結婚して3年、あの偽セレブが戻ってきた――たったそれだけの出来事で、彼女が丹精込めて制作した彫刻のアート像は離婚の手土産になってしまった。 川崎遥香(かわさき はるか)は迷わず離婚届にサインし、踵を返した。 自分を愛してくれない男は、もういらない。 偽セレブが男の腕を組み、自慢げに自らを勝ち組だと誇ったその時、遥香はオークション会場で超高額の収蔵品を叩き割り、冷たく嘲笑った。「贋作のくせに巨匠の作品を騙るなんて、笑わせるわ!」 その後、尾田修矢(おだ しゅうや)は眩い光を放つ彼女を前にして後悔の念に駆られ、赤く充血した目をしながら、土下座して彼女に復縁をせがんだ。 遥香は秒でその要求を断り、言い放った。「申し訳ないけど、一度ゴミ箱に捨てた元夫を拾う趣味はないの」
View More修矢が「雪嶺斎」の膝裏を蹴り上げると、「雪嶺斎」は悲鳴を上げてその場にひざまずいた。遥香は一切ためらわず携帯を取り出し、すぐに警察へ通報した。「もしもし、警察の方ですか?通報します。都心の七星ホテルの宴会場に殺人犯がいます。商業詐欺や有害な彫刻の製造にも関わっており、多くの被害者が出ています」遥香の声は冷静そのもので、状況を簡潔に伝えていた。ホテルの警備員たちは、尾田家当主が放った威圧感に圧され、近づくことさえできなかった。奈々は力尽きたようにその場に崩れ落ち、正明も絶望に顔を歪めた。渕上家はもう終わりだ――彼ら自身にもその事実がはっきりとわかっていた。やがて警察が到着した。尾田家の名と、世間の渦中にある渕上ジュエリー、そして「雪嶺斎」という注目の人物が絡んでいたから、その対応は迅速だった。現場の指揮官は、目の前の騒ぎぶり、特に修矢の冷たい表情を見て即座に事態の重大さを悟った。遥香は収集したすべての証拠――被害者の証言、病院の診断書、幻覚をもたらす香料の検出結果、彼女自身の推理、そして先ほどの録音データ――を警察に提出した。「警察の方、この男は詐欺師にとどまらず、私の養父母を殺した犯人です。あの年、ハレ・アンティークの放火を行ったのはこの男です」遥香は修矢に踏みつけられている「雪嶺斎」を指さし、声を震わせながらそう告げた。「雪嶺斎」はその言葉に一瞬慌てた表情を見せたが、すぐに逆上して凶々しく叫んだ。「証拠があるのか!でたらめだ!」「証拠?」遥香は冷笑した。「天の裁きから逃げられる者はいません。コードAがフラグマン・デュ・ドラゴンを狙い、放火や殺人まで犯した罪……今日すべて清算させてもらいます」この衝撃的な告発を受け、警察は「雪嶺斎」をはじめ、その場にいた正明や奈々ら関係者を全員拘束し、事情聴取のため署へと連行した。「養父母もあの世で、犯人が裁かれるのを見届けて、ようやく安らかに眠れるでしょう」発表会が終わったあとも、修矢はずっと黙って彼女のそばに寄り添っていた。「もうすべて終わった」彼はそっとその手を握り、温もりと力を伝える。遥香は小さくうなずき、目頭がじんわりと熱くなった。そう、すべてが終わったのだ。長い間胸を押し潰していた重い石が、ようやく取り払われたのだった。翌日は雲ひとつない晴天だ。
しかし「雪嶺斎」は冷ややかに彼女の手を振り払った。もはや勝敗は決しており、捨て駒のために言葉を費やす必要などなかった。渕上ジュエリーのブランドの信用は、この瞬間に音を立てて崩れ去った。待ち受けるのは法の裁きと市場からの徹底的な拒絶である。かつて栄華を誇った渕上ジュエリーは、今夜を境に破滅へと転落する運命にあった。修矢は終始、遥香のすぐ後ろに立ち、優しく誇らしげな眼差しで彼女を見つめ続けていた。彼女はいつだってそうだ。冷静で、果敢で、自らの力で胸に抱く正義を守り抜く。祝宴は結局、しらけたまま終わりを迎えた。驚きと怒りを抱えたまま客たちは次々と去り、宴会場には荒れ果てた光景と、打ちひしがれた渕上家の人々だけが取り残された。遥香はすぐには会場を後にせず、片隅でひそかに抜け出そうとしていた「雪嶺斎」の姿を見つけた。「お待ちください」「雪嶺斎」は振り返り、陰鬱な眼差しで遥香を見据えた。「川崎さん、まだ何かご用?」「用だなんて大げさなことではありません」遥香はゆっくりと歩み寄り、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。「あの年、ハレ・アンティークで起きた火事はあなたの仕業ですか?私の養父母の死も、あなたと関わりがあるのでは?」「雪嶺斎」の瞳孔が一瞬ぎゅっと縮んだが、すぐに何事もなかったように平静を装った。「何のことをおっしゃっているのか、私にはさっぱりわからないね」「わかりません?」遥香は冷ややかに笑みを浮かべた。「あの時、養父はフラグマン・デュ・ドラゴンを持っていました。コードAの人間はそれを奪うためにハレ・アンティークへ火を放ち、私の養父母を殺しました。そして――『雪嶺斎』先生こそ、そのフラグマン・デュ・ドラゴンを探すために送り込まれたコードAの手先ではないのですか」その言葉に「雪嶺斎」の顔色がついに変わり、遥香を鋭く睨みつけた。「……どうしてそれを知っている」「悪事は必ず露見するものですよ」遥香の眼差しは鋭く、人の心を貫くようだった。「自分はうまく偽装できているつもりでした?養父と瓜二つの顔を盾にすれば、誰も疑わないと?違いますよ。あなたは永遠に彼にはなれません!あなたの手には無辜の者の血がついています。あなたはただの殺人鬼です!」その言葉に「雪嶺斎」は激しく動揺し、感情を抑えきれず低く唸った。「そうだとして……何が
遥香はシンプルでありながら優雅さを失わない黒のロングドレスに身を包み、修矢と並んでゆっくりと会場へ足を踏み入れた。その姿は静かな湖面に投げ込まれた石のように、瞬く間に波紋を広げた。場内の視線は一斉に彼女に注がれた。奈々の笑みは一瞬で凍りつき、険しい声を上げた。「川崎、何をしに来たの?あなたに招待状を出していないでしょ!」だが遥香はその叫びを意に介さず、まっすぐ宴会場の中央へと進んでいった。落ち着いた眼差しで、在席する一人ひとりを見渡す。「皆さま、楽しいひとときに水を差して申し訳ありません」遥香の澄んだ力強い声がマイクを通して会場全体に響き渡った。「本日私がここに参ったのは、皆さまの健康、そして彫刻業界の名誉に関わる真実を明らかにするためです」その言葉に、会場はどよめきに包まれた。奈々の胸に不吉な予感が走り、声を荒げて叫んだ。「川崎、また何を仕掛けるつもりなの!警備員、早くこの人を追い出して!」修矢が一歩踏み出し、遥香を背に庇った。彼の冷ややかな眼差しで動きかけた警備員たちを射抜くと、その圧倒的な気迫に押され、誰一人として近づくことができなかった。「渕上さん、そこまで慌てることはないでしょう」遥香の声には皮肉が滲んでいた。「ただ皆さまに、渕上家が誇る『雪嶺斎』先生とのコラボジュエリーが、果たしてどんな宝物なのかをお見せしたいだけです」そう言って遥香が江里子に合図を送ると、用意してあったプロジェクターが起動し、大きなスクリーンに映像が浮かび上がった。そこにはジュエリーを身につけた後に赤く腫れただれた皮膚、苦痛にゆがんだ被害者たちの顔が次々と映し出される。さらに病院の診断書や、精神の異常をきたして精神病院に送られた人々の記録も続いた。「これらはすべて、渕上ジュエリーの『雪嶺斎』コラボ商品を購入した被害者です」遥香の声は氷のように冷たかった。「彼らは渕上家のブランドを信じ、いわゆる『雪嶺斎』を崇めたがために、このような悲惨な結末を迎えたのです」「うそよ!」奈々は顔を真っ青にして叫んだ。「こんなの全部あなたの捏造よ!私への誹謗中傷に決まってる!」「捏造ですって?」遥香は冷ややかに笑みを浮かべた。「被害に遭われた方々は、今日この場に来ています。ご本人の口から、これが誹謗中傷なのかどうか、皆さまに聞いていただきましょ
「雪嶺斎」は遥香を鋭い眼差しで見据え、まるで心の奥を見抜こうとするかのように問いかけた。「川崎さんは、私を信じられるのか?」「先生、冗談をおっしゃらないでください」遥香は誠実で無垢な笑みを浮かべた。「先生は彫刻界の巨匠であり、渕上家の協力者でもあります。信頼しない理由はありません」「雪嶺斎」はしばし沈黙し、やがてゆっくりと口を開いた。「この材料は質がきわめて良く、彫りが的確であれば後世に残る逸品となるだろう。ただ、その来歴は単純ではないようだ」彼はそう言って、意味ありげに遥香を見つめた。遥香はあえて首をかしげる。「先生、それはどういう意味でしょうか?」「雪嶺斎」は小さく首を振り、それ以上は語らなかった。「もしよろしければ、この彫刻をしばらく私に預けてくれ。詳しく調べたうえで、正確な評価をお伝えする」遥香はほとんど迷うことなくうなずいた。「では、お願いいたします」彼女はそう言って「フラグマン・デュ・ドラゴン」を「雪嶺斎」の前に差し出し、まるで相手が不正を働くなど微塵も疑っていないかのようだった。「雪嶺斎」は目の前の彫刻を見つめ、抑えきれない熱を瞳に宿した。コードAが血眼になって探していたフラグマン・デュ・ドラゴン――それが、まさにこれに違いない。この彫刻さえ手に入れば、自分のコードA内での地位は必ずや高まる。彼は胸の高鳴りを必死に抑え込み、遥香に向かってうなずいた。「川崎さん、ご安心を。三日以内に必ずお答えする」遥香は立ち上がり、辞去の挨拶をしながら、口元に意味深な笑みを浮かべた。かかったね。日が経つにつれ、渕上ジュエリーが売り出した「雪嶺斎」とのコラボ商品は、争うように買い求められた。奈々は利益の最大化を追い求め、材料の質や彫刻の細部を顧みず、いわゆる「巨匠の作」を大量に作り出した。遥香は表情ひとつ変えずに部下を遣わし、それらの商品の売れ行きや購入者の反応を密かに探らせた。案の定、ほどなくして渕上ジュエリーのコラボ商品を買った客から次々と不具合が現れた。身につけた後に皮膚が赤く腫れ、かゆみが長く続いて治らない者もいれば、めまいや不眠、動悸などを訴え、精神状態が次第に悪化していく者もいた。さらに重い症状では、幻覚にさいなまれ常軌を逸した行動をとり、家族に付き添われて精神病院へ送られる者まで
遥香はフェニックスを彫り進め、雪嶺斎に劣らぬ腕前を見せていた。二人の速度は互角で、会場の空気は張りつめていた。やがて時が過ぎ、二人はほぼ同時に作品を仕上げた。雪嶺斎が彫刻刀を置いた瞬間、その仏像からはほのかな香りが漂い、審査員たちは次々と前に出て両者の作品を細かく観察した。審査員たちは雪嶺斎の作品を目にすると、一様に感嘆の声を上げ、その仏像に強く惹きつけられている様子だった。一方で、遥香のフェニックスも評価は得たものの、審査員たちの表情には驚嘆の色がいくぶん薄かった。「この仏像の彫刻は実に見事だ」ある審査員が惜しみなく賛辞を口にすると、他の審査員たちも次々とうなずき、言葉を重ねた。「その通りだ、雪嶺斎はさすがに世を離れた巨匠。この作品はまさに神業だ!」「川崎遥香の作品にも確かに瑞々しさはあるが、境地や技量では一歩及ばないな」遥香は静かにその言葉を聞き、顔には一切の表情を浮かべなかった。彼女には、勝敗を分けた理由がわかっていた。あの香りはただのフレグランスではなく、人に軽い幻覚をもたらす薬だったのだ。量はごくわずかで害を及ぼすほどではなかったが、判断力を鈍らせ、仏像に対して根拠のない好感や崇拝心を抱かせる効果があった。そして案の定、最終的な審査結果に意外性はなかった。雪嶺斎は圧倒的な差をつけて、今回の全国彫刻大会で第一位を勝ち取った。奈々は興奮で顔を真っ赤にし、得意げに遥香の前へ歩み寄ると、甲高い声を響かせた。「川崎、見たでしょう?これが実力の差よ。雪嶺斎先生がいる限り、あなたは永遠に負け犬なの!」奈々の脳裏には、渕上ジュエリーがこれで名を馳せ、遥香とハレ・アンティークは完敗して二度と立ち直れなくなる光景が、すでに鮮明に浮かんでいた。遥香は奈々の得意満面の姿を見て、ただ静かに笑みを浮かべた。大会が終わるとすぐに、修矢が遥香のもとへ駆け寄り、彼女の手をしっかりと握った。「遥香、俺の中ではいつだって君が一番だ」その声は優しく、それでいて揺るぎない強さを帯びていた。遥香は彼を見上げ、澄んだ瞳に狡知の光を宿し、そこには落胆も悔しさも微塵もなかった。「わかってる」彼女は修矢の耳元に顔を寄せ、声を潜めてささやいた。「本当の見ものは、これからよ」修矢は遥香の瞳に宿る見慣れた狡さを見て、張り詰めていた心が
「慶介さん……あなたは本当に素晴らしい人。でも、私にはふさわしくないの」実穂の声はか細かったが、そこにははっきりとした決意がこもっていた。「だから……私たちは友達のままでいましょう」「信じられない!」慶介は感情を抑えきれず声を荒らげた。「実穂、俺を見てくれ!本当に俺に少しの好きという気持ちもないって言うのか?」実穂は唇を噛みしめ、どうしても顔を上げようとはしなかった。遥香は小さくため息をつき、歩み寄って今にも崩れそうな慶介の肩にそっと手を置いた。「慶介さん、まずは実穂を休ませてあげて。目を覚ましたばかりで、まだ身体が弱っているの」その視線には、落ち着いてほしいという思いが込められていた。慶介は力が抜けたように実穂の手を放し、魂を落としたかのように後ろへと退いた。遥香はベッドの端に腰を下ろし、柔らかな声で実穂に語りかけた。「実穂、あまり考えすぎないで。今は体をきちんと治すことが一番大事よ。恋のことはゆっくりでいいの。自分に無理をかけちゃだめ」実穂は遥香を見つめ、その瞳に感謝と申し訳なさを浮かべた。病室を出ても、慶介の落ち込んだ様子は変わらなかった。「遥香……実穂は本当に、俺のこと好きじゃないのかな?」遥香は足を止め、真剣な眼差しを彼に向けた。「慶介さんはどう思う?もし本当に気持ちがなかったら、あなたをかばったりする?迷惑をかけるのを恐れて、あえて冷たく突き放したりする?」慶介ははっと顔を上げ、目にわずかな希望の光を宿した。「つまり……」「実穂はいい子よ。彼女なりの不安や誇りがあるの」遥香は辛抱強く言い聞かせた。「だから少し時間をあげて。自分のことも信じなさい。真心は必ず伝わるわ。簡単に諦めちゃだめ」慶介はまるで目を覚まされたように、曇っていた瞳に再び光を取り戻した。そうだ、実穂はあんなに優しい子だ。きっと事情があるに違いない。簡単に諦めてはいけないのだ。衆人の注目を集める全国彫刻大会がついに幕を開け、会場はまばゆい光に満ち、名士たちが顔をそろえていた。報道陣のフラッシュがひっきりなしに光り、華やかな瞬間を逃すまいとシャッターが切られる。その頃、舞台裏の控え室では、遥香が特別に誂えられたドレスに着替えようとしていた。そのドレスは名のあるデザイナーの手によるもので、刺繍と宝石の象嵌を施した逸品だった。
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