LOGINプロローグ 結婚してから三年、私はいまの生活に満足している。 お金持ちかつ顔面抜群の夫がいつも優しく接してくれて、二人は一度も口喧嘩しなかった。 しかし、そんは優しい夫が当時憧れた人を壁際に追い込み、怒鳴り声を上げたところを、私は見てしまった。 「あの時、ほかの男を選んだのは君だろう。今更どの面下げて俺に指図するんだ?!」 その瞬間、私がふと分かった。心から愛する人に対し、彼はあんに熱くなるんだな。 だから、お互いのために彼と離婚し、二度と会わないことにした。 噂によると、宏はこの七王子市で必死に私を探している。気が狂ったように。 あんな穏やかな人が気が狂うなんて、しかもこの取るに足りない元妻のため、噓に決まっている。 その後、私がほかの男性と並んでいるところを見て、赤い目をしている彼は私の腕をぎゅっと掴み、声を震えながら言っていた。 「南、俺が悪いんだ。お願いだから、帰ってきてくれ」 そっか。噂じゃなかったんだ。 本当に気が狂ったね。
View More日を数えて、明後日の朝にはもう帰り道かな、と尋ねてみた。篤人は「もう帰ってるよ」と答えた。ちょうど週末だったので、静華はリビングで本を読みながら帰りを待っていた。もうすぐ昼になる頃、昼食の準備をしに行った。料理を並べ終え、ふと玄関を見ると篤人が入ってきて、すぐに迎えに行き、上着を受け取った。「ちょうどいいタイミング、手を洗ってご飯にしよう」篤人は靴を履き替え、彼女の手を取ってじっと見つめた。静華は少し恥ずかしそうにした。彼はよく手を取ってくれるけど、気持ちが変わると、同じことでも違って感じられる。「大丈夫だよ……」篤人は、彼女の手に本当に怪我がないのを確認して、手を離し、手を洗いに行った。席に着くと、静華が箸を手渡した。篤人はテーブルいっぱいに並んだ料理を見つめた。レストランほど手の込んだ料理ではないが——幸せを感じた。実を言えば、彼はこれまでの人生で山奥に拉致されかけたこともあれば、無理やり結婚させられそうになったこともあった。けれど、不幸だと思える出来事はそのくらいだった。でも、この瞬間はどんな時とも違っていた。「腕前がすごいな、もうお店開けるんじゃない?」静華はお世辞だと思って流した。これはただの家庭料理だ。「じゃあ、たくさん食べてね」「うん」篤人はお腹いっぱいになった。静華はデザートにフルーツも用意していたが、もう入らなかった。消化薬を飲ませてあげ、隣に座り、親指と人差し指の間を揉んであげた。「檀野先生がSNSで、この辺りを押すと胃の不調が和らぐって言ってたの」篤人が訊いた。「なんでそんなに佐賀のこと気にするの?てっきり、あの街の名前すら口にしたくないと思ってた」静華も確かに口にしたくなかった。でも今回の開発エリアのことは、もともと篤人が自分のためにやってくれた。だから気にしていたのだ。「向こうの人たちは知ってるし、一概に言えないけど、山下社長は山から出てきた人で、彼の部下もほとんどが同じ村の出身なの」あそこは、もう少しで自分が抜け出せなかった地獄でもあった。「人の本性はそう簡単に変わらない」篤人は「そうとも限らない」と静かに言った。「悪い竹にもいいタケノコは生えるから」静華は少し驚いた。自分のことを言われた気がした。
静華はこれまで口にしたことはなかった。けれど、自分に「家」があることを――その家がどういう形でできたものであれ、やはり幸せだと感じていた。ただ、篤人と本当の意味で感情を交わすことは、考えないようにしていた。感情は不確かなものだ。今日は好きでも、明日には変わるかもしれない。円満に別れられればまだしも、こじれたら目も当てられない。たとえ海人が後ろ盾になってくれたとしても、彼に余計な面倒をかけたくなかった。だからこそ、利害をはっきりさせた、礼儀正しい距離感。それなら、穏やかで幸せな日々はきっと長く続く。うまくいけば――一生だ。篤人は彼女と向き合っていれば、きっとその考えをいくらか察しただろう。だが、電話越しでは、言葉の裏にあるものまでは掴めない。「もし他の人が君に料理を作ってくれても、同じように幸せを感じるんじゃないか?」「……」それはきっとそうだ。静華は正直には答えなかった。「……そうは陰らない」その不確かさの中には、いくつもの可能性が含まれている。篤人は問いかけようとして、結局やめた。「恵弥に料理を作ってあげても、幸せを感じるのか?」静華は小さくうなずいた。「食べる人も、作る人も、幸せになる。あなたが私に料理を作るのだって、ただお腹を満たすためじゃないでしょ?」篤人は低く笑った。「静華ちゃん、俺の気持ちはもう全部さらけ出してる……じゃあ、君は?」「……」静華は、耳が焼けるように熱くなるのを感じた。心臓の鼓動もはっきりと速くなる。彼女は話題をそらした。「……あなたが帰ってきたら……」「もうご飯の時間なの、恵弥も待ってる」「……じゃあ」返事を待たず、通話は切れた。ベッドの縁に座ったまま、篤人は煙草に火をつけた。彼女の言った「帰ってきたら」が、どういう意味なのか。そのことばかりを考えていた。……「静華さん、顔、すごく赤いよ?」恵弥は完全に野次馬の顔だった。「ご飯、食べよう」静華は答えなかった。「ちょっと飲む?篤人兄の酒、ほんとに美味しいんだよ」静華は少し考えてから言った。「……一杯だけ」恵弥が注いでくれて、二人はグラスを軽く合わせた。一口飲んだあと、恵弥が感心したように言う。「このスペアリブ、本当
恵弥が起きてきた。「静華さん、フルーツ食べて」静華は、メロンを一切れ口に押し込まれた。「今夜は何作るの?」静華はキッチンへ向かい、朝用意しておいた食事が全部なくなっているのに気づいた。ほかには何も見当たらない。「お昼、食べなかったの?」「昼に起きたから、残してくれたの温めて食べた」静華は納得した。「スペアリブ煮て、牛肉炒めと野菜も一品」恵弥はフルーツを置き、手を洗って手伝いに来た。「静華さん、私が男だったら、絶対あなたと結婚したい」静華は、自分が誰かに好かれる存在だと思ったことがなかった。篤人の顔が浮かび、どうして自分が好かれるのか知りたくなる。「……料理ができるから?だからお嫁さん向きってこと?」恵弥は目を見開いて、ぶんぶんと首を振った。「なにその思考回路。ほんと笑う。違うよ。あなたがすごくいい人だから。私、女だけど普通に好きだもん。男だったら、迷わず結婚する」「どこがいいの?料理なんて、私だけじゃないし……」ほかには、思い当たらなかった。「静華さん」恵弥は急に真剣な顔になった。「自分を安売りしちゃだめ。何が足りないっていうの?きれいで、優しくて、感情も安定してる。料理が上手なのもプラスだけど、それだけで人の良さは決まらない。好きっていうのは、感覚なの。一緒にいたいのも、合ってるからじゃなくて、好きだから」静華は全部は理解できなかった。最後は、ただ笑ってうなずいた。「外で待ってて。あとは私がやるから」恵弥はキッチンを出ていった。静華は手早く作り終え、食事ができたと声をかけた。恵弥は、にやにやしながら出てくる。静華は首をかしげた。「どうしたの?」恵弥は甘えるように言った。「篤人兄って、いいお酒たくさん持ってるよね?」静華はうなずいた。「酒棚、見てきていいよ」恵弥は少し怯えた。「……いいの?」そう言われて、静華は篤人に聞くべきだと気づいた。「じゃあ、電話する?」恵弥はこくこくとうなずいた。「でも静華さん、一本だけでいいから飲みたい」静華は理解して、篤人に電話をかけた。篤人は起きたばかりで、声が少し掠れていた。「……もしもし」その声を聞いた瞬間、静華の耳がぞわっとした。緊張して、言葉が詰まる。
ここまで考えて、ふと違和感に気づいた。――私、今、共感してる?絵里が静華の頬を軽くつまんだ。「じゃあね。また連絡する」「絵里さん、気をつけて帰ってください」「うん。入ってて」絵里の車が去っていくのを見送り、静華は踵を返して家に戻った。すると、また篤人から電話がかかってきた。「恵弥を家に連れて帰ったのか?」静華は一瞬、言葉に詰まった。緊張が走る。「……ごめん」ここは篤人の家だ。いとこだとはいえ、本来なら彼に一言相談すべきだった。さっきは恵弥があまりにも気の毒で、つい言い忘れてしまった。「何を謝ってる?」「あなたに聞いてから連れてくるべきだった」篤人は小さく笑った。「俺がうちに来るなって言ったら、どうするつもりだった?」静華は答えに困った。「……たぶん、一緒にホテルに泊まってたと思う」恵弥を一人でホテルに置いたら、安則がまた来るかもしれない。それでは、連れ出した意味がない。「だったら、家のほうが楽だな」静華は、彼の機嫌がいいことを感じ取った。ふと、数日前のことを思い出す。「……あなたが出て行くときも、何も言ってくれなかったよね」篤人は言った。「君も聞かなかっただろ」「本当は聞くつもりだった……夕飯も作ろうと思って。でも、あなた、機嫌悪そうで……仕事の邪魔になるのが怖くて、聞けなかった」カチッ。篤人は煙草に火をつけた。静華の変化をはっきりと感じ取っていた。その流れで聞く。「俺が、なんで不機嫌だと思った?」静華は分からなかった。ずっと、疲れや仕事のせいだと思っていた。でも、こうして聞かれるということは、別の理由がある。「……私が、何かした?」男は問い返した。「俺が、なんで飛んで帰ったか分かってるか?」静華の声は小さくなった。「……みんな、私のためだって」「そう。それで?」静華は思い返した。「……私、空気が読めなかった」篤人は煙を吐いた。その様子を想像すると、笑えなかった。胸が、柔らかくなる。「確かにな」「……ごめん」それで、篤人は少し本気で苛立った。「これからは、俺に謝るな」静華は理解できなかった。でも、心境が変わって、彼には前より素直に聞ける。分からないこ
だが、東京から訃報が届いた。桜坂家の祖母が亡くなった――。……数時間前、駿弥は祖父の葬儀を終えた後、祖母のもとを訪れていた。父親と叔父は双子で、自分もその二人によく似ている。ここ数年は祖母への刺激を避けるため、ずっと顔を合わせずにきたが、今回は直接対面した。「おばあちゃん、もう十分逃げてきたんじゃないですか?」桜坂家の祖母の目は年相応に濁っていたが、その奥にははっきりとした光が宿っていて、彼に対してもとても落ち着いていた。病人らしい様子はまるでない。駿弥は彼女が飲んでいる薬を見た。ビタミン剤ばかりだった。もちろん治療薬もいくつかあったが、精神的な疾患の薬は見当た
「うん」「……」紀香はなんだか引っかかるものを感じた。「南さん、そういえば、タバコの匂い苦手だったよね?鷹さんも、あなたと付き合い始めてからはあんまり吸ってないって……」南は落ち着いて答えた。「そうでもないよ。もし私がタバコ嫌いだったら、来依ちゃんとこんなに長く仲良くしてないし、出会ったときから彼女は吸ってたから。それに、鷹がタバコ控えてるのも私と一緒にいるからってだけじゃなくて、私が妊娠して体調崩してたとき、彼も気遣ってくれて自然と吸わなくなっただけ。男の人は仕事でストレスも多いし、たまには私から離れて吸いたい時もあるでしょ。そういうのも理解しないと。それが夫
「前に一緒にご飯食べた時、甘い系の料理ばかり好んでたから、試しに買ってみたんだ。口に合うか心配だったけど」「合う合う」紀香はマシュマロを一口食べて、「おいしいよ」「でも、自分の好きなものは買わなかったの?」静華は言った。「私はもう朝ご飯を食べたから、もう入らないの」紀香はおすすめした。「このケーキ、一口食べてみてよ。石川の名物なんだ」静華は本当にもう食べられなかった。もともと胃が弱くて、これは昔からの持病だ。普通にご飯を食べるともう間食は入らないし、間食を食べればご飯が食べられなくなる。でも、紀香が期待した目で見ているのを見て、結局一つ茯苓ケーキを取って一口かじった
小さなクッションを取り出してテーブルの上に置き、「ここに手を置いて」と言った。静華は言われた通りに手を置く。明日菜は脈をとり始め、表情が少し曇った。「こんなに体が悪いの?」明日菜は棚を開け、中から小瓶を二つ取り出した。一つは青色、もう一つは乳白色。「青い方は一日二粒、朝晩の食後に。乳白色の方は一日三回、食前に飲んで。飲み終わったら、もう一度私のところに来て診てもらって」スマホを取り出し、「私を友達追加して」と言う。静華はすぐにスマホでQRコードを読み取り、フレンド追加をした。「何か体調の変化があったら、すぐメッセージして。ちゃんと返信するから」静華は素直
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