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第6話

悠々たる魚
邸宅に戻った彩葉は、自分の荷物の整理を始めた。この数年で光希から贈られたジュエリーやバッグなどをすべてかき集め、買取業者に連絡して現金に換え、銀行口座に入金した。

あの泥の中から拾い上げたプロポーズのダイヤの指輪だけは、売らなかった。そこに刻まれているのは、自分の名前ではなかったからだ。

自分のものではないのだ。ケースに入れて書斎の机に置いた。

元の持ち主に返すつもりだった。

すべての私物を片付け終えても、光希は依然として帰ってこなかった。

あと一週間。一週間後には、彼の前から消え去るのだ。

彩葉がスマホを取り出し、ここを発つための航空券を予約しようとした矢先、美月からのメッセージがポップアップした。

【彩葉、出発の手配は私がするわ。

それより今、私のSNSの投稿に『いいね』を押してちょうだい】

美月が投稿したのは、数えきれないほどの写真だった。

そのすべてが、彼女と光希のツーショットだ。

どの写真の光希も、見たこともないような満面の笑みを浮かべ、その瞳は愛情と喜びに満ち溢れていた。

そうか、彼もあんな風に、心から楽しそうに笑うのね……

七年間を共に過ごしてきて、光希がこれほど感情を露わにする姿を見たのは初めてだった。普段の彼はいつも淡々としていて、笑う時でさえ静かな微笑みにすぎなかった。

彩葉が「もっと口を開けて思い切り笑ってよ」とせがむたび、彼は「子供の頃からこういう笑い方しかできないんだ」と答えていた。

笑えなかったわけではない。ただ、自分と一緒にいるとき笑いたくないだけだったのだ。

彩葉は美月の要求通り、無言で「いいね」を押した。スマホを置いた途端、画面が点灯し、光希からのメッセージが届いた。

【どうして美月の連絡先を知っている?彼女に何を言った?】

【お前、SNSなんて見ないはずだろ。どうして『いいね』なんて押したんだ?】

【彩葉、言いたいことがあるなら俺に言え。美月を困らせるな】

彩葉の口元に自嘲的な笑みが浮かんだ。どうやら自分は、彼らの愛を燃え上がらせるための、都合のいい道具になったらしい。

けれど、それこそが身代わりとしての本来の務めだ。

彩葉は返信しなかった。庭に山積みにした自分と彼のツーショット写真の束を見下ろし、一切の躊躇なくライターを手に取った。揺らめく火炎を瞳に映しながらも、彩葉の心に波風一つ立たなかった。

まるで、ただの日常的な業務をこなしているかのようだった。

身代わりにすぎない自分は、最初からサービス対象に感情など抱くべきではなかったのだ。

ましてやその相手が光希ならなおさら、彼の愛など到底望むべくもないものだったのだから。

三日後、光希は両手いっぱいに紙袋を提げて帰ってきた。そして家に入るなり、異変に気づいた。

「なんだか家の中ががらんとしていないか?壁にあった俺たちの写真はどこにやったんだ?」

「あれはずいぶん前に撮ったものだから、新しいのに替えようと思って」

光希の漆黒の瞳に、困惑の色が浮かぶ。

なぜか胸騒ぎがする。彩葉の様子が、どうもおかしい。

彼女はもともと、ひどく物を大切にする性格だ。七年も使い込んでぺちゃんこになった枕さえ、綺麗に洗って大切に保管しておくほど、捨てることができない性分だった。

やはり、これほど長く不在にし、彼女を蔑にしてしまったせいだろうか。

そう思い至り、光希は彩葉にいくつかプレゼントを渡そうと振り返った。だが、土産物を手に取るたびに、美月の弾むような声が脳裏に蘇ってくる。

少しして、彼は愕然と気づいた。これほど大量のプレゼントの中に、彩葉のためのものが一つも無いことに。

思わず心臓が締め付けられた。彼は、彩葉のことを完全に忘れていた。

光希の瞳に一抹の後ろめたさが過り、彼の視線は、端のほうに置かれていた小さな箱に止まった。中には一本のネックレスが入っている。

一瞬の躊躇いの後、彼はそれを手に取ると彩葉に差し出した。その声は、珍しく甘く優しかった。

「彩葉。出張が長引いて、ずっと一人にして悪かったな。これ、お前へのプレゼントだ。気に入ったか?」

彩葉は一目でそのネックレスに見覚えがあった。美月のSNSに写真が上がっていたものだ。

美月が「ダサい」と見下していた、ただのおまけ。

「ええ、気に入ったわ」

彩葉は微笑んでそれを受け取った。おまけならちょうどいい。わざわざ業者を呼んで売る手間が省けるというものだ。

ただの身代わりの私には、所詮おまけがお似合いなのよ。

光希の胸の奥に、得体の知れないやりきれない思いが広がった。彼は彩葉の頭を撫でようと手を伸ばしたが、指先が触れる前にふわりとかわされた。

彼は本能的に察知していた。彩葉はまだ機嫌が直っていないと。

一体、なぜなのだろうか?

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