたは絶対に認めないでしょ。これじゃ私だってどうしようもないわ」結城理仁は突然何も話さなくなった。なぜなら、彼は本当に彼女に嘘をついているからだ。しかも、とても大きな嘘を。彼が突然黙ってしまい、内海唯花は首を傾げて彼を見て笑った。「まさか本当に私に嘘をついてるんじゃないでしょうね?」結城理仁はその瞬間、どのように返事をすればいいのかわからなかった。その時ちょうど内海唯花の携帯が鳴ったので、とりあえず逃れることができて彼はホッと胸をなでおろした。内海唯花に電話をしてきたのは神崎姫華だった。「唯花、今日お店にいないの?」神崎姫華はお店に行ったのだが、内海唯花の姿がなかったので、彼女に電話をかけてきたのだった。「うん、今日は遊び
内海唯花は神崎姫華が今まで結城社長のことを好きだったので、神崎姫華を悲しませないように、あまり多く言わず、すぐ話題を変えた。二人はおしゃべりをしているうちに、神崎姫華は今やっていることを思い出し、言った。「兄さんがね、私が暇な時に結城社長のことを思い出して悲しむんじゃないかって心配して、私にあることを頼んできたの。私の叔母さんを探しなさいって」「叔母さん?」内海唯花は神崎家の事情にはあまり詳しくなかった。知っているのは神崎家が結城家に次ぐ名家だということだけだ。唯花が神崎家で唯一知っているのは神崎姫華だった。「そういえば、唯花、あなた達姉妹が経験したことは、うちの母の昔にとても似ているわ。うちのおばあさんとおじいさんも早く亡くなって、親戚たちは誰も母とその妹を引き受けたがらなかったせいで、母さん達は保護施設に入るしかなかったの。そこで暫く過ごして、母の妹、つまり私の叔母さんはね、まだ小さくて、かわいかったから、結婚してから間もなく子供に恵まれなかったお金持ちの夫婦に選ばれて、養子になったんだ。母はずっと施設にいたんだけど、妹のことを忘れたことがなかったの。大きくなって、一人前になってから、ずっと妹のことを探していたけど、当時は今みたいにネットなんかなかったでしょ。ネットで人探しの情報をアップして、その人が簡単に見つかるような時代じゃなかったから、なかなか成果がなかったの。今までずっと何も手掛かり一つなかったんだけど、ついこの間、叔母さんを引き取ってくれた夫婦が見つかったわ。これで叔母さんを見つけたと思って、私たちはとっても喜んでいたの。でも、母に付き添ってその夫婦のところに叔母さんの行方を尋ねに行ったところ、相手が知らないって答えたんだ」話を聞いた内海唯花も緊張してきた。「どうして知らないの?そのご夫婦が叔母さんを引き取ってくれたんじゃない。もしかして、あなたのお母様に会わせたくないから、わざと嘘をついたとか?」「違うの」神崎姫華は怒った様子で言った。「あの人達、叔母さんを引き取って一年後、自分の子供が生まれたから、叔母さんのことをどんどん気にいらなくなって、殴ったり怒鳴ったりしただけじゃなく、叔母さんが大きくなったら、実の子供と財産で争うことを心配して、夫婦は相談し、別の子供がいない夫婦に叔母さんを譲ったのよ」内海唯花も
「母さんは叔母さんと離れたとき、二人で一緒に写真をとって、ぞれぞれその写真を持っていたんだ。大きくなったら、これを手掛かりとして、いつかまた会えると思ってたけど、叔母さんの持ってた写真は最初の里親に燃やされちゃったの。母さんの写真はまだ残っているけど、もう数十年経ったんだよ。どう気を使って大事に保存していても、やっぱり黄ばんでいて、はっきり見えないわ。兄さんはもうその写真をネットにアップしたけど、全く手がかりがなかったの。もし、叔母さんに子供がいて、その子が叔母さんに似ていたら、うちの母さんが見て気づく可能性もあるけど、そうじゃなかったら、たぶん叔母さんを見つけるのは難しいと思うわ」今はその方法しかないのだ。しかし、このままだと、どう考えても不可能に近い。「頑張ればなんとかなるよ。姫華、絶対見つかるわ、諦めないで」内海唯花は今、神崎姫華を応援することしかできない。神崎家はお金と権力を持っているが、何年かけても彼女の叔母を見つけることができなかった。唯花は何の権力もない一般人で、どうしようもできないのだ。「早く叔母さんが見つかるといいな。そしたら、母さんに会わせて、元気になると思うの。唯花、もし知り合いに養子だという人がいるなら、教えてね。どんな可能性も見逃したくないの」内海唯花は突然自分の母親を思い出した。彼女は試しに神崎姫華に聞いてみた。「叔母さんは今年いくつになる?」「54歳ね。母さんはもう叔母さんと五十年以上も会っていないの」暫く沈黙すると、内海唯花は口を開いた。「私の母がもし生きていたら、ちょうど今年54歳になるわ。母もおじいさんとおばあさんの子供じゃないの、どっかで拾ってそのまま引き取ったようで。母には私とお姉さんしか子供がいないわ。姫華も会ったよね」養子になる人は意外と多い。内海唯花は母親が神崎姫華の叔母だとは簡単に思わなかった。それに、神崎姫華は唯花姉妹に会ったこともあるし、姉の唯月が特に母に似ている。神崎姫華が唯月に会ってどうも思わなかったから、その可能性がないと思った。神崎姫華は内海姉妹の両親は十五年前の交通事故で亡くなったことを知っていた。自分の叔母はそんなに短命ではないだろうと思って、その可能性も頭から排除した。「唯花、お母さん以外に、養子になった知り合いが誰かいる?」「実家の田舎だと
神崎姫華は感激して言った。「唯花、ありがとう。もしおばさんを見つけたら、あなたは神崎家の一番の恩人になるわ。そのときちゃんとした礼をさせてもらうから」「私たちは友達でしょ、そんなに遠慮しないで。ただ母のことを思い出したの。もし母がまだ生きているなら、私も姉も絶対、精一杯母のために家族を探してあげると思ったから」母親がなくなってもう十数年経った。内海唯花は母親のことをあまり覚えていなかったが、幸い姉の唯月が母親に似ているので、彼女を見ると、母親のことを思い出せる。「じゃ、唯花、これ以上は家族団らんの邪魔するのはさすがに申し訳ないわ。楽しんでね。いつか正式に結婚式を挙げるなら、きっと教えてね。ブライドメイドしたいから」内海唯花にからかうように一言を残して、彼女は電話を切った。「また神崎さん?」結城理仁は何食わぬ顔をして尋ねた。「うん、もともと私たちに合流しようと思ったらしいけど、私は結城さんと一緒にいるって聞いて、来ないことにしたって」結城理仁は心の中で冷たく彼女に小言を言った。「やっと気の利いたことをしてくれたな」「神崎さんは本当にいい人だよ。お宅の社長さんは……」結城社長がもう指輪をつけていたのを思い出して、内海唯花はため息をついた。「人と人との縁って、本当に残酷だね」「何を話した?さっきお義母さんの事とか言ってなかった?」結城理仁は話題を変えた。彼自身の噂ばかり聞きたくないのだ。内海唯花は彼と肩を並べ、手を繋いで話した。「姫華は今、彼女の叔母さんを探すのに専念してるんですって。こうすれば、結城社長のことばかりを考えなくて済むからって。まさか神崎夫人も施設で育てられたなんてね。彼女の妹は誰かに引き取られて、また何回も他のところにたらい回しにされちゃったから、今になっても二人は再会できないみたい。お母さんもおじいさんとおばあさんの養子だったのよ。でも、本当の家族は全く母のことを探さなかったんだ。それに、小さい頃のこともあまり記憶になかった。覚えていたのは前の里親はよく彼女を虐待してきたから、我慢できず逃げてきたって。その時、お母さんはまだ7、8歳くらいだった。何もできなくてお腹が空きすぎて、道端で倒れてたところを、おじいさんとおばあさんに拾ってもらったんだ。それからようやく穏やかな生活ができたって。その後、お
「もちろんよ。絶対裁判で両親の家を取り戻すわ!」「そんなに自信があるなら、もう落ち込んだ顔なんかしないで。今日は遊びに来たんだ。だから、ちゃんと笑うんだよ。以前のまだ解決できていないことは、帰ったら一つずつ解決したらいい。いつか全部片付くから」彼は内海唯花を胸にきつく抱きしめて、優しい声で言った。「それに、俺がいるだろう。何かあっても、ちゃんと君を支えているから」内海唯花は彼の懐から逃れようとはしなかった。静かに彼に抱きしめられて、暫くしてからようやく離れた。この時、顔はほんのり赤く染まっていた「こんなに人がいるのに」結城理仁は何食わぬ顔をしてまた彼女の手を取り、そのまま前に歩き出した。「俺たち夫婦だろう。愛人が逢引してるわけじゃないんだから、人が多くいても問題ないだろう」内海唯花「……」「どうりでお姉ちゃんがいつも結城さんに優しくしなさいってうるさく言うわけね」彼はとっくに行動で唯月から認められているのだ。二人はスピード婚し、一緒に生活し始めてから、内海唯花はこの男には欠点があるのを知っていた。しかし、その欠点より、美点の方が多かった。それに、欠点がない人なんてこの世のどこにいる?内海唯花自身にもそれはたくさんある。きちんとした重要な場面では、結城理仁は佐々木俊介のクズ男より何万倍ちゃんとしている。内海唯花のただでさえ落ち着くことのできない心が、結城理仁のせいで、またドキドキしてきた。彼女は絶対にチャンスをうかがい、こっそり彼の契約書を取って燃そうと思った。そうしたら、彼女は何の恐れもなく彼をからかうことができるのだ。もし、いつか二人の心が一つになり、彼と本当の夫婦になったら、彼はあの半年の契約のことなど口に出さなくなるだろう。顔を傾けて、彼のいつもムスッとしているような顔を見つめた。内海唯花は密かにため息をついた。やはりもっと度胸をつけよう。じゃないと、彼の服を剥ぎ取っても、その氷山のような冷たい顔を目の前にしたら、どれほど熱い衝動もすぐ消えるだろう。「なら、もっと俺に優しくしてくれよ」「まだ足りないの?」結城理仁は口元を引き締め、また黙った。二人はお互いに助け合ってきたのだ。内海唯花は一方的に他人に助けられてばかりということをよしとするタイプではない。彼が彼女を少し助けてくれたら、彼女
内海唯花もそれがわからないほど馬鹿じゃない。おばあさんと清水が先に行ってしまったのは夫婦に二人きりの時間を作るためだ。せっかく今日の結城理仁は、その誰もを凍らせるような冷たい雰囲気を纏わっていないので、内海唯花はこの珍しいデートを楽しむことにした。お互いの手を繋ぎながら日本風庭園を散歩した。内海唯花はこういう昔の雰囲気の建物が特に好きだった。「結城さん」「何」結城理仁の意識は周りの景色に向いていなかった。常にチラチラと隣にいる女性を覗いていた。内海唯花の呼び声を聞き、彼は何でもないような顔で足を止め、彼女の方に視線を向けた。その様子はまるでさっきからずっと目の前の風景しか見ておらず、一回も内海唯花を見ていなかったようだった。「結城グループで働いているなら、傘下にあるビジネスには何があるかわかるでしょ?こういう場所に、結城社長はいくつ投資してるの?」結城理仁は少し考えてから答えた。「うちは各大都市に支店を持っていて、さまざまな業種に投資しているけど、このようなリゾートみたいな山荘は二軒しか投資していないんだ。適した場所がそんなに多くないからな。素晴らしいリゾートを建てるために、それだけの資金が必要なんだ。ここはうちの会社が単独投資で経営していて、柏浜にあるリゾートはそこの富豪と合資して建てたものだ。距離が結構遠いから、管理は相手に任せて、うちは少し株を持つだけだね」内海唯花は視線を遠くへと向けた。リゾート全体はおろか、この日本風庭園だけでも、彼女はその全体を隈なく見渡すことはできなかった。結城理仁は今日は適当に見て回るだけで、じっくり観光するのは無理だと言っていた。確かになんと広いのだろう。「おたくの社長様はさすが星城のトップ大富豪なのね。本当にお金持ちだわ、どこへ行っても結城家のビジネスばかりじゃない」結城理仁は何も言わなかった。結城家は何代にもわたって星城でビジネスをやっていた。その富は代々の人々によって少しずつ貯められてきたのだ。それに、結城家になんでも際限なく贅沢するようなドラ息子がいなかったため、その富がますます増えていった。具体的にどのくらいあるのか、結城理仁にもわからない。とりあえず二兆はあるだろう。内海唯花は何の前振りもなく、彼の肩を叩いた。彼は不思議そうに彼女を見つめた。「結城さ
姉と佐々木俊介が出会ってから、恋愛し、結婚、そして離婚して関係を終わらせ、危うくものすごい修羅場になるところまで行ったのを見てきて、唯花は誰かに頼るより、自分に頼るほうが良いと思うようになっていた。だから、配偶者であっても、完全に頼り切ってしまうわけにはいかない。なぜなら、その配偶者もまた別の人間の配偶者に変わってしまうかもしれないのだからだ。「つまり俺は心が狭い野郎だと?」理仁の声はとても低く重々しかった。まるで真冬の空気のように凍った冷たさが感じられた。彼は今彼女のことを大切に思っているからこそ、彼女のありとあらゆる事情を知っておきたいのだ。それなのに、彼女は自分から彼に教えることもなく、彼の心が狭いとまで言ってきた。ただ小さなことですぐに怒るとまで言われてしまったのだ。これは小さな事なのか?隼翔のように細かいところまで気が回らないような奴でさえも知っている事なのだぞ。しかも、そんな彼が教えてくれるまで理仁はこの件について知らなかったのだ。隼翔が理仁に教えておらず、彼も聞かなかったら、彼女はきっと永遠に教えてくれなかったことだろう。彼は彼女のことを本気で心配しているというのに、彼女のほうはそれを喜ぶこともなく、逆に彼に言っても意味はないと思っている。なぜなら、彼は今彼女の傍にいないからだ。「私はただ、あなたって怒りっぽいと思うの。いっつもあなた中心に物事を考えるし。少しでも他人があなたの意にそぐわないことをしたら、すぐに怒るでしょ」彼には多くの良いところがあるが、同じように欠点もたくさんあるのだった。人というものは完璧な存在ではない。だから唯花だって彼に対して満点、パーフェクトを望んではいない。彼女自身だってたくさん欠点があるのは、それは彼らが普通の人間だからだ。彼女が彼の欠点を指摘したら、改められる部分は改めればいい。それができない場合は彼らはお互いに衝突し合って、最終的に彼女が我慢するのを覚えるか、欠点を見ないようにして彼に対して大袈裟に反応しないようにするしかない。すると、理仁は電話を切ってしまった。唯花「……電話を切るなんて、これってもっと腹を立てたってこと?」彼女は携帯をベッドに放り投げ、少し腹が立ってきた。そしてぶつぶつと独り言を呟いた。「はっきり言ったでしょ、なんでまだ怒るのよ。怒りたいな
「理仁、彼女がお前に教えなかったのは、きっと心配をかけたくなかったからだ」隼翔は自分のせいで彼を誤解させてしまったと思い、急いでこう説明した。しかし、理仁は電話を切ってしまった。隼翔「……しまった。もしあの夫婦が喧嘩になったら、どうやって仲裁しようか」結城理仁という人間は誰かを好きになったら、その相手には自分のことを一番大事に思ってもらいたいという究極のわがままなのだ。彼のように相手を拘束するような考え方は、時に相手に対して彼がとても気にかけてくれていると感じさせもするし、時に相手に窮屈で息苦しさを感じさせるものだ。致命的なことに、理仁は自分が間違っているとは絶対に思わない。彼が唯花にしているように、彼が彼女を愛したら何をするのも唯花を助けたいと思っている。しかし、唯花は非常に自立した女性だから、いちいち何でもかんでも彼に伝えて助けてもらおうとは考えていない。しかし、彼は唯花がそうするのは理仁のことを信用しておらず、家族として認めてくれていないと勘違いしてしまっているのだった。隼翔はまた理仁に電話をかけたが、通話中の通知しか返ってこなかった。「まさかこんな夜遅くに内海さんに電話をかけて詰問を始めたんじゃないだろうな」隼翔は頭を悩ませてしまった。彼もただ二言三言を言っただけなのに、どうしてこんなおおごとになったのだ?悟は普段あんなにおしゃべりだというのに、一度もこんな面倒なことになっていないじゃないか。理仁はこの時、本当に唯花に電話をかけていた。夫婦はさっき電話を終わらせたばかりだから、理仁は彼女がまだ寝ていないと思い、我慢できずに電話をかけてしまったのだ。確かにこの時、唯花はまだ寝ていなかった。携帯が鳴ったので、布団の中から手を伸ばし携帯を取ってからまたすぐ布団の中に潜り込んだ。寒い。少しの間暖房をつけていたが、すごく乾燥するから彼女は嫌で切ってしまったのだ。理仁の部屋には湯たんぽはない。理仁という天然の暖房は出張していていないから、彼女は布団にくるまって暖を取るしかなかった。携帯を見るとまた理仁からの電話だった。彼女は電話に出た。「どうしたの?もう寝るところよ」「今日何があったんだ?」理仁のこの時の声は低く沈んでいた。唯花は彼と暫く時間を一緒に過ごしてきて、彼の声の様子が変わったのに気
彼女とは反対に、彼のほうはどんどん彼女の魅力にやられて、深みにはまっていっている。「プルプルプル……」そして、理仁の携帯がまた鳴った。彼は唯花がかけてきたのだと思ったが、携帯を見てみるとそれは東隼翔からだった。「隼翔か」理仁は黒い椅子の背もたれに寄りかかり、淡々と尋ねた。「こんな夜遅くに俺に電話かけてきて、何か用か?」「ちょっと大事なことをお前に話したくてな。お前のあのスピード結婚した相手に伯母がいることを知っているか?それは神崎夫人みたいだぞ。彼女がずっと捜し続けていた妹さんというのは、お前の奥さんの母親だったんだ」隼翔は悟のように噂話に敏感ではない。人の不幸を隣で見物して楽しむようなタイプではないのだ。しかし、彼はこのことを親友にひとこと伝えなければと思った。「神崎グループとお前たち結城グループはずっと不仲だろう。神崎玲凰とお前が一緒にいることなんてまず有り得ないだろうからな。お前たちの関係はギスギスしててさ……そう言えば」隼翔はようやく何かに気づいたように言った。「お前があの日、神崎玲凰を誘って一緒に食事したのは、お前の結婚相手が神崎夫人の姪だと知っていたからなのか?だから、早めにあいつとの関係を良くしておこうと?」理仁は親友に見透かされて、恥ずかしさから苛立ちが込み上げてきた。彼らは電話越しで距離があったから、隼翔は理仁が当惑のあまりイラついていることに気づかなかった。「あの日は気分が良かったし、神崎玲凰が珍しく顧客を連れてスカイロイヤルに食事に来たもんだから、俺は寛大にもあいつらに奢ってやっただけだ。ただうちのスカイロイヤルは噂に違わず最高のホテルだと教えてやろうと思っただけだ。俺は別に神や仏じゃないんだから、どうやって先に神崎夫人が捜していた妹が俺の義母だなんてわかるんだ?俺もさっき妻に聞いて知ったばかりだぞ」まあ、これも事実ではある。しかし、彼は予感はしていた。神崎夫人の妹が彼の早くに亡くなってしまった義母だと。だからあの日、神崎玲凰に出くわしたから、彼は太っ腹に彼ら一行にご馳走したわけだ。「知ってるなら、どうするつもりだ?」隼翔は彼を気にして尋ねた。「神崎グループとはわだかまりを解消するのか?」「唯花さんと神崎夫人が伯母と姪の関係でも、俺ら結城グループの戦略変更はしないさ。強
唯花は彼の電話に出た。「俺は湯たんぽなんかじゃないぞ!」唯花が電話に出たと思ったら、彼はいきなり不機嫌そうな声で呼び方を訂正してきた。唯花は笑った。「だって今寒いんだもの。だからあなたを思い出したの。あなたって湯たんぽなんかよりずっと温かいから」理仁はさらに不機嫌な声をして言った。「寒く感じなかったら、俺のことを思い出しもしないと?」唯花は正直に認めた。「寒くなかったら、たぶん、こてんと寝ちゃうでしょうね。あ、あとあなたに『おやすみ』のスタンプも送ってあげるわよ」理仁は顔を暗黒に染めた。「もうお仕事は終わったの?まだなら頑張ってね。私は寝るから」唯花は電話を切ろうとした。「唯花さん」理仁は低い声で言った。「神崎夫人との鑑定結果はもう出たの?」「出たわ。神崎夫人は私の伯母さんだった。だから私と彼女は血縁者なの」理仁はそれを聞いて心の中をどんよりと曇らせていたが、それを表面には表すことはなかった。話している口調もいつも通りだ。「親戚が見つかって本当に良かったね」「ありがと」姉と十五年も支え合って生きてきて、突然実の伯母を見つけたのだ。唯花はまるで夢の中にいるような気持ちだった。なんだか実感が湧かない。「そうだ、理仁さん。おばあちゃんがまた自分の家に引っ越して行っちゃったの。今夜辰巳君が迎えに来たみたい。私は家にいなかったから、清水さんが教えてくれたのよ」この時理仁が思ったのは、ばあちゃん、脱兎のごとく撤退していったな!だ。「ばあちゃんが住みたいと思ったら、そこにすぐ住んじゃうんだ。俺はもうばあちゃんがあちこち引っ越すのには慣れっこだよ」おばあさん名義の家もたくさんある。よく今日はここに数日泊まって、次はあそこに数日泊まってというのを繰り返していた。だからおばあさんから彼らに連絡して来ない限り、彼らがおばあさんを探そうと思っても、なかなか捕まらないのだった。「今日他に何かあった?金城琉生は君の店に来なかっただろうね?」「あなたったら、こんなに遠くにいるのに、餅を焼いてる匂いでもそっちに届いたわけ?金城君はとても忙しいだろうから、私に断られた後はたぶんもう二度と私のところに来ないはずよ。だから安心して自分の仕事に専念してちょうだい。私は絶対に浮気なんかしないんだから」そして少し黙ってから
清水は自分が仕える結城家の坊ちゃんをかばった。「内海さん、私があなた方のところで働いてそう時間は経っていませんが、私の人を見る目には自信があります。結城さんと唯月さんの元旦那さんとは全く別次元の人間ですよ。結城さんは責任感の強いお方ですから、彼があなたと結婚したからには、一生あなたに対して責任を負うことでしょう。結城さんは女性をおだてるのが得意な方ではないですし、若い女性が自分に近づくのを嫌っていらっしゃいます。見てください、牧野さんに対しても会った時にちょっと会釈をする程度で、あまりお話しにならないでしょう。このような男性はとてもスペックの高い人ですけど、誰かを愛したらその人だけに一途です。内海さん、お姉さんの結婚が失敗したからといって、自分の結婚まで不安になる必要はないと思いますよ。愛というものは、やはり美しいものだと思います。結婚だって、幸せになれるものなんですよ。みんながみんな結婚してお姉さんのような結婚生活を送るわけではありませんでしょう。私は以前、結城さんの一番下の弟さんのベビーシッターをしていました。彼の家でもう何年も働かせてもらって、結城家の家風はとても良いということをよく知ってるんです。結城さんのご両親世代は愛や結婚というものに対してとても真剣に受け止めていらっしゃいます。とても責任感の強い方々ですよ。結婚したら、一生奥さんに誠実でいます。結城さんもそのようなご家庭で育ってらっしゃったから、責任感のあって、誠実な結婚というものをたくさん見て来られたでしょうし、彼自身も一途な愛を持っていることでしょう。今後、内海さんが結城さんと何かわだかまりができるようなことがあったり、結城さんが内海さんに何か隠し事をしていて、それが発覚したりした時には、しっかりと彼と話し合ってみてください。立場を逆にして、相手の立場に立ってみれば、それぞれの人にはその決断をした理由というものがあるんですから」唯花は理仁のあのプライドが高い様子を思い出し、確かに佐々木俊介よりも信頼できるだろうと思った。それに、結婚当初、彼女に何か困ったことがあった時に、彼女と理仁は一切の感情を持っていなかったが、彼はいつも彼女のために奔走して解決してくれた。今までのことを思い返してみれば、理仁が俊介よりも責任感が強いということがすぐ見て取れた。そして、唯花は言った。
夜十時半、唯花はやっと姉の家から自分の家に帰ってきた。玄関のドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。おばあさんは家にいないのだろうか?それとも、もう寝てしまったのか?唯花は部屋に入った後、明りをつけて玄関のドアを閉め、内鍵をかけた。そして少し考えた後、またドアを開け理仁のベランダ用スリッパを玄関の前に置いておいた。人にこの家には男がいるのだと主張するためだ。そうしておいたほうが安全だ。「内海さん、おかえりなさい」この時、清水が玄関の音が聞こえて、部屋から出てきた。唯花は「ええ」と答えて彼女に尋ねた。「おばあちゃんはもう寝ましたか?」「おばあさんはお帰りになりましたよ。お孫さんが迎えに来たんです。おばあさんは内海さんが今晩お戻りにならないかと思って、明日お話するよう言付かっていたんですが」唯花は驚いた。「おばあちゃん、家に帰っちゃったんですか?」清水は言った。「おばあさんが当初、ここに引っ越して内海さんたちと一緒に住むのは、息子さんと喧嘩したからだとおっしゃっていました。今、お二人は仲直りしたそうで、また家にお戻りになったようですよ」清水はおばあさんが神崎家にばれてしまうかもしれないと考え、先に自分の家に帰ったのだろうと思っていた。結城家の若奥様は神崎詩乃の姪であると証明されたのだから、今後、神崎家との関わりは多くなっていくことだろう。若旦那様が自分の正体を明かしていないので、おばあさんは神崎家を避けておく必要があるのだ。だから、おばあさんはさっさと姿をくらましたのだ。唯花は「そうですか」とひとこと返事した。彼女はおばあさんが彼女と一緒に住んでいて楽しそうにしていたので、こんなに早く自分の家に帰ってしまうとは思っていなかった。「内海さんは、伯母様のお家にお泊りにならなかったんですね?」唯花はソファのほうへ歩いて行き、腰を下ろして言った。「神崎家には行かなかったんです。佐々木家の母親と娘がまたお姉ちゃんのところに騒ぎに来て、警察署に行ってたんです。だから伯母さんの家には行かないで、明後日の週末、休みになってからまた行こうって話になって」それを聞いて清水は心配そうに尋ねた。「お姉さんは大丈夫ですか?佐々木家がどうしてまたお姉さんのところに?もう離婚したというのに」「姉が前住んでいた家の内装
俊介が母親を抱き起こすと、今度は姉のほうが床に崩れ落ち、彼はまたその姉を抱き起こして本当に困っていた。もう二度と唯月に迷惑をかけるなと二人には釘を刺していたというのに、この二人は全く聞く耳を持たず、どうしても唯月のところに騒ぎに行きたがる。ここまでの騒ぎにして彼も相当頭が痛かった。どうして少しも彼に穏やかな日々を過ごさせてくれないのか?彼は今仕事がうまく行っておらず、本当に頭の中がショートしてしまいそうなくらい忙しいのだ。仕事を中断してここまでやって来て、社長の怒りはもう頂点に達している。俊介は家族がこのように迷惑をかけ続けるというなら、唯月に二千万以上出してまで守った仕事を、家族の手によって失いかねない。陽はこんな場面にかなり驚いているのだろう。両手で母親の首にしっかりと抱きつき、自分の祖母と伯母には見向きもしなかった。そんな彼の目にちょうど映ったのが東隼翔だった。隼翔はこの時、唯月の後ろに立っていて、陽が自分の顔を母親の肩に乗っけた時に目線を前に向けると隼翔と目が合ったのだ。隼翔の陽に対する印象はとても深かった。彼はすごく荒っぽく豪快な性格の持ち主だが、実はとても子供好きだった。陽の無邪気な様子がとても可愛いと思っていた。彼は陽の頭をなでなでしようと手を伸ばしたが、陽がそれに驚いて「ママ、ママ」と呼んだ。隼翔が伸ばしたその手は気まずそうに空中で止まってしまっていて、唯月が息子をなだめた時にそれに気がついた。「お、俺はただ、お子さんがとても可愛いと思って、ちょっと頭を撫でようとしただけだ。しかし、彼は俺にビビッてしまったようだが」隼翔は行き場のない気まずいその手を引っ込めて、釈明した。唯月は息子をなだめて言った。「陽ちゃん、この方は東お兄さんよ、お兄さんは悪い人じゃないの、安心して」それでも陽はまだ怖がっていて、隼翔を見ないように唯花のほうに手を伸ばして抱っこをおねだりしようと、急いで彼女を呼んだ。「おばたん、だっこ、おばたん、だっこ」そして、唯花は急いで彼を抱きかかえた。唯月は申し訳なくなって、隼翔に言った。「東社長、陽は最近ちょっと精神的なショックを受けたので、あまり親しくない人は誰でも怖がってしまうんです」隼翔は小さな子供のことだから、特に気にせず「いいんだ。俺がお子さんを怖がらせてしまった
「母さん」俊介が警察署に駆けつけた時、母親が椅子から崩れ落ちているのを見て、すぐにやって来て彼女を支え起き上がらせようとした。しかし、母親はしっかり立てずに足はぶるぶる震えていた。「母さん、一体どうしたんだよ?」俊介は椅子を整えて、母親を支え座らせた。この時、彼の母親が唯月を見つめる目つきは、複雑で何を考えているのかよくわからなかった。それから姉の表情を見てみると、驚き絶句した様子で、顔色は青くなっていった。「おば様、大丈夫ですか?」俊介と一緒に莉奈も来ていて、彼女は心配そうに佐々木母にひとこと尋ねた。そして、また唯月のほうを見て、何か言いたげな様子だった。離婚したからといって、このように元義母を驚かすべきではないだろうと思っているのだ。しかし、姫華を見て莉奈は驚き、自分の見間違いかと目を疑った。彼女は神崎夫人たちとは面識がなかったが、神崎姫華が結城社長を追いかけていることはみんなが知っていることで、ネットでも大騒ぎになっていたから、莉奈は彼女のことを知っていたのだ。その時、彼女は姫華が結城社長を追いかけることができる立場にある人間だから、とても羨ましく思っていたのだ。「神崎お嬢様ですか?」莉奈は探るように尋ねた。姫華は顎をくいっとあげて上から目線で「あんた誰よ?」と言った。「神崎さん、本当にあの神崎お嬢様なんですね。私は成瀬莉奈と言います。スカイ電機の佐々木部長の秘書をしています」莉奈はとても興奮して自分の名刺を取り出し、姫華にさし出した。姫華はそれを受け取らず、嫌味な言い方でこう言った。「なるほど、あなたが唯月さんの結婚をぶち壊しなさった、あの不倫相手ね。それ、いらないわ。私はちゃんとした人間の名刺しか受け取らないの。女狐の名刺なんかいやらしすぎて、不愉快ったらありゃしないわ」莉奈「……」彼女の顔は恥ずかしくて赤くなり、それからまた血の気が引いていった。そして悔しそうに名刺をさし出した手を引っ込めた。俊介は母親と姉がひとこともしゃべらず、また唯月と姉が傷だらけになっているのを見て、二人がまた喧嘩したのだとわかった。見るからに、やはり母親と姉が先に手を出したらしく、彼は急いで唯月に謝った。「唯月、すまん。うちの母さんと姉さんが何をしたかはわからないが、俺が代わって謝罪するよ。本当に
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨