逆上する侯爵に頓着せず、場違いなほどの優雅な仕草で父上がゆったりと首を回した。「そろそろいいか?十分時間は与えたと思うが?」侯爵のコレクションの回収はできたか、という意味だ。「ええ。アスナは影収納が可能ですからね。もう十分でしょう」「よし」とたん、父上が一瞬で侯爵の足を凍らせた。「ひっ……!」「動くな。バランスを崩して倒れでもすれば、その足がもげるぞ?」「な、なにを……っ!」「不快な口も開くな」言葉と共に、まるで縫い付けられたかのように侯爵の口が閉じた。いや、実際文字通り縫い付けになっていたのだ。氷点下の礫により、侯爵の唇はひとつにくっついていた。開くためには自らその唇の皮膚を剥ぐしかあるまい。「ん゛ーー!!ん゛ん゛ーーーっ!!」諦め悪く喚くのを父上がこの一言で黙らせる。「鼻も塞いだ方がよいか?」「父上、ならば私が」俺の言葉に侯爵が「魔法が使えるのか?」と言わんばかりに俺の腕にはめられた「魔封じの腕輪もどき」に視線を送る。「ああ、これか?これは単なる飾りだ」目の前で、腕輪を外して握りつぶしてやれば、分かりやすく侯爵の顔が絶望に染まった。うん。これが見れただけでもここに来た甲斐があった。満面の笑みを浮かべた俺に、エリオットが震えながら言う。「あの……鼻までふさいだら息ができませんよね……?」「当たり前だろう?」「何か問題が?」表情一つ変えずに返す俺と父上に、侯爵がガクガクと震えだした。プライドを優先している場合ではないとようやく悟ったのだろう。ジロリと睨んでやれば、ピタリと動きを止めた。と、そこへアスナが戻ってきた。「お待たせ。全部回収済みだ。いや……すごかったぜ……。完全にストーカー」思い出したのか、ブルリと身を震わせるアスナ。「ご苦労だったな。何も残っていないな?」「ああ。とりあえず根こそぎ突っ込んできた。あとで選別すりゃいいだろ」俺たちの会話に何かを悟ったのか、侯爵の目が見開かれた。ぐるぐるとまるで犬のように喉を鳴らし、必死で何かを訴えている。「ああ、聞こえたか?そうだ。お前のコレクションだ。よくぞその汚い目や手で触れてくれたな?その罪、万死に値するぞ?」父上がいっそ優しいとも思えるような声で宣告する。「貴様は手を出してはならぬものに手を出したのだよ。すぐにでも殺したいところだが、まずは
客間らしき部屋に案内されると、父受けはまっすぐ上座にあたるソファに向かい、どかりと腰を下ろした。王家のレオンハルト殿下、一応豚といえどこの屋敷の主人である侯爵がいるにもかかわらず。豚が唖然と口をあけるが、気にも留めない。俺も父上に習い、その横に。レオンも苦笑しつつも大人しく俺の横に座った。そして有無を言わさずエリオットが父上の正面に。この席次では、父上、俺、レオンの順で上の席次となる。その次の席次は息子であるエリオットに取られてしまった。となれば残されたのは一番の下座。エリオットが座ったことで一瞬ムッとした表情を見せたものの、王族である王子を無視した席次に、オロオロと立ち尽くす侯爵。それが分かっている癖に意地悪く問いかける父上。「どうした?座るがよい。そのまま立っているつもりか?」威風堂々たるその姿は、私が王だとでも言わんばかりである。わが父上ながら惚れ惚れしてしまう。「は、は、い、いえ!座らせて頂きます!」ビクリと身を固くし、慌てて下座に腰かける侯爵。これではどちらがこの屋敷の主か分からんな。侯爵は母上に懸想していた有象無象の一人だったそうだが、母上からすれば視界にも入らなかったに違いない。そもそも父上とは人間としての格が違うのだ。こんな小心者がよくぞ俺を陥れようなどと考えたものだ。父上の先制により侯爵はすっかり蛇に睨まれたカエルになり果てた。いや、ここはオオカミに睨まれた豚、か?後はアスナがブツを回収するまで、じっくりこやつをいたぶってやろう。「ああ」俺はわざとらしく大きな声で侯爵の注意を引き付けた。「そういえば、エリオットから聞きました。侯爵は父上や母上と同時期に学園に通っていらしたとか?」「あ、ああ。そうなのです。……妖精姫様はとてもお美しかった……」「当時侯爵はかなり異性から人気があったそうですね」今は見る影もないがな、とは心の中でだけ呟く。わざと持ち上げてやると、豚は嬉々として乗ってきた。鼻の穴を広げ、自慢話に花が咲く。「いやあ、それほどでも……。まあ、お父上ほどではありませんが、私もそれなりの地位も能力もありましたからね。多くの女性から慕われていたのは事実です。はっはっは!いやあ、それはそれでなかなかつらいものですよ」見る影もない今の姿を棚に上げて過去の栄光にすがる侯爵に、エリオットはうんざ
俺たちは王家の馬車で侯爵家の正面に乗り付けた。王家の家紋がついているので、もちろん門はフリーパスだ。門番は大慌てで屋敷に連絡に走っていく。「一応ボクがクラスメートを招待した、という形がスムーズだと思いますので……」エリオットが自ら先陣を切る。まあ、これから裏切るとはいえ、一応今はまだ自分が住む邸。それが妥当だろう。父上とレオンは不服そうだったが「私と母上の肖像画や私物は回収します。その時間稼ぎは必要では?」というと黙った。邸と共に始末してもいいのだが、俺のものはともかく、大半は母上の肖像画だぞ?豚が描かせたものとはいえ、画に罪はない。母上が描かれているのならば猶更。家族である俺たちが保護せずして誰がするというのだ。執事が出てくるのを待たず、勝手知ったるとばかりにさっさと扉を開けるエリオット。問答無用で俺たちも後に続く。玄関ホールでエリオットが俺とアスナにだけ聞こえるように囁いた。「右手奥に階段があります。そこを上がって右の突き当り。扉には鍵がかかっていますが、アスナ様なら開けられますよね?」「無論。じゃあ俺はここで別れる。俺のことは気にするな。どうとでもなる」走り去ろうとするアスナの襟首をグイっと捕まえた。「褒美の先渡しだ」口渡しで魔力を吹き込んでやれば、「ああっ!」とエリオットから小さな悲鳴が。「婚約者の前ですよ?!何をされているんですかっ?」「言っただろ。褒美だ」「ええ?レオンハルト様、よろしいのですか?」アスナの正体を知っているレオンは、苦り切った表情で、でも黙って頷いた。「……良くはないが仕方は無いと理解している」その言葉に呆れたように口を開けたエリオット。「ええ?まさかの、婚約者公認?!なら、ボクにも!ボクにも後でご褒美をくださいっ!アスカ様だけなんてズルいですっ!」「このクソチワワが図々しい。俺は特別なんだよ。アスカ、さんきゅ!じゃあ、また後で!」ウインクを一つ残し、嬉々としながらアスナが去った。さすが動きにキレが出ている。無事に全て回収しろよ?そのための先渡しなのだからな?父上が憐憫の眼差しを浮かべレオンの肩を叩いた。「私はアスナでも良いと思っているのだ。全てはアスカ次第。覚悟しておくように」「レオンには塩対応の父上が珍しい」と思ったら、慰めるどころか傷口に塩を刷り込んだ。さすが父上
ちょうどいいタイミングでレオンが到着したようだ。コンコン。「失礼致します。レオンハルト殿下がご到着されました。こちらに案内しても?」「ああ。話は済んだ。私たちが出よう。バード、少し留守にする。忙しくなる。どのような事態にも対処できるよう備えておけ」「御意」「さあ、行くぞ」怒りを漲らせた父上が、部屋を出るよう促してきた。「アスナ、エリオット、お前たちも……」「あ、あの……。す、すみません……足が……」情けない声に視線をやれば、何とか立とうとするのだが、足が震えてしまってまた床に座り込むエリオット。防御したのだが、初対面であれはさすがに厳しかったようだ。「俺は問題ない。いつでも動けるぞ?こいつはどうする?」「担いで付いてこい」「了解!」アスナがひょいっとまるで俵でも担ぐかのようにエリオットを肩に担いだ。完全に荷物としての扱いだが、まあいいだろう。素早く廊下を移動しながらエリオットに確認しておく。「エリオット、確認だ。同じクラスの者として、教授から俺がお前の世話を任された。そこでお前は『今後世話になるのだから、交流を深めたい』と俺を屋敷に招待。常ならば断わるのだがお前が元平民と聞いて興味を持った俺は、侯爵家への招待を受け、お前に同行した。理解したか?」「はい。そういうことにしろ、ということですよね。もうアスカ様のやり方は理解いたしました。ところで、あの…アスナ様、もう少し丁寧に運んでくれませんかあ?ボク、君みたいに頑丈じゃないんですけど……」「姫様抱っこされたいのか?」「アスカ様にならともかく、アスナ様にされてもね……。いいですよ、これで。でもあんまり揺らされると出ますからねっ!」「……絶対に出すなよ?出したら捨ててくぞ?」「そうならないようにしてよね、ってことです!」「……すっかり仲良くなったようで何よりだ」「「仲良くねえ(ありません)が?」」息ぴったりじゃないか。下僕コンビを連れてホールに戻れば、既に父上が何やら伝えていたようで、顔色の悪いレオンが救いを求めるような表情で俺たちを迎えた。「あ、ああ。アスカ、遅くなってすまなかった。これでも大急ぎで来たのだぞ?婚約者の精神的貞操の危機と聞いたのだが……ゴールドウィン公は何故このように悋気を……?」「よし、揃ったな。詳しくは馬車で。さあ、一刻の猶予もならん。悪
アスナにも手伝わせて二重三重に結界を張り終えれば、そのタイミングで父上が現れた。「火急の話を聞いたが、何があった?!マーゴットには内密にということだが、ティーナに関して何かあったのか?」既に魔力が駄々洩れだ。初めて父上と対面したエリオットが「ひえ…!」と小さく叫び、身を震わせている。仕方ない。さりげなくエリオットを背に庇い、父上の圧を遮断してやった。「アスカ。後ろに隠したのはなんだ?そ奴が何か関わっているのか?」ブワッ!明確な殺気がエリオットに向かって放たれた。庇ってやったのに、無駄だったようだ。エリオットはもはや声すら出ず、蛇に睨まれた子ネズミのようにブルブルと震えている。「父上!射殺しそうな視線を向けるのはやめて下さい。彼はこの件の協力者です。ひとまずその魔力を押さえてください。私やアスナはいいが、彼は慣れておりません。倒れられては話ができません」「そうか。すまなかった」どの部分が父の心に響いたのか、シュっと圧が消滅した。「さあ、さっさと話せ」……父に響いたのは「倒れられて話ができない」という部分だったようだ。まあいい。俺もさっさと済ませたい。「こちらはエリオット・クレイン。クレイン侯爵が外で作った三男です」父上がフンと鼻を鳴らした。「あの俗物か。見たところ、君はヤツとは似ていないようだ。良かったな、アレに似ずにすんで。中身も似ていないことを祈ろう」「幸い豚とは別物です。彼は良い母と祖父に恵まれましたからね。彼はその良心に従い、私にある話を聞かせてくれたのです」「ふむ。話と言うのはクレインに関わることか。あ奴が関わり、マーゴットを離さねばできぬ話……嫌な予感しかせぬ」「結論から申し上げます。クレインを潰します」「ほう」父上の眉が「面白い」と言わんばかりにクイっとあがった。「完膚なきまでに叩きのめし、二度と立ち上がろうなどという気にならぬようその足をもいでおきましょう。それだけのことを奴はしでかしました」「…………ほう………」二度目の「ほう」には隠しきれぬ殺気と冷気が。既にあちこちでピシっピシッと部屋の悲鳴が聞こえだした。「それを前提の上で、落ち着いて聞いていただきたい」アスナがさっとエリオットと自分に結界を張った。良い判断だ。「奴は母上を諦めておりませんでした。むしろまるで女神のように崇
平日だというのにいきなり客を連れて戻った俺に、家人は大騒ぎだった。「アスカ様?どうされたのですか?何かございましたか?」「バート、彼はエリオット。クレイン伯爵の息子で私のクラスに遅れて入学してきた。彼がある恐ろしい情報を私に与えてくれた。父上に報告する必要がある。すぐに父上を呼んでくれ。あと……母上の気をそらせ。どこかに連れ出して欲しい」最後の言葉は小声で伝える。バートは俺の様子でただ事ではないと察したようだ。素早く使用人に指示を出す。「マーゴット様にはアスカ様が戻られたことは内密に。温室に新種の花が咲いたことをお伝えし、そこでのティータイムをお勧めするのだ」「かしこまりました」「ご主人様に、アスカ様が重要な話があるとお伝えしろ。そして第二ダイニングに。」ここで改めてバートはエリオットに向き合った。「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。ようこそお越しくださいました。私はこの屋敷で執事をしております、バートと申します。」「ボクこそ突然失礼いたしました。エリオット・クレインです。エリオットと」「では、エリオット様。客間へご案内させて頂きます。主人が参りますまでしばしお待ちくださいませ」バートが先導しようとするのを片手をあげて止めた。「ああ、いい。私が案内するから。バートは父上の所に頼む。その方が早い」執務中の父上は、バートでないと動かないだろう。「ありがとうございます。ではそのように」素早く、しかし美しい礼を残してバートが去ると、エリオットがガクリとその場に崩れ落ちた。「は