INICIAR SESIÓNその問いを口にした瞬間。湊は、聞くだけ無駄だったと悟った。蓮はスマホを持ち、あらゆる角度から自撮りをしながら「痛い、痛いよお」と呻き声を上げていた。画面に向かって、自分の傷口や吊るした腕を隅々までアピールしている。そして、その動画を送信した。誰に送ったかは、言うまでもない。すぐにビデオ通話の着信があり、画面の向こうで凛が言った。「どうしたの?」「なんでもないよ」蓮はわざと平静を装った。「ちょっと擦りむいただけさ。医者にはしばらく休めって言われたけど」凛は眉をひそめた。「夜帰ってきたら、豚骨スープを作ってあげるわ」蓮は途端に顔を綻ばせ、見ていられないほどのデレデレぶりを見せた。「ありがとう、相沢社長」カメラが運転席の男を捉え、それをチラリと見た凛が尋ねた。「隣にいるのは?」「ああ、湊だよ。偶然だろ? 整形外科でばったり会ったんだ。こいつも怪我しててさ」怪我をして、しかも同じ科で鉢合わせるなど、そうそうあることではない。蓮は通話を繋いだまま、首を傾げて「えっ?」と言った。「お前、さっきなんて言ったっけ?」「……なんでもない」湊は唇を結んだ。いつもは毅然として鋭いその瞳に、今は少しばかりの戸惑いが混じっていた。以前、遥には夫も子どももいると思っていた頃なら、彼女に振り向いてもらいたい一心で、もし自分が怪我をすれば、間違いなく蓮のように急いで知らせていただろう。哀れな被害者を演じることなど厭わなかったはずだ。だが今は、彼女に隠そうとしてしまった。湊はハンドルをきつく握りしめた。手の甲には青筋が浮かび上がり、血管がドクドクと脈打っていた。彼は口を開いた。「俺は怪我をしたことを遥に言わなかった。それで怒らせてしまった」蓮は急いで画面に向かって言った。「凛、俺はそんな男じゃないからな。何でも君に話すよ」湊は眉をひそめた。スマホの向こうの相手に忠誠を誓っている蓮を、冷ややかな目で見つめた。「お前、子どもの頃にお漏らししたことまで彼女に言えるのか?」蓮は眉を上げた。「それがどうした。俺は今だって漏らすぜ」彼は冗談のつもりだったが、凛はすかさず電話を切ってしまった。蓮は「え、え、えっ?」と何度も声を上げた。そしてようやく気づいた。大
以前、遥から話に出たことはあったが、ほんの断片的なものだった。今、久美子から詳細を知らされ、湊は耐え難い胸の痛みを覚えた。久美子は言葉を続けた。「遥は強くて、とても前向きな子よ。私たちが諦めなければ、ガンとの闘いも長く続けられるって言っていたわ。でも、父親の病気はあまりにも長く隠されていたせいで、すでに全身に転移していて、手の施しようがなかった。おまけに私の姑、つまり遥の祖母も危篤状態で、私も病気で、遥はお腹に子を宿していたの。時々考えるのよ。あの子を産んでこの世に送り出したのは、こんな苦しみを味わわせるためだったのかしらって。私は遥に申し訳なくて仕方ないわ」馬場も、奥様の過去がこれほど過酷だったとは思いもしなかった。お嬢様がお生まれになった頃の話になるたび、大奥様がこっそり涙を拭っていたのも無理はない。前回、奥様が流産して小さなお子様を失った時も、大奥様は「九条家があの子に申し訳ないことをした」と言っていた。湊は、喉の奥が熱く焼けるように詰まった。 彼は振り返り、固く閉ざされた寝室のドアを見つめた。先ほど遥に問い詰められた時、彼女の頬を伝い落ちたあの一滴の涙が、自分の心に重く突き刺さったように感じた。湊は掠れた声で言った。「ただの軽い怪我だと思って、遥に心配をかけたくなかっただけなんです」「怪我に大きいも小さいもないわよ。小さな怪我でも隠すなら、もし一大事だったらどうするの?湊さん、夫婦関係において、それは信頼の危機なのよ。一度でも隠し事をすれば、彼女は他にも何か隠しているんじゃないかと疑ってしまうわ」馬場も涙を拭いながら口を挟んだ。「そうですよ。女というのはいろいろと考えてしまう生き物なんです。旦那様もご自身の立場に置き換えて考えてみてください。もし奥様がお怪我をされて、それを旦那様に黙っていたら、どうお思いになりますか?」湊は言葉を失った。心臓をきつく鷲掴みにされたようで、一瞬息ができなくなった。久美子は彼が理解したと見て取り、これ以上は言わなかった。「病院へ行っていらっしゃい。遥も待ってるわよ。早く帰ってきて、一緒にご飯を食べましょう」「はい、ありがとうございます、お義母さん」湊は心ここにあらずといった様子で家を出た。幸いレントゲンの結果、骨
以前健太から、遥が知ったら絶対に怒ると言われていた。しかし湊は、そんなのは些細なことだと思っていた。遥は毎日忙しく、工場の仕事だけでも心身ともに疲れ果てている。こんなことで彼女の気を煩わせたくなかったのだ。遥は彼を無視した。ひたすらに、一人で黙々と怒りを溜め込んでいる。湊は言葉を継いだ。「先に病院に行ってくる。後ですぐ戻るから」ドアが開いて、再び閉まった。湊は襟元を整え、リビングで上着を手に取ると、服のシワを伸ばした。それを見た久美子が声をかけた。「お出かけ?」「病院です。この前少し転んでしまって。遥が心配して、診てもらえと言うので」久美子は一瞬きょとんとした。「転んだの? ひどいの? どうして遥は今頃になって知ったの?」「彼女には内緒にしていたので、怒らせてしまいました」久美子はハッと我に返った。夫婦として長く一緒に暮らしていれば、何かを隠すことは案外簡単かもしれないが、体の変化や目つきまでは隠し通せるものではない。湊が怪我をして、遥に心配をかけまいと隠していたのも、無理のないことだ。久美子は諭すように優しく言った。「湊さん、ご両親はあなたに厳しく接してこられたでしょうけど、遥は違うのよ。遥はね、小さい頃からお父さんに手のひらの上で大事に育てられてきたの。あなたが結衣ちゃんを可愛がるのなんて比じゃないくらいにね。あの人ったら、遥が小学生の時にお迎えに行って、途中で車が故障しちゃったことがあったの。そしたら雪の中を何キロも歩いて迎えに行ったの。体はすっかり凍えきっていたのに、懐には遥のために買った熱々の今川焼きを抱えていたわ。私に見つかるのが怖くて、父娘で外で食べて帰ってきたのよ。まったくもう」馬場もつられて笑った。「それはご主人がお嬢様を可愛がっていたからですよ。素敵なことじゃないですか」「ええ、あの人はそういう人だったわ。私たちの間には隠し事なんて何一つなかった。……彼が病気になるまではね」久美子の顔に、懐かしむような表情が浮かんだ。その口調には、深いため息が溶け込んでいるようだった。彼女は目を潤ませ、切実な眼差しで湊を見つめた。「あの人、病気になったことを私にも遥にも隠していたの。その事実を知った時、遥がどれほど辛い思いをした
「どうして言ってくれなかったの?」「心配させたくなかったんだ。それに大した怪我じゃない。あの時は結衣もいたし、怖がらせたくなかった」湊は自分が悪いと分かっていたが、遥の冷たい視線を受けると、やはり内心でたじろいでしまった。遥は呆れて笑ってしまった。「心配させたくない?だから薬も塗らないの?湊、もしかして自分が死んだら、私が子どもを連れて再婚するのを心待ちにしてるとでもいうの?」湊はいっそ彼女の前に片膝をついた。この姿勢だと少し動くだけで背中の傷が引きつり、思わず顔をしかめた。だが遥は冷笑を漏らした。私の前で可哀想なフリをして、そんな手に乗るもんか。湊は弁解した。「昼間会社にいる時は薬を塗ってたんだ。信じられないなら健太に聞いてみてくれ。帰る前に薬の匂いに気づかれると思って、洗い流したんだ」遥は腹立たしさのあまり、もう一発ビンタしてやりたい衝動に駆られた。「湊、私があなたとゲリラ戦でもしてると思ってるの?」私はあなたの妻であって、敵ではないのに。彼女に怪我を知られないためだけに、これほど徹底した隠蔽工作をするなんて。まるで自分が彼の死を望んでいるかのようではないか。湊はひたすら謝り続けた。「俺が悪かった。本当にごめん」遥は彼をじっと睨みつけた。彼女の澄んだ瞳が湊を捉え、その奥で光が流れるように揺らめいた。「あなたって昔と何も変わってないのね」相変わらずプライドが高くて、口があるのに使えないみたいに、何かあっても絶対に言わない。私がそんなことも受け止められないような女だとでも?工場の火事でさえ彼女の芯の強さを折ることはできなかったのに、すべてを受け入れられるかどうかを疑ったのが、まさか湊だなんて。遥は、湊の目から見ても、自分が強くて勇敢な女だと思われていると信じていた。自分は彼の妻であり、共に進み、共に引くべき存在だ。常に湊と肩を並べて歩んでいきたいと願っていたのに。落馬して怪我をしたという、たったそれだけのことすら、彼は私に隠し通そうと必死になっていた。遥の胸の内に言いようのない切なさと寂しさが込み上げてきた。彼女は手を伸ばして湊の顔に触れ、ため息をついた。「あなたには……がっかりしたわ」「遥……」今日の出来事に遥はひどく疲れを感じていた。目
遥が上下の2フロアを丸ごと買い占めたのだ。今日、久美子は外でミュージカルを観ていたが、帰宅する前に遥から「結衣を連れて引っ越した」と電話を受けた。そのまま新しい家に来るようにと言われた。久美子は、なぜ急に何も言わずに引っ越したのか、少し不思議に思っていた。新しい家に着いてドアをノックすると、馬場が開けてくれた。久美子の顔を見るなり、午後に起きた出来事を事細かに報告した。それを聞いた久美子は、しばらく言葉を失った。馬場は小声で言った。「奥様は優しそうに見えますが、怒ると本当に容赦ありませんね。一度言ったことは絶対に曲げないんですから」久美子は誰も無事であることを確認して、ようやく胸をなで下ろした。「あの子は決して優しくなんかないわよ。子供の頃は、私のために近所の大人たちを相手に一歩も引かずに口喧嘩したくらいよ。遥は小さい頃から有名な頑固者で、あの子が起こしたトラブルの尻拭いは、いつもお兄ちゃんがやってたのよ」馬場がそんな遥の姿を想像できず目を丸くした。しかし、久美子にとっては意外でも何でもなかった。むしろ誇らしげに笑ってこう言った。「湊さんがとことん甘やかしてくれたおかげで、あの子の本来の強気な性格が戻ってきたのね。夫と義母が相次いで亡くなって、結衣が生まれた後、遥のあの負けん気はとっくにすり減ってしまっていたの。人を叩くどころか、怒ることさえなくなっていたわ」久美子の心には万感の思いが込み上げた。遥が怒りを爆発させたと聞いて、彼女はむしろ喜んでいた。心の中に溜まった怒りは、外に吐き出さなければならない。そうしなければ、内側から自分自身を焼き尽くし、いつか完全に燃え尽きてしまうからだ。怒れるということは、生きるエネルギーが戻ってきた証拠なのだ。インターホンが鳴った。久美子は手を振った。「あなたは食事の準備をしてちょうだい。私が出るわ」「おそらく旦那様が帰られたのでしょう」と馬場は言った。ドアを開けると、案の定、湊が立っていた。「お義母さん、遥は?」「部屋の中よ」引っ越しとは言っても、こちらの家には必要なものがすでに揃っており、馬場が食材を買って冷蔵庫を埋めれば、そのまま住める状態だった。遥が持ってきたのは、自分と結衣、それに久美子の着替えの服くらいだ。
湊はこれほどまで徹底して自分を孤立させて、誰から何を言われようが気にも留めないつもりなのか?向かいに座る湊は平然とした口調で言った。「人が多ければ心が乱れ、雑念が増えるだけだ。そんなもの、何の役に立つ?」翔は言葉を詰まらせた。これは湊が自分に釘を刺しているのだと気づいた。書斎のドアがノックされ、馬場がエプロンで手を拭きながら、気まずそうに言った。「旦那様、奥様がお嬢様と久美子様を連れて引っ越されました」湊は勢いよく立ち上がった。「引っ越しただと?」「はい。奥様からは言わないようにと口止めされていたのですが、大奥様からお伝えするようにと。私もこれから奥様について引っ越しますので、旦那様、失礼いたします!」そう言い残すと、馬場はドアを閉め、慌てて階段を駆け下りていった。遥は結衣を連れて引っ越すのに、夫の湊は置いていくつもりらしい。しかも家政婦の自分は連れて行くのだから、急いで荷物をまとめて奥様について行かなければならない。湊はその場に立ち尽くし、片手を挙げて眉間を揉みほぐした。遥が怒っていることはわかっていたが、まさか一言の挨拶もなく結衣を連れて出て行くとは思わなかった。振り返って翔を一瞥し、湊は冷たく言い放った。「これから身の振り方をよく考えることだ」それ以上無駄話をする気も起きず、ドアを開けて急いで階段を降りた。翔もその後を追いかけ、下に降りた。リビングでは、真由美が荷造りの真っ最中だった。「そうそう、このバッグは持っていくわ。これは置いていって。修の骨董品には触らないでね。あっちにも収納室があるし、大事なコレクションはもう向こうに運んであるのよ」この様子だと、なんと真由美たちも遥や結衣と一緒に引っ越すつもりなのか!翔は驚きと戸惑いを隠せず、口を開いた。「伯母様も引っ越されるんですか?」「そうよ。元々は去年の年末に引っ越す予定だったんだけどね、あの時、ホルムアルデヒドの数値が基準を超えちゃってね。修が知り合いの業者を頼んだせいで、ひどい目に遭ったわ」真由美は適当に愚痴をこぼすと、再び菊と持っていく荷物について相談を始めた。そこには翔だけが取り残され、慌ただしく荷造りをする真由美をただ茫然と見つめていた。「伯母様、皆さんはここに何十年も住んでいるんじゃな







