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第0614話

Author: 十一
陽一を家まで送り届け、落ち着かせ、何度も確認して本当に意識がはっきりしていて自分で大丈夫だと確かめたあと、凛はようやく自分の家に戻った。

汗で全身がびっしょりになっていた。

綿入りの上着を脱ぎ捨てる。近づきすぎたせいか、この手の生地が匂いを吸いやすいのか、うっすらと酒の香りが染みついていた。

凛は頬を赤らめ、手で扇ぎながら小さくつぶやいた。「なんでこんなに暑いの……」

同じ月明かりの下、小林家では。

泰彦と幸乃が休もうとしていたとき、学而がふいに口を開いた。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ちょっと待って」

「どうしたの、学而?」幸乃が振り返った。

学而は真剣な表情で言った。「おばあちゃん、これを。明日、絶対に来て!」

泰彦に渡さなかったのは、今の立場では人前に出るのがふさわしくないからだ。

もし公に姿を見せるとしたら、観兵式や災害救援といった重大な場面に限られる。

「……こ、これは?」

受け取った瞬間、幸乃の手が震えた。

派手な……招待状……明日必ず来て……しかも大事な孫がこんなに真剣に……

まさか!

「学而、あんたまさか変なことを考えてないでしょうね。うちは考えが古い家じゃないんだから、次の世代の結婚に口を出したりしないわよ。わざわざ既成事実を作る必要なんてない……もし好きな子がいるなら、私たちが止めるとでも思ったの?!」

学而「?」

泰彦は顔をひきつらせた。「何を言ってるんだ!普段からドラマばかり見てるからだぞ。頭の中で何考えてるんだ」

幸乃はきょとんとした。「え……違うの?」

「まず開けてみろ!」泰彦が促した。

学而もようやく気づき、苦笑しながら言った。「おばあちゃん、何言ってるんだ。結婚式の招待状じゃないんだよ」

幸乃は半信半疑で封を開いた。「結婚式じゃないの?」

おっと、大勘違いだった。

「招待状はいいけど、どうしてこんな派手なものを使うのよ……誤解されやすいじゃないの……」

幸乃はそう言って体裁を取り繕いながら、視線を文字に落とした。

「実験室の落成儀式?」幸乃は茫然とした顔をあげた。「実験室って、何のこと?」

学而は一語一語区切って言った。「僕たちが自分で建てた実験室なんだ」

「なんだって?あなたたちが自分で実験室を建てたの?!」

「はい」

幸乃は三十秒ほどかけてようやくその事実を受け入れた。「
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