悪役令嬢は愛する人を癒す異能(やまい)から抜け出せない

悪役令嬢は愛する人を癒す異能(やまい)から抜け出せない

last updateLast Updated : 2025-09-30
By:  天田れおぽんCompleted
Language: Japanese
goodnovel12goodnovel
Not enough ratings
102Chapters
785views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

 貴方を癒すのは私。  では私を癒してくれるのは、誰?  悪役令嬢 × 異能 × 西洋風ロマンスファンタジー ここに開幕!  ミカエラ・ラングヒル伯爵令嬢は王太子アイゼルの婚約者であり、『愛する人を守る』という異能を持っていた。  アイゼルが受けた危害はミカエラが代わりとなってその身に受ける。高い治癒能力があるので死ぬことはないが、壮絶な痛みを受けて苦しむことになる能力だ。  そんなミカエラに浴びせられる言葉は、可愛げが無い、不気味、悪役令嬢。  一方アイゼルは冷たい態度をとりながらもミカエラを愛していて、愛するゆえに手放せず苦しむ。  アイゼルとミカエラの気持ちはすれ違うが、異能は止まらない――――

View More

Chapter 1

第1話 悪役令嬢を救いに来た王子さま

二宮綾(にのみや あや)と碓氷誠也(うすい せいや)は5年間婚姻関係を続けたが、これまで夫婦の営みがあっても愛情の云々とは全く無関係なものだった。

いや、正しくは、綾が誠也に抱く感情は、微塵も表に出さないよう、完璧に隠されていた。

大晦日の夜、華やかな北城は一面の銀世界で、街の至る所で賑わいを見せていた。

しかし、広大な南渓館には、綾ただ一人だった。

自分で素麺を作ったものの、一口も手をつけなかった。

ダイニングテーブルに置かれたスマホには、インスタのある投稿が表示されていた――

画面の中の男の手は骨ばっていてすらりとしており、その手で大きなダイヤモンドを拾い上げ、女性の細い薬指に滑り込ませた。

そして、女性のこびるような甘い声が響く。「碓氷さん、これからよろしくね」

綾は、動画の中の男性の腕時計に釘付けになった。世界限定モデルという、紛れもないステータスシンボル。彼女の胸に、酸っぱいものがこみ上げてきた。

動画は停止しているのに、綾は指を画面から離すことができなかった。まるで自虐行為のように、何度も何度も動画を確認するしかなかった。

半年前、あの女性からラインの友達申請が来たのだ。

それ以来、彼女のインスタで自分の夫の姿を見かけることが多くなった。

周りには婚姻関係を隠し続ける結婚生活を5年間続けているが、彼女は今日初めて、夫にもこんなに優しくロマンチックで、細やかな一面があることを知った。

先ほどまで湯気を立てていた素麺は、すっかり冷めてしまっていた。

もう食べられないのに、綾は箸を手に取り、麺を持ち上げた。しかし、まるで力が抜けたように麺を挟むことさえできなかった。

まるで、このどうしようもない結婚のよう。もうこれ以上、深入りすべきではないのだ。

綾は目を閉じ、涙をこぼした。そして彼女は立ち上がり、寝室に戻って洗面を済ませ、電気を消してベッドに横たわった。

夜が更けた。暖房の効いた寝室に、服を脱ぐ音がかすかに響いた。

大きなベッドの上で、綾は横向きに寝ていた。

誠也が帰って来たことは分かっていたが、綾は目を閉じたまま、眠っているふりをした。

横のベッドが大きく沈んだ。

そして、大きな体が綾の上に覆いかぶさってきた。

綾は眉間にシワを寄せた。

次の瞬間、ネグリジェが捲り上げられ、温かく乾いた手が触れてきた......

綾はハッとして、目を見開いた。

男の精悍な顔立ちが、すぐ目の前にある。高い鼻梁には、いつもの細い銀縁眼鏡がかかっている。

枕元の小さなナイトランプの温かみのあるオレンジ色の光が、眼鏡のレンズに反射していた。

レンズの奥の男の切れ長の瞳には、欲望が宿っている。

「どうして急に帰って来たの?」

綾の声は生まれつき柔らかく優しい。

男は目の周りを赤らめている彼女を見つめ、黒い眉を少し吊り上げながら言った。「歓迎してくれないのか?」

綾は男の黒曜石のような瞳を真っ直ぐに見つめ、静かに説明した。「いいえ、ただ少し驚いただけ」

男のすらりとした指先は温かく乾いていて、綾の白く透き通った頬を優しく撫でた。暗い瞳はより一層暗さを増し、低くて艶のある声が響いた。「俺の眼鏡、外して」

綾は眉をひそめた。

指先で頬を撫でられながら、何年も想いを寄せてきたこの顔を見つめていると、さっきインスタで見た動画が頭に浮かんだ......

いつもは彼の気分を害さないようにしていた綾だが、初めて冷たい顔で「具合が悪いの」と彼を拒んだ。

「生理か?」

「ううん、ただ......」

「それなら、水を差すな」

彼は低い声で冷たく綾の言葉を遮った。深い瞳は、まるで深い夜の闇のようだ。

綾は、彼がこのままでは済まさないことを知っていた。

この結婚において、綾はずっと、卑屈なほどに誠也に合わせてきた。

胸が締め付けられるような痛みを感じ、綾の目には涙が浮かんだ。

眼鏡は男にナイトテーブルに放り投げられ、大きな手で綾の華奢な足首を掴まれた......

枕元のオレンジ色のランプが消えた。

寝室は暗闇に包まれた。

全ての感覚が研ぎ澄まされていく。

一ヶ月ぶりの誠也は、恐ろしいほどに強引だった。

綾は抵抗したが無駄だった。最後は歯を食いしばって耐えるしかなかった......

窓の外では雪がどんどん激しくなり、冷たい風が吹き荒れていた。

どれくらい時間が経っただろうか。綾は全身汗びっしょりになっていた。

下腹部に軽い違和感があった。

遅れている生理のことを思い出し、綾は口を開いた。「誠也、私......」

しかし、男は綾が集中していないことが気に入らないようで、さらに激しく動き始めた。

綾のかすかな声は、男の荒々しいキスに何度もかき消された......

全てが終わった時、まだ夜は明けていなかった。

綾は疲れ果てて意識が朦朧としていた。お腹が鈍く痛む。激しい痛みではないが、無視できるものでもなかった。

スマホの着信音を聞き、綾は意識を奮い立たせて目を開けた。

ぼんやりとした視界の中で、男が窓辺に歩いて行き、電話に出るのを見た。

部屋の中は静まり返っており、電話の向こうからかすかに聞こえてくる甘えた声が耳に入った。

男は電話の相手に優しく声をかけ続けているが、隣で眠る妻のことなど気にも留めていないようだ.

しばらくすると、階下から車の音が聞こえてきた。

誠也が出て行った。

-

翌朝目が覚めると、隣は相変わらず冷たかった。

綾は寝返りを打ち、下腹部を優しく撫でた。

もう痛くない。

スマホの着信音が鳴った。相手は、誠也の母、佐藤佳乃(さとう よしの)だった。

「すぐに来なさい」冷たく強い口調で、拒否は許されないようだった。

綾は淡々と返事をした。

佳乃は電話を切った。

こんな周りにひた隠しにする婚姻関係を5年間続けてきたわけだが、佳乃はずっと綾に冷たくしていた。綾もそういうのには慣れていた。

何しろ碓氷家は北城四大名家の筆頭であり、綾は二宮家の生まれとはいえ、寵愛を受けない捨て子同然だったのだ。

綾と誠也の結婚は、ある取引から始まったものだった。

5年前、母が家庭内暴力から身を守ろうと過剰防衛をした結果、父を死なせてしまった。それに対して、弟は祖母と二宮家全員と手を組み、母を告訴して死刑を求めようとしたのだ。

母の実家である入江家も北城の名家だったが、事件後すぐに母との縁を切った。

綾は母のために上訴しようとしたが、二宮家と入江家から追い込まれ、窮地に陥った。そんな時、恩師が頼みの綱として誠也を紹介してくれたのだ。

権力の面から見ても、碓氷家は、入江家と二宮家が手を組んでも揺るがすことができないほどの勢力を持っていた。

加えて、誠也はこれまで担当した裁判で一度も敗訴したことがなかったのだから、法律的にも優位に立っていた。

おかげで、誠也は最終的に母に懲役5年という判決を勝ち取ってくれた。そして、約束通り、綾と誠也は周りに公表しないことを前提とした、婚姻関係を結ぶこととなった。

誠也の話によると、養子の碓氷悠人(うすい ゆうと)の両親は事故で亡くなったそうだ。

そして、誠也は悠人の父と親友だったため、まだ赤ん坊だった悠人を引き取ったのだ。

あれから5年。あと1ヶ月で、母は出所する。

この結婚は最初から、お互いの利害が一致した取引だった。綾は損をしているわけではない。

しかし、愛情のない、いつ終わるかも分からないこの結婚生活の中で、綾は密かに誠也を愛してしまったのだ。

綾は考えを巡らせるのをやめ、立ち上がって浴室へと向かった。

シャワーを浴びていると、またお腹に違和感を感じた。

心の不安が再びこみ上げてくる。

綾と誠也は毎回避妊をしていた。唯一の例外は、1ヶ月前、誠也が酔っ払っていたあの夜......

翌日、綾はアフターピルを飲んだが、それでも妊娠してしまう可能性はゼロではなかった。

念のため、碓氷家に向かう途中、綾は薬局に車を停め、妊娠検査薬を買った。
Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters

Comments

No Comments
102 Chapters
第1話 悪役令嬢を救いに来た王子さま
(助けてっ! 誰か助けて!) 猿ぐつわを嵌められて暗い部屋の床に転がされているミカエラは、声を出せないまま心の底から願った。  此処が何処なのかも分からない。  夜会会場から誘拐されたミカエラは、長い黒髪をハーフアップに整えて華やかな金色のドレスを着ている。  ドレスが華やかな分、床に転がされている現状が余計に惨めで残酷だとミカエラは感じた。(あぁ、わたくしは王太子の婚約者だというのに誰も助けにきてくれないの? わたくしが悪役令嬢だから? でもわたくしが殺されれば困るのは、婚約者であるアイゼルさまなのに……護衛は何をしているのかしら?) その時だ。  心細さに震えるミカエラの耳に、ガシャンという派手な音が響いた。  ミカエラを閉じ込めていた部屋の扉が粉々に砕け飛び散る。   (眩しい!) いきなりまばゆい光が室内へ押し寄せるように差し込む。  目もくらむような眩しい光の中には、金色の髪をなびかせるアイゼルの姿があった。   (なぜアイゼルさまが⁉) 混乱するミカエラを、青い目がとらえる。  彼女を見たアイゼルは一瞬だけ痛ましげに表情を歪めると、キュッと口元を引き締めた。「もう大丈夫だ。安心して」 アイゼルは彼女の傍らに跪くと、ミカエラの口元から猿ぐつわを外した。  自由になった口で、ミカエラは疑問を言葉にする。「アイゼルさま……なぜ、此処へ?」 アイゼルはミカエラの拘束を解いて助け起こしながら、どうということはないといった調子で平然と言う。「愛する君が消えたんだ。必死になって探すに決まっているだろ?」 「……え?」 ミカエラは呆然と、少し怒っているような、拗ねているような様子のアイゼルを見つめた。   (愛する君⁉ アイゼルさまが、愛する君? え?……それは本当に、わたくしのことですか?) 助け起こされながらも、ミカエラがそう思うのも無理はない。 可愛げが無い、不気味、無能。  そして悪役令嬢。  それがミカエラの評判だ。  婚約者であるアイゼルも、その評判を肯定するかのように、ミカエラへ冷たく当たった。(アイゼルさまは、変な呪いにでもかかっているのでは?) ミカエラがそう思ってしまうほど、アイゼルの彼女に対する態度は酷かった。  だがアイゼルにも事情がある。「そこまでポカンとした表情をされると
last updateLast Updated : 2025-06-04
Read more
第2話 異能の令嬢
 茶色の髪と瞳で生まれる子供が多いラングヒル伯爵家では、たまに黒髪黒目の娘が生まれる。  そしてラングヒル伯爵家の黒髪黒目の娘は、王家に嫁ぐのが習わしだ。  だがなぜかその理由について、ラングヒル伯爵家の者が知ることはない。  さらに言えば、まるで生贄のように差し出された娘がどうなったのかについても興味を持つことはない。  まるで家系図から切り離されたかのように忘れ去られるのだ。 黒髪黒目で生まれたミカエラ・ラングヒル伯爵令嬢の未来は、生まれ落ちたその日から決められていた。  ラングヒル伯爵家の黒髪黒目の令嬢は『愛する人を癒す異能』を持っている。  しかし愛する人を守ることのできるその特殊な異能が、令嬢を幸せにするとは限らない。 今から10年前。  王太子アイゼルが12歳の時に、高位貴族の令嬢たちが集められた。  そこには何故か、伯爵家のミカエラも呼ばれたのだ。  大人たちは知っていた。  そのお茶会が、王太子の婚約者を探すためのものであることを。 だがミカエラは全く気付いてはいなかった。  その時、彼女は8歳。  まだ世の中に憂いというものがあるという事すら、知らない年頃のことである。  2人の姉と共に可愛らしいドレスを着せられて、華やかな場所に連れて来られた彼女は無邪気に楽しんでいた。「きれいっ。とってもきれいっ!」 よく晴れたうららかな日。  花は咲き乱れ、日差しはたっぷりと降り注ぎ、ミカエラの心に憂いはなかった。  花咲き乱れる庭園に、華やかなテーブルセッティング、そこに並べられた彩りも鮮やかな可愛らしいお菓子たち。「うふ。かわいい。絵本みたい」 お伽噺のような空間に、ミカエラの心は踊った。 春から夏に向かっていく季節は、いつも希望に満ちている。  初めて見る高位貴族のご令嬢たちは、美しく可愛らしい。  お人形のように完璧に着飾り、淑女のような所作をとる。  現実とは思えないほど素晴らしく、そこに混ざっている自分に違和感を感じるほどだった。  しかし、ミカエラは、わずか8歳。  深く考えることはなかった。 見ているだけでも楽しいお茶会に浮かれて、踊りだしそうな気分でいたのだ。 周りの大人たちは伯爵令嬢ではあるものの、力があるわけでも、お金があるわけでもない家柄の娘が混ざっていることを不思議に思って
last updateLast Updated : 2025-06-04
Read more
第3話 苦しみ
 苦しい! 苦しい! 苦しい! ミカエラは、赤いネグリジェに包まれた細い体を絞り上げるようにしてベッドの上で身悶えていた。  動きに合わせて引き攣れる深紅のシーツの上を光沢がうねうねと這っていく。 白過ぎる肌は血の気を無くし蝋のようだ。  彼女がのたうつたびに真っ黒な長い髪が深紅のシーツに散らばる。  いくつかの束に分かれて動く黒髪は、蝋燭の灯りに照らされて何匹ものヘビが絡み合っているようにも見えた。  骨と皮のような指が、喉を掻きむしる。  細すぎる首に爪の先が食い込んでいくのを、ベッドの脇に立つ侍女は冷たい瞳で見下ろしていた。「グッ……ゲホゲホ……ゲボッ」 「もう、汚いっ! いい加減、吐くかどうかくらい自分で分かるでしょ⁉ ちゃんとしてよねっ!」 いかにも汚いモノを見るような表情を浮かべた侍女ルディアは、おう吐物にまみれたミカエラを憎々しげに睨む。  ルディアにしてみれば、侍女として仕える身であるとはいえ伯爵家の令嬢たる自分が汚物処理をしなければならないことに納得できていないのだ。  相手が王太子の婚約者であり、未来の王妃、国母になる女性であったとしても、それは変わらない。「ごっ……ごめんなさ……ゲボッ」 「あぁっ! またっ⁉」 ミカエラがおう吐し、深紅のシーツが汚物にまみれ汚れる。  血と消化途中の食べ物、胃の分泌液にまみれたおう吐物は、とんでもなく臭った。  豪奢な部屋の中に、おう吐物の臭いが充満していく。  侍女の顔は更に醜く歪み、眉間のシワは深くなった。「グッ……ぁあ……ゲホゲホ……」 細い体をのたうち回らせて苦しむミカエラに寄り添う者は、そこに居ない。  王宮内に用意された未来の王妃の部屋だというのに、華やかさはトゲトゲしさに化けるばかりで安寧を感じるには程遠い場所となっていた。「苦しそうにしてたって、朝にはケロッと治っちゃうんだから。ホント便利な体よね」 「ゲボッ」 「だからっ。汚さないでって!」 イライラとした声を出す侍女の隣で、白衣を着た老人は溜息を吐く。「いつもの事だ。ルディア。キミも少しは慣れておきなさい」 「嫌なことを言わないで下さいよ、先生」 ルディアは眉根を寄せて顔をしかめた。「王太子は狙われるものだ。王になればなおのこと。減ることはない。その被害を身代わりに引き受けるミカエラ
last updateLast Updated : 2025-06-04
Read more
第4話 ミカエラ
 午後に予定されている王妃教育を受けるために王宮の廊下を歩くミカエラが、ふと庭園に目をやった時の事だ。 自分の婚約者であるはずの男性に、女性が群がっているのが見えた。(また、ですの?) ミカエラは、そっと溜息を吐いた。 その美しい黒い瞳に婚約者アイゼルの姿を映したからだ。 彼女の婚約者である第一王子で王太子アイゼルは22歳。 母親は王妃。 正妃である王妃セレーナに男子は1人しかいない。 アイゼルを王太子たらしめる理由は他に必要なかった。(王太子として揺らがぬ地位をお持ちのアイゼルさまですから、令嬢たちが群がるのも分かります。アイゼルさまは、スラリと背が高くて青い瞳にきらめく金髪。整った顔立ちですけど女性的というわけでもない。モテるのは分かりますけど……) 男性優位の国にあって侮られない程度の筋肉と威圧的な雰囲気を持った青年だ。 心技体、全てにおいて優れた男性。 しかしアイゼルにも弱点はある。(そもそもアイゼルさまは女性好きなのよね) 男性優位の貴族社会において、それすらも絶対的な弱点とは言い難い。 だがミカエラの心をえぐるには、十分過ぎるほどの特徴であった。(もうっ。わたくしが一生懸命に勉強しても、異能で守っていても、本人は歯牙にもかけないなのだからムカつきますわ) 薔薇の花が咲き乱れる庭園では、女性たちに囲まれた美丈夫が、降り注ぐ太陽の日差しを浴びて金髪を煌かせながら笑っている。 無邪気さを感じさせるほど明るい輝く笑顔は、しばし公務を離れた男性が癒されている証に見えた。(あのような笑顔。わたくしには見せて下さらないわ) ミカエラの胸はツキンと痛んだ。 思わず目を背ける。 いつものことであっても、この痛みに慣れることはない。 いっそ何も感じなければとも思う。 だがミカエラの心はアイゼルのもとにあるのだ。 異能が教えてくれている。 知りたくもない自分の心のある先を感じながら、彼女はいつ
last updateLast Updated : 2025-06-09
Read more
第5話 神殿
 朝。 ミカエラの姿は白亜の神殿にあった。 爽やかな朝早い時間に祈りを捧げることは彼女の日課だ。 王国では王家に並ぶほど神殿の力が強い。 神殿で祈りを捧げることは、ミカエラに課せられた義務のひとつだ。(神殿で祈りを捧げると気持ちが落ち着くわ) ミカエラにとっては義務ではあるが、神殿で祈ることは嫌いでない。 周囲には彼女を取り巻くようにして神官たちが祈りを捧げている。 跪き熱心に祈りを捧げていたミカエラは、巨大な女神像を見上げた。 白く巨大な石像は、穏やかな慈愛に満ちた笑みを浮かべてミカエラを見下ろしている。(女神さま。わたくしをお救いください。そして道をお示しください) ミカエラは立ち上がると、隣で同じように立ち上がったエド神官へ話しかけた。「一緒に祈りを捧げて頂いて、ありがとうございます」「いえいえ、ミカエラさま。貴女のために祈ることができるのは、我々にとっても幸せなことです」 エド神官は、七色に輝く不思議な瞳をキラキラさせながら言った。 彼は虹色に輝く不思議な髪と瞳を持っている。 虹色の髪と瞳は見た目も美しいが、それだけではない。  この王国では【守護精霊】というものが信じられている。 【守護精霊】はキラキラと輝く光として現れ、様々な色を持っているとされていた。 色により守護してもらえることが違う。 エド神官の七色に輝く髪と瞳は、全ての守護精霊の色が入っているとされる色だ。(天使というものがいるのなら、まさにエド神官のような存在なのではないかしら) その美しい笑顔を眺めながら、ぼんやりとミカエラは思う。「此処は、いつ来ても落ち着く場所ですわ」 ミカエラは心から言った。 神殿は虚飾に満ちた王宮とは違う。 太い柱が何本も立ち並び、所々に彫刻の程された白亜の建物は質素というわけでもないが、 かといって虚栄に満ちているわけでもない。 神のための場所は、どこまでも厳かで尊く、高い精神性を感じさせる
last updateLast Updated : 2025-06-10
Read more
第6話 棘だらけの日常
(遅くなったわ……今夜も夕食は、お部屋で軽食かしら?) ミカエラは、王宮内の薄暗い廊下を自室へ向かって歩いていた。  彼女の後ろには護衛がいつも付いている。  一応は、王太子の婚約者であるからだ。  外から見たらミカエラは護られている。  でも真の意味で護られているとは、彼女自身は思っていなかった。(護衛よりも、わたくしのほうが体を張っているわね) そんな風に思って1人、自分を嗤う。  だからといって、誰かに何か言いたいことがあるわけでもない。(これは運命であり役目。わたくしの力で変えることはできないし、他の誰かに変えることができるわけでもない。仕方ないのよ) そのくらいのことはミカエラにも分かっていたが、今はとにかく疲れていた。  早く眠りたかった。  なるべく平穏な夜を迎えたかった。 ミカエラの眉がピクリと動く。    今夜も彼女の願いは叶いそうにない。  向かいから王妃が歩いてきたからだ。 王妃セレーナは足を止め、その美しい青い瞳を未来の嫁に向けた。  息子と同じく輝く金髪を高く結い上げ、青い瞳とよく似た色のドレスを身に纏う姿は一分の隙もない。  大きく開いた襟元には、白い肌に映える金と真珠で出来たネックレスが輝いていた。「あら、あなた。まだこんなところにいらっしゃるの?」 「はい。座学が終わったところです」 ミカエラの言った内容など意に介さない様子の王妃は冷たく言う。「もう夕食の時間よ? まだ着替えてもいないのね」 「はい……」 「ワタクシたちは食堂で、貴女を待たなければならないのかしら?」(わたくしの席など用意されていないのに……) 王妃の嫌味な言葉に言い返したいところであるが、ミカエラは無駄なことなどしない主義だ。「いえ、わたくしは自室で食事を摂らせて頂きます」 「あら。そうなの。ではまたね。陛下を待たせるわけにはいきませんから」 「はい。いってらっしゃいませ」
last updateLast Updated : 2025-06-11
Read more
第7話 ラングヒル伯爵家
 春も終わりに近い時期は、夜になっても暖かい。 ラングヒル伯爵家の屋敷は、貴族の邸宅としては一般的なものである。 特別広くもなく、豪華でもない。 ごくごく普通の伯爵家では、夕食後はラウンジに家族みんなで集まり、語り合うのが習慣化している。 もちろん、そこにミカエラの姿はない。「ミカエラは上手くやってるのだろうか?」「うふふ。お父さま、ミカエラに多くを求めるのは酷ですわ」 金に近い茶色の髪を持つ当主、イアン・ラングヒル伯爵の嘆きに、長女であるイザベラが赤っぽい茶色の目をおかしそうに歪めて答えた。 ラングヒル伯爵家のラウンジでは、ミカエラへの悪口大会が開かれていた。 毎日の恒例となっているため、疑問に思う家族は誰一人としていない。 話題としてはミカエラのことが多くとりあげられ、その内容は彼女への不満と蔑みだった。「そうよ、お父さま。ミカエラお姉さまは、そこまで賢くはありませんわ」「確かに。あの子は賢いというタイプではないわね」 次女ケイトの言葉に、母親であるキャシーは相槌を打った。「だったら、なんで王太子殿下の婚約者になんてなれたの?」「それは、クリス。立ち回りが上手だった、ということだよ」 長男は弟に分かりやすく伝えた。 だが長女は長男の言葉にフフフと笑う。「カイル兄さま。ミカエラは立ち回りも上手には見えないわ。あの子が立ち回り上手だなんて褒めたら、他の優秀なご令嬢方に私が文句を言われてしまいます」「それは大変だね、イザベラ」 柔らかな笑みを長女へと向ける長兄に、次女は甘えるように訴える。「私もですわ、カイルお兄さま。ただでさえミカエラお姉さまのせいで、高位貴族のお姉さま方から私はイジメられていますのに……」「ああ、可哀想にケイト」 長男が妹へ同情の視線を向けると、母も労わるように言う。「私の可愛いケイト。貴女がそんな辛い目に遭っているなんて」「お兄さま、お母さま。大丈夫ですわ。私は耐えてみせます
last updateLast Updated : 2025-06-13
Read more
第8話 王太子アイゼル
 よく晴れた初夏に近い春の日。 今日は王妃主催のお茶会が行われる。 庭に繰り出す前のアイゼルは、王宮内にあるサロンの豪奢な室内に貴族令嬢たちを侍らせながら、幼馴染たちと戯れていた。「そう? 私って美しいかな?」 第一王子にして王太子であるアイゼル・イグムハットは小首を傾げて、ソファの隣に座る公爵令嬢を覗き込んだ。 金髪に縁取られた、いかにも王子然とした整った顔。 男らしくも美しい澄んだ青い瞳に覗き込まれた令嬢は、白い肌をピンクに染めてうっとりとした溜息を吐いた。 そんなアイゼルに、薄茶色の髪と瞳の細身の青年が呆れながら話しかける。「身長188センチもある大男が、小首かしげた程度で可愛くなれるはずがないでしょうよ」「イエガー・ポワゾン伯爵令息。幼馴染とはいえその言い方は、不敬ではないかな?」 にこやかなアイゼルに突っ込み返されて、イエガーはニコリと人好きのする笑みを浮かべた。 髪や瞳は地味な色合いをしているが、イエガーは整った女性的な顔をしている。 柔らかな笑みを浮かべた青年の男性とは思えない美しさに、令嬢や令息からうっとりとした溜息が漏れた。 イエガーの隣で、浅黒い肌をした男が溜息を吐く。「いつになったら王太子としての貫禄が出てくるんだ、アイゼル。お前は貴族じゃなくて王族なんだ。見た目の美しさをアピールするとか、軟弱すぎる」「ふふ。お前は堅すぎだよ、レクター」 レクターは護衛騎士をしている男である。 短い黒髪に鋭い眼光を放つ目には黒い瞳。 二メートル近い高身長な上に厚みのある筋肉を浅黒い肌で覆っている、貴族にしては男臭いタイプだ。 令嬢や令息からは怖がられているのと同時に頼られる存在である。「俺は護衛騎士だから、堅すぎるくらいでちょうどいい」 レクターらしい返事にアイゼルはふふふと笑った。 アイゼルは、逞しい護衛騎士の隣にいても女性的には見えない程度の体格はしていた。 対してイエガーは他のふたりに比べて身長も低く、筋肉もついてはいない。 アイゼルは機嫌よくにこやかに言う。「私たちは同い年の22歳。しかも皆、独身だ。楽しもうじゃないか」 アイゼルとイエガー、そしてレクターの3人は、立場は違えど幼馴染だ。 とはいえ令嬢たちに囲まれて浮かれてもいい者ばかりではない。「あなたには婚約者がいらっしゃるでしょ、アイゼル王
last updateLast Updated : 2025-06-17
Read more
第9話 襲撃
 サロンを出た王太子一行は、お茶会が開かれている庭園を目指した。 庭園は王宮と繋がっている。 外廊下を出たなら、すぐに美しい花々が見られる趣向だ。 周囲を建物に囲まれて中央に位置する庭園は、王族や貴族たちにとっての憩いの場であり、警備も万全の安全な場所と言えた。 美しく安全な憩いの場だからこそ、王妃主催のお茶会がガゼボで行われ、そこに王太子の婚約者であるミカエラや王太子本人が会しても問題がないと許可が出されたのだ。 だが――――。「危ないっ!」 最初に声を上げたのはイエガーだった。「「「「「キャー―――ッ!」」」」」 令嬢たちの悲鳴が背後で上がる。 目前の護衛が突然剣を抜き、アイゼル目がけて飛びかかってきたのだ。 寸前で身を躱すアイゼル、間に割って入るイエガー。 アイゼルは令嬢たちを守るように、その前に立っていた。 レクターは素早く駆け寄り、襲撃者となった護衛の前に立ち塞がる。「どういうことだっ!」 レクターは低くて太い声で、威嚇するように怒号を上げる。 しかし非番の彼は武器を携帯してはいなかった。 一瞬怯んだ襲撃者は、次には馬鹿にしたような表情を浮かべて、黙って剣を構え直した。 背後に付いていた護衛がアイゼルを捉えようと手を伸ばす。 イエガーはその手を振り払い、殴りかかった。 が、体格の良い襲撃者相手との戦いは小柄なイエガーにとって圧倒的不利であり、伸ばされる手を防ぐ程度の効果しかない。 体格で劣るイエガーの反撃は易々と躱される。 襲撃者たちに諦める様子はなかった。「私を王太子アイゼル・イグムハットと、知った上の狼藉かっ?」 護衛から一転、襲撃者に代わった男の手を逃れたアイゼルが問う。「「「……」」」 だが、こちらに向かってくる元護衛たちは無言だ。 言葉を発することなく、鋭く光る切っ先をこちらに向けて迫って来る。 騒ぎを聞きつけて他の護衛騎士たちも駆けつけてくるに違いない。 それが分かっていて襲ってくるということは、彼らは捨て身の襲撃者なのだ。 命を捨てる覚悟を持った者たちに襲われたなら、腕っぷしの強さに関係なく油断は禁物。 アイゼルたちからは、ついさっきまでの浮かれた気分は一気に吹き飛んでいた。「殿下の命をお守りしろっ」 イエガーは叫ぶが早いかレクターの背後から飛び出した。 小柄な体を活かして
last updateLast Updated : 2025-06-18
Read more
第10話 異能
 襲撃から少し前。 庭園のガゼボで、ミカエラは美しいカーテシーを披露していた。「お招きに預かり、ありがとうございます」 「まぁ、ミカエラ。いらっしゃい。今日も華やかなドレスね。お庭のお花も霞んでしまいそう」 王妃は、ふふふ、と、笑う。「……」 美しい淑女である王妃は、嫌味すら優雅にこなしてしまう。 今日のミカエラのドレスは深紅の地に赤いフリル、そこに金の刺繍を施したものだ。 ウエストにはドレスよりも一段濃い色の生地を使った太目のベルト。 背中側には大きなリボンが付いている。 スカートのボリュームは抑えてあるものの、デザインとしてガーデンパーティーに相応しいかどうかは謎である。 暖かくなってきた時期の日中。 庭には日差しがたっぷりと降り注ぎ、花々は輝いている。 ガゼボでのお茶会に、しっかりとした長袖の深紅のドレスは暑苦しいかもしれない。(わたくしだって、こんなドレスで来たくはなかったわ) にも関わらずミカエラが深紅のドレスを選んだ理由を、王妃は知っている。 ミカエラの体は王太子アイゼルを守るために、いつ血を流すか分からないのだ。(アイゼルさまが傷付けば、身代わりとして血を流すのはわたくし。それを目立たなくするための赤いドレスなのに) 万が一の時に目立たなくするための工夫に、嫌味を言われる理由などない。 それでも王妃がミカエラに対して嫌味を言うのは、他の貴族たちへ見せつけるためだ。 ミカエラが非常識なだけで、自分には関係がないのだと。 無関係だというアリバイ作りの為のやり取りだ。(今に始まったことではないし。いちいち気にしていたら、わたくしの身が持たないわ) とはいえ全く気にしないでいるというのは無理だ。 他の貴族令嬢やご夫人方は、生成りにレースのドレスだったり、白と青のストライプのドレスだったり、白地に花柄のドレスだったりと華やかながらも爽やかな装いをしている。 この時期に着るべきものとしては、そちらのほうが適切だと、ミカエラも知っていた。(私が淡い色のドレスを着られない理由を、王妃さまはご存じなのに。私を貴族たちから守るどころか、それすら攻撃の理由にされるのね……) ミカエラも年頃の女性だ。 普通にお洒落を楽しみたい気持ちもある。 爽やかで華やかな令嬢たちの装いを眺めながら、自分がそうできない理由に思いを
last updateLast Updated : 2025-06-18
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status