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第351話
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億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第804話
誰も牧野に答えを教えてはくれなかった。彼は人を使って調べようとしたが、それが梓にばれたら怒られると思い、躊躇していた。啓司は今日、病院で検査を受けた。だが、体には何の異常も見つからず、ただ記憶だけが戻っていなかった。澤村も病室を訪れたが、ため息ばかりをついていた。「......本当に、頭が痛いな」そう呟いた澤村に、啓司はどこ吹く風といった様子だった。「啓司さん、まだ帰る気はないのか？奥さんは妊娠中なんだよ」今や澤村は、紗枝のことが頭から離れず、啓司を縛りつけてでも自宅に連れ戻したい思いに駆られていた。「彼女に渡した金で、妊娠に必要なことはすべて賄えるはずだ」啓司は冷ややかにそう言い放った。そしてふいに顔を上げ、牧野に向き直った。「今日、鈴から何か連絡はあったか？」しばらく沈黙したままの牧野だったが、ようやく我に返った。「いえ......これから電話してみます」そう答えると、スマートフォンを手に取り、病室を出ていった。戻ってきたときには、短く一言。「出ませんでした」啓司はそれ以上、何も聞こうとはしなかった。だが澤村は、今日の二人の様子がどこかおかしいことに気づいていた。まるで心ここにあらず、といった風情だった。「牧野さん、家庭内で何かあった？」半ば冗談交じりに口にしたその言葉に、牧野はピクリと反応し、冷たい目で澤村を睨んだが、答えようとはしなかった。澤村は、自分の勘がこれほど的中するとは思っていなかった。にわかには信じがたかった。まさか、あの堅物な牧野までもが、女に振り回されているとは。いや、俺は違う。もう女に執着するのはやめた。彼は心の中でそう言い聞かせることで、密かに安堵していた。黒木グループ本社ビル、最上階。昨夜、鈴が遊びすぎたせいか、朝になっても帰ってこなかった。そのため、紗枝はひとりで出社していた。万崎は当初、紗枝もほかの資産家の妻たちと同じく、形だけの出勤だろうと高をくくっていた。だが、紗枝は昨日のうちに会議資料の大部分に目を通し、分類と記録まで済ませていた。万崎は彼女への評価を改め、好感をさらに強くした。やがてドアがノックされ、万崎が入ってきた。「奥様、本日、拓司様に同行してお客様とお会いする予定だった秘書の木村さんが、体調を崩してお休みをいただきました。奥様に代
億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第803話
鈴は呆然と立ち尽くしていた。追いかけようと足を踏み出しかけたが、すでに梓の姿はどこにもなかった。影すら、残っていない。一方その頃、梓はすぐ近くに紗枝が停めておいた車に身を滑り込ませ、鈴があたりを見回す様子を車内から見つめていた。そしてようやく、胸をなで下ろした。「見事だったわ」紗枝が小さく感嘆の声を漏らした。「ありがとう」梓は淡々と答えた。袖をたくし上げ、掌を見下ろした。そこは赤く染まっていた。鈴を殴った時、どれだけ力を込めたかが如実にわかる。続いて、さきほどの録音データを取り出した。「全部、録れてる。あとで牧野に聞かせてやる。どんな言い訳をするのか、楽しみね」梓は静かに言った。「急がなくてもいいわ」そう言って紗枝が指さした先には、頬を押さえながら梓の姿を探している鈴の姿があった。鈴は次の瞬間、苛立たしげにスマホを取り出し、牧野に電話をかけようとしていた。けれども、ふと手を止めた。もし、牧野が本当に梓を愛していたら？彼が梓の味方についたなら、自分はただ損をするだけではないか。欲しいのは牧野じゃない。啓司だ。その思いが脳裏をよぎり、鈴は悔しさを噛み殺すしかなかった。時間を確認した鈴は、まだ少し遊べると踏み、地元最大の会員制ホストクラブへと足を向けた。店内では数人のホストを指名し、賑やかに飲み始める。しかし、鈴は気づいていなかった。ずっと誰かに尾行されていたことに。そして、その誰かは、もはや紗枝や梓ではなかった。妊娠中の紗枝には鈴の尾行は難しく、彼女は車内で体を横たえ、雷七に部下を付けさせて追跡と映像記録を任せていた。隣では、梓も眠りに落ちていた。だが、その表情は冴えず、牧野からの着信にも応じなかった。代わりに、短いメッセージを送った。【今日は女友達の家に泊まるから、帰らない】そのメッセージを見た牧野は落胆し、再び電話をかけるが、梓はやはり出なかった。そして、続けざまにメッセージが届いた。【梓ちゃん、どうして電話に出ないの？】【女友達の家で、もう寝てるから出られないの。起こしちゃ悪いでしょ】【わかった。じゃあ明日起きたら、必ず電話してね】それに対して、梓はもう返信を返さなかった。もちろん牧野には知る由もないが、その頃、梓は紗枝とともに巨大なキャンピングカーのベッドで静かに眠ってい
億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第802話
その言葉を聞いた瞬間、梓は涙を浮かべたまま微笑んだ。「紗枝ちゃんって、すごく真面目で上品な女性だと思ってたのに......こんなに面白いジョークを言えるなんて」目尻に滲んだ涙をそっと指で拭いながら、彼女は笑った。「さあ、美味しい料理、どんどん食べよう。冷めちゃう前にね」紗枝が明るく声をかけた。「うん」梓は素直に頷いた。紗枝は心の奥で、静かに誓いを立てていた。もし牧野が、この純粋でまっすぐな女の子を傷つけるようなことがあれば、絶対に許さない。だが幸いなことに、牧野は鈴との食事を終えると、あっさりと帰宅の意志を示した。梓と紗枝も、彼のあとを追って席を立った。そのとき、鈴が牧野の手をぎゅっと引いた。「牧野さん、帰りたくない。もう少しだけ一緒にいてくれない？」牧野は腕時計に視線を落とした。時刻はまもなく23時になろうとしていた。「ダメです。彼女に、11時までには帰るって約束したから」きっぱりとした口調だった。「じゃあ......彼女に電話して、私と一緒にいるって伝えてくれない？」鈴は甘えた声で、さらに一歩踏み込んできた。牧野は、やはり鈴がわがままを言っていると思い、そっと手を引き剥がした。「いい子でしょう？わがままは言わないでください。運転手に牡丹別荘まで送らせますから」「牡丹別荘には帰りたくない。帰ったら、またお義姉さんにいじめられるの」鈴は、拗ねたような声でそう呟いた。牧野は少し不思議に思った。牡丹別荘では、どの使用人も紗枝に好意的で、彼女が誰かをいじめているなどという話は聞いたことがない。もしかすると、紗枝は鈴に嫉妬しているのだろうか？「じゃあ、ホテルを予約してあげます」牧野は折衷案を提示した。「女の子が一人でホテルなんて、危なすぎるわ」鈴はまだしつこく食い下がる。彼女の本心は牧野を骨抜きにし、手元に引き留めておくこと。そのためなら手段は選ばなかった。彼を自分の「獲物」として引き寄せ、啓司を手に入れるための手駒として利用しようとしていた。牧野の眉間に、うっすらと皺が寄った。このままでは梓が心配する。「本当に帰らないといけません。ボディーガードをつけますから、大丈夫ですよ」そう言って鈴を宥めながらも、足は帰路を急ごうとしていた。しかし、しばらく押し問答が続いた末、牧野がようや
億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第801話
「やっぱり、牧野さんには鈴の本性を、自分の目で確かめてもらったほうがいいと思うの」紗枝が静かに口を開いた。「でも、牧野みたいな単純な男に、あの清楚ぶったずる賢い女の本性なんて見抜けるはずないじゃない」苛立ちを隠せない梓は、今にも感情が爆発しそうだった。こんな状況に直面するのは、彼女にとって初めてのことだった。お見合いで牧野と出会ったのは、何かの縁だと思っていた。まさか、運命の人に巡り会えたのかもしれないとさえ思っていた。けれど今、はっきりわかった。この世に純粋な愛なんて、存在しないのだと。「男の人ってね、よっぽどの馬鹿じゃない限り、ああいう清楚ぶった女や計算高い女の正体には気づくものよ」紗枝は、世の中の一部の男性はそれを承知の上で、あえて騙されたふりをし、ちやほやされるのを楽しんでいるのだと考えていた。「......あの二人が食事を終えるまで、ちょっと様子を見ましょう。鈴がこのあと、どう出るか」紗枝の提案に、梓はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。自分が今、衝動的に飛び出していっても、鈴には勝てない。そんな気がしていた。それに、牧野さんが鈴のことを「斎藤家のお嬢様」と呼んでいたのが、どうしても頭から離れなかった。確かに、家柄では到底かなわない。梓は心の中で、静かに決意を固めた。もし牧野が本当にどうしようもない男だったなら、きっぱり別れよう。最悪、またお見合いして、新しい人を探せばいいだけのこと。一方、隣の個室では、牧野は鈴の前で梓の話を一切せず、適当に料理を注文すると、会話の矛先を紗枝に向けた。「今日は、奥様は会社でどんなお仕事をされていたんですか？」「別に。会議の書類を見てただけよ」そう言いながらも、鈴は食事の合間に紗枝の悪口を続けた。「お義姉さん、全然真面目に働いてないと思うわ。会議の報告書一つに、一時間以上もかけて。集中できないとか言って、私がそばで手伝ってたのが邪魔だったみたいで、一人で出て行かされたの」牧野は軽くうなずいた。「妊婦さんは情緒不安定になりがちですから......本当にお疲れ様です」「疲れてないわよ。啓司さんの負担を少しでも軽くできれば、それだけで十分」そう言って、鈴は自分の食べかけのデザートを牧野の前へ差し出した。「牧野さん、これ食べてみて。すっごく
億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第800話
牧野と鈴がいる個室の隣は、まさに紗枝と梓が食事をしている部屋だった。マネージャーは、紗枝の機嫌を取るため、あえて隣室との間に一方向ガラスを設置していた。牧野たちからはこちらが見えないが、紗枝には牧野と鈴の一挙手一投足がはっきりと見えていた。鈴が個室に入ってきた瞬間、床一面に敷き詰められたバラの花と、精巧に飾られた食卓の光景が目に飛び込み、彼女はわざと牧野の腕にしなだれかかりながら、大げさに声を上げた。「わあ、すごく素敵！」その様子を目の当たりにした梓は、紗枝の向かいの席で今にも飛び上がらんばかりの勢いで怒りに震え、「馬鹿野郎！」と叫びそうになった。幸いにも、牧野はすぐさま鈴の手を払って距離を取った。「鈴さん、まずは座って食事をしましょう。あなた、いろいろ聞きたいことがあるって言っていましたよね？」牧野は感情を抑えた淡々とした口調で、場の空気を変えようとした。ようやく鈴は椅子を引き、牧野の隣に腰を下ろした。「向かいじゃなくて、隣に座るなんて......」梓は小声でつぶやいた。牧野は、自分たちの姿が紗枝と梓に見られているとは知らず、鈴に席を変えるよう促すこともしなかった。もしかすると、どこか気まずさを感じていたのかもしれない。彼はほんの少し身を引くと、鈴が口を開くのを待った。「啓司さんは今、どうしてるの？」「社長は元気にしていますよ。心配なさらないでください」牧野は変わらぬ声色で答えた。だが、鈴は首を横に振った。「啓司さんは、今すごく不幸だと思う。全然良くなんかないわ。もし幸せなら、どうしてお義姉さんと別居してるの？この数日間、私が牡丹別荘でお義姉さんの世話をしていたんだけど......彼女、何もせず、何もできないのよ。本当に啓司さんがかわいそうだと思った」鈴が愚痴をこぼしている間、紗枝はそっと梓に耳打ちした。「あの人、啓司のいとこなの」「えっ？全然似てないけど？」梓は眉をひそめた。「血の繋がりはないのよ」「なるほど......でも、彼女、明らかに啓司様に気があるわね」梓の目から見ても、鈴の「啓司狙い」はあまりに露骨だった。牧野はそんな鈴の肩を軽く叩き、慰めるように言った。「考えすぎですよ。社長は奥さんのことを心から愛していますし、奥さんだって何もできないなんてことはありませんよ
億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める 第799話
「もしもし、何の用？」梓は内心の怒りをぐっと抑え、冷ややかな声で問いかけると、受話器の向こうからは、牧野の柔らかな声が響いた。「梓ちゃん、今日は残業で......遅くとも11時までには帰れると思うんだ」「......ああ、それなら前に聞いたわよ？また、なんでわざわざそれを？」梓はわざと訝しげに聞き返した。「忘れてるかと思ってさ」牧野の声には、どこか甘えるような響きがあり、他人に向けるときの堅苦しさとはまるで別人のようだった。「わかったわ。気をつけてね。どこかの野花に引っかからないように」梓が冗談めかして言うと、牧野はやわらかな声音でそう返してきた。「ははは、気をつける。大好きだよ」梓は無言で電話を切った。その場にいた紗枝も、初めて牧野がそんなふうに話すのを耳にした。「大好きだよ」――そんな言葉まで。どうやら牧野は本当に梓のことが好きらしい。ただ、願わくば、彼が「プレイボーイ」に堕ちることがないように。「見て。この男、まだ私を騙してるのよ。今すぐ、あの料亭に張り込むわ」梓は怒りを滲ませながら言った。「私も行く」紗枝もすぐに応じた。「うん」共通の目的を胸に、二人は車に乗り、料亭「神無月」へと向かった。その店は完全予約制で、しかもカップル向けの高級料亭だった。店の入り口で、二人を見た店員が丁寧に声をかけてきた。「お二人様、ご予約はいただいておりますか？それと......ご一緒の男性の方は？」紗枝はその言葉に、はっとした。ここは格式ある店で、誰もが気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。何か説明しようとしたその瞬間、梓が紗枝の腕をきゅっと引いた。「私たちがカップルじゃダメってこと？差別する気？」その鋭い声に、紗枝も驚いたが、店員も目を見開いて固まって、慌てて言い直した。「い、いえ、そんなつもりは......では、ご予約はございますか？」「予約なしじゃ入れないってこと？」梓は食い下がるように尋ねた。「申し訳ありませんが、基本的には......」その言葉が言い終わる前に、紗枝が一枚のカードをスッと取り出して差し出した。「本当に入れないの？マネージャーに確認してもらえる？」落ち着いた口調の中に、確かな圧が込められていた。店員はカードを一目見るなり、それが無制
