第2話

小夜子はその言葉を聞いて、ほっと息をついた。「そういうことだったのね……なら、早く離婚届にサインして」

礼治は何も言わず、凪をじっと見つめていた。

しばらくして、彼は底知れぬ表情で彼女の顔を上げた。「先に寝室に戻っていろ。小夜子と話がある」

凪は仕方なく荷物を手に取り、ゆっくりと二階へ上がった。

彼女の足取りは遅く、よく見ると、両足の様子がおかしいことに気づけるくらいだった。

礼治は彼女の後ろ姿を見つめ、瞳の奥の色がどんどん濃くなっていった。

それを見た小夜子は、彼の視線を遮った。「礼治さん、彼女、いつ出所したの？どうして教えてくれなかったの……」

礼治は視線を戻し、眉間を揉んだ。「彼女、今はまだ俺の妻だ。面倒を避けるために、とりあえず連れ帰ってきた」

小夜子は唇をきゅっと結び、甘えたように言った。「礼治さん！」

彼女は一歩前に出て、期待の眼差しで彼を見つめた。「離婚届にサインさせるために連れてきたんじゃないの？サインが終わったら、もうあなたの奥さんじゃなくなるから、彼女がどこに行こうと、あなたには関係なくなるでしょ……」

礼治は少し間を置いて、彼女の視線を避けた。「小夜子、彼女とは離婚する。だが、今はまだいいタイミングじゃない」

……

屋根裏部屋。

凪はスーツケースをドアのところに置いた。

彼女はすぐに開けようとはせず、抱えていたバッグを胸に抱え、階段に座って、階下の人たちの言い争いが終わるのを待っていた。

小夜子は彼女が落雪荘にいることがとても気に入らないようで、今にも追い出したいようだった。

それに、礼治はいつも小夜子を甘やかしているから、きっと彼女の言いなりになるだろうと凪は思った。

だから凪は立ち上がり、サインが終わったら出て行こうとしていた。

彼女がスーツケースを引こうとしたその時、どっしりとした足音が階段を上がってくるのが聞こえた――

足音から、彼女は礼治がまず寝室に行ったのだということがわかった。

少し後、男はやや焦った様子で出て来た。

「凪？」

彼はついに屋根裏部屋で彼女を見つけ、眉をひそめた。「凪、寝室で待っていろと言ったはずだ。たった3年で、寝室の場所も忘れてしまったのか？」

凪は首を振った。「忘れてない……」

礼治は彼女の気持ちなど気に留めなかった。見下ろすと、彼女がまだ荷物を屋根裏部屋に置いたままだったのに、少し不機嫌になった。「俺はこれから会社に行く。荷物を寝室へ運べ。自分で整理するか、家政婦にやらせるように頼んでおくから」

彼の問いかけに対し、凪はとても冷静に首を振った。「大丈夫……いつ離婚届にサインするの？」

彼女はあくまでも、彼と離婚するために来たのだと思っていた。

3年前、あの裁判はあまりにも急で、二人は離婚する暇がなかった。

この3年間、礼治は一度も彼女に会いに来なかった。

だが、彼は離婚届をも送ってこなかった。

凪は彼の目を見て言った。「早くサインしたらいいじゃない。じゃないと、小夜子がまたそれが不満であなたと言い争いになるでしょ」

彼女はさっき二人の言い争いを聞いていたのだ。

原因は、小夜子は彼女が離婚届にサインするために来たと思っていたが、礼治はそうは思っていないようだったということらしい。

男の顔色はひどく悪かった。

大きな体が階段の入り口を塞ぎ、彼は逆光に照らされ、完璧なまでにハンサムな顔立ちがどこか陰鬱に見えた。「誰が離婚すると言った？」

彼は一歩一歩彼女に近づき、彼女の顎を掴み、冷たくまるで悪魔の囁きかのような低い声で言った。「凪、まさか3年の刑務所暮らしだけで、お前が犯した罪がすべて償えたと思ってるんじゃないだろうな？」

凪の目は激しく震え、ようやく少し感情が揺れ動き、恐怖を帯びた声で言った。「私にはもう何も残されていない……それでもまだ私をどうにかしたいの？」

凪は以前とは違っていた。

何不自由なく育った令嬢は、刑務所のような場所で3年間過ごし、今ではまるで淀んだ水のようになっていた。

自分の身に起きたことを話すときでさえ、淡々とした口調だった。「月城家は倒産し、父は死んだ……私が愛した人たちは皆、私から去っていった。それでも、あなたはまだ気が済まないの？」

礼治は拳を握りしめ、彼女をじっと見つめていた。

なぜだかわからないが、彼女が「死」という言葉を発したとき、彼は理由もなく動悸がした。

彼はその得体の知れない感情を抑え込み、冷たく彼女に言った。「お前には人一人の命が掛かってることを忘れるな。小夜子を階段から突き落として流産させたんだからお前はその償いとして、俺たちのために子供を一人産む義務がある！」

彼は彼女の、どんよりとした生気がない、なすがままになっている様子が気に食わなかった。

彼はもっと生き生きとした彼女が見たいと思っていた。

凪は彼に突き飛ばされ、背中が激しく痛んだ。

彼女は歯を食いしばって彼を押しのけようとしたが、男はすでに覆いかぶさってきた。

彼の意図に気づき、凪は手足をバタバタさせて抵抗した。「やめて！放して……」

礼治は本当に動きを止め、彼女をじっと見つめた。

彼は手を伸ばし、彼女の髪をかき上げ、耳にかけた。

凪は彼が諦めるだろうと思い、霧がかかったような澄んだ目で彼を見つめた。

礼治は突然キスをしてきたのだ。

彼はやはり、こんな生き生きとした彼女を見る方が好きだった。たとえ拒絶し抵抗していたとしても、先ほどの淀んだ水のような彼女よりましだった。

「礼治！ん……」

刑務所での辛い記憶が蘇り、凪は泣きそうな声で懇願した。「触らないで……」

礼治は動きを止め、冷ややかに彼女を見下ろした。「とぼけるな。昔は俺にこうされるのが好きだったじゃないか？」

彼は彼女の鎖骨に強く噛みつき、そこに醜い痕を残した。「凪、俺の子供を殺したんだから、もう一人産め……」