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第165話

Author: 藤崎 美咲
星乃がもうすぐUMEにいられなくなると思うと、千佳はまた少し手を抜いた。

一方、美優は遥生に会う計画を立てていた。

UMEに入ってからというもの、遥生はまるで彼女の存在を忘れたかのように、ほとんど相手にしてくれなかった。彼女が自分から話しかけても、差し入れを持って行っても、遥生はいつも冷たく断るばかりで、態度もどこかよそよそしい。

美優はネットで恋愛の攻略記事を読み漁った。

そこには、女から追う恋は簡単に見えるけど、ただひたすら追いかけてはいけない、と。

熱くなりすぎた後は、しばらく距離を置くこと。そうすることで相手はその存在に慣れ、いなくなると寂しさを感じて、大切に思うようになる、と。

だからこの一週間、美優は必死に自分を抑えて、遥生に連絡しないようにしていた。

とはいえ、そろそろ一週間が経つ。

彼女は少し考え、あと二日だけ様子を見ようと決めた。

星乃が遥生の前で失敗でもすれば、そのときこそ父に頼んで、遥生との仕事を手伝わせてもらおう。そして自分が「助け舟」を出してあげれば、遥生はきっと感謝して、自分を好きになってくれるに違いない。

そう思うと、美優は自分の賢さに思わず親指を立てた。

すでに彼女の頭の中では、遥生とデートを重ね、プロポーズされ、結婚式を挙げる未来まで出来上がっている。

遥生は悠真ほどの家柄ではないけれど、彼と結婚するなら、星乃のように悲惨な目には遭わないだろう。

実験室では、星乃がプログラムの処理をしていた。ふいにくしゃみが出た。

智央が窓の外に目をやると、空はもう真っ暗だ。「今日はここまでにしよ。残りは明日でいい」

その言葉で、星乃はやっと時計を見た。

すでに夜の十一時を回っていた。

彼女は無理をしなかった。

体調の悪いときに仕事を続けるのは、自分の身体を削るようなものだ。

どれだけ気持ちが前を向いていても、体が悲鳴を上げれば効率は一気に落ちる。

だから星乃は、よほどのことがない限り、無理をしても成果の上がらないやり方はしなかった。

星乃は手際よく片づけを終え、実験室を出る。

智央は、少しふらつく星乃の背中を見送りながら、ふと胸の奥が動くのを感じた。

――仕事中の星乃は、普段とはまるで別人だった。

いつもの彼女はおとなしくて自信がなさそうで、見た目が綺麗なこと以外、特に印象に残らないタイプだ。

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