桜子は辰雄からAdaがショー会場を早退したことを聞き、翔太を連れて地下駐車場へ急いで向かった。 その頃、Adaはすでに不機嫌そうな表情を浮かべ、送迎車の中に座っていた。車のドアがゆっくりと閉まりかけたその瞬間、白く美しい手がドアをしっかり掴み、強引に開けた。 「Adaさん、Twitterのトレンドを見て怒りを感じていらっしゃるのはよくわかります。私自身も同じくらい怒っています。この写真は何者かによって漏洩されたもので、KSWORLDはこの件について全く知らされていません!」 桜子は全速力で駆けてきたため息が荒く、額には汗が滲んでいた。 Adaは、長年のキャリアで鍛え上げた完璧な表情を浮かべ、桜子を冷静に見つめた。感情を表に出すことなく、穏やかな声で言った。 「桜子さん、私たちは契約を交わしている以上、今回の件にKSWORLDが直接関与していない可能性は理解しています。 それに、辰雄さんがあなたを評価していることから、あなたが信頼できる人物であることは分かっています」翔太はこの言葉を聞き、ほんの少し希望を見出したようで目を輝かせた。まだ解決の余地があるのではないか、と期待を抱いたのだ。 しかし、次の瞬間、Adaの口から冷たい現実が突きつけられた。 「ですが、KSWORLDのセキュリティ体制に重大な問題があるのは否めません。桜子さん、あなたが部長である以上、この責任を回避することはできません。 今回漏洩したのは会場の写真でしたが、次に漏洩するのは顧客の個人情報かもしれません。KSWORLDの管理体制の不備が、今回の事態を招いたのではないでしょうか?」なんて冷酷な...... 翔太は顔を赤らめながら拳を握りしめた。 自分がどれほど侮辱されても構わない、殴られても耐えられる。しかし、桜子が他人から責められ、疑われるのを黙って見ていることだけは我慢ならなかった。 桜子は冷静に彼の肩を軽く叩き、落ち着かせようとした。そして、一度深呼吸をしてから毅然とした態度で言った。 「Adaさん、今回の件について、確かに私たちの管理体制に不備があったことを認めます。悪意を持った人物が内部に入り込み、会場の写真を流出させたことは私の責任です。大変申し訳ございません」 「桜子様......」 翔
桜子は目に陰りを浮かべ、紅い唇を少し持ち上げた。 「ふん、面白いじゃない。私を相手に計算してくるなんて。いいわ、誰か知らないけど、私を本気にさせたらどうなるか、思い知らせてあげる!」契約が破談になったものの、桜子は全く動じる様子を見せなかった。大口顧客を失うのは痛手ではあるが、それ以上に重要なのは、ホテルに潜む内通者を早急に突き止めることだ。そうしなければ、後にもっと大きな問題を引き起こすだろう。「桜子様、このお菓子の箱......」翔太はためらいがちに口を開いた。桜子は長い睫毛を少し震わせると、手に持っていた箱を迷いなくゴミ箱に投げ入れ、振り返ることなくその場を去った。「受け取ってもらえたものは贈り物。受け取ってもらえなかったものはただのゴミよ。私が渡したものを回収するなんて、そんな恥ずかしいこと、するわけないでしょう。行くわよ」二人が去った後、高く引き締まったシルエットが静かに暗がりから姿を現した。隼人は桜子が去っていく背中をじっと見つめ、その瞳には揺れる波紋が浮かんでいた。「隼人さん、これで若奥様も忙しくなりそうですね。内通者を見つけるなんて、一番厄介なことですから」井上が肩をすくめてため息をついた。隼人は何も言わずゴミ箱の前に立ち、汚れも気にせず桜子が捨てた箱を拾い上げた。「隼人さん!や、やめてください、汚いですよ!」 普段なら冷静沈着な井上も、この光景には思わず声を上げてしまった。いつも品位を保つ隼人が、捨てられたものを拾うなんて――「構わない。こういうこと、子供の頃にはよくやったからな」隼人は淡々と答えた。その言葉とは裏腹に、彼の胸には、数日前に台所で桜子が心を込めて点心を作っていた姿が浮かんでいた。「行こう」桜子はKSWORLDに戻ると、役員とウェディングプランニングチーム全員を会議室に呼び出し、緊急会議を開いた。契約をキャンセルしたという知らせに、皆は怒りをあらわにし、それまでの努力が無駄になったと悔し涙を流す者もいた。桜子はその様子を見て、自分も胸が締め付けられるような感覚に襲われた。契約が破談になることも、自分がどれだけ理不尽な目に遭うことも恐れない。ただ、共に苦楽を分かち合い、頑張ってきた仲間たちを失望させることだけは、どうしても避けたかった。「大丈夫よ。こんなの大
翌日、宮沢グループのオフィスにて。井上が慌ただしくドアをノックし、そのまま飛び込んできた。「隼人さん!例の件ですが......うわっ!」井上は言葉を途中で止め、大声を上げた。 止める暇もなく、彼は目の前の光景に目を丸くした。隼人が机に座り、汚れた箱から獅子頭まんじゅうを取り出し、静かに一口かじっている。 ガリッ。 大きく口を開けて咀嚼し、目を細めながらじっくりと味わっているその姿――「隼人さん!それはダメですって!あれ、ゴミ箱から拾ってきたやつですよ!食べちゃダメですって!」井上は慌てふためいて声を張り上げた。「ただ箱が汚れているだけだ。中身は無事だ」隼人はあくまで平然としていた。そしてさらにもう一口かじる。味は確かに素晴らしい。しかし、これは自分のために作られたものではない。その事実を思うと、隼人の喉が苦くなるようだった。かつて桜子が毎日のように自分のためにこういったものを作ってくれていたとき、自分はその価値に気づかなかった。今になってそれを求めるなんて、しかもゴミ箱から拾って――......自分がここまで落ちぶれるとは、情けない限りだ。「それで、調査の結果は?」隼人は残った獅子頭まんじゅうを丁寧に箱に戻し、ゆっくりと尋ねた。「そ、それがですね......あの大手Twitterアカウントの管理者に聞き出したところ、重要な情報を掴みました!」井上は少し得意げに言った。「核心を言え」「はい!そのアカウントの管理者曰く、結婚式の写真はTwitterのDMを通じて匿名の投稿者から送られてきたものだそうです。つまり、管理者自身はただ投稿された内容を拡散しただけで、投稿者が誰なのかは全く分からないそうです......」「ふん。お前、最近暇つぶしに何か講座でも受けたのか?」隼人は冷たい視線を投げかけた。「え?講座?」「無駄話をする練習の講座だ」 隼人は眉をぴくりと動かした。「それが、お前の言う『重要な情報』か?肝心の黒幕の正体が何も分からない。お前のボーナスは、本当に困っている人たちに寄付した方がいいな」「隼人さん、ご勘弁を!ちゃんと投稿者のアカウントは突き止めました!まだ詳しく調べる前に急いで報告に来ただけです!今すぐ調査に戻ります!」 井上はボーナスカットの危機に顔を青くし、慌
「......」井上は口を閉じて、「ファスナー」を引く仕草をして黙り込んだ。「この3年、結局、俺は彼女に多くを背負わせてきた」 隼人は深くため息をつき、目を伏せながら呟いた。「少しでも返せるなら、それだけでいい」夜が更けた頃。 桜子のプライベートヴィラでは、桜子の仕事にトラブルがあったと聞いた樹と栩が、それぞれの手を止め、急いで駆けつけてきた。書斎では、栩が額に汗をにじませながらパソコンの前に座り、桜子から渡されたアカウントを追跡している。その指はキーボードの上でまるでピアニストのように動き続けていた。一方、桜子はソファにゆったりと座り、樹とワイングラスを軽く合わせ、樹が持ってきた最高級の赤ワインを楽しんでいた。「おいおい、君たち2人、さすがにひどすぎないか?」 栩は渇いた喉を鳴らしながら、抗議するように声を上げた。 「俺はこんな夜中に呼び出されて『道具』みたいにこき使われてるんだぞ!君たちは優雅にワインを飲んで楽しんでる。これ、普通に考えてもおかしいだろ」2人が労うそぶりも見せない様子に、栩は仕方なくため息をつき、ふてくされるように言った。 「いいか、せめて俺の分、少しは残しておけよ!」「栩兄、ちゃんと仕事終わらせてよ。ちゃんとやり遂げたら、地下のワインセラーにある100本以上の赤ワイン、全部あげるから。賄賂として十分でしょ?」 桜子は楽しそうに笑いながら、冗談っぽく言った。「はっ、俺は清廉潔白な公務員だぞ!君のそんな小細工で俺の正義は揺るがないからな!」 栩は眉をひそめ、カタカタとキーボードを叩き続けた。「桜子、この件、父さんがもう知ってる」 樹は穏やかに声をかけた。「ふん、良いことは広まらないのに、悪いことだけは万さんの耳にすぐ届くんだから」 桜子は赤ワインを楽しむ気分がすっかり失せたのか、小さな足を組み替え、むすっとした顔で唇を尖らせた。 「どうせ家で笑ってるんでしょ、私が失敗するのを楽しみにしてさ」「うん、父さん、確かに笑ってた」 樹は微笑みながら、膨れた桜子の頬に手を伸ばし、軽くつまむ。「父さんが言ってたぞ、『こんなくだらないことで落ち込むなんて、世の中にあの娘が本気で気にしてる人なんているのか?』ってな」「......」 桜子は絶
「今回は『深夜のホラーコール』じゃなくて、『深夜のホラーショー』だな」 樹は赤ワインを口に運びながら、軽く冗談を飛ばした。それもそのはず。今夜は、彼と栩の二人が妹を見守っている。隼人ごときが何をしても、そう簡単に事が進むはずがない。 それに、もし隼人が何かやらかしたら――樹の十字架の刃が容赦なく動くだろう。 そのときは、神様ですら隼人を救うことはできない。「隼人がここまで来るなんて?はっ、ふざけんな......武器を持つぞ!」 栩は毒づきながらも、視線をパソコン画面から離さず、手元のキーボードを叩く手を止めなかった。「武器?何のこと?キーボードのこと?」 桜子は肩をすくめると、少し苛立った様子で立ち上がった。 「私が『鬼』を呼んだんだから、私が『鬼』を送り返すべきでしょ。ちょっと見てくる」彼女は一人で玄関に向かい、モニター付きインターホンの前に立つと、映像通話をオンにした。画面に映ったのは、隼人の冷たく整った顔だった。その目はどこか鋭さを湛えている。「何しに来たの?」 桜子は感情を全く見せず、まるで他人と話しているように冷たく言った。 「盛京には他に行く場所ないの?それとも、私の家を観光地にでもするつもり?」「桜子、外に出てきてくれ。話がある」 隼人は皮肉を聞き流し、低い声でそう言った。「ここじゃダメ?顔も見えるし、声も聞こえてる。何が問題なの?」 桜子はさらに冷たく返した。隼人は深く息を吐き、喉を詰まらせたように黙り込んだ。目の前の彼女は、まるで雪のように冷たくて、鋭い棘を隠しているようだった。「桜子、頼むから、外に出てきてくれ。話をさせてほしいんだ」 「頼む?私がどう見ても、頼まれているようには思えないんだけど。私はただ、あなたを追い返そうとしているだけ」 桜子は小さく笑い、さらに一言付け加えた。「それすら気づけない?」「会いたいんだ」 隼人の瞳が暗い夜空の中で揺らめく。掠れた声で、言葉がぽつりと漏れた。それは彼の全てのプライドを捨てた、純粋な一言だった。会いたいんだ。桜子は一瞬、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。全身が熱を失ったように冷たくなり、思わず一歩後ずさった。しかし数秒後、彼女は深く息を吸い、軽く笑った。もしこ
「さすがだね、栩兄。でも、ちょっと遅かったかな?」 桜子は笑みを浮かべながら、眉を軽く上げて言った。「これでも早い方だろ!それに、なんで檎に頼まなかったんだよ?こういう裏仕事、彼が一番得意じゃないか。やっぱり、専門家に任せるべきだよ」 栩は不満そうに文句を言う。「数日前に連絡したけど、今は重要な任務中で忙しいみたい。邪魔するわけにはいかないわ」 桜子は肩をすくめながら、さらりと答えた。「でも桜子、君だって十分腕が立つじゃないか。確か、君のハッキング技術は檎にも負けないんだろ?君がやってれば、昨日のうちに解決してたんじゃないのか?」 樹が首をかしげながら、疑問を投げかける。桜子は大きく欠伸をして、肩をすくめた。 「だって......めんどくさいんだもん」「......」 栩は黙り込んだ。 自分が『便利な兄』扱いされていることに気づき、なんとも言えない気分になった。桜子はモニター画面を見つめ、Twitterアカウントの内容をじっくりと確認した後、冷笑を浮かべた。 「へぇ......この記者、正義感が溢れてるみたいね。普段は猫や犬の喧嘩なんかの記事を書いてるくせに、急にうちのホテルの結婚式を晒すなんて、どう考えてもおせっかいが過ぎるでしょ」「桜子、つまり誰かに頼まれて動いたってこと?」 樹は眉をひそめて尋ねる。「頼まれたっていうより、金をもらって動いたんでしょ。記者って自分の専門分野があるから、普通なら芸能ネタなんて触らないのに」 桜子は画面に映る「優花」という名前を見つめながら、小さく呟いた。 「優花......優花......この名前、どこかで見たことがある気がするけど......」突然、桜子の目が輝き、表情が一変した。 「分かった!この人、成谷の娘よ!」「成谷?誰それ?」 栩はぽかんとした表情で聞いた。「昔、お前がクビにして、その後、刑務所送りにした元副部長だよ」 樹は楽しそうに眉を上げながら答えた。「そう!その人の娘!」 桜子は記憶を遡り、成谷に関する資料を思い出していた。 「もし彼女がやったことなら、まぁ納得がいくわね」「そりゃ納得だよな。だって、君のせいで彼女の父親は破滅して刑務所行きだもんな。社会面トップに載せら
「まだ外にいるの?何やってるのよ、あの男!」 桜子はイライラした様子でつぶやいた。 「苦肉の計?私がこんな低レベルな手に引っかかるとでも思ってるの?」胸の中に怒りがこみ上げ、桜子は踵を返して部屋に戻ろうとしたが、数歩進んだところでふと立ち止まった。 外の雨はもう夏のそれではない。ここは盛京の深秋、夜の気温は氷点下近くまで下がる。隼人はもう3〜4時間も外に立ち尽くしている。薄いスーツを着ているだけで、傘もない。 もしこのまま帰らなかったら......もしも玄関で倒れて凍死でもしたら、警察に通報する羽目になり、面倒なことになる。そう思い直すと、桜子は足早に部屋へ戻り、スマホを手に取って隼人に電話をかけた。 しかし、電源が切れている。「......何考えてんのよ」 桜子は眉をひそめた。 隼人のこの「苦肉の計」は、桜子の同情心を引くどころか、逆に好奇心を掻き立てる結果となった。彼女は大きな黒い傘を手に取り、玄関を開けて外へ出た。隼人は雨の中、小柄な桜子がこちらに向かってくるのを遠くから見ていた。 あまりの寒さと疲労で、目の前の光景が幻なのかと疑った。だが、彼女が目の前に立った瞬間、現実だと分かった。 その瞬間、心の奥底に温かい感情が湧き上がり、彼の瞳に喜びの色が浮かんだ。「何がしたいの?いい加減にして!」 桜子の透き通った声には、怒りが滲んでいた。「そんな薄着で外に出てきて、寒くないのか?」 隼人は低い声で尋ねた。 震える手でジャケットのボタンを外し、彼女に掛けようとしたが、自分が雨でずぶ濡れなのに気づき、動きを止めた。「なんで携帯の電源切れてるの?」 桜子は容赦なく問い詰める。「充電が切れた」 隼人は素直に答える。その姿は、まるで妻に叱られる夫のようだった。不思議なことに、彼は彼女に怒られるのがどこか嬉しく思えていた。 彼女のこの強気な口調が、どこか懐かしく心地よく感じられた。「私が出てこなかったら、一晩中ここに立ってるつもりだったの?」 「そうだ。君に話したいことがある」桜子は思わず笑ったが、その笑いには怒りが混じっていた。 「隼人、何でいつもそんなことばかりするの?苦肉の計とか、下手な手を使うのが好きなの?も
「ハハハ!」 桜子はもう隼人に対して何の未練もない。彼の前で取り繕う必要もなく、思い切り声を上げて笑った。 「こんなくだらないことで私が落ち込むとでも思ってるの? 高城家の娘はそんなに簡単にくじけないわよ。隼人、あなた私を見くびってない?」「それなら安心だ」 隼人の瞳には、ほっとしたような色が浮かんでいた。「でも、わざわざこんなことを伝えに来るなんて......本当の目的は何?」 桜子は彼の行動を不思議に思いつつも、絶対に「隼人が自分を好きになった」などとは考えなかった。 3年間もの間、彼には自分を好きになるチャンスがいくらでもあった。それでも愛さなかったのだ。 今さら心が変わるなんて、ありえない。人間の感情がそんなに遅れて届くはずがない。 ......そんなこと、あるわけない。「桜子、俺は君に対してずっと負い目を感じている。3年間の結婚生活は形だけのものだったけど、それでも君に......俺は十分なことをしてあげられなかった」 隼人は自分の行動をどうにか正当化しようと、低い声で続けた。 「だから、もしできるなら、何かで君に償いたいと思うんだ」「償い?いいわ」 桜子の瞳は深く冷たく、氷のようだった。 「じゃあ約束して。これから先、何があっても私の前に現れないで。私のことに関わらないで。それがあなたにできる唯一の償いよ」隼人は眉間に深い皺を寄せた。胸が激しく痛み、心臓が潰れそうだった。 桜子は肩にかけられていた毛布を外し、冷たい目で彼を見つめた。 「それと、もう『償う』なんて言葉を使わないで。 むしろ、白露を潰すためにやってるって言われた方が、私もあなたの話を聞く気になるわ」そう言い捨てると、桜子は嵐の中を足早に別荘へ戻っていった。 隼人の胸には虚無感だけが残り、外の風雨のような寂しさが心を満たしていた。彼の心のどこかでは、桜子が少しでも自分に未練を持ってくれていることを期待していた。 しかし、それはあまりにも浅はかだった。悔しさと無力感。3年間の結婚生活。彼女に愛されていると分かっていながら、それを見て見ぬふりをしていた自分。 桜子がその3年間、どれほど苦しい思いを抱え、孤独に耐えてきたのか――隼人は今になって思い知らされ
夕食は笑い声に包まれていた。 隆一は高級ワインを用意したが、白石夫人が桜子にジュースを勧め続けたため、彼女はオレンジジュース、ブドウジュース、パイナップルジュース......胃袋が果樹園になってしまうぐらい飲んだ。 食事後、加藤が白石夫人を連れて遊びに行き、二人の時間を作った。 隆一は桜子に自宅を案内し、骨董品を紹介した。 昔の「芍薬図」、「庭園雪図」......どれもオークションですごい値段がつく逸品だ。 桜子はテーブルに向かい、ルーペを当てて絵画を鑑賞した。 瞳に輝きがあふれていた。 「好きなら、全部贈るよ」 隆一は腕を肘に支え、微笑みを浮かべた。 彼女が絵を見る。 彼が彼女を見る。 「全部?ここの品物は最低八桁はするし、すべて真跡だよ。全部私にくれるの?」 桜子は起き上がり、ルーペ越しに彼を見た。 「あなたは本当にコレクターなの?それとも売買をしているの? 私の父のように、誰にも手を出させない人が普通よ」 隆一は唇をかみ、「俺は二人にだけ寛大だ。お前と高城叔父さん」 桜子は胸を締め付け、唇を閉じた。 隆一と隼人は正反対だ。 一人は甘い言葉を続け、もう一人は銃口を当てられても素直になれない。 「父は貪欲だよ。貴重品を見つけたら、あなたの物をむしり取るでしょう」 「高城叔父さんが好きなら、持っていって構わない。俺にはこれしかないから」 隆一の語り口には本音がこもっていた。 「じゃあ、あなたは何を欲しいの?白石家の利益以外に」 桜子は深い目で訊ねた。 隆一は心の中で「お前」と呟いた。 「桜子、雪が降ってるよ」 「真っ白な雪だ!」 桜子は目を輝かせ、幼い頃、母と一緒に雪を見た記憶が蘇った。 「行こう、雪を見に」 二人はバルコニーに出ると、舞い散る雪の中に包まれた。 「きれい............」 桜子が夜空を見上げると、隆一はスーツを脱いで彼女にかけた。 「雪は綺麗だけど、風邪をひくと大変だ」 体温の残る布地に包まれ、桜子は後ろを向いた。 その瞬間、熱い視線に触れた。 「あなた............」 男は胸が高鳴り、息が荒くなった。「メガネが曇
桜子は感動し、白石夫人の前に片膝をついた。 「隆ちゃんには私がいるから、安心してください!」 輝く笑顔を浮かべた。 隆一はスーツを脱ぎ、白いシャツにグレーのベストを着た高身長の姿でキッチンに入った。 桜子は客だが、白石家の四男に料理を作ってもらうのは気まずい。 それでキッチンに付いていった。 「手伝うよ」 桜子は高級食材が並ぶテーブルを見て、袖をまくり上げた。 「料理人もいないのに、こんなに多くの料理を作るのは大変でしょ」 「大丈夫だ」 隆一は心配そうに彼女を見つめ、柔らかい声で言った。 「事前に準備してある。シーフード料理はすぐできる。 桜子、煙アレルギーだったでしょう?だからリビングに行って母さんとゆっくり話してて」 桜子は驚いた。 「どうして知ってるの?」 明るい瞳に揺れを見せた。 「覚えているか?」 隆一は微笑んだ。 「子供の頃、高城叔父さんがお前を連れてうちに来た時、兄が肉が食べたいと言って、バーベキューをしたこと。 煙が漂ってきたら、高城叔父さんが慌ててお前を抱いて逃げた。その時、父を怒鳴りつけたのを覚えている。 桜子は高城叔父さんのお気に入りだね」 桜子は彼をじっと見つめ、胸に苦しい気持ちが湧き上がった。 隼人との三年間、彼にたくさん料理を作ったのに、この事実すら知らなかった。 しかし、隆一は十数年前の小さな出来事を今でも覚えている。 「大丈夫。手伝うよ」 桜子は流し台の前で彼と並び、頭を下げて食材を処理した。 隆一は目を暗くし、喉仏を動かし、彼女に少し近づいた。 「桜子、ありがとう」 「ごちそう食べさせてもらうんだから、私が感謝すべきよ」 「そんなことないよ」 隆一は声を落とし、苦笑いした。 「母さんの状態を見たでしょう?記憶が退化していて、時には俺のことが分からないこともある」 「認知症の初期症状だね」桜子はため息をついた。 「母さんを喜ばせてくれて、本当にありがとう」 二人は同時に顔を向け、額がぶつかった。 一瞬驚いた後、笑い合った。 別荘の中は温かい笑い声で溢れていた。 外は寒さが切なく、風が荒れ狂っていた。 隼人は鉄像
隆一の家はすべて新しい家具で飾られており、引っ越したばかりのことがわかる。 モダンなモノトーンのインテリアは、高級ブランドの家具が存在感を放っている。 桜子は入り口で肩をすくめた。 暖房が弱いわけではないが、広すぎる空間とシンプルな色彩が、冷たい印象を与える。 「桜子、寒いのか?」 隆一はシューズケースから白いファースリッパを取り出し、片膝をついて彼女の足元に置いた。 「履いて。暖房を上げるよ」 桜子は細い足を柔らかいスリッパに差し込んだ。 るで彼女のために用意したかのようにサイズがぴったりだった「若旦那様、お帰りなさい」 家政婦の加藤が笑顔で出迎えた。 「桜子、こちらは加藤さん」 隆一が紹介すると、加藤は感心しながら桜子を見つめた。 「わかりますよ!隆一さんがずっと思っていらっしゃった桜子様でしょう?こんにちは。本当に美しいですね......ミス森国でさえ及ばないほどですよ!」 桜子は顔を赤らめ、丁寧におじぎした。 「どうぞお入りください。奥様が待っていますよ」 加藤が案内する間、何度も振り返り、二人のカップル感に微笑んだ。 桜子は緊張した。 白石夫人の記憶はぼんやりしている。 子供の頃、白石家に遊びに行っても、ほとんど白石会長だけが出迎えていた。 たまに会った時も、優しい印象だけが残っている。 「母さん!」 隆一の声で、キャメルカラーの毛布をまとって、車椅子に座っている中年女性がゆっくりと振り返った。 桜子は息を呑んだ。 白石夫人は敏之さんと同じ年頃だが、白髪が目立ち、美しさの跡を見せている。 「隆一!隆一が帰ってきたわ!」 白石夫人は子供のように喜び、若い頃の美貌を彷彿とさせる笑顔を浮かべた。 隆一は急いで抱きしめ、「母さん、桜子がお見舞いに来ました」 「あ......桜子?桜子なの?」 白石夫人は目を輝かせ、加藤に呼びかけた。 「桜子にジュースを出して!お菓子もたくさんね!」 加藤はテーブルから色とりどりのキャンディーをすくい、桜子に差し出した。 「どうぞ、桜子様」 桜子は驚いて受け取った。 白石夫人の子供のような接客に、意外な感じがした。 「隆ちゃん、
「彼の全ての行動は......お前のためなんだ」 「私のため?私のために人を殴るの?」 桜子は我慢できず冷笑した。「そんな正義の名の下の卑劣な行為。私の名前を持ち出さないで、恥ずかしいわ」 「桜子!」 隼人は苦しみに満ちた声で叫んだ。「殴ったことに言い訳するつもりはない。ただ一つ聞きたい...... お前の目に俺はどう映ってる?」 桜子は息を呑み、胸が一瞬痙攣した。 暗闇の中でも、彼の眼底に砕け散る光と深い痛みを確かに感じた。 隆一は青白い顔をした隼人をじっと見つめ、鋭い視線は頭蓋を貫くほどだった。 「もし私から離れてくれるなら、商談では協力関係になれるかもしれない。 意地を張り続けるなら、これからは敵同士だ」 桜子は隼人を見ずに、隆一を支えながらゆっくりと立ち去った。 隼人は独り、天地に虐げられる雑草のように立ち尽くした。 どれほど立っていたか分からない。寒風が体を貫き、血が枯れるような冷たさが襲ってくる。涙は風に散り、また溜まる。 隆一の住む別荘は、この高級住宅地で二番目に大きい。一番はもちろん桜子のものだ。 このエリア全体が白石家のものだから、隆一が好きな家に引っ越すのは容易いことだ。 庭に入ると、桜子は隆一の顔の怪我を見て気が引けた。「痛い?」と小さな声で尋ねた。 隆一は唇を歪め、傷を引っ張る笑顔を浮かべた。「大丈夫、そんなに痛くない」 「ろくでなしな男......暴力を振るうなんて!」桜子は隼人を噛み付きたいほど怒った。 「隼人社長は軍人出身で、以前軍校に通っていた。腕が利くのは当然だ」 桜子は顔色を変えた。「どうして彼の経歴を知ってるの?調べた?」 「俺と隼人社長は、商戦も恋愛も生涯のライバルなんだ。勝つためには相手を知らなければ」 桜子はその言葉の意味を察し、唇を閉じた。 残念ながら、片思いは届かない。 しかも、無知を装わなければならない。 「母に聞かれたら、桜子がフォローしてね」隆一は緊張した表情で注意した。 「何て言うの?夜道で転んで顔だけ怪我したと?」桜子は眉をひそめた。 隆一は苦笑いし、彼女だけに見せる甘い笑顔を浮かべた。 「あっ!いいこと思いついた!」 桜子はハンドバッグから
風が切れる音——! 隼人の鼻先を僅かに擦り抜けるほど、陰気で激しい一撃が襲ってきた! 彼が素早く反応できなければ、この突然の攻撃を回避できなかっただろう。 この一撃だけで、隼人は気づいた。 隆一の優雅な外見の下には、多重人格かのような凶暴な獣が眠っている! 桜子を彼に連れて行かせてはならない。 絶対に! 出来事はあっという間に起こった。 桜子は何も気づかずに進んでおり、騒動が勃発していることすら知らない! 隆一は再び拳を振りかざした。 隼人は素早く身をかわし、逆に長い脚を振り上げて、彼の胸元をかすめた! 隆一は二歩後退し、青白い血管が浮かび上がるほど、拳を握りしめていた。 一方、襲われた隼人は、地面に釘付けになったかのように、動かずに立っていた。 隆一はゆっくりとメガネを押し上げ、眼には血気がこもった。 森国での十五年間、母を守るために、彼は名門の師匠に付き、格闘技や銃器操作を習得した。 近接格闘、射撃、ナイフ術......全てをマスターし、素早さで肉体の弱さを補ってきた。 しかし、この瞬間、彼は自らの過信を痛感した。 こいつは、普通の強さではない。 全身の力を振り絞っても、勝てないかもしれない! 隆一は眉をひそめ、顎をゆっくりと動かした。 突然、唇を歪め、邪気のある笑みを浮かべた。 隼人には、全身が冷たくなるほどの不快感を与えた。 桜子に対しては優しい目が、今では血に染まった刃のように、狂気と挑発を放っていた。 隆一は突然、体を前に倒した! 隼人の瞳孔が急に収縮し、反射的に右ストレートを放った! その拳は、隆一の左頬に真っ直ぐに命中した! その瞬間、桜子が振り返り、すべてを目撃した。 同時に、隼人は、血を含んだ唇を裂いた隆一が、怒るどころか、邪気のある笑みを浮かべるのを見た。 ヤバイ! 落とされた! 隆一は本当は殴り合いを望んでいなかった。 ただ、彼に攻撃を仕掛けさせるために誘っただけだ! 隼人が馬鹿みたいに! 「隆ちゃん!」 桜子は目を見開き、倒れかける隆一を支えた。 慌てて、幼い頃の呼び名が自然に口を出た。 隆一は目を丸くし、顔の痛みを無視して、桜
彼は生来、欲望の渦に飲まれる男で、世の中で満足できることはほとんどない。 隼人を痛めつけ、苦しめることくらいは、彼の渇望をしのぐかもしれない。 「隆一、どうしてここに?」桜子はようやく反応し、好奇心を隠せない。 「この近くに引っ越した」 隆一は深い眼差しで彼女を見つめた。 「あなたの別荘の後ろの少し離れたところに別荘を買った」 「えっ?」桜子は驚いた。 隼人も心臓が引き締められ、敵前に立つような緊張感を覚えた! 「つまり、隣人になった。桜子」 隆一は頭を傾げ、優しく若々しい笑顔を浮かべ、真っ白な右手を差し出した。 「こんにちは、新しい隣人。今後ともよろしく」 桜子は困惑したが、落ち着いて握手した。 これで、隼人という元夫を、かつて最も親密な関係にあった男を、外に拒むことに成功した。 「桜子、新居に遊びに来ないか?」 隆一はチャンスを逃さずに誘った。 「新鮮な食材をたくさん用意したよ。サーモンやロブスター......お前の好きなものばかり。俺が料理するから」 言葉には愛情が溢れていて、細かな配慮と礼儀正しさが、すべての女性の理想のパートナー像を体現していた。 「また今度にするわ」 桜子は混乱していて、今が最適な時期ではないと感じた。 「同じエリアに住むんだから、いつでも会えるよね。誘ってくれてありがとう」 「今夜は母もいるんだ」 隆一は彼女をじっと見つめ、温かく切実に誘った。 「昨日から母に招待することを話していて、彼女は嬉しそうだった。高城会長のお嬢様に久しぶりに会いたいと言っている」 桜子は驚いた。「白石夫人が森国からお帰りになったの?」 「そう、母を迎えに行ったんだ」隆一は安堵の表情で微笑んだ。 「それは本当によかった」 隼人は焦りで胸が張り裂けそうだった! 彼らの会話には、自分が口を挟めない。ただ呆然としているだけだ。 ビジネス界で縦横無尽の隼人が、こんなに手足をゆすぶることは初めてだ。 この女のためなら、バカみたいに振る舞っても構わない...... 「桜子、母の状態は知っているよね」 隆一は目に寂しさを浮かべ、「もう残り少ないかもしれない。 彼女の意識がはっきりしてしてい
その声は、なんとも馴染みがある。 まるで鋭い刀のように、隼人の胸を突き刺した! 桜子は恍惚していた神経が急に集中し、心臓が締め付けられるようになった。 悪事をしているのを見つかったように、彼女は全身の力を込めて隼人の強い腕を振り払い、急に振り返って彼を突き放した。 男性の心は真っ暗に沈み、後ろへ半歩よろめいた。 抱えていたのは、冷たい空気だけだった。 「隆一、どうしてここに?」 桜子は荒れた呼吸を落ち着かせようと必死だったが、慌てた目を隠せなかった。 隆一は灰色のスーツの下で、極限までの憎悪を抱え、暗闇の中でほとんど見えないほど震えていた。 彼は細い指でメガネを押し上げ、隼人を睨む目に殺気がこもった。 一瞬で消えたが、隼人は気づいた。 星のように輝く瞳を細め、獣のような圧迫感を放ち始めた。 気迫といえば、隼人は決して負けてはいない。 しかも、愛する女性の前ではなおさらだ。 桜子は隼人の鋭い視線に気づき、彼が隆一を生き埋めにしそうだと感じた。 理屈を言えば、先に暴挙をしたのは彼なのに...... 相手が邪魔をしたから恨んでいるのか? 本当にろくでなしな男! 「桜子!大丈夫?」 隆一は急いで彼女のそばに寄り、優しい目に心配を隠し、低い声で訊ねた。 「何か手伝えることある?」 「大丈夫。問題ない」 桜子は額に汗をかき、軽く笑った。 隼人は嫉妬に燃え、眉をひそめ、目玉が焼け付くように光った。 彼女が久しぶりに彼にそんな笑顔を見せたのに...... 今、いとも簡単に隆一に与えてしまった。 「その表情大丈夫そうじゃないけど?」 隆一は腕を伸ばさなかったが、彼女のそばに立つだけで、溢れる守りたい気持ちと独占欲が伝わった。 そして、ついでに隼人を軽く見た。 「追い払おうか?」 その態度は、まるで自分の所有権を宣言するかのようだった。 隼人は目を血で埋め、拳を握りしめた。 桜子がいなければ、すでにその拳を放っていた! 「要らない。彼にも足があるから、自分で帰ってもらうわ」 桜子は冷淡に答え、隼人を見なかった。 「じゃあ......桜子、俺と一緒に帰ってくれないか?」 桜子
彼は優希の家庭事情が複雑で、彼を傷つける話題だと知っていた。心配はしていたが、口は挟んでこなかった。「本田夫人は非常に伝統的な方だ。亡くなったご主人の後、優希しかいないから、すべての期待を彼に注いでいる。白露も許さない方が、初露を認めるはずがない。 優希は孝行で、母親を非常に尊敬している。初露のために母親と対立するだろうか?それに、策略を弄する昭子。彼女は白露を道具に使い、陰で操っている。秦の娘を見下しているのは明らかだ。初露に優しくするはずがない。 初露が優希と結ばれたら、家庭内の争いが続く。彼女が幸せになれると思う?たとえ優希が本気でも、こうしたつまらないことで愛情は消耗していく。しかも初露は純粋すぎて......彼らと戦えないわ!」 桜子は話し続けるうちに、自分の目が先に熱くなった。 赤く腫れた目を浮かべ、白い肌に映える顔は、まるで月の精が現れたかのように美しかった。 隼人はじっと桜子を見つめ、胸の鼓動が熱くなり、柔らかくなった。 同時に、激しい後悔と罪悪感が湧き上がった。 彼女は初露のことを口実に、彼と結婚した三年間の苦しみを語っていたのだ。 おおらかな振りをしているだけで、本当は苦い涙を飲み込んでいたのだ。 桜子はこれ以上話すことはない。 言うべきことはすべて伝えた。もし彼が独断で行くなら、彼女は強硬手段で問題を解決し、初露を守るしかない! 桜子が決然と背を向けた瞬間、隼人は抑えきれない情熱を爆発させ、冷たい香りを放つ彼女の柔らかい体を背中から抱きしめた。 「あなた......」桜子は息を呑み、心臓が乱れた。 「ごめん。全て俺が悪い。考慮が足りなかった。嫌なら、二度と口にしない......」 隼人の左腕は彼女の細い腰を纏い、右腕は鎖骨の位置で肩を抱え、全身の力を注いで、どんどん力を強めた。 彼女を自分の体に溶け込ませ、熱い血と一体化したいほどだった。 桜子は全身緊張した。耳に響く男性の低い声は、魅惑的で甘い。 「手を放して、隼人......」拒否の言葉だが、その声は柔らかく、抵抗にならなかった。 「放さない」 隼人は顎を彼女の首元に押し付け、こすり合わせた。「桜子、俺は貪欲な男ではない。でもお前に対しては、貪欲になってしまうんだ。 ど
「何するの?通り魔か」桜子は彼を睨み、鋭い口調で言った。 「病院を出るとき、急いでいたから、話をする暇もなかった」隼人は彼女の冷たさを無視し、依然として優しく話しかけた。 「初露のためでなければ、私たちは会わないし、話すこともないわ」 桜子は躊躇わず、別荘の玄関に向かって歩き出した。「次の薬は近日中に送る。長生きしたいなら、きちんと飲み続けなさい」 「桜子、待って!」隼人は焦りを隠せず、手を伸ばした。 桜子は急に足を止め、振り返った。「そういえば、優希に伝えてもらいたいことがある」 「彼が初露のことが好きだと知っている。でも私は反対」 隼人の瞳が急に収縮し、眉をひそめた。 「私は今、初露の義理の姉ではない。ただの他人。もしまだ義理の姉であっても、親が生きている以上、私に口出しする資格はない。 でも申し訳ないけど、初露のことは私が負うわ」 桜子は怒りをこめて、冷たい声で続けた。「今の宮沢家で初露を守れるのはおじい様だけ。しかしおじい様の健康状態は二人とも知っている。おじい様には初露を守る力がない。 初露の親は存在しないのと同じだ。あなたにも守れない。初露の身に何か起こった時、あなたはいつもそばにいなかった。本当に妹を大切にしていない」 隼人は胸が刺されるように痛み、目を赤くしながら、ゆっくりと拳を握った。 「だから私が守る。これから初露は私の妹で、家族だ」 桜子は毅然とした態度で、「私は決して、初露と優希の深い付き合いを認めない。優希が初露に恋するなんて許さない」 「なぜ、だめなの?」隼人は一歩踏み込み、焦りを隠せずに彼女の目を見つめた。 桜子はその強い視線を挑発と誤解し、冷笑した。「なぜ?隼人、あなたには良心があるの? 初露が実の妹でないから、親友の欲望を満たすために、秦の娘を火の車に乗せるの?」 隼人はやっと激怒し、唇を青白くしながら震えた。 彼は彼女に怒っているのではない。彼女の善良さ、初露を守りたい気持ちは完全に理解できる。 でも彼女に誤解されたくない。唯一の親友、最も信頼する友達を見下されたくない! 「優希は本気だ。桜子、今日も見ただろう?初露も優希に頼っているし、一緒にいたいと思っている」 「依存と恋は同じではない!しかも初露は