LOGIN十年の恋、六年の結婚。誰もが、風間蓮司(かざま れんじ)が加藤天音(かとう あまね)を深く愛し、何よりも大切にしていると信じて疑わなかった。 しかし、夫の不倫相手が現れるまで、天音は気づかなかった。その「深い愛」が、結局は戯れに過ぎなかった。 五年にも及ぶ不倫、隠し子の誕生。蓮司は不倫相手を天音のすぐ傍に置きながらも、表向きは愛妻家として完璧な演技を貫いていた。 「天音を愛している、心から、誰よりも」と蓮司は口にした。しかし、果たしてそれが本当の愛と言えるのだろうか。 分厚い愛情の仮面を被り、蓮司は周囲の人間すべてを巻き込みながら芝居を続け、甘美な結婚生活の幻想を作り上げていた。 自ら育ててきた息子さえも、天音を欺く共犯者となっていた。 裏切った夫と子供、不倫相手と本物の家族のように振る舞う。 絶望した天音は、朧月機關への復帰を決意した。もうこんな滑稽で虚飾だらけの人生には一切別れを告げると。 一ヶ月後、天音は完全に姿を消し、二度と蓮司のもとに戻ることはなかった。 ― 蓮司は天音を深く愛していた。妻を失う恐怖が、二人の結婚生活に綻びを生じさせた。 自分ではすべてを隠し通せているつもりだった。二人の結婚は表向き幸せで、愛する妻が真実を知ることなどあり得ないと信じていた。 しかし、天音が彼の世界から完全に消え去ったとき、蓮司は自分の過ちがどれほど愚かだったかを思い知らされた。 蓮司は狂気に囚われた。 彼はすべてを捨て、山を越え、海を渡り、世界中の仏を拝みながら、ただ天音がもう一度だけ振り向いてくれることを願い続けた。 目を赤く腫らし、必死に懇願した。「もう一度愛してくれ――」 だが結局は、遅すぎた目覚めには、何の価値もなかった。 天音の傍らには、すでに新しい誰かがいた。そこに、蓮司とその子供の居場所は、もはやなかった。
View More部屋が薄暗く、要は天音の顔がよく見えなかった。ボタンを外そうとする天音の手を、要はそっと押さえた。口元には自然と笑みがこぼれる。天音がこんなに積極的なのが、嬉しくてたまらない。もし天音が、自分にすべてを打ち明けてくれたら、もっと嬉しいのに。要は天音の顎を持ち上げ、その唇にキスをした。墨の香りが彼女を包み込む。天音がキスを返そうとすると、要はその小さな顔を押さえた。「今日はもう遅い。早くお休み。な?俺は、やることがあるから」がっかりして手を下ろした天音を、要は抱き上げてベッドに寝かせた。要はいつものように天音に布団をかけると、ベッドサイドに座って背中を優しく叩き、寝かしつけようとした。しかし天音は、今夜はどうしても眠れそうになかった。天音は何とか目を閉じて、寝ようと試みる。でも、すぐに限界が来た。天音は要の手を払いのけ、くるりと寝返りをうって彼に背を向けた。要は、その子供っぽい態度がおかしくてたまらなかった。どうして急に、機嫌を損ねたんだろう?化粧をしたのに、可愛いって言わなかったからかな?さっきキスしたとき、口紅のべたっとした感触で、天音が口紅をしていることには気づいていた。要は天音の小さな頬に触れてみる。さっきは気づかなかったが、ファンデーションが塗られているのが分かった。要はその場から離れ、部屋を出た。そのことに、天音はますます腹を立てた。ベッドから起き上がり、バスルームに行って化粧を落とす。戻って横になろうとベットに倒れ込んだ瞬間、うめき声が聞こえた。どうやら、誰かを押し潰してしまったらしい。そんな驚く天音を温かい腕が抱きしめ、唇を塞ぐ。墨の香りと、ほんのり香る石鹸の匂い。天音は少しほっとしたが、それでも相手の胸を押しのけようとした。だって、それは要だったから。要は人の心を読むのに長けている。特に、天音のような単純な人は、要の相手ではなかった。ただ、何が原因で機嫌を損ねたのかは分からなかったが。天音は普段化粧をしないし、自分もしてほしくないと思っている。それなのに、急に……「用事があるんじゃなかったの?」そう言いながら天音が力を込めて要の胸を押し返す。「終わらせてきた」天音の機嫌を直す方が、今は大事だ。要は天音の小
「隊長の妻になるのは、この私だったはずなのに!どうして加藤さんなんですか?」要はその場で足を止め、ゆっくりと目線を落とす。澪の涙に濡れた顔には、これまで見せたことのない鋭い眼差しが宿っていた。要が冷酷にならないわけがない。要は、かつて死体の山から生還した男なのだから。要は感情のない声で尋ねた。「俺のことが好きなのか?」澪は驚いて要を見上げると、まるで希望を見出したかのように力強く頷いた。「俺が好きだから、俺の妻を殺そうとしたと?」要の無機質な声が更に冷たくなっていった。「君なんかが、生きていていいはずがない。人の命を軽んじるだけではなく、自分の人生さえも軽んじている」要は、自分は天音に危険しかもたらさない、と蓮司に言われたことをふと思い出した。要が歩き出すと、澪は声を上げながら地面に崩れ落ちた。「隊長!私が証人になります!木下部長が彼の息子を殺そうとしたことを証言しますから!」ああ、最後の希望もどうやらなくなったようだ。いや、違う。希望なんてとうの昔からなかったのだ。だって、要は天音のためなら、彼自身のキャリアを捨てることさえ厭わないのだから。これほどまでに、天音を愛している。そのことに気づいてはいた。ただ、悔しさがずっと邪魔をしていただけ。要は振り返ってはくれなかった。彼の怒りを表すかのような、ドアが乱暴に閉められる音だけが残った。澪は瀆職と殺人未遂の容疑で、暁によって検察に送還された。彼女は刑務所の中で、残りの人生を送るのだろう。要は庁舎を大股で出ると、運転手から鍵を受け取り、自ら運転席に乗り込んだ。そして、猛スピードで家へと車を飛ばす。廊下の明かりが彼の影を長く伸ばす。激しく上下する胸の呼吸に合わせて、その影もかすかに揺れていた。天音はパソコンデスクに突っ伏して眠っていた。スクリーンの光が天音に降り注ぎ、まるで守りのベールのように華奢な体を包み込んでいる。天音の部屋は薄暗かった。天音は夜に電気をつけるのが嫌いで、いつも闇の中に身を隠そうとする。まさにハッカーの性分とでも言うのだろう。要は天音のそばに歩み寄り、そっとその小さな顔に触れる。そこには涙の跡が残っていた。ノートパソコンの画面に写る写真に目をやると、マインスイーパシステムが、まだデータを分析し続けてい
要には、大智がかなりの努力を重ねてきたことが分かった。「おやすみ」要は立ち上がって部屋を出て行こうとした。大智が要を呼び止める。「遠藤おじさん、ありがとう」要はかすかに笑うと、大智のためにドアを閉めた。三階では、シャワーを終えた天音がデスクの前に座っていた。ノートパソコンの画面をぼんやりと見つめ、考え込んでいた。『マインスイーパ』はすでに起動し、英樹と恵梨香のツーショット写真の分析を続けていた。……要は香公館を出てると、庁舎へと車を走らせた。記者会見がもう終わり、スタッフが次々と帰っていく中、会議室だけはまだこうこうと明かりがついていた。要が会議室のドアを開けると、恐怖におびえる澪と目が合った。要は上座に座ると、冷めた表情を浮かべる。「隊長、本当に私じゃありません!」澪は要の足元に駆け寄り、すがるように跪いた。達也もかばうように言った。「隊長、野村さんは隊長に仕えて、もう5、6年になるんですよ。裏切るはずがありません。もしかしたら、前にいた特殊部隊隊員の誰かかもしれませんし」澪は要の手にしがみつき、充血した目で要を見上げ、必死に訴える。「私が隊長を裏切るなんて絶対にありません。あの時助けていただいた恩を仇で返すなんて、私は絶対にしません!」しかし、要は淡々と暁に視線を送った。暁は前に進み出て澪を引き離すと、手にしたファイルをデスクの上に置いた。「私のオフィスに入れるのは、あなたと山本さんだけですし、シュレッダーにかけた書類は、いつも私自身で後始末しています。そして、離婚届の一部がなくなったあの日、私のオフィスに来たのはあなただけでした」「何を根拠にそんなことが言えるですか!別に、あなたのオフィスに監視カメラがあるわけでもないのに!」澪が目を吊り上げて叫ぶ。「自分のミスで離婚届を流出させて大騒ぎになったからって、私に濡れ衣を着せるつもりですか?」暁は澪が逆ギレするとは思わず、何だかとても気分が冷めた。「廊下には監視カメラがあるんですよ、野村さん」澪は一瞬固まったが、すぐに言い返した。「入ったからって、私が盗んだ証拠にはならないでしょ?」「話にならないですね」暁はため息をつくと、携帯を取り出してある録音を再生した。それは、とても長い録音だった。澪が要の元に戻ってきてからの、全
天音の手を、要が握ってくれた。要は天音の耳元でささやいた。「この女が俺にちょっかいを出してきたんだ」その言い方は、まるで告げ口をしているかのようだった。天音はきょとんとして言った。「ただのナンパでしょ?ただあなたの連絡先が聞きたかっただけで、別にあなたを取って食おうってわけじゃないじゃない」「彼女は、君を不愉快にさせた」要はスーツを脱ぐと、そばにあったゴミ箱に投げ入れた。この間、智子と少し話しただけで、天音に見捨てられそうになったことを要は忘れていなかった。「そんなことないわ。ただ、あなたが既婚者だって知らなかっただけよ」天音はゴミ箱のスーツをちらりと見た。どういうわけか、要のその行動に胸がじんと熱くなるのを感じた。「彼女を放してあげて」要が特殊部隊の隊員に視線を送ると、隊員はすぐに女性の手を離し、丁寧に詫びの言葉を述べた。「指輪をしておくべきだったな」要はふっと小さくため息をついた。そして、ふと視線を下げると事情がのみ込めずにいる天音のまなざしとぶつかった。「ナンパ?君もよくナンパされて、連絡先を聞かれたりするのか?」要は天音を抱き寄せ歩きながら、耳元でささやいた。何だかくすぐったい。天音は耳元のおくれ毛をかきあげ、顔を赤らめた。「そんなにしょっちゅうってわけじゃないわ」「言い寄ってきている男は何人いるんだ?」要は食い下がった。彼が知っているのは龍一一人だけだったから。「龍一の他にも、誰かいるのか?」「いるわけないでしょ?だって、私はあなたの妻なのよ、誰がそんなことするっていうの?」「知っている人間は少ない」要は呟くように言った。ネットで拡散された写真も、ぼやけた横顔だけだったし。しかし、天音は聞き取れなかったようだ。「え、何?」要は天音の顔を両手で包み込み、真剣な眼差しで言った。「君が俺の妻だと知っている人間は、ほとんどいないんだ。だから、もし君に言い寄ってくる奴がいたら、必ず断るんだぞ」天音はまつ毛を小さく震わせた。要の真剣な眼差しに、胸がどきりと高鳴り、痺れるような感覚に襲われる。「もう、本当に」天音はそう呟きながらも、心の中では別のことを考えていた。もしA国のY市にいる、あの心臓外科の専門医が……もし、突然帰ってきたら……でも大丈夫。要はこん
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