LOGIN25歳の朱里は、同じ部署の先輩・嵩にずっと片想いをしていた。けれども不器用な朱里は、素直に「好き」と言えず、口から出るのはいつも「大嫌い」。彼女のツンデレな態度に最初は笑って受け流していた嵩も、次第に本気で嫌われていると思い込み、距離を置き始める。 そんな中、後輩の瑠奈が嵩に好意を寄せ、オープンに想いを伝えていく。朱里は心の奥で「私は本当は死ぬほど好きなのに」と叫びながらも、意地とプライドが邪魔をして一歩踏み出せない。 しかし、嵩の転勤が決まり、別れが迫ったとき、朱里はついに「大嫌い」と100回も繰り返した心の裏にある“本音”を告白する決意をする――。
View More四月の雨が、新緑の街路樹を濡らしていた。
目覚ましの音が、夢の残り香を乱暴にかき消した。 朱里はゆっくりとまぶたを開け、天井を見つめた。 ぼんやりとした意識の中に浮かぶのは、昨夜の雨の音。そして、車の中の沈黙。 ──「中谷さんだから、なんだよ」 その言葉が、耳の奥で何度も反芻される。 寝起きの心臓には刺激が強すぎる。顔が一気に熱くなって、布団の中に潜り込んだ。「な、なんなのあれ……」 独り言がこもった声になって空気に溶ける。 思い出すたびに胸がぎゅっとして、どうしようもなく嬉しくなる。 だけど同時に、怖くもあった。 好き、なんて簡単な言葉で片づけてしまうのが惜しいほど、この感情は複雑で、甘くて、痛い。 ──“理由なんてない”。 嵩のあの言葉を、どう受け止めればいいのか分からない。 彼の気持ちを信じたい。でも、まだ自信が持てない。 カーテンを開けると、昨夜の雨が嘘のように止んでいた。 街路樹の葉が朝日を反射して、きらきらと光っている。 コーヒーを淹れながら、朱里はスマホをちらりと見た。 ──新着メッセージなし。 ため息をついて、マグカップを両手で包む。 “別に期待してたわけじゃない”と自分に言い訳しながらも、 心のどこかが、静かに沈んでいくのを感じた。 出勤の支度をしながら、鏡の前に立つ。 いつも通りのメイク、いつも通りのスーツ。 でも、鏡の中の自分が少し違って見えた。「……顔、赤い」 昨夜からずっと、頬の熱が引かない。 恋を自覚するって、こんなにも不安定なものなのか。
小雨が、車のフロントガラスを細かく叩いていた。 朱里は助手席で、静かに手元のカップを見つめていた。映画館を出たあと、嵩が「ちょっと温まろう」と立ち寄ったドライブスルーのコーヒー。紙コップの中の温もりは、もうほとんど残っていない。「雨、やみそうにないな」「ですね……」 短い会話のあと、ふたりの間にまた静寂が落ちた。 ワイパーが一定のリズムで窓を拭うたび、朱里の心も少しずつ整っていくようで、でも同時に、どこか締めつけられるようでもあった。「……楽しかったです。今日」 朱里がそう言うと、嵩はゆっくりと視線を向けた。「俺も。なんか、時間が早かったな」「本当に。あっという間でした」 たった数時間なのに、何日分もの感情が詰まっている気がした。 沈黙を破るように、嵩が小さく息をついた。「……中谷さん」「はい?」「“なんで私なんですか”って、この前言ってただろ」 朱里の胸が、きゅっと縮まった。 忘れたくても忘れられない、あのときの自分の言葉。 嵩は前を向いたまま、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。「たぶん、俺……理由なんてないんだと思う。気づいたら、そうなってた」「え……」「理由を探すと、なんか違う気がして。中谷さんだから、なんだよ」 その一言で、朱里の喉が熱くなった。 何か返したくても、言葉が見つからない。 窓の外の雨が、急に遠くに聞こえた気がした。 嵩が車を停め、ウインカーの音が小さく鳴る。「送ってくれて、ありがとうございました」「こっちこそ。……気をつけて」
金曜の午後。 仕事を終えたオフィスには、週末特有の緩んだ空気が漂っていた。 朱里は資料を閉じながら、デスク越しに嵩の姿をちらりと見た。 彼は電話を切ったあと、静かに深呼吸して腕時計を見る。 「そろそろ行くか」 「え?」 朱里が顔を上げると、嵩は軽く笑った。 「映画。今日だっただろ?」 「あ、はい……! でも本当に、仕事のあとで大丈夫なんですか?」 「むしろこのタイミングのほうが、ちょうどいい。週末だし」 その穏やかな声に、朱里の心臓がひとつ跳ねた。 “また映画行きたいです”と口にしたのは自分。 まさか本当にこうして約束を覚えていてくれるとは思わなかった。 ふたりは同じ駅に向かい、少し早めの電車に乗った。 車内では、会社で見せる表情とは少し違う嵩の横顔があった。 ネクタイを緩めて窓の外を見つめる姿が、いつもよりずっと近く感じる。 「そういえば、朱里ってアクション系苦手だっけ?」 「いえ、むしろ好きです。頭空っぽで観られるので」 「じゃあ正解だったな。俺もこういうの、最近観てなかった」 電車の揺れに合わせて、小さく笑い合う。 会話はたわいもないのに、不思議と心がやわらかくなる。 ──どうしてこの人といると、時間の流れが違うんだろう。 映画館に着くと、街はすっかり夕暮れ色に染まっていた。 並んで発券機に並ぶとき、朱里はふと
その日の帰り道。 朱里はオフィスを出た瞬間、夜風の冷たさに肩をすくめた。 嵩はまだ会議室に残っていて、何かの資料を確認しているようだった。 背中を見送ることしかできず、モヤモヤしたまま足を止める。「……なんであんなに落ち着いてるのよ」 独り言が、白い息に溶けた。 この前の週末のショッピングだって、こっちは胸が痛くなるほどドキドキしていたのに、嵩は終始穏やかで、動揺ひとつ見せない。 あれだけ近くにいたのに、まるで何もなかったみたいに。 ──この温度差が、たまらなく悔しい。 スマホを取り出すと、美鈴からメッセージが届いていた。《で、次の一手は?》《そんなの、あるわけないでしょ》と返すと、すぐ既読がつく。《“ない”じゃなくて、“出せない”でしょ。》 短い一文に、図星を刺されて沈黙する。 ……わかってる。 本当は、素直になれないだけ。 それが、自分でも嫌になるくらいに。 翌朝。 朱里は寝不足のまま出社した。 会社のエントランスで、偶然嵩と鉢合わせる。「おはようございます、中谷さん」「あっ……おはようございます」 目を合わせると、またあの穏やかな笑み。 それだけで心が揺れるのが悔しい。「昨日の会議資料、助かりました。ありがとう」「い、いえ。仕事ですから」 声が少し尖ってしまう。 自分でも分かるくらい、刺々しいトーン。 嵩が少しだけ首を傾げて言った。「……なんか怒って