Share

第816話

Author: 豆々銀錠
昭子が中に入ろうとしたところを、万崎が手を伸ばして制止した。

「昭子さん、本当によろしいんですか?中に入れば、万が一、拓司様を怒らせた場合、それでも自己責任で収める覚悟は、おありですか?」

万崎の声音には、明らかな警戒と緊張がにじんでいた。

昭子はその言葉に小さく眉をひそめ、一歩退いた。結局、社長室で拓司の会議が終わるのを待つことにした。

万崎はそれ以上、昭子に構うことなくオフィスへ戻り、拓司に来訪の旨を報告した。

「昭子さんが来ています」

拓司はわずかに眉を寄せた。「......わかった。仕事に戻れ。彼女のことは気にしなくていい」

「はい、承知しました」

そのやりとりを、紗枝は拓司のすぐそばで聞いていた。会議室の一角、拓司の手元に控えていた彼女の耳には、万崎の言葉がほとんど届いていた。

昭子が来た。

その事実に、胸の奥が微かにざわついた。

万崎の顔つきから察するに、昭子の来訪が穏やかな理由でないことは明らかだった。そしてその矛先は、自分に向けられている気がしてならなかった。

拓司は紗枝の表情の変化に気づき、そっと彼女の肩に触れて小さな声で尋ねた。

「どうしたの?」

「......ごめんなさい。ちょっと気が散って」

紗枝は微笑みながら首を振った。だが、心は静かに波立っていた。

「疲れた?」

その言葉に、ますます胸が詰まる。

「いいえ......大丈夫です」

紗枝は視線を戻し、会議内容を丁寧に記録し続けた。拓司の視線は、その様子を何度か静かに見守っていた。

約一時間後、ようやく会議が終了した。

拓司が席を立ち、社長室へと向かおうとしたとき、昭子が小走りに現れ、彼の前に割り込んだ。

「拓司!」

そして、その場に居合わせた紗枝を一瞥すると、まるで所有権を主張するかのように、昭子は人前で拓司の腕にすがった。

「お義姉さん......どうしてあなたまで会社に?」

「お義姉さん」という一言で、周囲にいた社員たちは一斉に視線を向けた。

彼らはただ、社長が秘書を替えたことしか知らない。昭子に兄弟がいないのは社内でも知られていたことだ。ということは、あの紗枝が、啓司の妻......例の事故で顔を負傷し、障がいのある妻なのか?

幹部の大半はすでに拓司によって新しく入れ替えられており、紗枝を直接知る者はほとんどいなかった。それでも、夏
Patuloy na basahin ang aklat na ito nang libre
I-scan ang code upang i-download ang App
Locked Chapter

Pinakabagong kabanata

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第816話

    昭子が中に入ろうとしたところを、万崎が手を伸ばして制止した。「昭子さん、本当によろしいんですか?中に入れば、万が一、拓司様を怒らせた場合、それでも自己責任で収める覚悟は、おありですか?」万崎の声音には、明らかな警戒と緊張がにじんでいた。昭子はその言葉に小さく眉をひそめ、一歩退いた。結局、社長室で拓司の会議が終わるのを待つことにした。万崎はそれ以上、昭子に構うことなくオフィスへ戻り、拓司に来訪の旨を報告した。「昭子さんが来ています」拓司はわずかに眉を寄せた。「......わかった。仕事に戻れ。彼女のことは気にしなくていい」「はい、承知しました」そのやりとりを、紗枝は拓司のすぐそばで聞いていた。会議室の一角、拓司の手元に控えていた彼女の耳には、万崎の言葉がほとんど届いていた。昭子が来た。その事実に、胸の奥が微かにざわついた。万崎の顔つきから察するに、昭子の来訪が穏やかな理由でないことは明らかだった。そしてその矛先は、自分に向けられている気がしてならなかった。拓司は紗枝の表情の変化に気づき、そっと彼女の肩に触れて小さな声で尋ねた。「どうしたの?」「......ごめんなさい。ちょっと気が散って」紗枝は微笑みながら首を振った。だが、心は静かに波立っていた。「疲れた?」その言葉に、ますます胸が詰まる。「いいえ......大丈夫です」紗枝は視線を戻し、会議内容を丁寧に記録し続けた。拓司の視線は、その様子を何度か静かに見守っていた。約一時間後、ようやく会議が終了した。拓司が席を立ち、社長室へと向かおうとしたとき、昭子が小走りに現れ、彼の前に割り込んだ。「拓司!」そして、その場に居合わせた紗枝を一瞥すると、まるで所有権を主張するかのように、昭子は人前で拓司の腕にすがった。「お義姉さん......どうしてあなたまで会社に?」「お義姉さん」という一言で、周囲にいた社員たちは一斉に視線を向けた。彼らはただ、社長が秘書を替えたことしか知らない。昭子に兄弟がいないのは社内でも知られていたことだ。ということは、あの紗枝が、啓司の妻......例の事故で顔を負傷し、障がいのある妻なのか?幹部の大半はすでに拓司によって新しく入れ替えられており、紗枝を直接知る者はほとんどいなかった。それでも、夏

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第815話

    紗枝は、ごく普通の「偽名」を使ってコンテストに応募しようと考えていた。そうすれば、結果もより公平になるからだ。その意図を、心音はほぼ察していた。「紗枝さんって、本当に優しいですね。最初から一位を狙ってる人だっているのに」応募が完了したあと、紗枝自身は知る由もなかったが、そのコンテストの裏側では昭子が密かに動向を注視していた。昭子は、プロの作曲家と手を組みたいと考えていたのだ。養女である昭子のために、青葉もこの作曲コンテストに資金を投じていた。やがて、参加者リストが昭子の手に渡った。彼女は何気なく目を通していたが、その視線はある名前に釘付けとなった。「......夏目紗枝?」次の瞬間、昭子はすぐに秘書を呼びつけた。「主催者に連絡して、この人物の資料を調べてちょうだい」まさか、同姓同名だろうか。紗枝に軽い耳の病があることは知っていたが、作曲の才能まであるとは思ってもいなかった。ほどなくして、秘書が戻ってくる。「お嬢様、主催者によると、この夏目さんはベテラン作曲家の推薦で応募された方で、身分以外の資料は非公開だそうです」「写真は?」昭子が食い下がるように訊ねた。秘書は小さく首を横に振った。その様子を見た昭子の表情には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。「ほんっと、何の役にも立たないわね。何も調べられないなんて」子供の頃から甘やかされて育った昭子に対し、秘書は怒りを噛み殺して黙って頭を下げるしかなかった。「絶対に彼女のこと、しっかり見張っておくのよ」「......はい」もしも本当にあの紗枝なら、これは面白い展開になりそうだ。「それより、美希さんからの連絡は?」昭子が話題を変えた。「紗枝さん、介護士にお金を渡したようで、今も変わらず彼女の世話を続けているそうです」秘書の報告に、昭子は困ったような顔を見せた。青葉から与えられた猶予は、たった一ヶ月。この調子では、期限内に美希との関係を断ち切らせることなど到底できそうにない。昭子は深いため息をつくと、お腹をそっと撫でた。時が経つにつれ、拓司がいつ自分を正式に迎えてくれるのか、その見通しも不透明だった。一刻も早く黒木家に嫁ぎたかった。時間が経てば経つほど、自分にとって不利になるのは明白だ。何よりも、このお腹の子は拓司の子ではないのだから

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第814話

    梓は心の底から紗枝に感謝していた。一方の紗枝も、人のために何か良いことができたという思いに包まれ、どこか心が穏やかになっていた。電話を切った直後、不機嫌そうな顔をした鈴が、無言で目の前を通り過ぎていくのが見えた。ふいに鈴が足を止め、紗枝をじっと見つめながら声をかけてきた。「お義姉さん、一つ聞いてもいい?」「なに?」紗枝も立ち止まる。「牧野さんの婚約者、知ってる?」鈴にとって、こんなに打ちのめされたのは初めてだった。その原因は、牧野の婚約者にある、そう思い込んでいた。あの女が、牧野に何かを吹き込んだのだろう。そうでなければ、牧野が自分をブロックするはずがない。紗枝はすぐには答えず、穏やかな声で聞き返した。「どうしたの?牧野さんの婚約者に何か用事でもあるの?」鈴は紗枝の隣に腰を掛け、思い詰めたような表情で話し始めた。「お義姉さん、聞いてよ。この前ね、牧野さんの婚約者に会ったんだけど、あの人すごく偉そうで、感じ悪かったの」その口ぶりは、紗枝に対する「愚痴」という形を取りながら、明らかに彼女の心を揺さぶろうとする意図が見え隠れしていた。「あの女ね、あなたの悪口ばかり言ってたの。あなたは啓司さんにふさわしくないって。牧野さんも裏では、あなたのこと悪く言ってるって。何もできないくせに社長夫人って肩書きだけで威張ってる、って」鈴はまるで、ひどい侮辱を受けたかのように語り続け、その顔には興奮すら浮かんでいた。もし紗枝が鈴の本性を知らなかったら、きっとその言葉に惑わされていただろう。「人が何を言おうと、私たちの心にやましいことがなければ、それでいいのよ」紗枝は穏やかにそう言って立ち上がると、ふっと微笑んだ。「私は休むわ。あなたも早く休みなさい」寝るという話が出た途端、鈴の顔にわずかな不安の色が浮かんだ。部屋は変えたとはいえ、あの奇妙な音の記憶がまだ頭を離れなかった。「お義姉さん、一緒に寝てもいい?......私、一人で寝るの、怖いの」鈴は弱々しく、哀れっぽい声で頼み込んだ。「ごめんね。私、知らない人と一緒に寝るのが苦手なの」紗枝はにべもなく断った。鈴は冷たい目を向けたが、それ以上何も言えず、仕方なく逸之の面倒を見る家政婦を呼び出し、一緒に寝ることにした。家政婦は鈴を「感じの良い、可愛らしい人」

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第813話

    牧野はずっとタクシーの後をつけていたが、それが停まったとき、中から出てきたのは梓ではなかった。「くそっ......」低く唸るように呟いた声は、夜の闇に沈んでいった。ちょうどその時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。鈴からの電話だった。牧野は苛立ちを隠さぬまま応答した。「......何ですか?」その語気に、鈴は一瞬戸惑った。今日の牧野の様子がいつもと違うことには気づいたが、気のせいかと思い、そのまま話を続けた。「牧野さん、もうお休みになりました?」「いや」ぶっきらぼうな返事。心の中では、お陰様で今夜は眠れそうにないと毒づいていた。鈴は言葉を選ぶように続けた。「私、ちょっと怖くて......昨日の夜、別荘で変な音がしたんです。それで、啓司さんに伝えて、迎えに来てもらえませんか?」その瞬間、牧野の声が一気に冷えた。「それは私が判断できることではありません。直接、社長にお電話ください。他に用事がなければ、切ります」躊躇うことなく、通話を切った。切られた電話を見つめながら、鈴は呆然としたまま立ち尽くしていた。ふと、一昨日の夜、梓と顔を合わせたときの記憶が蘇った。まさか、あの女が牧野に告げ口したの?自分が先に話しておかなかったことを、一瞬、激しく後悔した。だが幸いにも、あの日、梓に頬を殴られた時の写真は残してあった。牧野は、梓に無事到着したかどうか確認しようと電話をかけようとしたが、その矢先に、また鈴からメッセージが届いた。添付された写真には、赤く腫れた頬に、くっきりと手の跡が残っていた。最初に浮かんだのは、「まさか......紗枝の仕業か?いや、それはさすがにやりすぎだ」という疑念。その直後、鈴からさらなるメッセージが届いた。【実は言ってなかったことがあるの。一昨日の夜、夕食の後で、牧野さんの彼女に会ったの。何か誤解があったみたいで、私......彼女に殴られちゃった】牧野は、鈴の頬の傷が梓によるものだとは思わなかった。あの時、二人の会話を録音していなければ、自分も梓が無礼で暴力的な女だと誤解していたかもしれない。今になって思う。鈴という女は、ほんとうにどうしようもない人間だ、と。【証拠はありますか?あるのなら、警察に通報されることをお勧めします】淡々と、そう返信を送っ

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第812話

    感情の面では、牧野はまだ幾分か鈍感だと言わざるを得ない。梓がチャンスを与えていることに、彼はまったく気づいていなかった。梓は、それ以上答えるのも億劫になり、黙って立ち上がると会社へ戻った。牧野は慌てて後を追おうとしたが、梓は振り返って鋭く言い放った。「これ以上近づかないで。さもないと絶交よ、それでもいいの?」その剣幕に気圧されて、牧野はおとなしく足を止めた。「そんなつもりはない......」今の彼には、ようやく自分の非を、しかも取り返しのつかないほどの過ちを犯していたことを、はっきりと理解できていた。だが、梓は簡単に許すつもりはなかった。でなければ、また同じことを繰り返しかねないから。オフィスに戻ると、梓はひときわ沈んだ気分になっていた。誰にも話せず、胸に溜まるのは苛立ちと孤独だけだった。牧野とのお見合いの後、彼とともにこの街に引っ越してきた彼女には、気軽に頼れる友人などほとんどいなかった。さっきは勢いに任せて別れるだの引っ越すだのと言ってしまったが、実際、これからどこに住めばいいのだろう?ふと頭に浮かんだのは、紗枝の顔だった。少しばかり気まずさを覚えながらも、メッセージを送った。【紗枝、どこか借りられるアパートって知らない?】送った直後、梓は後悔した。紗枝はかつて資産家の令嬢であり、今はそのまま資産家の奥様。賃貸物件なんて、知っているはずがないのだ。メッセージを削除しようとしたその瞬間、返事が届いた。【牧野に追い出されたの?あいつ、マジ最低!】紗枝は、二人がもうすぐ結婚すること、今は同居していることを知っていた。だからこそ、牧野が逆キレになって、梓を追い出したのだと早合点したのだ。梓は慌てて返信を打った。【違うよ。私が自分の意思で引っ越そうと思ってるの。ずっと一緒にいたら、私が意気地なしみたいに見えるでしょ】メッセージを読んだ紗枝は、ようやく胸をなで下ろした。【私、今使ってない家があるんだけど、気にしないなら住んでもいいよ】夏目家の旧宅は、今では定期的に家政婦が掃除に来るだけで、誰も住んでいなかった。梓が住んでくれれば、家にも少しは息が吹き込まれる。【本当?ありがとう。家賃はちゃんと払うから】【いいよ。桃洲の平均相場くらいで】紗枝に金銭的な困窮があるわけではない。むしろ、梓

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第811話

    牧野は呆然と立ち尽くしていた。まさか、自分が鈴に会いに行った場面を梓に見られ、挙げ句の果てには写真まで撮られていたとは思ってもみなかった。【梓ちゃん、違うんだ!話を聞いてくれ!】そうメッセージを送信したが、既読つかない状態になった。彼は、梓にブロックされていた。牧野の心は、氷点下の風に晒されたように凍りついた。そのまま衝動的に車に飛び乗ると、アクセルを踏み、梓の勤める会社へと向かった。到着した会社で待っていたのは、見たこともないほど険しい梓の表情だった。その目は、今にも彼を殴りつけそうな怒りをたたえている。どうしてこの男は、まだ真実を語ろうとしないのか。梓の勤める会社は規模が小さく、警備体制も甘かった。牧野はためらいもせず事務所に入り込み、まっすぐ梓のもとへと歩み寄った。そして、彼女の手をつかんだ。「梓ちゃん、お願いだ、話を聞いてくれ!」必死の思いで言葉を吐き出す牧野。その切迫した声に、梓は一瞬驚いたように目を見開いた。周囲の同僚たちは、異様な空気に気づき、好奇の視線を二人に向けている。視線を背に受けながら、梓は観念したように無言で立ち上がり、彼について事務所を出た。人気のない場所まで歩くと、牧野はすぐに頭を下げた。「梓ちゃん......ごめん。本当のことを言うべきだった。嘘をつくなんて最低だった。でも......君に怒られるのが怖くて......怖くて、言い出せなかったんだ」「怒られるのが、怖くて?」梓の中で、怒りがさらに燃え広がっていく。「じゃあ、私もあなたに怒られるのが怖くて、黙って他の男と付き合ったら......それで済むってわけ?」牧野は自分に非があるとは、最初は思っていなかった。けれど、梓の言葉を聞いた途端、胸の奥に後悔が押し寄せた。「......もちろんダメだ」小さな声で、ようやくそう答える。すると梓は、顔を真っ赤にして叫ぶように言った。「それとこれと、何が違うっていうの!?怒られるのが怖かったって、そんな理由になるわけないでしょ?もし私が夜中に男と二人きりでいて、抱き合ったりして、それをあなたに黙ってたら......あなたはどう思うの?」牧野は言葉を失った。おそらく、その男を殺したくなるだろう。だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。「......ごめん、梓

Higit pang Kabanata
Galugarin at basahin ang magagandang nobela
Libreng basahin ang magagandang nobela sa GoodNovel app. I-download ang mga librong gusto mo at basahin kahit saan at anumang oras.
Libreng basahin ang mga aklat sa app
I-scan ang code para mabasa sa App
DMCA.com Protection Status