INICIAR SESIÓN莉奈は頭の芯が痺れるのを感じた。人は暗闇で視界を奪われると、他の感覚が無限に研ぎ澄まされるものだ。 その手はあまりにも強く彼女を抱き寄せており、少しざらついた指の腹が彼女の肩を押さえつけ、まるで彼女を自分の胸の中に埋め込もうとしているかのようだった。 周囲には招待客たちのざわめきが響いていたが、彼女には自分の心臓の鼓動と、相手の心臓の鼓動だけがはっきりと聞こえるような気がした。 ――ドクン、ドクン、ドクン。 恐怖と、恥ずかしさからくる怒りが入り混じった感情が胸に込み上げる。莉奈が手を出そうとした瞬間、頭の中で別の声が響いた。もしかしたら相手は人違いをしているのかもしれない。それに、杉村編集長から「何事もよく考えてから行動しろ」と教えられたことも思い出した。 「あの、人違いでは……」 言葉を最後まで言い終える前に、突然彼女の顎が誰かに掴まれ、強い力で無理やり顔を上げさせられると、唇に柔らかな感触が重なった。 相手の舌先が強引に唇をこじ開けようとしてくるのに気づき、莉奈は今夜が椎名家主催の宴会であることも、相手が何者であるかもどうでもよくなった。――こんな場所で私に手を出そうとするなんて、命知らずにも程がある! 彼女は手探りでテーブルの上のものを掴み、力任せに相手に向かって投げつけた! しかし次の瞬間、会場は再び明るさを取り戻した。 どよめきが起こる中、莉奈は全身の血液が頭に昇るのを感じた。 だが、小皿を握りしめた彼女の手は空中で誰かに掴まれ、微かなシダーウッドとタバコの香りが鼻をかすめた。 彼女は呆然と、自分の肩を抱く男を見つめた。そして、その男の唇の端にある、彼女に噛み破られて微かに血がにじんでいる小さな傷跡を。 承也は目を伏せ、恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にしている彼女を一瞥し、冷え切った声で言った。「俺を追って会場に入るために、わざわざそんな格好をしてきたのか?」 そんな格好とはどういう意味だ。 莉奈の白黒はっきりとした瞳はどこまでも澄んでおり、堂々と言い返した。「私が着ているのは、ちゃんとしたドレスよ」 手のひらに包み込まれた丸みを帯びた肩の肌はきめ細かく、男の視線から見下ろすと、彼女の誇るべき曲線がすべて視界に収まった。決して露出が激しいわけではないが、その一つ一つがひどく目障りだった!
尚南が彼女のそばに歩み寄ってきた。「奈奈、君は俺のパートナーだってことを忘れないでよ。こんなところへ来て他の男と話してたら、俺が嫉妬しちゃうかもしれないから気をつけてね」 そう言いながら、彼は右手を差し出した。 莉奈はそっとその手に自分の手を重ね、彼について会場へ入る道すがら、軽く鼻を鳴らした。「ただの都合のいいエスコート役なんだから、その自覚を持ちなさいよ」 「そんなこと言って、俺が傷つくとは思わないの?」尚南は気にする様子もなく言った。「それに、こんなに堂々と俺を連れてチャリティーオークションに出席するなんて、兄さんの顔に泥を塗ることにならないか心配じゃない?」 莉奈はまるでとんでもない冗談でも聞いたかのように言った。「自分は好き勝手やってるくせに、私の行動には口出しするつもり?それに、あなたは承也の従弟でしょ。同じ身内なんだから、他人がとやかく言う筋合いはないでしょ?」 尚南の眼差しは曖昧で、底が知れなかった。「そんな言い方されると、従弟と義姉っていう関係もなかなかそそられる気がしてくるな」 「でも……」 彼はうつむいて彼女の耳元に顔を寄せ、囁いた。「俺はやっぱり、独身の奈奈のほうが好きだな」 莉奈は手に持っていたバッグで直接彼の顔を押し退けた。「私が独身になったとしても、あなたの出番はないわ」 会場に入ると、中は暖房がよく効いていた。 莉奈がショールを外すと、尚南は紳士的に自らそれを受け取り、クロークのスタッフに預けてくれた。 今日のオークションの主催は椎名家だ。そのため、会場に入ってすぐに莉奈は椎名家の年配者たちを何人か見かけた。まさか琴音まで出席しているとは思わなかった。 「琴音おばさん」 琴音は驚いたように莉奈を見つめた。「莉奈、今夜は本当に綺麗ね」 「ありがとうございます」 琴音は尚南に向かって言った。「あなたに話があるの」 莉奈は気を利かせて尚南の腕から手を離し、スイーツのコーナーへ行って小さな皿にケーキを取り、時間をつぶすことにした。 彼女はスイーツを手に休憩スペースへと歩きながら、振り返って承也の姿を探した。彼が一人になった隙を狙って、話しかけるつもりだった。 突然、すぐ横で男が咳払いをする声が聞こえた。「お嬢さん、前を見て歩いてください」 莉奈は慌てて足を止め
莉奈は肩にかけたショールを整え、尚南の声を聞いて、誰が来たのかを察した。 振り返りもせずに立ち去りたかったが、今日ここへ来た目的は承也を待ち伏せするためだと思い直す。このまま帰るわけにはいかない。 彼女はひどく不本意そうにため息をつき、ゆっくりと振り返った。 風が、肩にふわりと下ろされた波打つ長い髪を揺らす。照明の下で、その髪はかすかに幽玄な青みを帯びているように見えた。 端正な顔立ちは、メイクアップアーティストの手によってわずかに強調され、普段は見せないような艶やかな色気を漂わせている。 息を呑むほどの美しさは風にさえ愛されているようで、ふわりと舞い上がった一筋の髪が、潤んだ瞳の目尻をかすめ、音もなく人の心を惑わせた。 莉奈のスタイルは、普段のゆったりとしたカジュアルな服でも隠しきれないほどメリハリがある。両手で包み込めそうなほど細い腰が、彼女が振り返る動きに合わせてひねられ、体にフィットしたドレスが完璧なプロポーションのウエストとヒップのラインをくっきりと描き出していた。 ショールに隠された胸元は、さらに人々の想像力を掻き立てる。 ただ一度振り返っただけで、周囲の名士たちの視線は密かに彼女に引き寄せられ、そこには意味ありげな色が浮かんでいた。 三年前、莉奈と承也は婚姻届を出しただけで、結婚式は挙げていない。彼女が椎名家の奥様だとしても、最初、承也と結婚したことを知る者はこの社交界の中にはほとんどいなかった。 先日の隼人の誕生日パーティーで、莉奈が単身で乗り込み、大立ち回りを演じて一躍名を馳せるまでは。それ以来、社交界でも少しずつ噂が広まり始めていたのだ。 承也のそばにいた浩平が「おおっ」と声を上げ、驚嘆したように言った。「おいおい、そんなに綺麗に着飾って、俺たちを驚かせるつもりか」 彼は無意識のうちに視界の端で、付き添いの女性に車椅子を押されてやってくる美月を捉えた。先ほど車を降りた美月を見た時、彼女は白いオフショルダーのドレスを身に纏い、その気品は優雅で浮世離れしており、他の女性たちとはまるで別次元にいるようだった。しかし莉奈が現れた途端、彼女のその白さはどこか味気なく、退屈なものに見えてしまった。 「お褒めに預かり光栄ね。生まれつきだから、これ以上不細工になりようがないの」莉奈は軽く片眉を上げ、
電話の向こうからツーツーという音が聞こえた。 莉奈はスマホをきつく握りしめた。 明らかに承也はわざとやっている。テレビ局が空けた枠は、ここ数日なら他のインタビューで埋められるが、あまり長く引き延ばすことはできない。一刻も早くインタビューを終わらせる必要があった。 彼女は、承也のせいで自分のキャリアに汚点がつくことなど絶対に許さない。 今のところ、他にいい方法はない。彼を待ち伏せするしかない。 自分のデスクに戻ると、パソコンのデスクトップにポップアップしたニュースが目に入った。明日の夜、錦園でチャリティーオークションが開催されるという。 チャリティーオークションは、東安市の上流社会で毎年恒例のイベントだ。 東安市のいくつかの名家が持ち回りで主催している。 彼女の記憶では、去年は佐伯家だった。ならば今年は…… 莉奈は心の中で東安市の名家の姓を順に唱え、ちょうど椎名家の順番であることに気づいた。 それならば、椎名家の当主である承也は確実に出席するだろう。 しかし、チャリティーオークションに出席するには、男女のパートナーを同伴しなければならない。 考えた末、莉奈は省之介にメッセージを送ろうとしたが、省之介が承也の親友であり、間に挟まれて気まずい思いをさせるのは申し訳ないと思い直し、その選択肢を排除した。 友達リストを上下にスクロールし、何度も尚南の名前に目を留めたが、最終的には彼のチャット画面を開いた。 どうせ尚南はろくな人間じゃないのだから、利用しても罪悪感はない。 【明日の夜のチャリティーオークション、行く?】 メッセージを送信してすぐに、尚南から電話がかかってきた。 「奈奈、どうして急にそんなこと聞くんだ?」男の笑いを含んだ声が聞こえる。「もしかして、行きたいのにパートナーが見つからないとか?」 尚南はやはり自分のことをよく分かっているし、とても鋭い。その点については、莉奈も認めざるを得なかった。 莉奈は今回自分が頼み事をする立場であることをわきまえ、尚南に対する口調も少しだけ柔らかくなった。「それで、明日の夜は行くの?行かないの?」 「奈奈が行くなら、俺も行くよ」尚南はため息をついた。「奈奈が承也のために行くんだって分かってるけど、奈奈のパートナーになるのは喜んで引き受ける」 莉奈は
莉奈は眉をひそめた。以前の彼女は、承也が公私混同するような人間だとは思っていなかった。個人的な感情で仕事の公平さを欠くようなことはしない人間だと。 しかし今は、確信が持てなかった。 「どこが不満だと言っていた?」 あの日のインタビューの後、彼女は省之介と食事をし、その後拉致された。入院中は直哉が仕事に関わることを許さなかったため、休日に時間を見つけてインタビュー動画を確認していたのだ。 どこにもケチのつけようがない完璧な出来だったはずだ。 同僚は首を横に振った。「椎名グループの担当者は直接私とやり取りしたわけじゃないけど、向こうは社長がどこに不満を持っているかは明かさず、ただもう一度インタビューし直すようにとだけ言ってきたらしいよ」 莉奈の顔には何の動揺も見られず、ただ頷いた。「わかった」 真央は彼女をちらりと見た。 他の人は知らなくても、彼女は承也が莉奈の夫であることを知っている。離婚で揉めているとはいえ、わざと莉奈のインタビューを止めるような意地悪をするだろうか? 莉奈はパソコンを開き、ここ数日の放送スケジュールを確認した。 彼女のインタビュー動画は昼のニュースで放送される予定で、テレビ局は椎名グループのインタビューのためにわざわざ枠を空けていた。もし承也がこのまま承認を遅らせれば、彼女のコーナーは空枠になってしまう。 それがテレビ局にどれほどの損失をもたらすか、計り知れない。 ましてや、椎名グループはテレビ局の最大のスポンサーであり、その不興を買うわけにはいかないのだ。 しかし、彼女はもう二度と承也には会いたくなかった。 この件で、杉村編集長は彼女を編集長室に呼び出した。 「インタビュー動画は見た。確かに問題はない。だが相手は資本だ、難癖をつけるのが一番得意な連中なんだよ。テレビ局のために、ここはひとつ我慢してくれ」 もちろん彼は、莉奈がこれまで仕事を始めてから、「やり直し」という不名誉な事態に直面したことがないのを知っている。これが広まれば、業界内で笑い者になるかもしれない。 しかし彼が知らないのは、莉奈が断る理由はそれではないということだ。 もし本当にインタビューに何かミスがあったのなら、再インタビューでもう少し時間をかけるだけで済む。自分の仕事をきちんとやり遂げることが一番大切なのだ
極寒の雪山で冷え切って発熱したとはいえ、熱さえ下がれば、少しの擦り傷など大したことはなかった。 「ちょうどいい時に帰ってきたわね」 その時、洗練された装いの優雅な婦人が家の中から出てきた。その優雅な雰囲気とは裏腹に、エプロン姿だった。 「琴音おばさん?」莉奈は、家で琴音に会えたことに少し驚いた。 彼女が椎名邸を出てから、琴音はめったに姿を見せなくなっていた。 琴音は前に進み出て、千鶴のもう片方の腕を支えた。「スープを煮込んでいたのよ。おばあ様も莉奈も、少し飲んでいって」 千鶴は微笑んだ。「気が利くわね」 そして莉奈に向かって言った。「私が体調を崩してから、琴音さんが頻繁に実家に顔を出しては、スープを煮込んだり美味しいものを作ってくれたりするの。本当に親孝行で感心するわ。海外旅行ばかりしているあなたの叔父さんより、ずっと頼りになるわね」 「おばあ様、そんなこと言わないでください。親孝行するのは当然のことです。さあ、中に入りましょう」 ダイニングテーブルに座り、莉奈は琴音から渡された熱いスープを受け取った。「ありがとうございます、琴音おばさん」 一口飲むと、濃厚な香りが広がり、彼女は満足そうに目を細めた。「すごく美味しい。琴音おばさんの料理の腕は相変わらずですね」 「美味しいなら、たくさん飲んで。おばあ様が、あなたに家で数日休んで栄養をつけるようにって言ってたから。ちょうど私もあなたにしっかり栄養をつけてもらいたいと思ってたの。ここ数日は私が泊まり込んで、あなたたちの世話をするわ」 莉奈は笑顔で頷いた。 琴音は彼女の髪を撫で、目を細めて微笑んだ。「莉奈が笑うと、本当にあなたのお母さんにそっくりね」 莉奈は黙ってスープを飲みながら、目頭が少し熱くなるのを感じた。 深夜、莉奈が眠りにつこうとした時、廷治からメッセージが届いた。 【向井さん、あのコーチと連絡がつきました。彼のLINEアカウントをお送りしましょうか?】 莉奈は、あのコーチが言葉を話せないことを覚えていた。だから廷治は電話番号を教えなかったのだ。 言葉は話せなくても彼の腕は確かで、以前教わった技はどれも自分にぴったり合っていた。まるで自分のためにあつらえられたかのように馴染んだため、今回も彼に頼むことにしたのだ。 彼女は返信した。【お
「私はあなたを騙してない。東安市に戻ったのも、承也を奪いに来たわけじゃないから。私が自分から帰国したんじゃなくて、承也が私を呼び戻したの」莉奈がエレベーターに踏み出しかけた足が、ぴたりと止まった。彼女はとっさに手を伸ばしてドアを押さえ、扉は再び左右に開く。拳を強く握りしめて、やっと自分を落ち着かせ、振り返って美月に詰問することはしなかった。やがてエレベーターの扉は、ゆっくりと閉じていく。莉奈は、エレベーターの内壁に映る自分の顔を見つめた。顔色はひどく悪い。握りしめていた指をほどくと、昨夜転んだときに床で擦った手のひらの傷が開き、血がにじんでいた。美月と向き合う覚悟は
「……お願いできますか?」莉奈はそう言って、杉村編集長をまっすぐ見つめた。編集長は眉をひそめる。このポストにこれほど多くの人が狙いを定めているとは、正直、彼も想定していなかった。募集が始まる前から噂は耳に入っていたが、まさか莉奈が興味を持つとは思わず、事前に声をかけなかったのだ。気づいたときにはすでに枠は埋まっていて、正直どうにもならない。「三郎さん、お願いします。どうしても行きたいんです」莉奈は思わず懇願するように口にした。杉村編集長の本名は杉村修三郎(すぎむら しゅうさぶろう)。名前が、人気ミステリー小説『杉村三郎シリーズ』の主人公・杉村三郎と似ていたことから、部署では
三年という時間は、いろいろなものを変えてしまう。自分が戻ってくる頃には、もう何もかも変わっているはずだ。もしかしたら、承也と美月も……莉奈は手を上げて眉間を軽くつまんだ。また余計なことを考えている。彼のことなんて、考えるべきじゃないのに。そのとき、いきなり真央の顔がパソコンの画面の前に現れた。「なに?まさか行く気じゃないでしょね?」邪魔をされたせいで、莉奈は落ち込む暇もなくなった。真央の頭を軽く押しのけながら言う。「なにその勘の良さ。正解よ」「ちょっと、押さないでよ!朝早く起きて、ちゃんとセットした髪がぐちゃぐちゃになるでしょ!」真央は髪を整えながら、疑わしそうに莉
黒いコートを腕に掛けた承也は、落ち着いた足取りでVIP通路を進んでいた。その背後には、スーツに身を包んだ椎名グループの精鋭チームが続く。どの顔にも隙はない。磨き上げられた床に揃った足音が響き、その場の空気を一変させるほどの圧があった。ガラス越しに、降機したばかりの乗客たちが思わず足を止めて見入っている。プライベートジェットの機内で、承也は手元の書類をめくっていた。悠斗がコーヒーを一杯、彼の左側にそっと置く。「病院には人をつけておけ。特に莉奈だ。隼人に近づけるな」書類から目を離すことなく、承也は淡々と言った。……タクシーは汐見ヶ丘へと入っていった。莉奈は数年前、この汐