LOGIN仕事を失った鳴瀬颯斗(なるせ はやと)は、藁にもすがる思いでクリニックの求人に応募した。 ……が、そこで出会ったクールすぎる理系美男子・所長の霧生練(きりゅう れん)に言いくるめられ、気づけば助手として採用されていた。 練は天才型サイエンスマッド。「意識潜行マシン」で患者の精神世界に潜り、怪物「魘(ナイトメア)」を倒すという常軌を逸した治療法を実践中。 共感力抜群の颯斗は「ソウルエージェント」として魘と戦える逸材。一方の練は、作戦を立て安全を守るサポーター。 こうして颯斗は、理由もわからず美人上司に巻き込まれ、心の傷を癒すコンビ活動——いや、ほぼ振り回される日々に突入してしまった。
View Moreプロローグ
「死んだふりしてんじゃねえ、とっとと起きろ!」
その一撃は、五臓六腑の位置がずれるかと思うほどの威力であった。
颯斗は朦朧としながら目を開ける。強烈な光が差し込み、視界が一気に開けた。
午後の陽光だろうか。目が眩むほどにまぶしく、周囲は有刺鉄線が張り巡らされた高い壁に囲まれている。
そこは広場のような場所で、颯斗は筋肉隆々の荒くれ者たちに取り囲まれていた。
野次馬の中には喝采を叫ぶ者もいれば、不気味な高笑いを上げる者もいる。どいつもこいつも、出来損ないか凶悪犯といった面構えだ。
とりわけリーダー格とおぼしき大男は、肩幅が広く腰回りも太い。鼻筋には見るもおぞましい刀傷が走り、全身から危険な気を放っていた。
颯斗はゆっくりとあたりを見回し、自分を含めた全員が囚人服を身に着けていることに気づく。
ここは……刑務所か?
口を開こうとした瞬間、鉄錆の味が広がった。颯斗は血の混じった唾を吐き捨て、嘲笑と罵声を浴びながら、ようやくの思いで体を起こす。
だが、足元が定まらぬうちに、再び手酷い一撃を食らった。
「来いよ!どうした、やり返さねえのか?吠える犬ほど噛まぬ、ってか?」
人だかりから、どっと笑い声が沸き起こる。
「あんた誰だ、一体何を……!」
しかし、相手は颯斗に口を挟む隙も与えない。拳と蹴りが嵐のように降り注ぎ、颯斗は反撃の余地もなく、両手で頭をかばいながら後退するしかなかった。いつの間にか壁際まで追い詰められ、逃げ場を失っている。
それでも相手は容赦なく、攻撃はいよいよ苛烈さを増していく。まるで颯斗を人間として見ておらず、ただのサンドバッグとして扱っているかのようだ。
俺はなぜここにいる?
こいつはなぜ俺を殴る?
疑問が次々と脳裏に浮かぶが、考える暇などない。颯斗は呆然とあたりを見回し、野次馬たちに助けを求める視線を送った。
だが、誰一人として義憤に駆られ助太刀しようとする者はなく、それどころか、まるで興奮剤でも打ったかのように、もっと悲惨な目に遭えと願っている様子だった。
「死にたいか?」
意識が朦朧とする中、冷徹な声が脳内に響いた。
「いや、死にたくない……」
颯斗はこの状況がまるで理解できていなかったが、このままでは間違いなく殴り殺されるということだけは分かっていた。
――ならば、抗え。
一片の感情もこもらぬ声が、脳裏に再び響く。
颯斗は頭を抱え、ガンガンと痛む頭で叫んだ。
「俺だってそうしたいさ!」
だが、目の前の大男は体格も力も自分をはるかに上回っている。こんな相手に、どうやって抗えというのか。
――口に出せ。
まるで颯斗の心の声が聞こえているかのように、その声は続けた。
――心に思うことを言え。心の奥底に埋もれた欲望と感情を、言葉にするのだ。
時を同じくして、丼鉢ほどの大きさの鉄拳が迫ってきた。これが最後の一撃、致命傷になるだろう。
命にかかわるその刹那、颯斗は突然何かに目覚めたかのように、何もかもを投げ打って叫んだ。
「やめろ――ッ!」
奇妙なことに、その言葉を叫んだ瞬間、大男の攻撃がぴたりと止まった。
拳は、颯斗の顔面からわずか一センチのところで静止している。
大男は呆気に取られていた。手首を動かそうとするが、まるで呪縛にでもかかったかのように、びくともしない。
颯斗はこの好機を逃さず、大男の膝を思い切り蹴り上げ、必死に叫んだ。
「俺にひざまずけ!」
大男の膝がガクンと折れ、ドスンという鈍い音と共に、颯斗の前に片膝をついた。
場の形勢は瞬く間に逆転し、周囲の男たちは顔を見合わせ、ざわめき始める。何が起きたのか理解できないのは明らかだ。ついさっきまで圧倒的優位に立っていた大男が、なぜ一瞬にして相手にひざまずいたのか。
颯斗は拳を握りしめ、口元の血をぬぐうと、裏拳で大男を殴り飛ばした。大男はずりずりと数メートルも後退する。
「俺に謝りやがれッ!」
颯斗が言い終わるや否や、大男は本当に言われた通り地面に這いつくばった。悔しさと屈辱に下唇を噛み切り血を流しながらも、一言一句、絞り出すように告げた。
「ご、め、ん、な、さ、い」と。
一瞬にして、復讐を遂げた快感がこみ上げ、電流のように脳天を突き抜けた。
だが残念なことに、颯斗がその喜悦を十分に味わう間もなく、手足に痺れが走り、頭の中が真っ白になったかと思うと、硬直した体のまま激しく倒れ込んだ。
その時ようやく、不意打ちを食らったのだと気がついた。
高電圧の警棒が、背中を強打したのだ。
颯斗は痙攣しながら地面に這いつくばり、口が麻痺して言葉も発せない。警棒を手に、刑務官の制服を着た長身の人影が、ゆっくりと彼の前まで歩み寄ってきた。
「ついて来い」
男は彼を見下ろし、冷たい声で告げた。
颯斗は立ち上がり、虫の息になった壮馬を見下ろしながら、冷たく言い放った。戦いはあっけなく終わった。颯斗は、まさかこの三人がここまで打たれ弱いとは思ってもみなかった。少し痒みを覚えた手の甲を揉みながら、ずっと胸の奥に溜め込んでいた鬱憤がようやく晴れ、なんとも言えない爽快感を覚えていた。「あーあ、さっきはあんなに頭に血を上らせるんじゃなかったな。壮馬の奴を捕まえて、きっちり問い詰めるべきだった」「気にするな。さっき聞き出した情報だけでも、十分すぎるほどだ。それより、奴らが言っていたあの温泉村計画……俺もどこかで見た覚えがある」練は少し考え込むと、すぐさま机の前へ歩み寄った。山積みになった書類を手当たり次第にめくっていたが、ふと目を輝かせ、一枚のチラシを抜き出した。「間違いない、これだ。奴らは赤峰林業所を温泉地に作り変えようとしてる」颯斗は顔を寄せ、練の手元にあるチラシを覗き込んだ。そこにはほんの数行の文章で、赤峰林業所を温泉を中心とした観光地へと作り変える計画が簡潔に記されていた。そして、その計画の出資者は、アレックスというA国の商人だった。「健次の野郎、もともと脱税の常習犯だったってのに、林業所を売り飛ばすために、裏でどれだけ後ろ暗い取引をしてきたことか……」颯斗がそこまで言った、その時だった。突然、足元から「ドーン!」という轟音が響き渡った。赤レンガの建物全体が地響きを立てて激しく揺れ始める。その勢いで颯斗は足を取られ、危うく床に倒れ込みそうになったが、練が
「泥棒だ!」壮馬がそう大声を上げた瞬間、颯斗はすでに練の手を引き、矢のように飛び出してドアの方向へ一直線に駆け出していた。慶太が真っ先に突進してきて、二人の前に立ち塞がった。「逃がすかよ!お前ら何者だ、なんで所長室に隠れてた!?」颯斗は言い返した。「俺たちが何者か、あんたらには関係ないだろ!」颯斗は先ほどデスクの下に隠れて三人の会話をすべて聞き、彼らがグルになって父親を陥れた張本人だと知っていた。今こうして仇を目の前にして、怒りがこみ上げないわけがない。彼は拳をボキボキと鳴らし、ドスを効かせた声で言った。「俺は今、頭に血が上ってて手加減できねえんだ。死にたくなきゃさっさと失せろ」慶太は結局のところ見掛け倒しで、まだ手も出していないのに颯斗の気迫に押されて一歩後ずさりした。その時、我に返った壮馬が怒り狂って慶太の鼻先を指さし、罵声を浴びせた。「何を呑気に話してんだよ!?早くそいつをぶちのめせ!」壮馬にそう煽られ、慶太はようやく勇気を振り絞り、大喝して拳を握り締めながら二人に向かって飛びかかってきた。しかし残念なことに、この二人は武術の心得があるわけでもなく、その動きは街のチンピラが暴れ回るのと大差なかった。当然、すでに心界で百戦錬磨の経験を積んでいる颯斗の敵ではない。練も当然そのことを分かっていた。彼は手を出さず、両手をポケットに突っ込んで脇に退き、颯斗にその場を任せた。「ぐあッ!」慶太は空を切ったかと思うと、颯斗に足を掛けられて派手に転倒し、地面に顔を打ち付けた。さらに腕を背中側に捻り上げられ、関節からミシミシと折れるような音が鳴った。&n
二人が目の前を行ったり来たりするのを見て、颯斗は心臓が口から飛び出そうになり、呼吸が次第に荒くなった。と同時に、練が音もなく手を伸ばして颯斗の口を塞ぎ、唇に人差し指を当てて、絶対に声を出すなという合図を送った。慶太は探しながら言った。「壮馬、所長は一体どういうつもりなんだ?証拠が揃っているなら、さっさとあの博人を警察に突き出せばいいじゃないか。どうしてわざわざあいつの両親に手紙を書いて知らせるなんて、面倒なことをするんだ?」壮馬は二人に手紙を探させ、自分は余裕たっぷりにソファに腰を下ろし、足を組んだ。「ほら、だからあんたは分かってないんだよ。博人の性格については、俺の方があんたらよりよっぽど詳しい。あいつは意地っ張りだからな、追い詰められたらヤケを起こして何をしでかすか分からない。万が一、あいつが道連れにする気になって、取り調べの時に親父の脱税をバラでもしたら、上が調査に乗り出して親父は終わりだろ?」慶太が解せない様子で尋ねた。「でも、俺たちは証拠を全部隠滅したんだぜ。上が調べてきても、そんな事実はないってシラを切り通せばいいんじゃないのか?」壮馬が口を開く前に、河野が言った。「このバカ!上がそんな簡単に誤魔化せると思ってるのか?」河野はさらに言葉を続けた。「こう言っておく。今は世の中が荒れてて、人の心も変わりやすい。うちの林業所はただでさえ風当たりが強いんだ。この大事な時期に何か問題を起こせば、結果がどうであれ、海外への渡航の話はパーになる」河野の言葉に、その場にいた全員が沈黙し、空気には異様な重苦しさが漂った。
「いったぁ!」颯斗は額を押さえ、「シーッ」と息を呑んだ。練がすぐに歩み寄り、ぷっくりと腫れ上がった額を指で拭うと、べっとりと血がついた。練は反射的に顔を寄せ、ぱっくりと割れた傷口をそっと舐め、優しく血を吸い上げた。「ほら見ろ。お前は不注意すぎるんだ」だが、次の瞬間、練はハッと我に返った。ここは記憶の中であって、心界ではない。こんな治療に意味がないことを、すっかり忘れていたのだ。その証拠に、練が唇を離したあとも、傷口からは相変わらず血が滲み、一向に塞がる気配がない。それに気づいた練は、途端にばつが悪くなった。照れ隠しに笑いながら颯斗から離れ、その場を取り繕うように言った。「悪い、癖になってた」その時、微かな風が吹き込んできた。床に開かれたままの辞書のページが、ぱらぱらとめくられていく。そして最後のほうのページで、ぴたりと止まった。ページの真ん中には、二つ折りにされた紙が挟まっている。「なんだこれ?」練は不思議に思いながら紙を拾い上げ、広げた。それは一通の手紙だった。博人の両親宛てに書かれたもので、差出人の欄には健次の名が記されている。練は素早く目を通した。その表情が、みるみる強張っていく。颯斗も隣へ寄り、怪訝そう