「てっきり、お前が最初に俺に聞くのは、友達がどうなったかだと思ってたけど」慎一はゆっくりと振り返り、一歩一歩、私に向かって歩み寄ってくる。「いつからだ?あいつが、お前の友達より大事になったのは」彼の影すらも、重くのしかかるようだった。一瞬、私は呼吸すら苦しくなった。彼が間近まで迫ってきたその瞬間、私の体は無意識に震えていた。壁と彼の胸板の間、ほんの僅かな隙間に私は押し込められ、反抗する気力すら湧いてこない。「最低!私のスマホ、勝手に見たのね!」彼は眉をひそめて、まるで何でもないことのように言う。「お前の友達と、康平のやつ。俺が助けられるのはどっちか一人。選べよ」その問いを口にした時、慎一の心臓も激しく脈打っていた。彼は、佳奈と喧嘩することも、二人の関係が前ほど良くないことも、受け入れられる。だが、佳奈がこの短い間に他の男を好きになることだけは、どうしても許せない。人の心というものを、少し見誤っていたのかもしれない。康平は長い間、佳奈を想い続けてきた。今、ようやく手が届く距離まで来たのに、彼が手を伸ばさないはずがない。だが、まだ間に合う。佳奈が友達を選ぶなら、康平にも恩を売ってやってもいい。ただ、佳奈がまだ自分の女であればそれでいい。私は冷たく慎一を見つめた。「つまり認めたってことね。穎子と康平、全部、あんたの仕業だって」慎一は唇を引き結び、黙っていた。彼の耳に、ふと真思の言葉がよぎる。もしかしたら、彼女に選ばせるべきなのかもしれない。慎一は静かに言った。「佳奈、もう遊びは終わりだ。帰ろう。俺のところに」私の背筋はピーンと伸びていたが、慎一の顔がどんどん近づいてくるにつれて、思わず身をすくめてしまう。まさに彼の唇が私に触れそうになった瞬間、私は両手で彼の肩を強く押し返した。自分の心臓がドクドクと鳴り響く音が、耳の奥でうるさいほどだった。「二人のうち一人を選ぶって、条件付き?それとも無条件?」慎一は、私に対してだけは、やたらと忍耐強かった。彼は手を下ろし、ゆっくりと服の裾を整えながら答える。「それはお前の選択次第だ」「私は穎子を選ぶ。今すぐ釈放させて、ご両親と一緒に白核市に帰す。それと……例の研究会の件も、ちゃんと片付けて。ご両親の退職にも影響を与えない形で」慎一の動きが一瞬止ま
慎一がどんなに追いかけようとも、結局のところ、ただの幻にすぎなかった。最初は、この街の空気が白核市よりも少し冷たく感じるだけだった。だが、今なら分かる。この湿った冷気が、胸の奥まで染みわたり、全身を震わせるほどの寒さが、孤独という名のものだと。佳奈がいない冬は、ことさらに冷え込んでいた。けれど、今この瞬間、私は体の底から燃え上がるような熱さを感じていた。病院を出てふたたび留置所へ足を運ぶと、前と同じ答えが返ってきた。穎子は弁護士を雇っておらず、弁護士との接見も拒否しているという。真思と会う前なら、その話を信じていただろう。だが今は、もう騙されない。「彼女が会いたくないのか、それともあんたたちが私に会わせないのか、はっきりしろ!」そう一言告げただけで、「公務執行妨害」の名目で拘束されてしまった。二人のがっしりした警官が私に飛びかかってきた時、私は抵抗しなかった。きっとこれも、慎一が真思のために私に罰を与えているのだろうと思ったからだ。「誰かが保釈金を払わない限り、十二時間ここにいろ。出る時は罰金も払え」と警官は言った。その時、自分が人を助けに来たのか、それとも助けを待つ側なのか、分からなくなっていた。スマホを没収される前、最後の電話をかけるチャンスをもらった。康平が突然現れて私を助けてくれるとは思っていなかった。ただ、声が聞きたかっただけだ。けれど、電話はつながらなかった。スマホを取り上げられた瞬間、胸の奥が冷たく沈んだ。もしかして、康平にも何かあったのではないか。頭の中で、数少ない頼れる知人の顔を思い浮かべる。卓也、夜之介、軽舟……だが、たった十二時間のために、彼らをわざわざ煩わせるのも気が引けた。それに、こんな情けない姿を人に見せることが、一番苦手だった。明日のお昼まで、私はここに閉じ込められるのだろうと諦めかけていたその時、一人の警官が腰を低くして入ってきた。「すみません、誤解でした」と繰り返し頭を下げている。その時ようやく分かった。慎一が来たのだ。私は静かな個室に連れて行かれ、ほどなくして慎一が入ってきた。左手はポケットに、右手には私のスマホ。相変わらず威圧的な態度だけど、さっきまでと違い、彼の目には確かに私が映っていた。私は苦笑して言う。「わざわざここまで追いかけ
真思は信じられない様子で大きく目を見開いた。「慎一、今なんて言った?」「二度同じことを言わない。聞き取れただろ?」慎一はため息をつきながらも、その言葉には一切の迷いがなかった。真思は、現実を受け入れるのに三分ほどもかかったが、それでも納得できなかった。「つまり、私は使い捨てってこと?用が済んだから捨てるってことなの?あは……はは……」彼女は笑い出した。その笑いはどこか壊れたようだった。「私は、血流してるのよ。あなたのために、血を流してるのに、どうしてそれがわからないの?あんな女、普通に口説いたって振り向くわけないのよ!だからこそ、こういう強引な手を使うしかなかった!ねえ、慎一、私が今まであなたを裏切ったことがあった?私は、ずっと、ずっとあなたの味方でしょ?それに、あなた言ってたじゃない……もしいつか、あいつのことに興味を失ったら、私と結婚してもいいって……私はあなたに愛されなくてもいい、一緒にいられるだけでいいから!」真思は、突然ベッドの上から這うようにして慎一の袖を掴んだ。「慎一、あの時言ったこと、忘れたの?」慎一は彼女の手を乱暴に振りほどいた。「俺はお前に何の感情もない。たとえ佳奈に興味がなくなっても、それでも、お前には……ない。俺はお前のことを友達としてしか見てない」ついさっき佳奈が自分を見たあの目を思い出すと、慎一は胸の奥がざわついて仕方なかった。思わず目の前の女に苛立ちをぶつけた。「お前は彼女の友達に手を出すべきじゃなかった」慎一はよく分かっていた。佳奈は穎子に対して、自分以上に気を遣っている。佳奈のお母さんの一件でも、佳奈は自分を少し責めていた。もし、また彼女の友人に何かあれば、もう本当に佳奈との可能性はなくなるだろう。真思は振り払われた手も、傷口の痛みも気にせず、なおも食い下がった。「なんで?なんで手を出しちゃダメなの?慎一、いつも効率重視じゃないの?なんで彼女にはあんなに時間かけるの?まさか、本当に彼女のこと、愛してるの?」真思には分かっていた。慎一はきっと佳奈を本気で愛している。でも、彼自身は自分が誰かを愛するなんて信じていない。幼い頃から孤独だった彼に、愛なんて分かるはずがない。けれど、真思にははっきり見えていた。慎一は表面こそ冷たいが、根っこはとても臆病で自分に自信がない人間だ
慎一のすらりとした姿が、廊下のスポットライトさえも遮り、空気がわずかに暗くなったように感じる。そのせいか、私の胸の奥にも、また新たな憎しみが芽生えてしまう。そうだ。もし慎一が真思の後ろ盾になっていなければ、あの女があんな手際の良いことをできるはずがない。私たちの居場所を探り当てただけでなく、見事な自作自演の芝居まで仕組んでくるなんて。この騒動の首謀者が誰だろうと、もうそんなことはどうでもいい。どうせ、この二人は、ある意味で一心同体なのだ。私は目の前の男を見つめ、表面上だけは穏やかに微笑んでみせた。連日の奔走で、私の服はどれだけ伸ばしても皺が取れない。一方で彼は、隙のない黒のスーツを身に纏い、微かに顎を上げて、まるで私など目にも入らぬ態度だった。彼が私を無視するのなら、私もわざわざ己を貶める必要などない。私は彼から視線を外し、黙ってすれ違おうとした。その瞬間、魂までも痛むような感覚が、全身を走った。私と彼は、とうとうここまで敵対する関係になってしまったのだ。その時、不意に彼の手が私の腕を掴んだ。彼の指先が触れた瞬間、私の肌はぞくりと粟立ち、まるで電流が走ったかのように、思わずその手を振り払った。「俺に、何か言いたいことはないのか?」慎一が低く問いかけてくる。一瞬、何か言いたい衝動に駆られたが、今さら何を言っても、この状況が変わるはずもない。私は振り返りもせずに、「悪いけど、昔話してる暇はないの」とだけ答えた。歩き出そうとしたその時、彼の声が上から降ってきた。「お前の時間なんて、俺から見ればゴミ同然だ」彼は私の肩を押さえつけ、そのまま囁くように問う。「今、時間が止まったとしたら、過去に戻るか、それともこのまま突き進むか……どっちを選ぶ?」彼の手には力がこもっていたが、私は必死に腕を振り上げても、彼の掌から逃れることはできなかった。「昔は、あなたと手を繋ぎたかった。でも今は、その手に触れられるのも嫌なの!」私は嘲るように彼の手を見下ろし、「私とあなたの間に、もう過去なんてない」と突き放す。彼は無意識に手を上げ、空を掴むようにして、再び時が止まったかのように動きを止める。彼が目を閉じ、再び開けた時、もはやその瞳に感情は一切浮かんでいなかった。そして、廊下の先を指差し、冷たく一言。「消
「もっと壊せば?あんたが私にしたこと、全部田中に倍返しにしてやるから!」真思は首をつき出して、歯を食いしばりながら叫んだ。「全部!全部あんたたちが蒔いた種でしょうが!今こうなってるのは、全部報いよ!」彼女の言う「種」が一体何を指しているのか、私にはさっぱりわからなかった。でも、彼女は自分の視点からしか物事を見ていないのは明らかだった。都合のいいことしか見えていない。「あなた、今慎一と一緒にいるからって、何でも思い通りになると思ってる?今あなたが持ってるものなんて、全部あの人が気まぐれで与えただけよ。自分の力だけで私の友達を牢屋にぶち込めると思ってるなら、あなたこそ甘ちゃんね」「ふん、私が慎一と一緒?」真思の目は虚ろで、ベッドの端にしがみつきながら、ふらふらと立ち上がった。その姿はまるでゾンビのようで、でもまったく迫力はなかった。今にも風に吹き飛ばされそうだった。彼女は私の方をじっと見つめてきた。その瞳から湧き出す憎しみが、今までになく強く感じられた。「気まぐれで与えたって何が悪いの?今、私は一番いい病院で過ごしてるし、お金も権力も手に入れた。でも、今のあんたには何があるの?私はね、何も持ってないくせに決して頭を下げないあんたが気に食わないのよ。この世の中、あんたみたいに恵まれて生まれてくる人ばかりじゃないの。私はただ、必要なときには頭を下げろって教えてあげてるだけ」私は鼻で笑い、ゆっくり彼女の目の前まで歩み寄り、力強く彼女の頬を叩いた。軽蔑を込めて言う。「じゃあ、私が頭を下げなかったら?」私に叩かれたからなのか、怒りでなのか、彼女の頬はみるみる赤く染まっていった。胸も大きく上下している。「慎一もういらないんでしょ?もう私の男よ!なのにあんた、なんで横から奪おうとするの?あの夜、パーティーに一緒に来てくれるって約束してたのに、あんたが怪我したって聞いた瞬間、私を置いて一人で行っちゃったのよ。わかる?私がその時、どれだけみじめだったか!私の気持ち考えたことあるの?事務所だってそうよ!せっかく起業して順調だったのに、気づいたら陰でいろいろ操作されて……今じゃ業界で笑い者よ。バラエティも調子よかったのに、コメント欄にはいつも『安井先生はどうした?』とか、『お前が安井先生の座を奪ったんだろ』とか、ツイッターに毎日のように罵詈雑言
エレベーターが静かに上昇するたび、胸の奥に嫌な予感がじわじわと広がっていく。この光景、どこかで見たことがあるような、妙な既視感がつきまとう。病院という場所は、どうしても良くないことが起こるものだ。病室の外の廊下には、あのツンとした消毒液の匂いが漂っていない。代わりに、ほのかに花の香りがしていた。こんな特別な待遇、霍田当主の病室でしか見たことがない。慎一が父親のために選んだ病院だ、当然ながら最高級だ。「痛っ!こんな高い金払ってるのに、なんでこんな下手くそに注射されなきゃいけないのよ!」思考を乱す、カンカンとした声。わがままな叫びが病室から響いてくる。「すみません、お嬢様。でも注射の時に動かれると……どうしても……」「もういいわ、あんたなんていらない!他の人に替えて!見てよ、この青あざ!」「すみません、すみません、わざとじゃないんです……」「院長を呼びなさい!」……私はじっと病室の扉を見つめていた。次の瞬間、泣きじゃくる若い看護師が慌てて部屋から飛び出してきた。すれ違いざま、私は思わずその手を掴んでしまう。まるで取り憑かれたように、信じられない思いで問いかけた。「中にいるのって……七瀬さん、ですか?」看護師は驚き、震えながらも小さく頷く。涙は止まることなく、頬を伝い落ちていた。私は彼女の手を離し、無意識のうちに突っ立ったまま、ぎこちなく病室へと歩みを進める。この瞬間、すべての答えが揃った気がした。怒りが胸の奥で一気に燃え上がる。真思が誰を相手にしようと、私の大切な人には手を出すべきじゃない!私と慎一があれだけ揉めたときでさえ、彼は穎子に一度も傷をつけなかった。それなのに、なぜあの女がそんなことをするんだ!半開きの扉を思い切り蹴り開け、私はすぐさま真思を視界に捉えた。「やっと来たわね!見てちょうだいよ!この看護師、わざと……」真思は院長が来たと勘違いし、顔も上げずに一方的に責め立てた。その言葉が終わるより先に、私は彼女に歩み寄って、髪を掴み、力任せに床に引き倒した。包帯を巻いた怪我の上から、容赦なく二度、三度と蹴りつける。彼女は痛みに茫然とし、いつもの生き生きとした瞳も焦点を失い、ただ床に転がりながらもがいていた。「だ、誰か!助けて……」彼女はさっき看護師を追い出したば