日本舞踊家の家に生まれ、自身も師範を持つ百合乃は日本舞踊家として指導をしたりして充実した毎日を送っていた。ある日、父からお見合い話をされ顔合わせすることになる。顔合わせ当日、やってきたのは亡くなった姉と婚約者だったイケメン華道家・月森流家元の月森郁斗だった。
もっと見る稽古着であるお気に入りである芥子色の着物を来て帯を締める。建物内にある【お稽古室・桜】という稽古部屋に入ると荷物を置いた。
「……よし、やるか」 スマホの音楽アプリに登録してある曲【藤娘】をタップしてスピーカー機能のある機械にセットすれば、いつもと同じ三味線の音が聞こえ『津の国の――』と唄が始まり踊り始めた。 この長唄である藤娘は、日本舞踊といえば藤娘(これ)!と言われるくらい有名な曲であり藤の花の精が娘の姿で現れて女心を踊る作品のこれは私の大好きな曲だ。 部屋のドアが勢いよく開く。踊り始めたばかりだが、音楽を停止させる。 「百合乃、邪魔するよー」 「……慶翠(けいすい)さま、返事してないです。言ってください」 「どうせ言っても聞こえないだろ? それに慶翠とか他人行儀はやめろよ。お兄ちゃんだろ?」 私、千曲(ちくま)鳳翠(ほうすい)改め千曲百合乃(ゆりの)は千曲流日本舞踊家の家元の娘で私自身も師範代を持っている。日本舞踊家として門下生もいてキッズ教室と初心者教室も受け持っており指導も行っている。 そして急に現れた男性は千曲慶翠といい、同じ千曲流日本舞踊家で次期家元であり、実の兄だ。 「ここは家じゃありませんので、ケジメです。割り切ることは大切ですよ」 「堅いなぁ」 「堅くて結構です。それよりも何か用事があったのでは?」 「あ、そうそう。客だよ、客!」 お客様?私に? 私に尋ねて来るとは誰だろうと、入り口をみると男性が入ってきた。 「久しぶりだね、百合ちゃん」 「郁斗(ふみと)さん。お久しぶりです。今日は、どうしたんですか?」 「仕事の打ち合わせだよ。次の公演でいけばなを担当するからね」 郁斗さんは、月森流華道家であり現在の家元で雅名を月森(つきもり)耀壱(よういち)という。祖母同士が友人で小さい頃から月森流華道を一緒に稽古させてもらっていたので幼なじみのような存在だ。 彼は昨年朝ドラの華道監修をしてからイケメン華道家家元として一躍有名となり雑誌や特集番組に出演依頼もたくさん来ているらしいし、SNSでは『国宝級イケメン華道家』とも言われているくらいに顔が整っているし、声も甘い蜂蜜のようで目が合うだけで好きになっちゃうくらいに麗しく綺麗な青年だ。「それに妃菜乃(ひなの)のお墓参りをしてきたから」
「そうなんですね」 彼は懐かしむような、悲しそうな表情を見せる。彼が言う妃菜乃とは私の姉で、二人は婚約者同士で想いあっていた。とても仲良しで、二人を見るのが好きだった。 だけど、姉が病気になった。それから一年足らずで亡くなった。姉と婚約していたけど、会うことも話すことも減っていたのでお葬式で久しぶりだった。 以前と同じ、私に笑いかけてくれて嬉しかった。ちゃんと話したのは学生ぶりで、婚約前だったなぁと思い出す。
『久しぶりだね、百合ちゃんは妃菜乃に本当に……そっくりだ』 ……彼には似てるなんて言われたくなかった。 確かに私は姉にそっくりで瓜二つだと言われている。だけどそれだけだ、私は姉には敵わない。天才肌で努力しなくてもなんでもこなす姉とは違い、私は努力しなくては何もできない。大好きな日本舞踊だって姉が一日でマスターしていくのに私は茶道も華道もすぐにはできない。だから、学生の頃はよく言われていた。 『顔はそっくりでもね、家元の娘なのに習得するのに時間がかかるんじゃ』 『妃菜乃さんは優秀な家元の娘なのに百合乃さんの方は“優”にはなれても“秀”にはなれないわよね。家元の娘なのに凡人というか』 周りの人から言われていたのは慣れているし、もう秀になれないことは諦めもついている。姉にはなれないことも分かるし分かりきっている。 「――百合ちゃん?」 名前を呼ばれ、いつの間にか覗き込まれていたらしくハッとした。 「すみません、少し考えごとをしてました。……郁斗さんのいけばな楽しみにしてます」 「ありがとう。俺も百合ちゃんの公演楽しみにしてるよ」 そう言うと、次の仕事があるらしく郁斗さんは部屋から出て行った。 私は、一時停止していた音楽を再生にしてまた踊り出した。 *** それから一週間後、千曲流日本舞踊春季公演会の日を迎えた。公演会は午前の部と午後の部で分かれていて朝十時から始まる。午前の部の最初はキッズ教室の子たちと初心者教室の人だからまだまだ時間があるので私は案内係としてせっせと働いている。 「百合乃さん」 後ろから声を掛けられて、振り向くとそこには和服を着ている郁斗さんがいた。 「あっ、おはようございます。月森さん、本日は素敵ないけばなをありがとうございます」 「気に入ってもらえてよかったよ。こちらこそ自由にやらせてくれたから楽しかったよ」 このホールの入場口の手前にある華は郁斗さんの持参した織部焼きの深い緑の花瓶にコバンモチやスカシユリ、モンステラの花を使い華やかすぎず控えめすぎずの程よいコバンモチの葉が生き生きとした彼らしい生け花で素晴らしかった。 「あ、そうだ。百合ちゃんにこれ、いつもの」 「ありがとうございます。嬉しいです!」 彼にもらったのは、いけばなのスケッチだ。画家ではないのに綺麗な絵だから貰えるのは嬉しい。 「こんなスケッチなら、いくらでもあげるよ。……あと、これも皆さんで食べて」 「えっ、ありがとうございます。喜びます」 郁斗さんは、差し入れでお土産用の紙袋を私に渡す。その中は私の大好きな和菓子メーカーのえび煎餅だ。 「百合ちゃん、好きでしょ? そうだ、昼って時間ある?」 「昼ですか? 私、最後なので余裕があるので時間はたっぷりと」 「じゃあ、一緒に食べていいかな?」 「大丈夫です。ぜひ」 「良かった、じゃあ楽しみにしてるね」 入場開始のアナウンスが流れたため、郁斗さんは午前の部も見るらしくホールへ入って行った。 私は案内係をして席がほぼ埋まると、アルバイトスタッフさんに後はお願いして裏へと向かった。 裏には始まるのを今かと待つキッズ教室の子たちが緊張した表情をしていた。初めて舞台に立つ子が多いし、緊張するのは当たり前だ。 「おはようございます!」 緊張を和らげるためにみんなに挨拶をすれば「鳳翠先生、おはようございます!」と挨拶してくれた。全員の表情を見ると、さっきよりはほぐれたようで安心していると彼らの順番が来て舞台へと出て行った。 舞台袖から見ながらお稽古の時のことを思い出して感極まって泣きそうになりながら舞台を見た。 午前の部は滞りなく終了して、お昼休憩のアナウンスが流れた。控え室に戻ればドアの前には郁斗さんがいた。 「お待たせしちゃってすみません、廊下で待たせちゃうなんて」 「いや、早く来ちゃっただけだし。気にしないで」 私は彼を中に招き入れると、椅子を用意した。 「飲み物は、お茶でいいですか? コーヒーもありますけど」 「お茶にしようかな」 「了解です。今日は、玉露があるので美味しいですよ」 そんな話をしながら、急須に茶葉を入れて湯呑みに入れていたお湯を入れて蒸す。三分蒸し終わると、湯呑みに淹れた。 「どうぞ、郁斗さん」 「ありがとう、綺麗な緑色だしいい香りだ。いただきます」 郁斗さんはお弁当の包み紙をとってお弁当を広げた。 「それって限定販売の高いやつじゃないですか? 予約がすぐに埋まったって聞きました」 「うん、打ち合わせの時に家元に教えてもらったからついでに頼んでもらったんだ」 「え、私には何も言ってくれなかったのに」 「そうなの? じゃあ、なんか食べる?」 そう言って郁斗さんは私に差し出した。なんだか申し訳ないと思ったけど限定品だし、次の機会はないだろうからと考えてだし巻き卵を一切れ頂いた。 私も自分のお茶をテーブルの隅に置いてから、さっきスタッフにもらったお弁当を広げる。 「私のもどうぞ。普通のお弁当ですけど、よかったら」 「いいの? じゃあ、このとり天を貰おうかな」 お弁当のおかずを交換したりして二人で食べる。食べ終われば、午後の部が始まるまで談笑をした。 「じゃあ、百合ちゃん。頑張ってね」 「ありがとうございます」 午後の部が始まるアナウンスが放送されると郁斗さんはホールの方へと帰って行った。 午後の部は午前の初心者の方たちなどの発表とは違い、名取以上の雅名がある人の発表になる。名取とは大学でいえば大学院生や助手のようなイメージで師範は大学教授や准教授みたいなイメージになる。一番最後は家元である父で、その前に次期家元である兄、その前が私だ。「失礼致します。もうすぐ時間が来るので衣装の準備をお願いします」
最初はメイクさんにメイクを施され、藤娘で使うかつらに赤角櫛をつけると衣装の着付けをしてもらった。衣装は、黒地に藤の縫模様振袖にとき色地に藤の縫模様の振り帯をつけパパッと完成する。小道具の塗りの妻折傘を目深に被って藤の枝を肩にして舞台のある場所へと向かう。舞台では大道具さんが舞台の藤の大房をつけたりして準備をしてくださっていた。
完成するとアナウンスで私の紹介され、私は藤の枝を肩に乗せ舞台に上がる。準備が整ったところで舞台の照明が消えて真っ暗になり閉じていた幕が上がった。長唄が始まり一節が切れたところで照明の光がついて明るくなる。明かりがついた瞬間、大きな松の木に絡んだ大きな藤の花が咲き誇り私が立っているという図となる。
傘を被ったまま一度舞い、松の影に姿を隠して今度は傘を手に持って藤の花をかき分けて姿を現す。 そしてまた松に隠れて今度は傘は持たず衣装を変えてから登場し藤音頭を披露する。音頭が終わり一旦松の影に隠れると両袖を脱いだ状態で踊り地を見せれば、やがて鐘の音が鳴り日が暮れが訪れて再び藤の枝を肩に乗せて惜しみながらも美しい立ち姿で終わり幕が閉じた。 二十分という長い時間だが踊っているとあっという間で終わり舞台から降りた。 降りてまっすぐ控え室に戻る。いつもそうだが脱力感が半端なくてこんなんじゃダメだよなと思いながら、衣装を脱ぎメイクも落としかつらも取った。 いつもの着物へと変えてダラダラと過ごしていると、時間は結構経っていて兄が迎えにきた。 「お疲れさん、百合乃。いつもの如くダラけてる」 「はぁ……兄様はとてもお元気ね。相変わらず体力バカ」 「はは、まぁな。車を呼んだから準備して、寝るのは後だよ」 車もう来てるのか……早いなぁと思いながら帰り支度をしてお兄様と待機しているという車に向かって乗ると揺れが心地よくて眠ってしまった。次に目が覚めた時には家に到着していて、なぜか自室にいて外はもうすでに真っ暗だった。
あの夜、張るお腹と多量出血した私は救急車で搬送された。なんとかお腹の子は無事で切迫流産の可能性があると言われ、安静にするために五日間の入院となっている。今は二日目だ。 「はぁ」 ベッドに運ばれて入院着に着替えるとすぐに張り止めの点滴を打たれた。説明はあったが、いろいろ動揺してしまい分からなかった。 だけど、何故か常に運動会後の筋肉痛みたいなのがあってすごく硬いものを噛んだ後のアゴの疲れみたいな……そんな感じが続いている。 副作用なんだろうけど辛い。 赤ちゃんのためなら、と思うようにしているが動悸とか発汗やらと症状がある。 それに一番辛いのは、あれから報道されているニュースのことだ。 「熱愛……かぁ」 郁斗さんと京都支部代表の娘さんの熱愛報道。最初は信じていなかったけど、あの日からずっと報道されていて精神がすり減っていくのを感じていて情緒不安定が続いている。 この日、何度目かの溜め息を吐くと病室のドアがノックが聞こえて返事をした。 「こんにちわ〜百合乃さん」 「あ、茉縁ちゃん。来てくれたんだ。ありがとう」 やってきたのは茉縁ちゃんで、食事会ぶりだ。あの時、勝手がわかっているアキさんには家の留守を任せた結果、救急車を呼んでくれて救急車に乗って病院まで付き添ってくれたのは茉縁ちゃんだった。 その時、名前を鳳翠と呼ぶのはややこしいので本名で呼んでもらうことにして私も親しみを込めて“さん”付けから“ちゃん”付けにしている。お友達みたいで少し嬉しい。 「ううん。退屈してるんじゃないかなって思ったので、来ちゃいました。友達で百合乃さんと同じくらいに入院で退屈だって言っていたのを思い出したので……それに今日はお伝えしたいことがあったので」 「伝えたいこと?」 「今日の十三時、ドラマと同じテレビ局でやっている【昼から|1《ワン》!|2《ツー》!|3《スリー》!】という情報番組、知ってます?」 「えっと、新人アナウンサーがMCをしている番組だよね? よく見るよ」 「良かったです。理由は言えないですが、きっと見てくださいと言われましたので……あ、友人の時も持って行ったのですけどキューブパズルを暇つぶしになるといいかなって思って持ってきたのでよかったら遊んでください」 茉縁ちゃんはそう言って私にそれを渡した。昔やってことがあるパズル
「これはどういうことなんだ!」 目の前のスマホには俺と京都支部での案内役だった女性が二人で写っている記事が表示されていた。 「……俺も何が何だか分からない」 「は?」 俺は現在、自宅近くのとある一室で友人で百合の兄の蒼央と向かい合い尋問されている。 こちらに着いたのはつい一時間前のことで新幹線から降りてすぐに蒼央に捕まり連行され、何がなんだかわからないままここに連れられてきた。 その時も何が何だかわからなかったが今も全く、こんな記事が出ているなんて知らなかった。 「理由や事実かはどうであれ、結果記事になった。ちなみに、この記事は百合は知っている。まだ俺も会っていないから状況はわからないが」 「……っ……」 百合ちゃんが……だけど、ネットニュースになっているのだから知っているか。それにお互いそれぞれ有名になっているのだから、そろそろテレビのニュースになっている頃か。 「なんで、会ってないのに蒼央が知っているんだ」 「食事会の最中にネットニュースを見たらしい。その時いたのは郁斗が呼んだ出張シェフの瀬戸さん、月森家の家政婦アキさん、郁斗の弟子のミヤビくん、百合が呼んだ脚本家の本郷くん、俳優の里谷さんと舜也さんだ。もう皆帰るところだった時間だったので全員揃っていた」 「……そうか」 「それと黙っておくのはフェアじゃないから言っておくが、百合が救急車で運ばれた」 え?百合ちゃんが!? 「無事なのか!? 大丈夫なのかっ? もしかして俺のニュースのせいかっ」 「それは違うと先生も言っていた。切迫流産の可能性があるから入院することになった。郁斗のせいではないが、今すぐ百合に会わせるわけにはいけない。郁斗に熱愛報道が出たのは事実だし、一瞬でも辛い思いをしたことも事実。結婚を許した時の条件を忘れているわけじゃないんだよな?」 「忘れていない。忘れることなんてあるわけないだろう」 「当たり前だ。郁斗は、なんとしてでも早急に解決させろ。家はメディアがいるから帰れない。百合は、うちに連れて行く。安静がいいらしいからな」 だが、どうやって解決させればいいんだ……ネットニュースになっているならテレビでも報道されているかもしれない。 「わかった。よろしく頼むよ」 そう俺がいえば部屋のインターフォンが鳴った。部屋に入ってきたのは絢斗だった。絢
ドラマが始まり、早いことで最終回を迎えていた。クランクアップはつい先日に終えたばかりだ。第一話の放送以来、実家には教室への入会希望や入門体験が絶えず来ているらしく兄は事務の人と嬉しい悲鳴をあげているらしい。 私はというと妊娠四ヶ月に入ろうとしていて検診も順調で、二週に一回だったのが次からは四週に一回にと言われたばかり。まだ報告は身近な人にしか報告してない。今後のお仕事については、ドラマが終了したタイミングで安定期に入るまでは日本舞踊の師範としてのお仕事を少しずつセーブし始めようと千曲の当主である父と次期当主の兄に相談して決めたばかりだ。 「やっぱり俺、明日のお仕事はキャンセルしようかな」 郁斗さんは今日から月森流華道会京都支部の展覧会に行くことになっている。これは妊娠する前から決まっていたことだし、彼は家元だし一泊二日だから問題ないと思う。 「何言ってるの? 私は大丈夫、お義母様も来てくださるし、病院の送迎は綾斗さんがしてくれます。郁斗さんは心配しないで郁斗さんのお仕事をしてください」 「そうだけど……心配なのは心配なんだよ」 「それにまだ報告が出来てないんですから、キャンセルしたら色々模索されます」 「そうだな。終わったら早く帰るから、おとなしく待っていて」 そう言って私に頭を撫でてから渋々出かけて行った。郁斗さんを見送ると、お仕事もお休みだしやることがあんまりなくてテレビをつけた。 朝の情報番組を見ながら昨夜にフィルターボトルにて準備していた氷出しの玉露を取り出してグラスに注いだ。それをちびちびと飲んでいると、スマホが鳴った。 スマホの画面には数少ないグループラインで新しいグループの表示が見えた。茉縁さんと本郷くん、舜也さんのグループラインだ。その下に【里谷茉縁】と表示されておりそれをタップする。すると、トーク画面が出てきて、こんばんわというスタンプとメッセージが出ていた。 【こんばんわ、里谷です。お疲れ様です。本日、夜、最終回を迎えます。そこで、打ち上げも兼ねてですが、都合が良ければドラマを一緒に見ながら食事でもどうですか?】 打ち上げに食事会……なんと魅力的なお誘いなの!誰かと食事会だなんてあまり経験がないからとても嬉しくてワクワクしてしまう。 早速、郁斗さんに聞いてみよう……今、妊娠中だし安定期前に外で食事なんて
妊娠が分かった夜、私は家でくつろいでいた。 体調は病院に行ったからかとてもよく、悪阻の症状はいまのところはない。 「あの、郁斗さん……これは?」 「あ、うん。さっき、電子書籍で買った本に妊娠初期にいい食べ物が載っていたからそれ見て作ったんだ」 テーブルの上にはまるで定食ですか?と思える料理が並べられている。定食屋さんかなと思えるくらいにずらっと並んでいて、どれも美味しそうだ。 「ありがとうございます、郁斗さん。美味しそうです」 「でしょう? 悪阻の症状ないみたいだから普通の食事にしてみたんだけど、食べられないなら残していいからね」 主食はたんぽぽチコリ入りのご飯に、副菜にはほうれん草のお浸しとモロヘイヤとお豆腐の味噌汁、主菜は蒸し鮭でデザートにはヨーグルトが並べられている。お茶は朝仕込んでおいた氷出し煎茶だ。普通に淹れると、カフェインが豊富だが氷や水の低温で抽出すればカフェインを抑えられるといわれているため今の私にはぴったりのものだ。 相変わらず郁斗さんのご飯はどれも美味しくて、ご飯屋さんができるのではというくらい盛り付けも綺麗。 「美味しかったです。郁斗さんのご飯ならずっと食べられます」 「それは良かった。顔色もいいし、安心したよ」 「心配かけてしまってごめんなさい。今更ですけど郁斗さん、お仕事は大丈夫だったんですか?」 「大丈夫。ホテルの方は早く終わってね、打ち合わせをしていただけだから。あ、打ち合わせはもう纏まっていたし今日は元々終わっていたから」 それなら良かったけど、私のために中断して帰ってきたなんてことは申し訳なさすぎる。郁斗さんにも、お仕事で関わっている方にも。 「まぁ、打ち合わせ今回は初回だしいつもお仕事させていただいているところだから勝手がいいんだ。だから気にしないで」 「はい」 「仕事も大事だけど、もっと大事なのは百合ちゃんだから。じゃあ、お片付けするから百合ちゃんはお風呂入っておいで」 私もお片付けをすると言ったが、お風呂沸いたからと言われてしまい私はお風呂に直行することになった。 お風呂から上がり、テレビのあるソファに座れたのはドラマが始まる十五分ほど前だった。 「百合ちゃん、飲み物持ってきたよ」 「ありがとう。郁斗さん……これは、カフェラテ?」 「コーヒーじゃなくて、たんぽぽチコ
ドラマ撮影が始まって一ヵ月が経ち、放送第一回目が始まる日を迎えていた。宣伝で、茉縁さんと舜也さん二人が朝から有名な情報番組【月→(から)金までmorning】にゲストで出演していた。 『本日から始まるドラマ、“花明かり”から里谷茉縁さんと舜也さんがきてくださいました――』 アナウンサーが二人を紹介し二人も「おはようございます」と挨拶をしている。こうやってみると、本当に今日からドラマが始まるんだなぁと実感する。 『どんな話なんですか?』 『えー……私が演じる美咲は普通にいるOLは求婚され入籍直前で婚約破棄をされるのですが、日本舞踊に出会って日本舞踊に魅せられていく話です』 それから予告映像が流れる。 「百合ちゃん、どうぞ」 「あ、ありがとうございます。郁斗さん」 私のいるテーブルの前にコーヒーの入ったマグカップが郁斗さんによって置かれる。さっきまでコーヒー豆の挽く音がしていたから彼が淹れてくれたのだろう。いつもならいい香りだと思うのに、今日は何故か香りがきつい、気がする。どうしてだろうか…… 「このコーヒー百合ちゃん好きだって言っていただろう? だから買ってきたんだ」 「ふふ、ありがとうございます」 私はマグカップに口をつけ、一口飲む。香りは苦手だけど、相変わらず美味しい。 「そういえば、今日はお祖母様と約束してるって言っていたよね? 本家に行くのかい?」 「はい。もうドラマのお仕事終わっているのでテレビ局には今日は行かないので。それにお祖母様にお誘いをいただいて……ドラマが放送されるお祝いだって言っていました。でも郁斗さんはお昼はお仕事なんですよね?」 「うん。結婚式を挙げたホテルでパーティーがあるから会場ディスプレイを頼まれてね」 「そうなんですか、頑張ってくださいね」 郁斗さんはツアーが終わっても大忙しで、会場ディスプレイや展覧会の花に家元としてのお稽古とお仕事がたくさんある。本当は私が付いて支えるべきなんだろうけど私も忙しかったのは言い訳か……だけど、ドラマが終わったら師範の仕事は引き継いでもらい華道の方に力をいれていこうと思っているし彼のお手伝いもできるようになるだろう。 「本家行くなら俺が送って行くよ。顔を見せようと思ってるんだ」 「ありがとうございます、郁斗さん」 「全然。それより、百合ちゃん。調子悪
クランクインからひと月が経った。私は現在、撮影場所で日本舞踊監修としてのお仕事をしているが、今は見学中だ。準備期間は長かったのに撮影はもう半分は終わってる。 「なんとも贅沢だなぁ」 目の前で、俳優さんが演技をしている。普段の指導している時の彼らとは別人のようで、すごい。 本当は、日本舞踊のシーンがない時は来なくていいんだけど見たくて来てしまっている。迷惑にならないように隅っこだけれども。 「お疲れ様です! 鳳翠先生」 「茉縁さんもお疲れ様です。とっても良かったです」 「ありがとうございます。でも撮り直しですね、多分」 茉縁さんはそう言うと、監督がいる方を見た。 「納得してない顔してるから――」 「おーい里谷さん! ちょっとこっち来てー」 彼女の言う通り、監督が彼女を呼ぶ声が聞こえてそちらに行ってしまった。 それからも昼まで見学しているとスマホがブーブーと震えた。スマホの画面を見れば郁斗さんからメッセージ通知が出ていた。それをタップすると、LINEのトークページが開く。 【今、帰って来ました。テレビ局の近くにいるんだけど時間が合えば迎えに行くよ】 え!帰るの三日後って聞いていたけど早く終わったのかな。 【帰ってくるの三日後って言ってませんでした?】 【仕事は昨日のパフォーマンスで終わりだったんだ。他の仕事は急いで終わらせてきたんだ】 そうなのか。せっかくだし、迎えに来てもらおうかな…… 【じゃあ、お迎えをお願いできますか?一緒に帰りたいです】 そうメッセージを送ると、話し合いが終わった本郷くんに近づき声を掛ける。 「本郷くん、私帰りますね」 「月森さん。あ、わかりました。……じゃあ、下まで送りますよ」 「えっ、でも私勝手に見学に来た人ですし……本郷くん、さっきまで演出家の方とお話をしていましたよね?」 さっきまで監督の隣にいる演出の人と話し合いをしていたし、忙しいのではないだろうか。ただ声をかけただけなんだけどなぁ 「もう終わったから。それに早めの昼にしようと思って一階のカフェに行くから」 「それならいいんですけど……」 了承すると、本郷くんは荷物を持ってくるからと控え室に行ってしまったので私はスマホを見ると【良かった。近くに来たら連絡する】とメッセージが来ていた。 なので【了解です
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