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title29

Auteur: 笠井未久
last update Dernière mise à jour: 2026-02-13 09:37:48

昨日の幸せな気分のまま、私は会社へ向かい、エレベーターを待っていた。

すると、ふと緊張感のようなものが周囲に漂い、エレベーター前にいた人たちが一歩、自然と後ろに下がったのがわかった。

――あっ……。

そこに現れたのは、翔太郎さんのお父様である社長と、翔太郎さん。

その後ろには、晃さんと秘書の人も続いていた。

今までのざわついた空気は一瞬で静まり返り、みんなが一斉に頭を下げるその光景を、私はなぜかぼんやりと見つめていた。

これが、本当の翔太郎さんのいる世界――。

わかっていたようで、実はちゃんとわかっていなかった。現実の大きさに、私はふと「どうしてその世界に、私がいるのだろう?」と頭がぐるぐるしてしまった。

翔太郎さんの周囲を包むものは、あの“呪い”なんて言葉よりも、ずっと重くて大きな何か。

エレベーターに消えていく彼らの背中を、私は静かに見送った。

最近では、少しずつ社内の騒ぎも落ち着いてきた。

でも、久しぶりに、よりによってトイレで声をかけられてしまい、私はため息を飲み込んで、いつも通り申し訳なさそうに返事をした。

「えー、そうなんだ。せっかく副社長とお近づきになれると思ったのに~
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  • 強引な副社長との政略結婚は甘すぎます   title33

    それから私は会社で瀬能さんを避けて生活をしていた。キッチンで夕飯の準備をしながら、私はいつも通り、翔太郎さんの帰りを待っていた。けれど、その静かな空気を切り裂くように、家の固定電話が突然鳴り出した。自宅の電話――そんなものがあったことすら、忘れていた。反射的に手を止めて振り向くと、鳴りやまない着信音に、私の心がざわついた。出てもいいのか、迷いながらも、何か急ぎの用かもしれないと受話器を手に取る。「はい、清水です」まだ聞き慣れない姓を名乗ることに、どこか照れを感じつつも、相手の声を待った。「……もしもし?」名乗っても返答のない無言に、間違い電話かと受話器を置こうとしたそのとき、不意に落ち着いた女性の声が響いた。『あなただれ?』その一言に、心臓がドクンと大きく脈打つ。しばらくの沈黙のあと、また声が続いた。『翔太郎の新しい女?』あまりに不躾な言葉に、怒りよりも先に、驚きが込み上げてきた。「……はい」自分でも驚くほど低くて冷たい声が出た。その瞬間、電話口からくすっと笑うような息遣いが伝わってくる。『へえ。まあ、いいわ。翔太郎は、誰にも本気にならない人だから。愛とか、好きとか、そういう感情が一番嫌いなの。知ってた?』まるで勝ち誇ったように言い放ったあと、女の声はさらに畳みかけてきた。『あなたに飽きたら、どうせまた私のところに戻ってくるわよ。……じゃあね』そう言い残して、一方的に電話は切られた。受話器の向こうに残ったのは、無機質な通話終了音だけ。私はその音を耳にしながら、呆然と受話器を見つめた。 ――なに?今の……。誰にも本気にならない?愛が嫌い?じゃあ、私はなんなの?問いの答えが見つからないまま、涙がポロポロとこぼれ落ちた。自分でも気づかなかった。翔太郎さんのことが、こんなにも大切になっていたことに。政略結婚――。それでも一緒にいたいと思っていたのは、私の気持ちだった。だけど、自分だけが好きで、相手には何もないなら――こんなにも苦しいことだったんだ。彼が「うまくやろう」と努力してくれていたのは、ただ形式を守るため。そこに“気持ち”なんて、最初からなかったのかもしれない。胸の奥がじわじわと沈んでいくようで、私は作りかけの夕飯を放り出したまま、自分の部屋へ逃げ込んだ。どれくらい時間が経ったのだろう。

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    目的地は、少し郊外にある落ち着いた雰囲気のレストランだった。暖色のライト、木製のテーブル、どこか懐かしい洋食の匂いが漂っている。「なんでも美味しいから」そう言って彼がメニューを広げるが、私の心は冷えたままだった。どれも美味しそうな料理が並んでいるはずなのに、視線はページを追いながらも、頭の中は警戒心でいっぱいで、味の想像すらできなかった。「子どもみたいな顔、してたのに」目の前からの軽口に、私は何も応えず、そっとメニューを閉じた。「……オムライスで」言葉も表情も、冷えきったまま。 「どうして俺じゃダメなの?」料理を待つ間、瀬能さんがそう問いかけてきた。私は無言でナプキンの端を指でつまみながら、ただ、彼の視線を避ける。「誰か、好きな人でもいる?」その言葉に、自然と翔太郎さんの顔が浮かんだ。気がつけば、私の心にはもうあの人しかいなかった。「……います」小さな声で、それだけははっきり答えた。「へえ。でも、そんな気持ち、今だけかもよ?」微笑んだままそう返された私は、ただ黙ってその言葉をやり過ごすことしかできなかった。そこへ、店員さんが静かにオムライスを置いていく。黄色い卵に真っ赤なケチャップ。でも、私の心は少しも動かなかった。スプーンに手を伸ばすことすら、躊躇われた。いつもなら、少しでも早く家に着きたくて、エレベーターの遅さに苛立つのに。今日は、できることならこの時間がもう少し続いてくれたらいいと、そんなふうに思っていた。そう考えているうちに、目の前にはもう、自宅の扉があった。深く息を吸い込んで、覚悟を決めるようにドアノブを握る。「優里香、おかえり。悪かったな。誰かと一緒だったから電話切ったんだろ?」いつもと逆――ラフなスウェットにタオルを肩にかけ、リラックスした表情の翔太郎さんが、笑顔で出迎えてくれた。その笑顔が、いつも以上にまぶしく見えて、私は思わず目を逸らし、パンプスのストラップに手をかけた。――そうだった。私が電話を切ったんじゃない。切られたんだった。瀬能さんに。「あっ、ただいまです……。今日は急にごめんなさい」どうにか、普通に声を出せた。ホッとしながら、私は続けた。「翔太郎さん、ご飯は? まだですよね? 何か、すぐに作りますね」できるだけ自然に、明るく微笑んでそう言うと、私はキッチンに向かって

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    実際、私は晃さんの連絡先を本当に知らない。常に翔太郎さんを通じてしか連絡を取ったことがないから、あながち完全な嘘というわけでもないかもしれない。なんとか一日を、適当に受け流しながら終えると、残業もそこそこに切り上げて会社を出た。今日はスーパーで買い物をして帰ることにする。――今日は、翔太郎さんの好きな肉じゃがと、焼き魚にしようかな。マンション下の高級スーパーはどうしても落ち着かなくて、私はいつも通り、庶民的なスーパーの棚を見て回る。お金持ちなのに、庶民的な食事を美味しそうに食べてくれる翔太郎さん。美味しそうなイサキを見つけて、「塩焼きにしよう」と思いながら、かごに入れる。そのとき、メッセージが届いた通知音が鳴り、私はスマホをタップした。【早く帰れそうだから、あと1時間ぐらい】少しだけ気持ちが落ち着いた。珍しく早く帰ってくる翔太郎さんの知らせに、私は嬉しくなって足早にスーパーを後にした。時計をチラリと見ると、あの連絡からもうすぐ1時間が経とうとしていた。お鍋の中の肉じゃがも、もうすぐ煮える頃。――間に合ってよかった。ほっと一息ついたそのとき、玄関から音がして、私はパタパタと駆け出した。「おかえりなさい!」少しネクタイを緩めながら家に入ってきた翔太郎さんの姿に、自然と顔が緩んでしまう。そんな自分の気持ちをごまかすように、私は小さく咳払いして、表情を真顔に戻した。「なんでだよ? そのまま笑ってろよ」そう言ってイジワルそうに微笑むと、翔太郎さんは私の後頭部をぐいっと引き寄せてキスをした。「んっ……ん!?」軽く触れるだけのおかえりなさいのキスだと思っていたのに、舌がするりと入り込んできて、私は驚いて目を見開いた。キスはどんどん深くなって、立っているのも難しくなり、私はぎゅっと翔太郎さんにしがみついた。そんな私に満足したのか、彼はゆっくりと唇を離し、私の目を覗き込んだ。「……ただいま」満足げに微笑みながらそう言った翔太郎さんに、私はきっと、顔を真っ赤にしてとろけきった情けない顔をしているに違いない。それを自覚しつつも、私は感情のままにギュッと抱きついた。「お帰りなさい……」「ご飯にする? お風呂? それとも……俺?」ふざけた口調で言う翔太郎さんに、私は「言いません!」とピシャリ言い捨て、くるりと背を向けてキッチンへ向

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