ログイン同窓会の日、親友が抽選箱を取り出した。 箱にはこう書かれている。 【桜井糸(さくらい いと)、恋する乙女の名言集・大抽選会】 その場がどっと沸いた。 誰かが引き当てたのは、高3のとき角田旭(かくだ あさひ)に渡したラブレターだった。 【旭くんが今日、私に笑いかけてくれた。だから明日も、彼に捧げたいと思った】 別の誰かが引いたのは、大学時代のもの。 【返事が来なくてもいい。忙しさが落ち着いたら、きっと思い出してくれるはずだから】 けれど旭に宛てた手紙に、彼が返事をくれたことは一度もない。とっくに捨てられたのだと、今までずっと信じ込んでいた。 最後に親友が引き当てたのは99通目。 彼女は旭の胸に寄りかかったまま、笑いながら読み上げた。 「もしいつか私のことが必要なくなっても、それでも幸せを祈ってる」 旭は紙をひったくり、笑って親友をたしなめた。 「よせよ。糸は恥ずかしがり屋なんだから」 そう口では言いながらも、その目はどこか、私が恥をかくのを面白がっているように見えた。 親友が手紙をめくった拍子に、箱がぐらりと傾き、中の手紙がこぼれ落ちた。それを拾おうとかがんだ私は、箱の底に小さく書かれた文字に気づいた。 【毎月更新】 【仲間内だけのお楽しみ】
もっと見る1年後、私は海外でピアノのソロコンサートを開いた。最後の曲は、「あの日の星空」。客席は満員だった。照明が落ちたとき、私はもう旭のことを考えていなかった。思い浮かべていたのは、自分のことだけだった。誰にも言えず、こっそり99通もの手紙を書き続けた、あの頃の私。不器用で、真っ直ぐで、持てる力のすべてを注いで、ひとりの人を愛していた。そして今、長い間続けてきた自己犠牲から、ようやく抜け出した私自身のことを思っていた。演奏が終わると、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。立ち上がって一礼したとき、最後列に見覚えのある姿を見つけた。旭だった。彼はずいぶん痩せていた。薄暗い隅の席に座り、レモンイエローの小さな花束を、両手で握りしめていた。私はほんの一瞬、彼に目を向けただけで、すぐに視線を逸らした。終演後、彼は楽屋の外で私を待っていた。昔のように「止まれ」と命じることも、私に戻ってこいと言うこともなかった。ただ花束を私の前に差し出し、ひどくかすれた声で言った。「糸、今日は邪魔をするつもりはなかった。ただ、あの曲を最後まで聴きたかっただけだ」私は頷いた。「聴き終わったなら、帰って」旭の目の縁が、うっすらと赤くなった。「今、幸せか?」「とても」彼はふっと笑った。けれど涙がこぼれた。「それなら、良かった」彼は俯き、ポケットから古い封筒を取り出した。角はもう擦り切れて白くなっている。「100通目の手紙は、あのあと、少しずつ拾い集めて貼り合わせた」私はその封筒を見つめたまま、受け取らなかった。彼の指先が、かすかに震えていた。「見る資格がないことは、分かってる。それでも、見た。お前はこう書いていた。『旭、あなたを好きでいるのは、これで最後』」そこまで言うと、彼の声は完全に詰まった。「あのとき、お前はもう俺に別れを告げていたんだな」私はしばらく黙り込んだ。「ええ」旭は目を閉じた。涙が封筒の上に落ち、小さな染みを作った。「もしあの日、みんなに手紙を読ませなかったら、もし舞台に上がって真っ先にお前を庇っていたら、もしお前に謝れなんて言わなかったら、俺たちは……」「もし、なんてない」私は彼の言葉を遮った。「旭。私たちが壊れたのは、あの日が原因じゃない。その前から、少しずつ壊
私が南雲市を離れる日、旭は現れなかった。アシスタントによると、彼は恵川市へ戻ったらしい。会社で大きな問題が起きたのだという。契約を打ち切られた遥香は、その腹いせに、創立記念祭の動画や抽選箱をめぐる一連の出来事をすべてネットに流した。自分は巻き込まれただけで、すべて旭が黙認していたことだと訴えるつもりだったのだろう。けれど、世間は彼女が無実かどうかなど気にも留めなかった。そこに映っていたのは、見るに堪えない集団いじめだった。旭への批判は瞬く間に広がり、会社の株価は3日続けて下落した。取引先からも契約の見直しや打ち切りを求められ、父親は怒りと心労で倒れ、入院したという。誰もが口をそろえて言った。旭がこれほど追い詰められたのは、初めてだと。けれど私がその話を聞いたのは、空港の搭乗口で飛行機を待っているときだった。兄が尋ねた。「見なくていいのか?」私は首を振った。「もう大丈夫」搭乗を待っていると、旭からメールが届いた。本文はなく、添付されていたのは1枚の写真だけだった。そこには、灰になるまで焼かれた、あの抽選箱が写っていた。その下に、ひと言だけ添えられている。【糸、すまなかった】私はその言葉を、しばらく見つめていた。そして、メールを削除した。かつては、このひと言をずっと待っていた。10年もの間、夢の中でさえ、彼の口から直接「糸、すまなかった」と聞きたいと願っていた。けれど、いざ届いてみれば、それだけだった。あまりにも遅すぎた謝罪では、あの日傷ついた心を元に戻すことなどできない。私はスマホをしまい、兄と一緒に飛行機へ乗り込んだ。やがて機体が雲を抜けると、窓の外には一面の白が広がった。その景色を見つめているうちに、ふと99通目の手紙に書いた言葉を思い出した。「もし彼がいつか誰かを好きになったら、それでも幸せを願う」あの頃の私は、なんて愚かだったのだろう。捨てられるその瞬間まで、彼のプライドが傷つかないように気を遣っていたなんて。けれど今なら分かる。もう、彼の幸せを願う必要はない。これからは、ただ自分の幸せだけを願えばいい。この先の人生で、二度と彼と関わることがありませんように。
旭はなかなか諦めきれず、療養病院の近くに部屋まで借りていた。毎朝7時になると、玄関先に朝食が届けられた。ネギ抜きの卵雑炊に、温かい牛乳。それから、私が好きだったレモン飴。さらには、以前何気なく欲しいと口にした、今では手に入らないピアノの楽譜まで添えられていた。しかし、私は一度も受け取らなかった。兄は、日に日に積み上がっていく玄関先の荷物を見かねて、最後には介護士に頼み、すべて返してもらった。旭も、それで騒ぎ立てはしなかった。ただ、毎日療養病院の向かいの木の下に立ち続けていた。雨の日でも、傘を差さないことがあった。私は一度、窓辺からそれを見た。彼は雨の中に立ち、スーツの肩をびっしょり濡らしていた。あの夜、傘を私のほうへ傾けていたときと同じ姿だった。けれど今度は、私は下に降りなかった。兄が私の背後にそっと立った。「情にほだされたか?」私は首を振った。「ただ、彼もようやく私の気持ちを知ったんだなと思っただけ」兄は何も言わなかった。しばらくして、静かに口を開いた。「糸。彼の痛みで、自分を罰するな」私は振り返り、カーテンを閉めた。「分かってる」旭が本当に取り乱したのは、2週間後のことだった。その日、療養病院で小さな音楽会が開かれた。兄はだいぶ体調を取り戻していて、どうしても1曲弾いてほしいと言って譲らなかった。私はもともと出演するつもりはなかった。けれど兄は笑って言った。「まさか、旭ひとりのせいで、お前がピアノまで手放すつもりじゃないだろうな」それで私は、ピアノの前に座った。弾いたのは、あの曲。ただ今度は、遥香はいない。ただ兄が客席に座り、静かに私を見守っているだけだった。1曲弾き終えると、拍手は小さかったけれど、とても温かかった。立ち上がったとき、入口に旭が立っているのが見えた。いつから来ていたのか分からない。顔が、恐ろしいほど青白かった。音楽会が終わると、彼は廊下の突き当たりで私を待っていた。「本当に……俺のために書いた曲だったのか」かすれた声は、今にも消え入りそうだった。「あの日は思い出せなかった。何の変哲もない曲だと思ってた」私は何も言わなかった。彼の目の縁がひどく赤くなっていた。「高3の卒業式の日、俺が行かなかったのは、遥香が足を挫いたと言ったからだ。お前が、
旭が南雲市を訪ねてきたのは、それから1週間後のことだった。その日、私はちょうど療養病院を出たところで、兄のために買った薬の袋を手に提げていた。ふと顔を上げると、彼が道端に立っているのが見えた。しばらくまともに眠れていないのだろう。瞳は赤く充血し、顎には無精髭が浮いていた。着ているスーツはきちんとプレスされているのに、彼自身はまるで魂を抜き取られたかのように、生気がなかった。私を見た瞬間、彼の目が一気に明るくなった。「糸」私は足を止めた。彼は足早に歩み寄り、私の手にある薬袋を受け取ろうと手を伸ばすが、私はそれを避けた。旭の手が、宙で止まった。少しして、彼は何事もなかったかのように、低い声で言った。「迎えに来た」私は彼を見つめた。「どこへ?」彼は眉をひそめた。「恵川市に決まってるだろう。お前のマンションは、もう更新しておいた。講堂の動画も処理した。もう誰にも拡散させない」彼は早口だった。まるで、ひとつひとつ問題を片付けていけば、私が素直に一緒に帰るとでも思っているように。「遥香は、恵川市から出て行かせた。抽選箱の件は、彼女に謝らせる」少し間を置いて、彼はさらに付け加えた。「お前がどう罰したいと言おうと、それでいい」私は静かに聞き終えたあと、ふと尋ねた。「それで、あなたは?」旭が固まった。私は彼を見つめた。「旭。彼女が私の手紙を面白半分に扱ったことも、みんなが私を笑いものにしたことも、それぞれ、あの人たちが悪い。じゃあ、あなたは?」彼の喉が、ごくりと鳴った。「俺は……」「あなたは、あの手紙が私があなたに書いたものだと、ちゃんと知っていた。あの曲が、私があなたのために書いたものだということも、私がみんなに笑われて、どれほど惨めだったかも、ちゃんと知っていた」私の声はひどく静かだった。「なのにあなたは、真っ先に彼女を庇った。私に、彼女へ謝れと言った。私を、甘やかされすぎて我が儘になった女だと、そう言った」旭の顔から、じわじわと血の気が引いていった。彼は口を開きかけ、掠れた声で言った。「あのときは、お前が本当に去るとは、思わなかった」私は笑った。「じゃあ、私が去りさえしなければ、あなたはずっと私を傷つけ続けられたってこと?」そのひと言に、彼はまるで平手打ちを食