名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く

名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く

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「君の実家が欲しいだけだ。俺の視界に入るな」 名門旅館の『恥』として虐げられてきた小夜子は、家族から家政婦のように扱われている。 ついには借金の形として冷徹なホテル王・黒崎隼人に嫁ぐことになった。 しかしボロボロの服の下に隠されていたのは、完璧なまでの教養と実務能力、そして極上の家事スキルだった。 余り物で作った絶品夜食で夫の胃袋を掴み、驚異の事務処理能力でビジネスの危機さえ救ううち、氷の夫は彼女を溺愛し始めて……? 有能な娘を捨てた実家が自滅する中、契約結婚から始まる大逆転シンデレラストーリー!

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1화

1:日陰の身

 吐く息が白い。比喩ではない。文字通り、白い霧がパソコンの液晶画面にかかって、打ち込んだばかりの文字を曇らせていく。

 白河小夜子(しらかわ・さよこ)は画面の曇りを手で払って、かじかんで感覚のなくなった指先を口元に寄せた。

「はぁーっ……」

 温かい呼気を吹きかける。一瞬だけ指先に血が通う感覚が戻り、ジンとした痛みが走った。

(よし、まだ動く)

 小夜子は着古したフリースの袖をまくり上げ、再びキーボードに向かった。現在時刻は午前4時。場所は、名門・白河家の広大な敷地の片隅にある「離れ」。

 かつて物置として使われていた粗末な小屋が、小夜子の生活スペースだ。隙間風が容赦なく吹き込む室内は、外気と変わらない冷え込みようである。

 暖房器具はあるにはあるが、義母によって電源コードを没収されていた。

「電気代の無駄よ。どうせパソコンの熱で温まるんでしょう?」

 そんな無茶苦茶な理屈を押し付けられて、早5年。

 父である白河家当主の愛人の子として生まれ、母の死とともにこの家に引き取られて10年。

 義母と義姉、父からの不当な扱いは年を追うごとに増すばかりだった。

 中学までは義務教育だからと、かろうじて学校に通わせてもらえた。

 けれど高校に行くのは許されなかった。

 今は亡き恩人、この家の執事であった藤堂がこっそりと、私費を使って通信制の高校に入れてくれたため、高卒の資格だけは取ることができた。

 親切にしてくれたのは藤堂だけだ。その彼が亡くなってしまった現在、この家に小夜子の味方は一人もいなかった。

 人間は環境に適応する生き物だと言うが、小夜子はひどく冷え込む空気の中で、驚くほどの速度でタイピングを続けていた。

 というのも、手を止めたら凍えるからだ。画面に並ぶのは、難解なフランス語と専門用語。

『ホスピタリティの根源における「主と客」の非対称性について』

 これが、今回の論文のタイトルである。小夜子は机の脇に積み上げられた分厚い洋書――『欧州ホテル産業の歴史』――をめくり、該当箇所を翻訳しながら引用していく。

(19世紀のパリにおけるサービス規範……ここ、使えるわね)

 ふと、暗い窓ガラスに自分の姿が映り込んだ。そこにいるのは、精彩を欠いた影のような女だった。

 手入れを知らない黒髪は、艶こそ失われているものの、夜の闇を溶かしたように細くしなやかに背中へ流れている。

 色素の薄い肌は、陶磁器のように白い。それは健康的な白さではなく、陽の光を浴びることを許されない、地下室の花のような青白さだ。

 頬は痩せて丸みを失い、身体は一抱えできそうなほど薄い。粗末な服の袖から伸びる手首はあまりに華奢で、力を込めれば折れてしまいそうに見える。

 だがその顔立ちは整っていた。長い睫毛(まつげ)が落とす影の下、切れ長の瞳だけが、暗がりの中で静かな光を宿している。

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1:日陰の身
 吐く息が白い。比喩ではない。文字通り、白い霧がパソコンの液晶画面にかかって、打ち込んだばかりの文字を曇らせていく。 白河小夜子(しらかわ・さよこ)は画面の曇りを手で払って、かじかんで感覚のなくなった指先を口元に寄せた。「はぁーっ……」 温かい呼気を吹きかける。一瞬だけ指先に血が通う感覚が戻り、ジンとした痛みが走った。(よし、まだ動く) 小夜子は着古したフリースの袖をまくり上げ、再びキーボードに向かった。現在時刻は午前4時。場所は、名門・白河家の広大な敷地の片隅にある「離れ」。 かつて物置として使われていた粗末な小屋が、小夜子の生活スペースだ。隙間風が容赦なく吹き込む室内は、外気と変わらない冷え込みようである。 暖房器具はあるにはあるが、義母によって電源コードを没収されていた。「電気代の無駄よ。どうせパソコンの熱で温まるんでしょう?」 そんな無茶苦茶な理屈を押し付けられて、早5年。 父である白河家当主の愛人の子として生まれ、母の死とともにこの家に引き取られて10年。 義母と義姉、父からの不当な扱いは年を追うごとに増すばかりだった。 中学までは義務教育だからと、かろうじて学校に通わせてもらえた。 けれど高校に行くのは許されなかった。 今は亡き恩人、この家の執事であった藤堂がこっそりと、私費を使って通信制の高校に入れてくれたため、高卒の資格だけは取ることができた。 親切にしてくれたのは藤堂だけだ。その彼が亡くなってしまった現在、この家に小夜子の味方は一人もいなかった。 人間は環境に適応する生き物だと言うが、小夜子はひどく冷え込む空気の中で、驚くほどの速度でタイピングを続けていた。 というのも、手を止めたら凍えるからだ。画面に並ぶのは、難解なフランス語と専門用語。『ホスピタリティの根源における「主と客」の非対称性について』 これが、今回の論文のタイトルである。小夜子は机の脇に積み上げられた分厚い洋書――『欧州ホテル産業の歴史』――をめくり、該当箇所を翻訳しながら引用していく。(19世紀のパリにおけるサービス規範……ここ、使えるわね) ふと、暗い窓ガラスに自分の姿が映り込んだ。そこにいるのは、精彩を欠いた影のような女だった。 手入れを知らない黒髪は、艶こそ失われているものの、夜の闇を溶かしたように細くしなやかに背中へ流れている。
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(埃をかぶったまま、蔵の奥で忘れ去られた日本人形。……今の私は、そんなところね) もしこの髪に椿油を塗り、きちんとメイクを施して、上質な服を身につけたなら。ガラスの中の娘は、誰もが息を飲むような美女へと変貌するかもしれない。 けれどそんな予感を抱かせる素材の良さこそが、義姉や義母の癇に障るのだろう。 彼女たちは小夜子が飾ることを許さず、また小夜子自身も、己を磨く気力などとうに奪われていた。小夜子は視線をガラスから外し、再び手元へ落とした。(私が書いているのは「最高のおもてなし」について。さあ、最後まで書き上げなくては) 凍えるような寒さは体だけでなく、心を蝕んでいく。けれど休んでいる時間はない。納期は今日の朝食の時間までだ。 つまり、あと2時間もない。義姉の麗華(れいか)が起き出してくるまでに、この論文を完璧に仕上げなければならないのだ。 小夜子は思考を加速させる。脳内のデータベースから、かつて老執事・藤堂(とうどう)に叩き込まれた知識を引き出して、文章を構築していく。 この論文は、麗華の大学の卒業論文となる予定のものだ。本来なら麗華自身が書くべきものだが、彼女は「ネイルが傷つくから」という理由で、当然のように小夜子に丸投げした。 麗華の大学生活は、小夜子に全てのレポートを丸投げすることで成立していた。友人に代返を頼み、リアルタイムの試験がある科目は可能な限り避けてしのいできたのだ。 麗華自身に卒論を書き上げるだけの知識も技量もあるはずがない。 小夜子の指が動いて、論文の最後の一行を書き上げた。エンターキーを叩いた瞬間、背後のドアが乱暴に開かれる。「寒っ! 何よここ、冷蔵庫?」 外の冷気とともに、甘ったるい香水の匂いが流れ込んでくる。 小夜子は振り返らずに手を動かし続けた。本文は既に完成した。あとは奥付や表紙の体裁を整えるだけだ。「おはようございます、お義姉(ねえ)様。冷蔵庫よりは少しマシですよ。昨夜の残りの白湯も凍っていませんから」「減らず口を叩かないで。……で? できたの?」 麗華がヒールの音を響かせて近づいてくる。最高級シルクのパジャマの上に、見るからに暖かそうなカシミヤのガウンを羽織っていた。 手にはホットミルクが入ったマグカップを持っている。立ち上る湯気を見て、小夜子は思わず喉を動かしそうになった。あれを両手で持てば、
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 小夜子は最後の結論部分をもう一度見直し、表紙の体裁を整えて保存ボタンを押した。 パソコンの画面には、論文の題名と『白河麗子』の名前が表示されている。「はい。たった今、完成しました」「遅い! グズね」 麗華は小夜子の椅子を蹴るようにして退かせると、画面を覗き込んだ。 だが、彼女の目が追っているのは文章の中身ではない。文字数と、それっぽい体裁になっているかだけだ。「ふーん。まあ、分量は十分ね。フランス語の引用も多めに入ってる?」「はい。注釈もつけておきました」「余計なことしないでよ。教授に突っ込まれたら面倒じゃない」(そこまで読んでくれる教授なら、一発で代筆だと見抜くでしょうけど) 小夜子は心の中で毒づくが、表情には出さない。無表情を貫くことは、この家で生き抜くための処世術だ。 麗華はUSBメモリをパソコンから引き抜くと、それを大事そうにポケットに入れた。「確認するまでもないわね。私が提出するんだから、最高評価で当たり前よ。もし『可』なんてついたら、あんたのせいだからね」 論文の中身――高度な語学力と経済理論の結晶――には一切の興味を示さない。彼女にとって重要なのは、それが「自分の手柄」になるという事実だけだ。「承知いたしました」 小夜子が頭を下げると、麗華はふんと鼻を鳴らした。「あーあ、ここに来ただけでお肌が乾燥しちゃった。汚らしい部屋。風邪うつさないでよ?」 そう言い捨てて、麗華は踵(きびす)を返す。ドアがバタンと閉まり、再び静寂と冷気が部屋を支配した。 嵐のような襲来が去って、小夜子は大きく息を吐いた。白い息が長く伸びて、消えていく。机の上には、飲みかけの白湯が入ったマグカップが残されている。凍ってさえいないものの、すっかり冷めきっていた。 小夜子はそのカップを両手で包み込んだ。陶器の冷たさが、手のひらに沁みる。(また、奪われた) 睡眠時間を削り、知識を総動員して書いた論文。それは小夜子の名前ではなく、「白河麗華」の著作として世に出る。 小夜子の努力も、才能も、すべては姉の飾り物に過ぎない。胸の奥から、黒い泥のような虚しさがこみ上げてくる。喉が詰まり、視界が滲みそうになった時――。 ――お嬢様。奪われることを嘆いてはなりません。 脳裏に、あの温かい声が蘇った。 今は亡き白河家の老執事、藤堂だ。幼い小夜子に隠れて
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4:洗濯室
 白河邸の地下にあるランドリールームは、湿った空気に満たされていた。換気扇が重苦しい音を立てて回っているが、熱気は逃げていかない。 充満しているのは、洗剤の清潔な香りと、それをねじ伏せるような濃厚な香水の残り香。そして脱ぎ捨てられた衣類から漂う、わずかな体臭が混じり合った独特の空気だ。 小夜子は業務用の大きなアイロン台の前に立ち、無心に手を動かしていた。 時刻は午前6時。 家族から家政婦のように、否、無料の家政婦そのものとして扱われている小夜子は、今日も無言で家事を行っていた。 目の前には、昨夜のパーティーで義母や義姉の麗華が着用した、山のようなドレスやブラウスが積まれている。 シルク、レース、ベルベット。どれもクリーニング店でも扱いを嫌がるような繊細な素材ばかりだ。 小夜子はシルクのブラウスをアイロン台に広げると、その上に木綿の当て布をそっと被せた。(温度は低温。……焦がさないように、慎重に) スチームは使わない。水分は絹を縮ませ、シミを作る原因になるからだ。 大きなアイロンを持ち上げる腕は、鉛のように重い。それでも、小夜子の手つきは職人のように丁寧だった。 温まったアイロンの底を、当て布の上から滑らせる。スス、という衣擦れの音と共に、くたびれていたシルクが息を吹き返して真珠のような光沢を取り戻していく。 この作業だけは嫌いではなかった。醜いシワや汚れが消えてあるべき美しい姿に戻っていく。その過程にだけ、小夜子は救いを感じることができる。(ふう。これで終わりね) 最後の一枚、純白のブラウスをハンガーにかけたときだった。 コツ、コツ、コツ。廊下から硬質なヒールの音が響いてきた。同時にドアの隙間から、強烈なバラの香りが侵入してくる。 小夜子の背筋が、条件反射で強張った。ドアが開く。「あら、まだやっていたの? 手際が悪いわね」 現れたのは、白河家の夫人――義母だ。朝から完璧なメイクを施し、海外製の高級香水を全身にまとっている。その芳香は、狭い地下室に充満してなお余りあった。 小夜子は深く頭を下げた。そうでもしなければ、香水の匂いに顔をしかめてしまいそうだったので。「おはようございます、お義母様。ご依頼のブラウス、たった今仕上がりました」 小夜子は、シワひとつなく仕上がった純白のブラウスを差し出した。 義母はそれを指先でつまむ
last update최신 업데이트 : 2025-12-02
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「生意気な口をきくんじゃないわよ!」 バサッ! 義母はブラウスを床に叩きつけた。埃っぽいコンクリートの床に、純白のシルクが無残に広がる。「無臭なんて貧乏くさいのよ。私が通った後には芳醇な香りが残る、それが一流のレディの証なの。あんたみたいに無味無臭な『石ころ』と一緒にしないでちょうだい!」 小夜子は床のブラウスを見つめた。襟元に、床の埃が黒く付着してしまっている。(洗い直さなければ……) 義母の怒りはまだ収まらないらしい。彼女はアイロン台に歩み寄ると、電源が入ったままの熱いアイロンを掴んだ。 ドンッ!! 小夜子の手の甲、わずか数センチ横に、アイロンを叩きつける。じり、と熱気が肌を焼いた。(……!) 小夜子は息を呑んだが、身動きひとつしなかった。下手に動けば火傷をする。恐怖で心臓が早鐘を打っているが、それを悟られないよう感情を殺した。 その反応のなさが、義母をさらに苛立たせたようだ。「チッ……可愛げのない子。次は手元が狂うかもしれないわね」 義母は歪んだ笑みを浮かべると、踵を返した。「全部やり直しなさい。朝食までに終わらせるのよ」 強烈なバラの香りを撒き散らしながら、彼女は去っていった。◇ 再び静寂が戻ったランドリールームで、小夜子は床に落ちたブラウスを拾い上げた。白かった布地は、無惨に汚れてしまっている。「……はあ」 小夜子は小さくため息をつき、ブラウスを確かめるように鼻を近づけた。 まず感じるのは、義母の強烈な香水の匂い。その奥にかすかな、しかし確かな別の匂いが残っている。(……やっぱり) この家で強烈な香水と体臭にさらされ続けた結果、小夜子の嗅覚は悲しいほどに敏感になっていた。わずかな違和感も逃さない。(赤ワインの渋みのある香り。それに独特の発酵臭。ブルーチーズね。昨日のパーティーで、また袖口を汚したまま放置したんだわ) 匂いが汚れの正体を教えてくれる。タンニンとタンパク質。ならば、洗い方は決まっている。 小夜子は黙々とぬるま湯を用意し始めた。中性洗剤を溶かし、優しく押し洗いをする。義母は「残り香を残せ」と言ったが、酸化したチーズの臭いを残して喜ぶ人間はいないだろう。(徹底的に、無臭にしてやるわ) それは小夜子なりの、ささやかな矜持だった。 香水という虚飾で塗り固められたこの家の中で、自分だけは「無臭」で
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6:千枚の招待状
 墨の香りが、冷え切った和室に沈殿するように漂っている。 しんしんと冷気が足元から這い上がってくる中、衣擦れに似た筆の走る音だけが、一定のリズムで響いていた。 この場所は、白河家本邸の奥にある「書に親しむ間」。 風流な名のついたその部屋は、実質的には暖房設備のないただの座敷牢だ。広い畳の上に置かれた火鉢には、消し炭のような残骸が転がっているだけで、熱などとうに失われている。 小夜子は文机に向かい、正座をしていた。手元にあるのは白河家が主催する「新春の集い」の招待状と、宛名が書かれるのを待つ純白の封筒の山。その数は一千枚に及ぶ。 本来なら印刷業者に頼めば済むことだ。だが義母は「格式ある白河家の招待状は、手書きでこそ心が伝わるのよ」などと言い放ち、その全てを小夜子に押し付けた。(心……。誰の心が、伝わるというのかしら) 小夜子は筆を墨壺に浸し、余分な墨を縁でぬぐった。ふと、窓ガラスに映る自分の姿が目に入る。外はすでに漆黒の闇だ。ガラスは鏡のように、室内の様子を映し出している。 小夜子は今日も忙しかった。早朝から義姉・麗華のために卒業論文の仕上げをして、終わったらすぐに朝食の支度。 息つく間もなく洗濯に掃除にと家事に追われた。 白河家は老舗旅館を数多く経営する、伝統ある名門家である。 しかし最近は落ち目だった。施設の多くは老朽化し、リフォームのための資金は底を尽きかけている。 昨今のインバウンドブームで外資系や新興のホテルグループが参入してきて、顧客の奪い合いが始まっていた。 かつてはたくさん雇われていた使用人も、いつの間にか一人辞め、二人辞めと数を減らしていった。 父と義母、義姉はこれ幸いとばかりに小夜子をこき使って、「経費削減」のつもりでいる。 小夜子は一つため息をつくと、ガラス戸から視線を戻した。筆を運ぶ。『大日本重工会長 御子柴厳様』 一文字たりとも乱れぬ、流麗な行書体が綴られていく。手首の感覚はとっくに麻痺している。指先は氷のように冷たい。 それでも小夜子は書くことを止めない。筆を動かしている間だけ彼女は自分という存在を忘れ、ただの機能になれる。痛みも寒さも、惨めさも。墨の黒に塗り込めれば、感じなくて済むのだ。 その静寂が、無遠慮な足音によって破られた。ふすまが乱暴に開け放たれる。 廊下の明かりと共に、義母が入ってきた。
last update최신 업데이트 : 2025-12-02
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 義母は紙の一枚を手に取って、唇の端を歪めた。「……ここ。墨が薄いわね」「かすれという技法でございます、お義母様」「言い訳はいらないわ。汚らしい」 ビリッ。乾いた音が響き、書き上げたばかりの封筒が二つに引き裂かれた。 義母は紙片を小夜子の膝元に放り投げる。「やり直し。言っておくけれど、書き損じの分は、あんたの明日の食事から引いておくからね。紙代も馬鹿にならないんだから」 小夜子は、膝に落ちた紙片を拾い上げた。そこには、完璧なバランスで書かれた文字があった。何一つ非の打ち所はない。 義母はただ小夜子が積み上げた努力を崩すことで、支配欲を満たしたいだけなのだ。(……ええ、分かっております) 反論はしない。言葉を返せば、さらに十枚、二十枚と破られるだけだ。小夜子は感情を殺し、ただ深く頭を下げた。「申し訳ありません。すぐに書き直します」「フン、殊勝なこと。朝までに終わらせなさいよ。終わらなかったら、離れに戻ることは許さないから」 義母はスリッパの音を響かせて出て行った。再び、冷え切った静寂が戻ってくる。◇ 小夜子は新しい封筒を手に取った。 感情を波立たせてはいけない。心が乱れれば、文字が乱れる。文字が乱れれば、また破られる。 呼吸を整え、筆先に意識を集中させた。気を紛らわせるために、小夜子は書いている宛名の「意味」を脳内で反芻(はんすう)し始めた。(御子柴会長。この方は昨年の叙勲パーティーで、隣席になった建設大臣と席次を巡って揉めていたわね) 筆を滑らせながら、記憶の引き出しを開ける。(御子柴家と大臣の家系は、三代前からの犬猿の仲。今回のパーティーでも、席次は極力離すべきだわ。東の間と西の間くらいに) 小夜子の視線が次の封筒へ向かう。『華道家元佐々木様』(佐々木様は、先月お母様を亡くされたばかり。本来ならお祝い事の招待状ではなく、寒中見舞いをお出しするべきなのに……) 白河夫人は、喪中のリスト確認さえ怠っている。もしこの招待状が届けば、白河家は「無礼な家」として笑いものになるだろう。(でも私には止める権限がない) 小夜子は淡々と、しかし正確に、政財界の複雑な人間関係を脳内でパズルのように組み上げていく。 誰と誰が派閥を同じくし、誰と誰が愛人関係にあり、誰が最近羽振りが良く、誰が没落しかけているか。 一千枚のリストは、
last update최신 업데이트 : 2025-12-02
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8:気難しい客
 深夜の白河本邸。 広大な客間は、冷え切った静寂に包まれていた。 シャンデリアの明かりを最小限に落とした薄闇の中、小夜子は一人で銀食器を磨いていた。 手元にあるのは年代物のカラトリーだ。かつては専門の係が管理していた品だが、今は違う。経営難に喘ぐ白河家から、使用人たちは一人、また一人と去っていった。今や掃除も洗濯も、明日の重要な客人を迎える準備も、すべては「経費削減」という名目のもと、小夜子の細い腕にのしかかっている。 柔らかい布で銀の表面を拭う。曇りが取れて、冷ややかな月光のような輝きが戻ってくる。 その銀の鏡面に、疲れ切った自分の顔が映り込んだ。(……明日のお客様も、気難しい方だという噂ね) 客の名は黒崎隼人。新興ホテルグループの社長である。 不動産売買を元手にホテル業界に参入した彼は、強引な買収の手口から「ハゲタカ」と呼ばれ恐れられていた。 黒崎隼人がどのような用事で白河家を訪れるのか、小夜子は知らない。 ただ完璧な状態で出迎えるよう言いつけられただけだ。 彼を迎えるこの客間を見渡したとき、小夜子の脳裏に、ふと3年前の記憶が蘇った。 あの時もこの部屋だった。そして、白河家は決定的な過ちを犯したのだ。◇ 3年前の初夏のこと。 白河家は、フランスの由緒ある伯爵家当主、モーリス氏を招待していた。 落ち目の旅館業を立て直すため、海外の富裕層にコネクションを持つ彼を、是が非でも取り込みたかったのだ。 義母と麗華は張り切った。「フランス人は派手なのが好きに決まってるわ」 そう言って部屋中にカサブランカの花を飾り立て、香水を撒き散らし、脂っこい最高級フレンチを用意した。 結果はひどいものだった。 到着して1時間もしないうちに、伯爵は「頭が痛い」と不機嫌になり、部屋に閉じこもってしまったのだ。 焦った義母は、責任を逃れるために小夜子を呼んだ。「あんた、伯爵様にお食事を運んでらっしゃい。もし何か粗相をして怒らせたら、ただじゃおかないからね」 それは、捨て駒としての命令だった。客は既に不機嫌になっている。これ以上怒らせても、全ての責任を彼女にかぶせるつもりなのだ。 小夜子は重い銀のトレイを持ち、震える足を必死に動かして客間のドアを叩いた。「……入れ(アントレ)」 不機嫌な低い声が答える。入室すると、老紳士はソファに深く沈み込
last update최신 업데이트 : 2025-12-03
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9
 小夜子は一瞬で悟る。部屋に充満するカサブランカの甘い香りと、義母たちが残していった香水の残り香。それが、ろくに換気されていない部屋で混ざり合い、ひどい刺激臭となって彼を苦しめている、と。(これでは拷問だわ) 小夜子は何も言わず、トレイをサイドテーブルに置いた。 そして伯爵に背を向けると、窓辺の花瓶に手を伸ばした。豪奢なカサブランカを、花瓶ごと抱えて静かに撤去する。 次いで重厚なカーテンをわずかに開け、窓のクレセント錠を外した。少しだけ窓を開く。初夏の爽やかな風が流れ込んで、よどんだ空気が外へと吸い出されていく。 伯爵が怪訝そうに顔を上げた。小夜子は彼を見ることなく、手元のティーポット――義母が用意した、冷めかけた甘ったるい紅茶――を下げ、代わりに自分が用意してきたポットを置いた。 カップに注がれたのは、透き通った黄金色の液体。カモミールとミントをブレンドした、温かいハーブティーだ。 最後に小夜子は深く腰を折り、藤堂から教わった拙なくも美しいフランス語で囁いた。「静寂を乱して申し訳ありません、閣下(ムッシュ・ル・コント)」 老紳士の青い目が、大きく見開かれた。彼はカップを手に取ると、香りを吸い込んで、一口飲んだ。 強張っていた肩の力が抜け、眉間の皺がほどけていく。「……君は、分かっていたのか」 問われた言葉に、小夜子は控えめに頷いた。「長旅でお疲れのところに、強い香りは毒になります。今は、静寂と清浄な空気こそが、何よりのおもてなしと存じました」 伯爵は、初めて興味深そうに小夜子を見た。派手なドレスも宝石も身につけていない、使用人のような少女。だがその佇まいは、この屋敷の中で唯一、洗練されている。◇ 翌日、伯爵は発つことになった。玄関先で、義母と父が揉み手をして見送る中、伯爵は冷ややかな目で屋敷を一瞥した。「この屋敷は騒々しく、品がない。三流だ」 義母の顔が凍りつく。 伯爵は視線を端に控えていた小夜子に向けて、わずかに口角を上げた。「だが、あの娘だけは違う。彼女だけが、真のレディ(貴婦人)だ。泥の中に、宝石が埋もれているようだな」 その言葉を残し、車は去っていった。 その直後。 パァン! 乾いた音が響き、小夜子の視界が揺らいだ。頬に熱い痛みが走る。 義母の手が、小夜子の顔を打ったのだ。「生意気な! 伯爵に取り入って、
last update최신 업데이트 : 2025-12-03
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 磨き上げられたカラトリーの表面に、現在の小夜子の瞳が映る。あの時の理不尽な痛みは、今も胸の奥に棘として残っている。 けれど、同時に確信も得た。(言葉はいらない。着飾る必要もない) 本当に必要なのは、相手が何を求めているかを察する観察眼と、それを実行する静かな行動力。 明日来る「ハゲタカ」と呼ばれる男も、きっと同じだ。彼が求めているのは、媚びへつらいや虚飾ではないはずだ。 小夜子は立ち上がり、完璧に整えられた客間を見渡した。1ミリの狂いもなく並べられた調度品と、塵一つない床。「……お待ちしております、黒崎様」 その声に怯えはない。あるのは、プロフェッショナルとしての静かな覚悟だけだった。◇ 黒崎隼人が到着するまで、あと1時間。白河家の本邸は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。 廊下をドタバタと走り回る足音、義母の耳障りな金切り声、それから何かが倒れる音。小夜子はその喧騒をBGMのように聞き流しながら、長い廊下を雑巾がけしていた。 冷たい板張りの床に膝をつき、一定のリズムで手を動かす。冬の日の水は冷たく指先が凍えたが、気にしている暇はない。 この広い屋敷を維持していた使用人たちは、賃金の未払いや義母の理不尽な要求に耐え兼ね、一人また一人と去っていった。 今や掃除も在庫の管理も、すべての雑務が小夜子一人の肩にかかっている。(ふう。これで廊下の拭き掃除は終わったわ。次は客間の最終確認をしないと) 小夜子が額の汗を手の甲で拭ったとき、書斎から父・源三郎(げんざぶろう)の怒号が轟いた。「ない! どこへやった! あれがないと話にならんぞ!」 ドタドタと床を踏み鳴らし、父が廊下へ飛び出してくる。顔は茹でダコのように真っ赤だ。血走った目で辺りを見回している。 その後ろから、義母と麗華が困惑した顔でついてきた。「あなた、落ち着いてくださいな。泥棒が入ったわけでもありますまいし」「落ち着いていられるか! 『双龍図(そうりゅうず)』だぞ! あの掛け軸を床の間に飾って、成金の若造に、黒崎隼人に白河家の格式を見せつけてやらねばならんのだ!」 父が探しているのは、国宝級の画家が描いたとされる一幅の掛け軸だった。荒れ狂う波の間から二匹の龍が昇っていく様を描いた、豪華で迫力のある作品である。
last update최신 업데이트 : 2025-12-04
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