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思いがけない再会と

Author: 市瀬雪
last update Last Updated: 2025-10-12 06:00:59

 どこか入りたい店の希望があるかと訊かれ、どこでもいいですよと答えたのは確かに俺だ。だけどそれは、正直なところすぐ近場の店に入ると思っていたからこその答えだった。

 それがあろうことか、

「一度行ってみたいレストランがあったのよね」

 言うなり彼女はてきぱきとタクシーを拾い、戸惑う俺を引っ張り込むと、

「アリアってお店までお願い」

 不意打ちのように、行き先として俺の職場を選んだのだった。

   ***

 もうすぐ十四時《にじ》……。

 結局断ることも出来ず、連れ立って店内に入ると、予想はしていたけれど、見知った店員の視線を一斉に浴びた。

 特に木崎なんて、元々大きな瞳をこれ以上ないくらいに大きくして、ぱちぱちと音がしそうなほどの瞬きをしていた。

 別に見られて恥ずかしいとか、そんな風に思うような状況でもないのに、気分は妙に落ち着かず、案内されたテーブルについてからも、心臓の音はずっとうるさいままだった。

 ……今日は、普通に遅番だったよな。

 落ち着け、と自分に言い聞かせながら、俺は静かに息を吐く。

 幸いなことに、暮科はまだ出勤していなかった。

 いや、ここで幸いと思うのはおかしいのかもしれないけど、その時はなんとなくそう思ってしまった。なんて言うか直感的に、暮科にだけはこの光景を見られたくないような気がしたのだ。

 ……別に、やましいことなんてないはずなのにな。

 心の中で首を傾げても、理由はよく分からない。

 そんな俺の向かい席で、塔子さんは早速メニューを広げると、

「なにがお勧めなのかしらね。スイーツも全部美味しそうだし…」

 楽しそうに呟きながらも、存外真剣な目付きでそれを眺めていた。

「ね、英理くんはなににする? 前はコーヒーだけってことも多かったわよね」

 問いのような、独り言のような。俺の方をちらちら見ては、また嬉しそうにメニュー表に視線を落とす。ある意味無邪気ともとれる塔子さんの振る舞いに、次第に俺の肩からも

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  • 君にだけは言えない言葉   元カノからの報告は 01

     塔子さんが頼んだデザートプレートはまぁまぁのボリュームで、それを幸せそうに食べ終え、ようやく一息ついた頃、俺は盗み見るようにして店内の掛け時計に目をやった。  時計の針は十四時《にじ》半を指していた。 遅番のシフトは、十五時から二十四時。要するにもうまもなく遅番のスタッフも出勤してくるということで、「……」 それは同時に、本日通常シフトの暮科も店に姿を現すと言うことだった。 ……まぁ、今更店を出たところで、きっと他の誰かからなにかしらの話は聞くだろうし、それくらいならいっそ現場を押さえられる方が誤解が無くていい気もするけど……。 ……て、なに……え? 誤解? そう思った直後、俺は自分で自分に問い返していた。 誤解ってなんだよ。 頭の中を整理しようとして、かえって混乱する。  ホットコーヒーのカップを傾け、美味しいと頬を緩める塔子さんを前に、俺はいつになく頭をフル回転させて考えた。 誤解……誤解って、俺と塔子さんの間には本当になにもないのに?  なにもないけど、暮科ならそうとるかもしれないって?  ……そうかな。そんな風に思うかな。まさかいきなり、そこまで考えないような気もするけど……。 ――でも、そう思われたら嫌だな。 考えてみれば、確かに暮科は単なる幼なじみの将人さんのことでさえ、随分気にしていたようだった。だったら塔子さんのことだって、同じように思ってしまうかもしれない。 ……同じように。  ああ、そうだ。あれは気にしてたって言うか……。  妬、いてたんだっけ……。 なんだか急に腑に落ちた気がした。 ……そうか。  だから見られたくないと思ったのか。頭ではよく分からなかったけど、俺が直感的にそう思ったのは、暮科によけいな思いをさせたくなかったから――。 俺、マジでなんなんだろ。 暮科のことを好きだってこと意外、本当になにも見えていない。  多くはないにしろ、今までだって人と付き合ったことはあるのに、暮科とのことになると途端に

  • 君にだけは言えない言葉   思いがけない再会と

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  • 君にだけは言えない言葉   クリスマスによせて

     クリスマスが近くなり、俺は公休日に一人、当ても無いまま買い物に出かけた。 暮科と出会って三年弱。暮科とそういう関係になって初めてのクリスマスだ。付き合い始めて間もないとはいえ、特別な相手がいるクリスマスはさすがに俺だって意識する。 どうして俺が同性に? とか、本当に暮科はこんな俺を? とか。そもそも同性で付き合うってどういうことなんだろう……なんて、ある意味今更ともとれる思いはまだ俺の中から消えていない。 でも、それでも、自分が暮科のことをどう思っているかという部分だけは、ちゃんと理解しているつもりで、「うん、だって俺は……暮科が好き……」 そして結果だけ見れば、俺はいま暮科と付き合っている――と言う関係なわけで。「うん……しかも一応、恋人……? になった、わけだし――」 で、そうなるとやっぱり、俺でもクリスマスくらいはなにかするべきかなぁと、人並みには考えるわけで……。「でも、いったいなにがいいんだろ」 そのくせいざとなると、情けないことに俺には暮科の欲しいものがさっぱり分からない。なにをあげれば喜んでくれるのか、まるで想像もつかなかった。 今日までにそれとなく探りを入れたつもりの質問も、似たような質問で返されてしまって結局答えは得られなかったし、その後はその話題に触れるタイミングすら上手く掴めなくて……。「どうしよう……困ったな」 クリスマス当日までの俺の公休日は、今日を含めてたった二日。  買うならそのどちらかで決めなければと言う状況なのに、どんなに考えてもこれと言ったものは思い浮かばない。「暮科寒がりだし…マフラーとかどうなんだろ。でも結構持ってそうなんだよなぁ……」 俺はふと目にとまった、雑貨屋のショーウィンドウをぼんやり眺めた。クリスマス仕様に変わっていたそこには、男女問わず使えそうなニット帽や手袋、マフラーなどの小物が、クリスマスツリーと共に可愛らしく飾られていた。「マフラーじゃなかったら……なんだろ。灰皿? いや、それこそもう持ってるか。……ていうか、あれ? 男相手にプレゼントって……いや、そこは

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  • 君にだけは言えない言葉   【番外編】君の手を(side:河原英理)

     いつから惹かれ始めたのかなんて、思い返してもよく解らない。だけど、それを自覚した瞬間だけは、いまでもはっきり憶えている。 あれは俺が、店の事情でどうしてもホールの仕事に回らなければならなかった日――。 極度の上がり症である俺は、勤務先であるファミレス『アリア』に入社したときから、厨房専門のスタッフだった。 人見知りも激しい俺は、やっぱりどう考えてもホールでの接客――不特定多数のお客さんの対応――はハードルが高くて……、それを察してくれたオーナーが、「それなら厨房のみで構わないわ」という契約にしてくれたのだ。元々厨房中心のスタッフもいるにはいたが、その時募集していたのはどちらもこなせるスタッフだったらしいのに。 入社のきっかけが、自他共に認めているらしい面食いオーナーの独断だったからだよ――と、笑顔で背中を叩いてくれたのは同い年の同僚だった。 さすがにそれが全てとは思えなかったけど(そんな自信ないし)、結果として探していた再就職先(しかも好条件)を決めることができたのは確かに僥倖で――そして俺は、本当に滅多なことでもない限り、ホールへと駆り出されることなく過ごせていた。 ――まぁ、その滅多なことがその日は起こってしまったわけだけど。 スタッフの間でたちの悪い風邪がはやり、どうしても人手が足りなくなっていたその日、俺は最低限、基本テーブルのあと片付けだけでもいいからと言うことで、実際、何度かホールの仕事に携わった。 その時の内容や心境なんて言うのは、正直ほとんど覚えていない。覚えていたのは、とにかく緊張したということばかりで――。 ……でも、それでも、仕事を終えたあとのことは、不思議と記憶に鮮明な部分も多かった。   *** 終業時刻を迎え、他のスタッフとともに更衣室に戻った俺は、途端に情けなくも腰が抜けたように立っていられなくなった。 緊張の糸が切れたせいか、そのままへなへなと崩れ落ち、更には貧血みたいに意識まで遠退いて――。 …

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    「変なことは言ってねぇけど……」 河原は先に踏み出すこともせず、不思議そうに首を傾げる。俺は空になったカップを傍らのゴミ箱に落とし、小さく頭を振った。「……こればっかりは俺の問題かもな」 吐息混じりに落とした声は思いの外小さく、河原の耳には届かなかったらしい。「暮科……?」 「ほら、ドア閉まる」 俺は不思議そうに瞬く河原を扉の奥へと押し込み、続いて箱の中へと乗り込んだ。  操作パネルに向き合い、閉扉ボタンと階床ボタンを一つ押す。パネルに灯った明かりは〝6〟の数字の部分だけ。扉が閉まり、箱が上昇し始めるとふわりとした浮遊感に包まれる。「――河原」 俺は不意に振り返り、壁際に立っていた河原へと近づいた。 前髪を掻き上げながら顔を寄せると、わずかに上向けられた双眸が俺を捕らえる。構わず他方の腕を壁につき、何も言わずに更に距離を詰めた。「……くれ、し……」 揺れる眼差しを影の中に閉じ込め、構わず唇をそっと重ねる。「暮科」と呼びかけたその声を阻むみたいに、あるいは直接欲しいみたいに。 触れ合わせただけの表面は乾いていて、少しだけ冷たかった。このまま温めてやりたいと思う気持ちを押しとどめ、名残惜しくも顔を浮かせようとする。それでもやはり離れがたく、最後に柔らかく啄んでからようやく口付けをほどいた。「……っ」 河原は束の間瞠目したあと、困ったように視線を伏せた。  俯いた河原の頬にかかる長めの髪が、すぐさまその表情を隠す。けれども隙間から見える耳の先は赤く染まっていて、口元を押さえているその仕草からもどんな顔をしているかは容易に想像がついた。「――河原」 今度は耳元に顔を寄せ、吐息が掠める距離で囁いてみる。するとその身体が壁に沿ってかくんと位置を下げ、俺は慌ててその腰を支えた。「なんだよ。腰でも抜けそうになったか……?」 腕に力を込めて引き寄せると、河原は大人しく俺の腕の中に収まってくれる。いまだ顔を上げられない河原の、後頭部を宥めるようにぽんぽんと撫でた。気

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