誕生日の夜、恋人と家族に見捨てられ、偽物の姉に人生を奪われた本物の令嬢は、復讐のために生き直す

誕生日の夜、恋人と家族に見捨てられ、偽物の姉に人生を奪われた本物の令嬢は、復讐のために生き直す

last updateLast Updated : 2026-08-12
By:  霜晨月Updated just now
Language: Japanese
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18歳の誕生日――。 神崎澪は、偽物の姉・綾音の罠にはまり、恋人にも裏切られ、雨の夜に命を奪われた。 16年前に取り違えられ、本来なら名家の令嬢として生きるはずだった澪。ようやく「本物の娘」と認められた先に待っていたのは、居場所を奪われ、すべてを失う地獄だった。 だが、目を覚ますとそこは、親子鑑定書が届いた16歳の日。 「今度は、私がすべてを取り戻す」 偽物の姉も、私を踏みにじったすべての人間も、一人残らず地獄へ堕とす。 孤高の御曹司と手を組み、本物の令嬢による人生逆転の復讐劇が幕を開ける――!

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Chapter 1

第1話

虹見市の夜は、神崎家のために明かりが灯されている。

パーティー会場はまばゆい光に包まれ、多くの招待客で賑わっている。

その中で、神崎澪かんざき みおだけが、一人壁際に佇んでいた。

手の中で固く握り締めたグラスへ視線を落とすと、揺れる琥珀色の酒面には、時間をかけて整えたにもかかわらず、誰一人として気づいてくれない自分の化粧が映っていた。

まるで、自分だけが場違いな存在だった。

トレイを手に忙しく行き交う使用人たちでさえ、彼女の目の前で遠慮なく声を潜めて噂話をしている。

「本物のお嬢様だなんて笑わせるわ。イブニングドレス一つ着こなせないなんて、やっぱり貧乏育ちね」

澪はドレスの裾をぎゅっと握り締めた。

指先が白くなるほど力が入る。

神崎家へ来て、もう二年。

父・すばるの叱責も、母・深雪みゆきの冷たい態度も、使用人たちの蔑むような視線も、今ではもう慣れっこだった。

後からやって来た余所者なのだから、疎まれるのも当然なのだ。

それでも、彼女には綾音あやねがいた。

血のつながりはなくても、いつも優しく包み込んでくれる姉だった。

この誕生日パーティーも、綾音が自ら企画してくれたものだった。

あの日、綾音は澪の腕を優しく取り、微笑みながらこう言ってくれたのだ。

「澪、この家に来てもう二年になるのに、ちゃんとお祝いしてあげられなかったでしょう。今年は、お姉ちゃんが素敵なパーティーを開いてあげるね」

澪はその言葉を信じた。

そして、ほんの少しだけ期待してしまった。

自分がいい子でいれば、いつか両親も笑顔を向けてくれるのではないか、と。

「澪、こんなところにいたのね」

背後から、柔らかな声が響く。

振り返ると、そこには完璧なまでに美しい綾音が立っていた。

ダイヤモンドを散りばめた高級オートクチュールドレスをまとい、左腕には深雪、右には昴。

まるで、その三人こそが本当の家族であるかのようだった。

澪はそっと足元へ目を落とす。

レンタルしたドレスは身体に合わずぶかぶかで、裾からはほつれた糸が覗いていた。

「お父様、お母様……」

「なんだ、ちゃんと口は利けるんだな」

昴の視線は冷え切ったまま、澪を射抜く。

「神崎家へ来て二年にもなるのに、挨拶一つまともにできんのか」

「お父様、澪を責めないであげて」

綾音が甘く穏やかな声で間に入る。

「澪は小さい頃から田舎で育ったんですもの。マナーのレッスンについていけないのも仕方ありませんわ」

そう言うと、綾音は一歩前へ踏み出した。

次の瞬間――

澪が反応する間もなく、足元に強い衝撃が走った。

綾音のヒールが、床に引きずっていた澪のドレスの裾をしっかりと踏みつけたのだ。

勢いよく身体が前へ投げ出される。

ドン――。

膝が大理石の床へ激しく叩きつけられた。

安物のドレスは無残にも大きく裂け、片脚がそのまま会場中の招待客の前へ晒されてしまう。

辺りから息を呑む音が上がり、必死に笑いをこらえる気配があちこちで漏れた。

「澪……急に立ち上がるから、ぶつかっちゃったじゃない」

綾音の声音には、絶妙な困惑と、まるで自分が被害者であるかのような響きが滲んでいた。

「綾音、大丈夫?」

深雪は慌てて綾音の腕を支えると、一転して澪を鋭く睨みつける。

「なんてはしたないの!神崎家の人間として恥ずかしくないの!」

昴も忌々しげに手を振った。

「さっさと失せろ。これ以上ここで恥を晒すな」

「……はい」

澪は俯いたまま、這うように立ち上がる。

裂けたドレスを必死に押さえながら、ふらつく足取りでその場を後にした。

控室の鏡に映る自分の姿を、澪はじっと見つめていた。

乱れた髪。

涙で滲んだアイメイク。

そして、大きく裂けたドレス。

悔しさで唇を強く噛み締めると、こらえていた涙がまた視界を滲ませた。

それでも、彼女は綾音を恨まなかった。

姉は自分を嫌っているわけではない。

ただ、自分が現れたことで両親の愛情を奪われることを恐れているだけなのだと、そう信じていた。

そもそも――

ここにいること自体が、自分の間違いだったのだ。

神崎家へ戻れば人生は変わる。

そう信じていた。

けれど、この二年間、この家が一度でも本当の意味で自分を受け入れてくれたことなど、一度もなかった。

「泣いているのか?」

冷え切った声が背後から降ってくる。

澪が勢いよく振り返ると、そこには非の打ちどころのない端正な顔立ちがあった。

「修……」

恋人の九条修くじょう しゅうが、仕立ての良いスーツを隙なく着こなし、控室の入口に立っていた。

どこか奔放さを感じさせる短髪。

百八十五センチの長身。

その圧倒的な存在感が、澪へ静かな威圧感を落としていた。

「修……いつからそこに?」

澪は慌てて手の甲で涙を拭った。

しかし、そのせいでメイクは余計に崩れてしまう。

これ以上こんな姿を見られたくなくて、彼女は慌てて俯いた。

「もう十分くらい前からだ。お前は隅に閉じこもったままで、俺のほうを一度も見ようとしなかったな」

修は眉をひそめ、いつものぶっきらぼうな口調で言うと、腕に掛けていたトレンチコートを広げ、彼女に拒む暇すら与えず肩へ掛けた。

コートの丈はちょうどよく、裂けたドレスをきれいに隠してくれる。

ふわりと漂う白檀の香りが、まるで彼自身に抱き締められているような安心感を与えた。

澪は溺れる者が流木にしがみつくように、無意識のうちに襟元をぎゅっと握り締める。

ドクン――と胸が大きく鳴った。

誰一人、自分の存在など気にも留めないこの家で。

修だけが、彼女にとって唯一息をつける場所だった。

「修……」

名前を呼びかけたものの、その先の言葉は喉の奥で消えた。

今日、彼は何か言葉をくれるのだろうか。

あるいは、誕生日プレゼントを。

……けれど、そんなことを尋ねる勇気はなかった。

こんな惨めな自分に、彼から贈り物を受け取る資格などあるはずがない。

恋人としてそばにいてくれるだけでも、自分には過ぎた奇跡なのだから。

それでも――

ほんの少しでも、何かがあれば。

どれほど救われるだろう。

言葉を飲み込む澪を見つめ、修の喉仏がわずかに動いた。

本能に突き動かされるように指先を伸ばし、彼女の涙を拭おうとする。

しかし、その瞬間。

澪は反射的に一歩後ろへ下がり、その手を避けてしまった。

修の瞳から、すっと光が消えていく。

付き合い始めて、もうすぐ二年。

それでも澪は、一度たりとも彼に身体へ触れさせようとはしなかった。

彼が手を伸ばすたび、彼女は決まって無意識に身を引いてしまう。

――やはり、綾音の言っていた通りなのだろうか……。

修は苛立ちを押し殺すように、心の中で小さく舌打ちした。

だが、今はその理由を問い詰める気にはなれない。

紳士らしい距離を保ったまま、淡々と告げる。

「用がないなら戻るぞ。この誕生祭は、主役のお前がいなければ始められないからな」

意味深な言葉だけを残し、修は最後に澪をじっと見つめると、そのまま背を向けて立ち去った。

その言葉の本当の意味を、澪はほどなくして思い知ることになる。

この時の彼女は、まだ夢にも思っていなかった。

待ち焦がれていたはずの誕生日プレゼントが、自分を標的にした最悪の――「公開処刑」になることなど。

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第1話
虹見市の夜は、神崎家のために明かりが灯されている。パーティー会場はまばゆい光に包まれ、多くの招待客で賑わっている。その中で、神崎澪だけが、一人壁際に佇んでいた。手の中で固く握り締めたグラスへ視線を落とすと、揺れる琥珀色の酒面には、時間をかけて整えたにもかかわらず、誰一人として気づいてくれない自分の化粧が映っていた。まるで、自分だけが場違いな存在だった。トレイを手に忙しく行き交う使用人たちでさえ、彼女の目の前で遠慮なく声を潜めて噂話をしている。「本物のお嬢様だなんて笑わせるわ。イブニングドレス一つ着こなせないなんて、やっぱり貧乏育ちね」澪はドレスの裾をぎゅっと握り締めた。指先が白くなるほど力が入る。神崎家へ来て、もう二年。父・昴の叱責も、母・深雪の冷たい態度も、使用人たちの蔑むような視線も、今ではもう慣れっこだった。後からやって来た余所者なのだから、疎まれるのも当然なのだ。それでも、彼女には綾音がいた。血のつながりはなくても、いつも優しく包み込んでくれる姉だった。この誕生日パーティーも、綾音が自ら企画してくれたものだった。あの日、綾音は澪の腕を優しく取り、微笑みながらこう言ってくれたのだ。「澪、この家に来てもう二年になるのに、ちゃんとお祝いしてあげられなかったでしょう。今年は、お姉ちゃんが素敵なパーティーを開いてあげるね」澪はその言葉を信じた。そして、ほんの少しだけ期待してしまった。自分がいい子でいれば、いつか両親も笑顔を向けてくれるのではないか、と。「澪、こんなところにいたのね」背後から、柔らかな声が響く。振り返ると、そこには完璧なまでに美しい綾音が立っていた。ダイヤモンドを散りばめた高級オートクチュールドレスをまとい、左腕には深雪、右には昴。まるで、その三人こそが本当の家族であるかのようだった。澪はそっと足元へ目を落とす。レンタルしたドレスは身体に合わずぶかぶかで、裾からはほつれた糸が覗いていた。「お父様、お母様……」「なんだ、ちゃんと口は利けるんだな」昴の視線は冷え切ったまま、澪を射抜く。「神崎家へ来て二年にもなるのに、挨拶一つまともにできんのか」「お父様、澪を責めないであげて」綾音が甘く穏やかな声で間に入る。「澪は小さい頃から田舎で育ったん
last updateLast Updated : 2026-06-22
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第2話
澪が会場へ戻って間もなく、誕生祭は華やかに幕を開けた。来賓からの祝辞が続く中、人々の視線を一身に集めながら、修がゆっくりとステージへ上がる。マイクを手にした彼は、鋭い眼差しで会場をゆっくりと見渡し、最後にその視線を澪のもとでぴたりと止めた。澪の心臓が大きく跳ねる。緊張で身体をこわばらせながらも、胸の奥ではかすかな期待が膨らんでいた。修は――どんな祝福の言葉を贈ってくれるのだろう。「今日、この場を借りて、皆さんにお伝えしたいことがあります」修は澪を見つめたまま、一語一語、会場中に響き渡る声で告げた。「澪。俺はずっと、お前のことが好きだと思い込んでいた。だが、ようやく気づいた。それは、ただの思い違いだったんだ」――修……何を言っているの?澪は呆然としたまま、ステージの上の彼を見つめた。修はマイクをスタンドに戻すことなく手に持ち、そのままゆっくりとステージを降りる。向かった先は、澪ではなく――綾音のもとだった。修は綾音の前で立ち止まると、居並ぶ賓客たちが見守る中、静かに片膝をつき、彼女の手を取った。「俺の心を本当に動かしたのは、お前だった。綾音」その瞬間、会場が大きくどよめく。修はポケットから青いベルベットのケースを取り出して開き、照明を受けてまばゆく輝く指輪を差し出した。「今日から、俺の恋人になってくれないか」修と澪が交際しているという話は、上流階級の社交界ではちょっとした噂になっていた。誰もが、名門・九条家の御曹司である修が、なぜ澪のような地味な娘を恋人に選んだのか理解できずにいた。だからこそ、修が大勢の前で綾音に想いを告げた瞬間、人々は一度こそ息を呑んだものの、すぐに納得したような表情へと変わっていった。それも当然だった。修と綾音――誰が見ても、この二人こそが釣り合いの取れた理想のカップルだったのだから。鳴りやまない拍手と歓声、そしてあちこちから漏れ聞こえる囁き声。その渦の中で、ただ一人、澪だけが魂を抜かれたように立ち尽くしていた。「このプレゼント、気に入ってくれたか?」修のその言葉は、澪ではなく、綾音へ向けられたものだった。綾音は、この世で一番幸せな女性のような笑みを浮かべながら、修が自分の薬指に指輪をはめるのを見つめていた。それでも彼女は、気遣うふりだけは忘れなかった。「修、ちょっとやりすぎよ。今日は澪の
last updateLast Updated : 2026-06-22
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第3話
耳元で、誰かの声が響いた。「おい……起きろ……」聞き覚えがあるようで、どこか懐かしく、それでいて見知らぬ響きを含んだ声だった。ゆっくりと目を開けると、ぼやけた視界の中に一人の少年の姿が映る。風に揺れる短い髪。反抗的で鋭い眼差し。修――そう思った。修以外の誰でもない。少年は彼女の目の前でひらひらと手を振った。「おい、ボールが頭に当たって、本当におかしくなったんじゃねえだろうな?一足す一は?」澪はハッとして足元を見る。そこにはバスケットボールが転がり、その隣には自分の鞄が落ち、中から教科書が地面に散乱していた。目の前の、修によく似た少年は、まるで呆れたものでも見るような目で彼女を見下ろしている。――いや、少し違う。そう感じたのは、目の前の修が、澪の記憶にある十八歳の彼よりどこか幼く見え、その瞳もずっと澄んでいたからだった。修は小さく舌打ちをした。「こりゃ重症だな。口も利けねえなんて、脳震盪でも起こしたか。ほら、保健室まで連れてってやる」面倒くさそうな顔をしながらも、修はしぶしぶと手を差し出してきた。――修は、さっきまで私の誕生日パーティーにいたはず。あんなにも悪意に満ちた言葉で、大勢の前で容赦なく私を辱めていたのに。次の瞬間、記憶が怒涛のように押し寄せる。誰かに背中を押され、無防備だった自分は長い石段を真っ逆さまに転げ落ちて――。身体を引き裂かれるような激痛と、底知れぬ恐怖が、一瞬で鮮やかによみがえった。生存本能が爆発する。どこから湧いたのかも分からない力で、澪は腕を振り上げ、修の頬を思い切り平手打ちした。「触らないで! 人殺し!」血走った目で、澪は修を真正面から睨みつけた。頬を打たれ、顔を横へ弾かれた修は、完全に呆然としていた。その頬には、みるみるうちに真っ赤な手形が浮かび上がる。その隙に、澪は弾かれたように彼のそばをすり抜け、一度も振り返ることなく走り出した。おかしい。この世界は、絶対におかしい。あの絶望的な雨の夜、私は確かに階段から突き落とされた。なのに、目を覚ましたら、どうして世界はこんなにも違っているの?ここは神崎家ではない。まるで時間が巻き戻ったかのように、彼女はかつて通っていた高校の校舎へ戻り、若き日の修と再会していた。澪は無我夢中で校内を駆け抜けた。地面に散らばった荷物を拾う余裕
last updateLast Updated : 2026-06-25
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第4話
澪の乗った黒いセダンは、静かに神崎家の屋敷へと滑り込んだ。車窓越しに、澪は記憶の奥深くに焼き付いたその屋敷をじっと見つめる。前世の自分は、ここがようやく見つけた希望の場所だと信じていた。だが現実は、人の心を少しずつ蝕んでいく牢獄に過ぎなかった。澪は深く息を吸い込み、固く握り締めていた拳をゆっくりとほどく。寛がドアを開けると、澪は慌てることなく静かに車を降り、その後に続いた。前世で初めてこの屋敷を訪れた時は、一歩踏み出すたびに怯えていた。だが今は違う。前世の記憶を抱えた澪は、迷うことなく、落ち着いた足取りで屋敷の中へと歩みを進めていく。エントランスには使用人たちが整列して出迎えていたが、その視線には品定めするような冷ややかな色が隠し切れなかった。澪は意に介することなくリビングへ入り、ソファに腰を下ろす。鼻をつくような、金持ち特有の重苦しい空気に、本能的に眉をひそめた。「あなたが澪ね。ずっとお待ちしていましたわ」鈴を転がすような澄んだ声が、頭上から降ってきた。振り返ると、階段の上には綾音が立っていた。高い場所から澪を頭の先からつま先まで値踏みするように眺め、口元には穏やかな笑みを浮かべている。だが、その目だけはまったく笑っていなかった。綾音は優雅な足取りで階段を下りると、すっと手を差し出した。「私は綾音。お姉ちゃんって呼んでちょうだいね」「……」澪はその白く細い手をじっと見つめ、唇をきゅっと結んだ。綾音が内心で苛立ち始めた、その時だった。澪はふいに立ち上がり、その手をしっかりと握り返した。「初めまして、『お姉ちゃん』」一語一語を噛み締めるように、静かに告げる。綾音は一瞬だけ虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに上品な笑みを浮かべ直した。「澪が田舎から来ると聞いて、ずっとお会いできるのを楽しみにしていたの。実際に会ってみると……なんて言えばいいのかしら、とても『素朴』で自然な雰囲気ね」「そうですか」澪は淡々と答える。「私は田舎育ちなので、都会の方の言い回しにはまだ慣れていません。でも、お姉ちゃんがそうおっしゃるなら、褒め言葉として受け取っておきますね」綾音は思わず言葉を失った。田舎から出てきた世間知らずの少女が、自分の牽制をこうもあっさり受け流すとは思ってもみなかったのだ。綾音が再び口を開こうとした時、奥の部
last updateLast Updated : 2026-06-25
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第5話
澪は物置で着の身着のまま身体を丸め、一晩を明かした。夜が白み始めると同時に起き上がり、誰にも見つからないうちに屋敷の造りを把握しておこうと、音を立てないようそっとドアを開けて外へ出る。廊下は水を打ったように静まり返っていた。厨房の前を通りかかったその時、棘のある声が静寂を切り裂いた。「……いいこと、よく覚えておきなさい。神崎家のお嬢様はただ一人、綾音お嬢様だけよ」澪は足を止め、壁に身を寄せて息を潜めた。半開きのドアの隙間から覗くと、メイド長の中井円香が腰に手を当て、若いメイドたちを前に説教しているところだった。円香はこの家で二十年以上勤めており、実質的には屋敷を取り仕切る女主人のような存在だ。前世で離れに住んでいた頃、澪はこのメイド長から散々な『特別扱い』を受けてきた。「旦那様がどれほどのお方か分かっているの? 神崎グループの総帥よ! あんなスラムから這い上がってきたような野蛮な小娘に、その尊い血筋を汚されてたまるものですか」円香は調理台の上から一枚のメモをつまみ上げ、若いメイドたちの前でひらひらと振った。「旦那様と奥様、それに綾音お嬢様の朝食は、和牛サンドにフレンチオムレツ、それから搾りたてのアボカドジュース。あの小娘には、お粥と漬物でも適当に出しておきなさい。もし文句を言ってきたら、『厨房が忙しくて用意が間に合いませんでした』って言えばいいわ。あとは勝手にさせておけばいいの」「でも……」若いメイドの一人が、おずおずと口を開いた。「あの方も、奥様がお腹を痛めて産んだ、本当のお嬢様なんですよね……?」澪の視線が、その少女で止まる。十七、八歳ほどだろうか。丸みのある顔立ちに、大きなアーモンド形の瞳が印象的で、俯きがちな他のメイドたちの中でもひときわ目を引いていた。前世では、この少女を見かけた記憶はない。「本当のお嬢様ですって?」円香はとんでもない冗談でも聞いたかのように、声を荒らげた。「あんな子が本当の娘なわけないでしょう。十六年間、旦那様は存在すらご存じなかったのよ。それが今さら突然現れるなんて、遺産目当ての詐欺師かもしれないじゃない」円香は目を細め、その場にいる全員を見回した。「いいこと。この家で誰につくのが一番賢いのか、よく考えて行動しなさい。あなたたちが小さい頃からお仕えしてきたのは綾音お嬢様よ。
last updateLast Updated : 2026-06-25
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第6話
日曜の朝。澪は清楚なワンピースに身を包み、腰には細いリボンを結んだ。派手さはないが、清潔感があり、どんな場にも溶け込める控えめな装いだった。玄関では、すでに綾音が待っていた。細部まで計算し尽くされた華やかなドレス姿は、澪の質素な服装と鮮やかな対比を成している。「澪、そのワンピース……少し地味すぎないかしら」綾音は目を細め、笑みを浮かべながらも、その目だけは笑っていなかった。「本家の歓迎会には、皆さんきちんとしたドレスでいらっしゃるのよ。もし着るものに困っているなら、お姉ちゃんのを何着か貸してあげるわ」「ありがとう、お姉ちゃん。でも初めて本家へ伺うんだもの。あまり目立たないほうがいいと思うから」澪は礼儀正しく微笑んだ。夕暮れどき、一行が神崎本家へと到着すると、親族たちからの好奇や品定め、そして軽蔑の視線が澪に突き刺さる。上座に座る厳格な祖父・神崎平蔵(かんざき へいぞう)への挨拶もそこそこに、間もなく重苦しい晩餐会が幕を開けた。「九条家のご子息がお着きです――」玄関から声が響いた瞬間、澪の心臓が小さく跳ねた。長身の影が足早に大広間へ入ってくる。修は仕立ての良いスーツをまとい、背筋を真っすぐ伸ばしていた。その眼差しには、名門の跡取りらしい成熟した冷たさが宿っている。部屋へ入るや否や、彼の視線は居並ぶ人々を通り越し、部屋の隅にいる澪を真っ直ぐ射抜いた。「修! 来てくれたのね!」綾音はすぐに歩み寄り、親しげに彼の手を取る。「紹介するわ。この子が――」「澪、だろ」修は綾音の言葉を遮り、迷いなく彼女の名を口にした。綾音は目を見開いた。「二人とも……知り合いなの?」「知りません」澪は間髪入れず、きっぱりと言い切った。修は唇の端をわずかに吊り上げ、昏い瞳で彼女を見据える。「確かに、知り合いとは言えないな。だが、初対面でもない」澪は唇を固く結び、無言で彼を見返した。やがて始まった晩餐会。主役であるはずの澪は末席に追いやられ、親族たちから質問攻めに遭っていた。「そういえば、澪の育てのお母様……まだ刑務所にいらっしゃるのよね」綾音が甘い声で放った一言。それは鋭い刃となって、澪の傷口を容赦なく抉っていく。 養母・歩美が、かつて赤ん坊を誘拐した罪で服役していることは、この場の誰もが知っている。今あえてその話題を持ち出すのは、公衆の
last updateLast Updated : 2026-06-25
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第7話
綾音はみるみるうちに目を潤ませ、次の瞬間には大粒の涙を頬に伝わせた。「全部、私のせいなんです……。本当の家族に会いたくてたまらなかったんです。やっと本当の両親が誰なのか分かったと思ったら、もう亡くなっていると知らされて……。しかも、叔母さんも同じ車に乗っていたと聞いてからは、何日も食事が喉を通らなくて、夜も眠れませんでした。私はもう両親を失っています。これ以上、叔母さんまで失うわけにはいきませんもの。それで当時の病院について調べたら、叔母さんは亡くなってはいないけれど、植物状態のままで、もう目を覚まさないかもしれないと知ったんです」「かわいそうに……。あなたは一人じゃないわ。私たちがいるじゃない」真っ先に口を開いたのは大奥様だった。ハンカチで目尻を押さえると、従妹へたしなめるような視線を向ける。「せっかくのお祝いの席なのに、そんな縁起でもない話を持ち出すなんて」従妹は舌をぺろりと出した。「だって、気になったんだもん……」平蔵は軽く咳払いをし、昴へ視線を向けた。「この件については、もう調べがついているのか」昴は静かに頷く。「私の不手際です。ご報告が遅れました。早紀さんは頭部に重傷を負い、現在も治療を受けています」深雪は胸を痛めたような表情で綾音の肩を抱き寄せた。「その方は……まだ目を覚ます可能性があるの? 綾音にとって、たった一人の血のつながった身内なのに……」昴は淡々と答えた。「医師の話では……希望を捨てない限り、奇跡が起こる可能性はゼロではないそうだ」平蔵はゆっくりと頷いた。「よし。その人をグループ傘下で最も設備の整った病院へ転院させなさい。費用はすべてこちらで負担する」深雪は安堵の息をつき、綾音へ微笑みかけた。「聞いたでしょう? 神崎家がついているんだから、叔母様もきっと目を覚ましてくださるわ」綾音は感極まったように涙を流した。「ありがとうございます、お祖父様、お祖母様……お父様、お母様」「お礼なんていらないわ。私たちは家族なんですもの」深雪は愛おしそうに綾音の頭を優しく撫でた。皆が温かな眼差しで見守る中、母と娘は固く抱き合った。その場にいる誰もが、目の前の光景に胸を打たれていた。――ただ一人、澪だけを除いて。彼女は表情一つ変えず、食卓の隅で静かにジュースをひと口飲んだ。綾音の危機対応は確かに鮮やか
last updateLast Updated : 2026-06-25
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第8話
修は眉をひそめた。「どういう意味だ? 俺たち、以前どこかで会ったことがあるのか」澪は暗い瞳のまま、数秒間沈黙した。胸の内では激しい波が渦巻いていたが、表面上は必死に平静を装っている。「私が申し上げたかったのは、九条家ほどのお力があれば、一人の人間の素性を調べることなど造作もないでしょう、という意味ですわ」澪が神崎家に引き取られたことは、まだメディアで正式に公表されていない。神崎本家の人間でさえ、彼女の存在を知らない者がいるほどだ。それなのに、今日神崎家を訪れた修は、大勢の人間の中から迷うことなく澪を見つけ出し、綾音が紹介するより先に彼女の名を口にした。明らかに、修は事前に澪について調べていた。一方の修は、目の前の女の正体を探ろうとしたものの、逆に澪にあっさりとかわされ、一瞬言葉を失った。「もう離していただけませんか。手が痛いのですが……」澪の顔色は、すでに少し青ざめていた。その時になってようやく、修は自分がまだ澪の手首を掴んだままだったことに気づく。彼は慌てて手を放し、気まずさを隠すように傲慢な笑みを浮かべた。「自惚れるな。あの日のお前の無礼さえなければ、お前なんか一瞥だってくれてやらなかった」澪は手をそっと背中へ回し、気づかれないようスカートでこすった。修に触れられた場所には鳥肌が立ち、その不快感はまるで蛇が肌にまとわりつくように、いつまでも消えなかった。彼女はひと呼吸置き、感情の起伏を一切感じさせない声で言った。「前回はご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。ご存じのとおり、私はどこにでもいる普通の人間です。たとえこの家に迎えられ、神崎の姓を名乗ることになったとしても、自分が綾音お姉ちゃんや修様のような方々と肩を並べられるなどと、そのような身の程知らずな考えは持っておりませんわ」私は私であり、私らしくしか生きられない。「九条家の御曹司であるあなたが、私のような取るに足らない者へ、これ以上関心を向ける必要はありません。周囲に余計な誤解を招いてしまってはいけませんから」澪は遠回しな言い方をせず、率直に本心を伝えた。修は眉をつり上げた。目の前の女が、ますます分からなくなる。表向きはへりくだっているのに、その言葉の端々からは、自分の信念を貫き、決して折れようとしない芯の強さが透けて見えたからだ。彼は澪をじ
last updateLast Updated : 2026-06-29
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第9話
車内には淡いレザーとウッド系のフレグランスがほのかに漂っていた。ドアが閉まると同時に、外の喧騒は見えない壁に遮られたかのように、ふっと遠ざかる。修は澪を見ることもなく、ただスマートフォンの画面へ視線を落としていた。澪も無言のまま鞄を膝に抱え、顔を窓の外へ向ける。車内は静まり返り、エアコンの吹き出し口から漏れるかすかな風音さえ聞こえるほどだった。しばらくして、修がふいに横を向き、彼女へ視線を向けた。その目は彼女の体の脇あたりで止まり、口元がわずかに弧を描く。「何?」澪は眉をひそめた。修は何も答えず、不意に彼女のほうへ身を乗り出してきた。澪は思わず息をのむ。もともと静かな車内だ。今この瞬間は、お互いの息遣いさえ聞こえてしまいそうだった。近すぎる。シャツの襟元からのぞく鎖骨がはっきり見え、その襟元からはほのかな白檀の香りが漂ってくる。澪の頭の中で、けたたましく警鐘が鳴り響いた。まさか、こんなところで手を出すつもり? 前には他人が二人も乗っているのに!彼女はシートに身を固くし、背中を背もたれへぴたりと押しつけた。無意識に鞄をぎゅっと抱き締め、声までわずかに震える。「何……する気?」「シートベルトだ」修の声が頭上から降ってきた。まるで彼女の髪に唇を寄せ、耳元で囁いているかのような近さだった。澪の指先がかすかに震える。普段ほとんど車に乗る機会のない彼女には、乗った直後にシートベルトを締める習慣がなかったのだ。修は片手をシートの脇につき、もう片方の手を彼女の腰の横へと伸ばした。まるで半身を包み込むような体勢だった。骨ばった長い指がダークカラーのレザーシートをなめらかに滑っていく。その所作には一切の焦りがなく、どこか優雅で落ち着いたリズムがあった。袖口が制服の生地をかすめ、薄い布越しに彼の手首から伝わる体温まではっきりと感じられる。澪は息を潜めた。視線の置き場がない。下を向けば、自分を抱き込むように伸ばされた彼の腕が目に入る。顔を上げれば、目と鼻の先にある修の顔をまともに見てしまう。仕方なく、澪は窓の外へ視線を固定した。耳の裏が意思とは無関係に熱を帯び、静まり返った車内では、自分の鼓動だけが何倍にも大きくなったように、胸の奥でドラムのように鳴り響いていた。カチッという小さな音とともに、シートベルトのバックルが澪の脇でし
last updateLast Updated : 2026-06-29
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第10話
一年A組。修は自分の席で弁当箱を開いていた。中には、彩り豊かな料理が上品に美しく詰められている。今日のメインは、母親の得意料理であるエビフライ。こんがりときつね色に揚がったサクサクの衣は、見ているだけで食欲をそそった。まだ箸をつけてもいないというのに、香りにつられた悪友たちがすでに彼の周りを取り囲み、弁当を覗き込んでは感嘆の声を上げていた。料理上手な母親を持ち、毎日日替わりの弁当を作ってもらえる修を、皆が口々に羨ましがる。A組には裕福な家庭の生徒が多いとはいえ、修のように毎日弁当を持参している者ばかりではない。親が仕事で忙しく、子どもを学校に任せきりにしている家庭も少なくなく、昼休みになると食堂へ駆け込んだり、購買部へパンを買いに走ったりする生徒も大勢いた。「うわ、めちゃくちゃうまそう……」男子たちが感心していると、不意に背後から少女の声が聞こえた。「奇遇ね。私も今日はお弁当なの」綾音は弁当箱を両手で抱え、彼らの後ろでにこやかに微笑んでいた。彼女は弁当箱を少し差し出し、甘えるような柔らかな声で言う。「修、今日は卵焼きを作ったんだけど、ちょっと作りすぎちゃったの。よかったら少し交換しない?」修は顔を上げて綾音を見たが、その表情は変わらなかった。悪友たちの反応は早い。「ひゅーっ! お弁当交換だってよ!」一人がわざとらしく声を張り上げ、意味深な視線を綾音と修の間で行き来させた。別の男子もニヤニヤしながら修の肩を叩く。「綾音ちゃんといえば、全校男子の憧れの的だぞ。お前、本当に幸せ者だな!」「何言ってんだよ。修だって学内一のイケメンだろ。まさに美男美女、お似合いのカップルじゃん!」周囲の生徒たちも次々と振り返り、二人を興味津々といった様子で見比べ始めた。学校一の美少女が、自ら学内屈指のイケメンに歩み寄る――そんな場面は、退屈な学校生活の中では格好の話題に違いなかった。綾音の美しさは誰もが認めている。艶やかな黒髪は腰まで届き、整った顔立ちはまるで陶器の人形のよう。微笑めば目元がやわらかく弧を描き、気品に満ちた雰囲気を漂わせる。今、彼女は修の机の前に立ち、少しだけ首を傾げていた。頬はほんのり桜色に染まり、その色づきがチークによるものなのか、それとも本当に照れているからなのかは分からない。綾音は入学以来ずっと修に想いを寄せ続けている。し
last updateLast Updated : 2026-06-29
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