「このバカ、説明もさせてくれないなんて。目で見たことがそのままの意味だとは限らないのよ」彼女は彼を抱きしめていた手を緩め、怒って彼の腕をぎゅうっとつねった。彼女は本当に死ぬほど心配していたのだ。彼らがまた以前のように冷戦に突入してしまうかもしれないと思った。理仁は黙って彼女におとなしくつねられていた。とても痛かったが、彼は気にしなかった。彼女が彼のことをとても気にしてくれているという事実だけで、十分だったのだ。「金城君が私に告白してきたけど、私は断ったの。私はあなたの奥さんだもの。私の残りの人生は、あなたが私をいらないって言わない限り、ずっとあなたと一緒にいるわ」「それは本当?」理仁は自分が正体を隠していることを考えていた。彼が長い間彼女のことを騙していると知ったとしても、彼女は彼から離れていかないのか?「それって、私のこと信じられないってこと?」理仁は軽く息を吐き、また彼女を自分の胸に抱きしめた。「唯花さん、さっき君と金城が一緒にいるのを見た時、すごく怒りが込み上げてきて、その場をすぐ離れてしまったんだ。君のせいじゃないってわかってるよ。金城の奴が君に付き纏ってるだけだって。実は、その……ヤキモチを焼いてしまって。俺はどうやらかなり嫉妬しているらしい。金城が君を深く愛していて、君たちが十数年も知り合いの仲だっていうのを思ったら、すごくモヤモヤしてきたんだ」彼と彼女は知り合ってからそんなに時間が経っていないから。だから、彼女と金城琉生の十数年来の仲には遠く及ばない。金城琉生は彼よりも先に彼女と知り合い、彼よりも先に彼女のことを好きになったのだ。どれをとっても彼のほうが金城琉生よりも遅れを取っている。「私と金城君は……この前もあなたに言ったと思うけど、私は彼のことを弟としてしか見ていないの。彼に対して全く恋心なんて抱いていないわ。もし私が彼にそんな気持ちを持っているなら、私たちは今頃結婚なんてしていないでしょ。それなら彼とさっさと偽装結婚でもしてお姉ちゃんを安心させてあげていたはずよ」理仁は彼女が言っていることは本当の話だとわかってはいても、心の中でものすごく気に食わなかった。唯花が言ったその、もし彼女が金城琉生のことを好きだったら、初めから理仁と結婚していなかったというその言葉だ。彼
「確かに君は空手ができるけど、それでも彼には近づかないほうがいい。夫の俺は心がかなり狭い男だ。君とあいつが一緒にいる姿は見たくない。あいつが一方的に君に執着してきたら、俺はまたヤキモチを焼くぞ」以前も彼はヤキモチを焼いていた。ただそれを決して認めようとしなかっただけだ。もし気にしていなかったら、彼も彼女が誰と一緒にいてもまったく気にならないはずだ。気になっているから、怒って、理性を失いこのような行動に出てしまったのだ。「彼が来たら、もちろん追い出すけど。彼の足を切り落として歩けなくすることなんかできないでしょ」理仁は冷たい表情になった。「俺があいつを二度と君の前に来られないようにしてやる」「何をするつもりなの?バカな真似はしないでよ」理仁は彼女の頬を軽くつねった。「安心して、君がいる限り、俺はバカな真似なんか絶対にしないから」彼はまだ残りの人生を彼女と一緒に歩いていくのだから。彼はすでに金城グループとのビジネス上の付き合いを切ってしまった。そして、金城グループが受けられるプロジェクトも横取りしてやるのだ。金城グループはこれで結城グループが彼らに敵対することがわかるだろう。彼は金城社長自ら彼のところにその理由を尋ねに来るのを待つだけだ。唯花に金城琉生の行動を止めることはできなくとも、彼の両親ならどうだ?「明凛の存在も忘れないで、金城君にあまりひどいようにしないでね」明凛の名前が出て、理仁は解せない様子で尋ねた。「牧野さんはどうして金城琉生を止めなかったんだ?」まさか、牧野明凛も従弟を応援しようとしているとか?「明凛は今日熱を出して病院に行ってるの。だからお店には来ていないのよ」そう言い終わると、唯花はハッと何かに気づき、おかしくなってヤキモチ焼き男に言った。「あなたまさか明凛が金城君を応援しているとでも思ったんじゃないでしょうね?彼女はそんな人間じゃないわ、彼女こそ一番、彼を諦めさせようとしている人なのよ」明凛は唯花の一番の親友だ。だから唯花がどのような人間なのか一番理解している。唯花が金城琉生を好きでないと言ったら、好きではないのだ。彼がいくら頑張って何をしても、彼女が好きになることは絶対にありえない。琉生が彼女に執着しても、ただ彼自身が傷つくだけだ。明凛は琉生の従姉だから、自分の従弟を
「私はあなたほど心は狭くないわよ」理仁「……怒ってるでしょ」「ええ、そうそう、そうよ、怒ってますよ。あなたにあんなにメッセージを送ったのに、頑として返事しないんだもの」唯花は車を降り、同時に彼も車から引っ張り出すと、傘を彼に突き出して持たせた。「早く仕事に戻った、戻った。私、本当にもう行かなきゃ」彼女はお腹も空いているんだから。彼は今朝早く起きて彼女のためにジンジャーティーも入れてくれた。彼女はそれすらまだ口にしていない。今、少しお腹がキリキリと痛む。「俺はここで君を見送るよ」神崎姫華たち親子が彼女に会いに来ている。きっと神崎夫人の妹の件でだろう。理仁は彼女をここに引き留めておくわけにはいかない。唯花は運転席に戻り、彼に手を振って言った。「昼、ご飯を食べに来るなら一声かけてね。じゃないと、来ても皿洗いしかできないわよ」「わかったよ」神崎夫人とその娘が彼女の店に来ているから、彼は行くことはない。唯花はすぐにエンジンをかけ、運転して行ってしまった。理仁はそこに立って、彼女の車が遠くなり見えなくなるまで見送ると、ようやく振り返って会社へと戻っていった。この時、悟が望遠鏡を持って、辰巳と順番に会社の入り口にいたこの夫婦を見届けていたことなど、理仁は知る由もなかった。さっき緊急で会議を開くと言われ、呼ばれた管理職たちは、悟が彼らに少し仕事上の話をしてから、すぐに解散となった。「盗聴器でもあればよかったのに、悔しいなぁ」悟は望遠鏡を下ろした。様子を見ることはできるが、話し声は聞こえない。あの口下手な唐変木は一体社長夫人と何を話していたのだろうか。車で、あの夫婦は子供には見せられないようなことでもしていたのだろう。理仁のあのクソ真面目で、いつも難しい表情をした冷たい人間が、まさかあのようなことをするとは思ってもいなかった。愛の力というのは本当に偉大だ。いや、嫉妬の力と言うべきか。理仁がヤキモチを焼いたおかげで、なりふり構ずにこのような行動に出たのだから。辰巳は笑って言った。「兄さんが戻ってきた。俺はもう行きますよ。その望遠鏡を引き出しに戻しておいてくださいね。兄に見つかったら、自分でどうにかしてくださいよ」そう言うと、彼は先に退散した。悟はそれを聞いてすぐに望遠鏡を持って会議室
明凛は周りからうるさく言われたくないので、大塚夫人の誕生日パーティーで臆すことなく床に寝転がってやったのだった。つまり彼女は結婚しろとかなり催促されていたということだ。この時、もし彼が明凛の見舞いにでも行ったら、彼女の母親に見られて、もう逃れようがなくなるかもしれない。確かに牧野明凛はかなり彼のタイプではあった。しかし、この二人はまだ何も始まっていないから、親に会うのはまだ早すぎるのだ。彼のほうはと言うと、ただ九条家の当主のみがこのことを知っているだけで、他の家族や親戚には言えなかった。彼らが知って、何台も車を連ねてやって来たら、明凛を驚かせてしまうだろう。明凛は悟が自分を気にかけてくれる気持ちに電話越しにお礼を言った。二人はあまり多くは話さず、電話を切った。……神崎姫華たち親子は唯花の本屋で彼女が戻ってくるのを待っていた。金城琉生は彼女たちが来た後、去っていった。琉生の母親は彼に神崎姫華に会ったら、なるべく関わらないようにと注意していた。この神崎家のおてんば娘は彼らの手に負えないのだ。神崎夫人はすでに唯花姉妹が自分の姪っ子であると確信していた。彼女は唯花のお店の中を隅々まで見歩いた。それに本以外の物もたくさんあったのでそれも見ていた。彼女は怪訝そうに娘に尋ねた。「内海さんのお店って、どうしてこんなにスキンケアや化粧品まで置いてあるのかしら?」唯花はさらにネットショップも開いている。その店で売っているのは彼女が自分で作ったビーズ細工だ。それは神崎夫人も知っている。彼女は娘が持って帰ってきたハンドメイドの鶴を見たことがあり、とてもよくできていた。娘はそれをとても気に入っていて、放そうとしない。姫華の顔がすぐに赤くなった。彼女はぎこちなく言った。「お母さん、そこにある物は全部私が買ったものよ。ちょっと気分が悪い時にショッピングに行って、なんでもかんでもカートに入れて買ったやつなのよ。いろいろ買ってから、ようやく気持ちが落ち着いたんだけど、私使わないし、お母さんに怒られるかなって思って、それで、唯花のお店に持ってきちゃった」神崎夫人「……あなた、それって内海さんの店をリサイクルショップにしてるじゃないの」姫華は舌をべえーと出した。急いで母親に近づき、腕を掴んで甘えたように言った。「唯花は従妹かもし
「あなた、内海さんのその旦那さんとは会ったことあるの?」神崎夫人は娘にそう尋ねた。唯花姉妹が本当に彼女の姪っ子なら、神崎夫人はその二人の伯母にあたる。だから、姪っ子のためにもしっかり責任を持たなければならないのだ。「まだ会ったことはないわ。旦那さんは仕事がとても忙しいらしいし。お母さんも結城グループで働ける人はみんなエリートだって知ってるよね。仕事もとっても忙しいでしょう。唯花の旦那さんは管理職をしているみたいだし、普通の社員よりももっと忙しいわよ。唯花がたまに旦那さんのことを話してくれるけど、その時の表情ってだんだん柔らかくなっていってるの。きっと、夫婦二人はだんだんお互いに惹かれていっているんだわ」姫華は今まで唯花の結婚については深く興味を持ったことはなかった。彼女は男性を深く愛した経験があるから、唯花のスピード結婚相手に対する気持ちの変化に気づけたのだった。少し考えて、姫華はさらに付け加えた。「でも、二人はまだ愛し合っているわけじゃないから、本当の夫婦になってはいないわ。ただ名ばかりの夫婦ね。スピード結婚って、お互い愛し合う前に法律上の夫婦になっただけよね。ゆっくりお互いに愛を育てていって、後から本当の夫婦になるのよ。珍しいことに二人はすぐに関係を持ったりせずに、どっちも理性的なのよねぇ」まだ会ってもいないのに、神崎夫人はすでに唯花に思い入れをし始めていた。唯花のその理知的で、自立心があり、独り立ちしていて、強いところ、それが彼女にとても似ているからだ。この時、外から車の音が聞こえてきた。「きっと唯花よ」姫華が店から出ると、思ったとおり唯花が戻ってきたところだった。外はまだ雨が降りしきっていた。姫華は店の入り口に立ち、ニコニコと笑って唯花が車を降り、傘を差してやって来るのを見ていた。「姫華、ごめんね、すっかりお待たせしちゃって」理仁にしっかりと説明をして、あのすぐ頭に血が上る男とこの間の冷戦状態になるのを避けることができ、唯花は心が晴れやかだった。店に戻って姫華がニコニコとしているのを見て、彼女も思わずつられて笑ってしまった。店の入り口で傘を振るって水滴を落とし、それを畳むと姫華と一緒に店の中へと入っていった。「今日は一気に気温が下がったわね」姫華は「私は寒くは感じないけど」と言った。
「そのお弁当はもう冷めちゃってるだろうから、キッチンで温めてくるわ。姫華、あなたはこの店の常連客でしょう。おば様をしっかりおもてなししてね」姫華は笑って言った。「安心して、私たち親子は遠慮なんかしないのよ。この店は自分の家だと思ってるくらいよ」唯花は思った。あなたの家の財力なら、こんな大したことない店を家にするなんて、とんでもない。彼女は理仁が買って来てくれた朝食を持ってキッチンへと行き、温めなおしてからそこで食べた。理仁は彼女にジンジャーティーも用意してくれた。タンブラーに入れてくれたから、まだ温かかった。気温は下がったし、彼女はちょうど生理中だ。手足がとても冷えていて、タンブラーを持ちながらジンジャーティーを飲んでいると、お腹の痛みがかなり緩和されていった。「プルプルプル……」その時、携帯が鳴りだした。彼女はジンジャーティーを飲みながら、携帯を取り出して見てみた。それは理仁からかかってきた電話で、彼女は電話に出た。「店には着いた?」理仁は店に着く時間を計算して電話をかけてきた。「着いてるよ」「何を食べているの?」「さっきあなたが朝買って来てくれた愛情弁当を食べ終わったところよ。今は作ってくれたジンジャーティーを飲んでいるの。ショウガの味が効いていて、ちょっと辛いわ。でも、飲んでみたら、とっても甘かったわ」理仁は彼女に「もうこんな時間なのに、今頃朝ごはんを食べたの?」と言った。「某怒りん坊が、朝何も言わず、すぐ逃げだしたりしてなけりゃ、私が今頃朝食を食べるはめにはならなかったと思うけど?」理仁「……それは俺が間違ってたよ。これからは絶対にあんなことはしないって約束する」「約束なんかしないでよ。あなたのその性格なんだもの、変えられっこないでしょ」そして、唯花はケラケラ笑って言った。「そんな簡単に約束しといて自分から破ったら、恥をかくのはあなたのほうよ。そんなカッコイイ顔してるくせに、面目を潰すとそのイケメンがもったいないでしょ」理仁「……」彼にそんなことを言えるのはおばあさんを除いて、この世で内海唯花だけだ。「お昼はこっちに食べに来る?でも、昼ご飯を作る時間はなさそうだから、たぶん外で食べることになるけど」彼女は姫華たち親子にご馳走するつもりだった。「神崎さんはまだお店にいるの?
「金城琉生は帰った?」理仁はまだ恋敵のことは忘れていなかった。「こっちに戻ってから、彼には会ってないけど。まだヤキモチ焼いてるの?」理仁は少し黙ってから言った。「君も俺の性格がこんなんだって言ったろ。嫉妬するのがきっと癖になってるんだ」もしここに悟とおばあさんがいたら、以前はヤキモチなど焼かないなどと言ってたくせにと皮肉るだろう。唯花はハハハと笑った。「これから毎日お餅焼いて食べさせてあげよっか?」このヤキモチ焼き男ときたら、もっとたくさん焼かせてやらないともったいない。「君が作る料理なら、なんだって好きだ」「理仁さん、あなたは最近甘いものしか食べてないの?どんどん甘い言葉しか出てこなくなってるわよ」理仁は口角を引き攣らせた。おばあさんはいつも彼が唯花に甘い言葉を囁かないのをぶつくさと文句を言っていた。それが見てみろ、たった少し甘い言葉を口にしただけで、唯花にこんなことを言われてしまったではないか。彼女はたぶんあまりそういう言葉を聞きたくないのだ。「仕事忙しいでしょ、このあたりにしましょうか」「うん」唯花は先に電話を切った。理仁は携帯を耳元から離し、携帯画面を暫くの間見つめ、ぶつぶつと文句を言った。「あなたがいなくて寂しいとか、早く会いたいわとか、そういう言葉一つもないのか」そして、携帯を置き、すぐに気持ちを整え、忙しい仕事に身を投じた。唯花はジンジャーティーを飲み終わり、タンブラーを綺麗に洗ってから、冷蔵庫から果物を取り出して、お皿に盛りつけキッチンを出た。神崎夫人と姫華は店のレジ奥にある休憩スペースに座っていた。「おば様」唯花はその果物の皿を神崎夫人の前に置いた。「おば様、フルーツをどうぞ」「ありがとうね」神崎夫人はお礼を言って、唯花が座ると、単刀直入に彼女に言った。「唯花ちゃん、私が今日ここに来た理由をあなたはきっとわかっているでしょう。私は8歳のころ、実の妹と離れ離れになったの。あれからもう五十年が過ぎたわ。この五十年間、ずっと妹のことを忘れたことなんてなかった。妹が養父母の家でいじめられてないかとか、もう姉である私のことを忘れたんじゃないかとか、心配していたの。彼女が養子として引き取られていってから、私もよく施設の園長先生に妹の状況を聞いていたのだけれど、何も成果が得られな
唯花は神崎夫人の目から涙が零れ落ちるのを見て、すぐにティッシュを渡してあげた。そして、申し訳なさそうに「おば様、ごめんなさい」と言った。「唯花ちゃん」神崎夫人は唯花の手を握りしめ、嗚咽交じりに言った。「違うわ、おばさんのほうこそごめんなさい。おばさんに力が足りなかったから、あなた達姉妹をずっと見つけてあげられなくて。もし、もっと早くあなた達を見つけられていれば、もしかしたらお母さんは亡くならなかったかもしれないのに」彼女がもっと早く妹を見つけていたのなら、絶対に彼女を市内に連れて来て生活させていたのだ。そうであれば、妹も田舎で事故に遭わず、夫婦ともに亡くなることなどなかったのに。まだDNA鑑定をしてはいないが、神崎夫人の話を聞いて唯花も鼻がじんとしてきて、目を赤く染めた。もし、母親がまだ生きていればよかったのに。「お母さん、泣かないで。お父さんからお母さんのことしっかり見ててって言われたのよ。もうお母さんを泣かせるなって。昨日一日中泣いていたでしょ」姫華は唯花の手からティッシュを受け取り、母親の目を拭いて慰めた。「お母さん、先に唯花と一緒に検査してきて。もし、結果がそうだったとしても、ここには唯花とお姉さんの唯月さんもいるんだから」神崎夫人は自分で涙を抜きとった。「お母さんったら、自分の気持ちをコントロールできないだけよ」当時、彼女自身も、両親を亡くしていた。まだ年が幼かったので、妹を育てる力はなく、妹と離れざるを得なかったのだ。それから五十年、ようやく手がかりが見つかったというのに、死別という結果しか得られないなんて理不尽すぎる。神崎夫人はとても強い女性だが、それでも心が辛く悲しくなることはあるのだ。神様を恨みたい。二人はなんとか神崎夫人の気持ちを落ち着かせて、唯花は姉に電話をかけた。姉に意見を聞いた後、彼女は夫人と一緒にDNA鑑定をしに行くことに決めたのだった。「私は店番してるわね」姫華は自ら店を見ておく責任を買って出た。唯花は車の鍵を取り、レジを通り過ぎながら言った。「お店を閉めるわ。後でご飯をご馳走しに行くから」自分のハンドメイド細工のことを思い出し、彼女はまた引き返して、いくつか出来上がっていたビーズ細工を神崎夫人に贈った。「おば様、これ私が作ったものなんです。そんな大したものじゃなくて、
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら