H市は、晩秋とはいえ、もうすっかり冷え込んでいた。月城凪(つきしろ なぎ)は刑務所の門を出た。看守は彼女の耳元で念を押すように、「もう二度とここへ来るんじゃないぞ!」と言った。青白い顔の女は、看守にぎこちない笑みを浮かべ、自分のバッグをぎゅっと抱きしめた。女子刑務所という場所から出てきた凪は、これまで人間同士の悪意を嫌というほど味わってきた。しかし、この看守の言葉は、この3年間で聞いた中で最も温かい言葉に感じられた。「ありがとうございます」凪は丁寧に頭を下げた。道の向こうの楓の木の下に、黒い高級車が停まっていた。凪はそれには目もくれず、うつむいたまま歩き続けた。突然、目の前に高級そうな手作りの革靴が現れた。視線を上げると、仕立ての良いスラックスに包まれたすらりとした脚が見えた。不意打ちのように、冷たい視線とぶつかった。凪は全身が震え、「あなた……」と言葉を絞り出した。怯える凪の様子を見た鷹司礼治(たかつかさ れいじ)は、目を細め、冷え冷えとしたオーラを放ちながら言った。「顔を上げろ。俺を見ろ」凪は慌てて頭を下げ、さらに数歩後ずさりした。目の前の男は、凪にとって最も恐ろしい存在だった。悪夢のような3年間を味わわせたのが誰なのか、天国から地獄へ突き落としたのが誰なのか、凪は決して忘れていなかった。我慢の限界に達した礼治は、凪の顎を乱暴につかんだ。「俺を見ることさえできないのか?やましいことがあるんだろう?」顎に鋭い痛みが走った。凪の目に涙が浮かんだが、ぐっとこらえて、首を横に振った。凪のおとなしすぎる態度に苛立ち、礼治は彼女を車の中に押し込んだ。「帰るぞ」その言葉を聞いて、凪は飛び上がり、必死にドアにしがみついた。「嫌だ!」彼女の目は恐怖でいっぱいだった。「どこへ連れて行くの?」礼治は歯を食いしばった。「鷹司家の嫁だから。俺と一緒に行く以外にどこへ行ける?」ロールスロイスは狂ったように公道を疾走した。凪は後部座席で縮こまり、一言も発することができなかった。5年前、政略結婚によって、凪は望み通り礼治と結婚した。凪は彼に心を捧げ、自分のすべてをさらけ出した。しかし、その結果、家族を失い、獄中生活を送ることになったのだ。……車は急停車した。礼治に続いて車から降りた凪は、目の前に
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