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第9話
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愛は空虚に、妄念は砕け散る 第9話
「真心は一瞬で変わるものだ。それにしても、こんなにも早く変わるとは思わなかった」私が口を開こうとしたその時、頭上にそっと傘が差し出された。振り返るとそこには井上勝弥が立っていた。彼は柔らかな声で言った。「話は終わった？さあ、帰ろう」その瞳には微かな不安が浮かんでいるのがわかった。彼は怖がっていたのだ。この短い1か月の時間が、翔太と悠斗との10年以上の関係に勝てないのではないかと。でも、彼は知らない。真心は一瞬で変わるものだ。翔太と悠斗が変わるように、私も変わることができる。私は彼の手をしっかり握りしめ、目の前で苦悩する二人を冷ややかに見つめた。「誓いだって変わるのよ。私は井上勝弥を選ぶ」私は彼を連れて家へ帰った。翌朝、私は結婚式の準備のために化粧をしていると、二人が一晩中雨の中に立ち尽くし、朝方になってやっと帰って行ったと聞かされた。けれども、それを聞いても何の感情も湧かなかった。ただ、これから始まる結婚式への期待に胸が高鳴るばかりだった。しかし予想外のことが起きた。式が始まる時間になっても、新郎である井上勝弥が現れない。ゲストたちがざわざわと話し始めた。「井上勝弥は逃げたんじゃないか？」「紗也乃との結婚を後悔したのかも」そんな噂話が耳に入っても、私は信じなかった。彼がそんな人ではないことを知っていたから。私は自分で探しに行こうと決意した、その時だった。翔太と悠斗が、きっちりとスーツを着こなして突然会場に現れた。彼らの手には指輪と花火。なんと、二人は「結婚式を乗っ取る」つもりだったのだ。二人は私の目の前に跪き、情熱的な言葉で求婚を始めた。「紗也乃！井上勝弥が君を捨てても、俺は絶対に君を守る！結婚してくれ！」「紗也乃！俺なら、こんな大事な時に君を見捨てたりしない！どうか俺と結婚してくれ！」彼らの深い思いに心を動かされるゲストもいたが、私は冷たく二人を見下ろし、こう言った。「たとえ彼が結婚をやめたとしても、たとえ私が一生孤独に生きることになったとしても、あなたたちのどちらも選ばない」同じ川に二度足を踏み入れるほど私は愚かではない。私の言葉を聞いた翔太は突然怒りを爆発させ、隣にいる悠斗を力任せに突き飛ばした。「全部お前のせいだ！中村香織がいい女だって、ずっと
愛は空虚に、妄念は砕け散る 第8話
今夜もあの日と同じように雨が降っている。ただし、状況は完全に逆転していた。私は軒先で雨を避け、彼らは雨に濡れていた。翔太と悠斗はスーツをびしょ濡れにして、まるで打ちひしがれたような姿で立っていた。翔太が先に口を開く。「紗也乃！俺たちは取締役会から解任されただけじゃなく、業界全体から締め出されて、仕事すら見つからないんだ！お前、どうしてこんなひどいことをするんだ！」その言葉を聞いて私は思わず笑ってしまった。かつて投げたブーメランが、今ようやく彼らのもとへ返ってきたのだ。二人と完全に縁を切ると決めたあの日、私は所有していた会社の全ての株式を譲渡した。譲渡先は他でもない、彼らの最大の競争相手だった。その競争相手は会社の筆頭株主となり、彼らと積年の確執を抱えていた人物。株式を手にしたその足で、すぐに取締役会を開き真っ先にこの二人を解任したのだ。悠斗は私の笑顔を見て表情を歪めた。「どうして事前に知らせてくれなかった？俺たちは会社のCEOだぞ。株式譲渡の話を知る権利がある！」それさえ知っていれば、対策を取れたはずだと言いたげだった。私は笑った。「中村香織に連絡して、君たちに伝えるように頼んだわよ。でも彼女、何も言わなかったの？」二人の顔色が一変した。どうやら何も聞かされていなかったらしい。それも当然だった。中村香織は、二人が事実を知って私と復縁を試みるのを恐れてわざと黙っていたのだ。それでも翔太は、中村香織をかばうように言った。「香織ちゃんはきっと忘れていただけだ！悪気なんてない！」悠斗も同調する。「香織ちゃんはそんなことをする人間じゃない！紗也乃、もう彼女を追い詰めるのはやめろ！前回だってお前が彼女を陥れたせいで、彼女は拘留されたんだ！早く釈放させてやれ！」二人は私を睨みつけながらじりじりと迫ってきた。その時、私はスマホを取り出し証拠を見せつけた。「ネットで『あの女が運転手を死なせた』なんてデマを流したのは彼女よ。これがすべての証拠。警察も認めたわ。これでまだ疑うの？」翔太は一歩後ずさり、震える声で言った。「そ、そんなはずはない！」私は淡々と新たな証拠を取り出す。「それだけじゃないわ。中村香織の父親は脳梗塞で亡くなったんじゃない。彼女が薬を盛って殺したのよ！
愛は空虚に、妄念は砕け散る 第7話
「助けてくれてありがとう」車に乗り込むと、私は井上勝弥との間に少し距離を置いた。結婚を控えているとはいえ、彼はまだ私にとって見知らぬ存在だったからだ。彼がそのまま家まで送ってくれると思っていたのに、車は意外にも高級レストランの前で停まった。「まずは食事をしよう。話はそのあとだ」驚いたことに彼が注文した料理はどれも私の大好物ばかりだった。食事が進む中、突然店内にロマンチックなピアノの旋律が響き渡った。井上勝弥は立ち上がり私の前で片膝をついて見せた。そして手には大きなダイヤの指輪を持っている。彼は私を真っ直ぐ見つめ、静かに口を開いた。「この指輪、ずっと君のために用意していたんだ。俺が君に直接贈りたい」私は目を見開いて彼を見つめた。私たちはただの政略結婚のはずではなかったのか？私の戸惑いに気づいたのか、彼は穏やかに微笑んだ。「俺たちは同じ病院で生まれた。これまでずっと君のことを見守ってきたんだ。君は俺が突然現れたと思っているかもしれないが、実は俺はずっと前から君に恋をしていた。諦めずにいてよかった。この日を迎えることができて、本当に幸せだ」彼はそっと私の指に指輪をはめた。その瞬間私は涙をこぼしてしまった。翔太や悠斗との関係こそが幼馴染の絆だと思っていた。けれど、本当の幼馴染は井上勝弥だったのだ。彼はずっと私を見守り、私が最も苦しい時に手を差し伸べてくれた。思わず彼の胸に飛び込み、小さな声で「ありがとう」と呟いた。食事が終わると彼は私を海辺へ連れて行った。ただの散歩だと思っていたのに、夜空には盛大な花火が打ち上がった。そして、花火が描いたのは――私の名前だった。圧倒的な感動が心を突き動かした。振り返ると彼はさらに驚くべきものを用意していた。それは、山積みになったプレゼントの数々。「これらは、今まで君に渡せなかった誕生日プレゼントやお祝いの品だ。持ち帰って、ゆっくり開けてくれ」翔太と悠斗は、たった一言の噂話で私への思いを手放した。だが井上勝弥はどれほど多くの中傷や偏見があろうと、ずっと私を信じ続けてくれた。胸がいっぱいでどうしていいかわからなくなった私を見て、彼は軽く私の頬をつまむ。「まだ感動するのは早い。結婚したら、もっとたくさん贈り物をするからな。その時は開ける
愛は空虚に、妄念は砕け散る 第6話
中村香織の表情は一瞬にして変わった。翔太と悠斗が思わず私に近づこうとしたその時彼女は突然泣き出した。「もしお父さんが生きていたら……」二人は驚愕し、慌てて彼女のもとへ駆け寄る。「香織ちゃん、どうしたんだ？」「急にお父さんの話なんて……」中村香織は二人に囲まれ、泣き崩れた。その様子はまるで雨に打たれた花のように悲しげだった。「私のお父さん、生前の夢は、私が幸せに結婚する姿を見ることだったの……でも、もう叶わないのね……」彼女の涙は止まることを知らず、まるで蛇口をひねったように流れ続けた。翔太は心が張り裂けそうな様子で、懸命に彼女の涙を拭う。「香織ちゃん、泣かないで……お願いだから……」私はその光景を傍観して楽しんでいたが、突然悠斗が振り返り、私を鋭く叱責した。「紗也乃、お前、まだ香織ちゃんに謝ってないのか！」耳を疑った。「なぜ私が謝る必要があるの？」悠斗は中村香織の前に立ちはだかり、正義を振りかざすように言った。「香織ちゃんのお父さんが亡くなった理由を忘れたのか？お前のせいで、彼女にはもうお父さんがいないんだ！」翔太もようやく理解したようで、私を責め立てた。「そうだ！お前があの日、彼に迎えに来るよう頼まなければ、途中で心筋梗塞を起こして亡くなることもなかった！」私は呆れて笑ってしまった。「彼は私が雇った運転手よ。迎えに来るのは彼の仕事だった」「それに、自分が心疾患を抱えていることを隠していたのは彼自身でしょう！」「それなのに、どうして私が謝らなければならないの？」「お金があるからって偉そうにするな！」翔太は怒りに満ちた声で叫ぶ。「人が死んでるんだぞ！早く香織ちゃんに謝れ！」悠斗は私の腕を乱暴につかむと、中村香織の前まで引きずっていった。「早く謝れ！」私はふらつきながら手を振り払おうとしたが、その瞬間、中村香織が顔を覆い、怯えた声で叫んだ。「やめて！殴らないで！ごめんなさい、もう二度とお父さんのことは口にしないから、お願い、殴らないで！」翔太と悠斗は驚愕して動きを止めた。二人の視線が私に向けられる。その目には憎悪と失望が入り混じった色が浮かんでいる。「お前、彼女を殴ったのか？」「紗也乃、お前、どれだけ残酷なんだ？！早く香織ちゃんに謝れ！」私
愛は空虚に、妄念は砕け散る 第5話
数日間の療養を経て、初めて婚約者である井上勝弥から電話がかかってきた。低く落ち着いた声が受話器越しに響く。「紗也乃さん、こんにちは。井上勝弥です」生まれた時から私の結婚相手として名前が決まっていた井上勝弥。しかし二十数年間、一度も顔を合わせたことはない。想像するに、外見がぱっとしないか他に何か問題があるのだろう。そうでなければこんな名家の後継者が私に婚約を断られた後も、いまだに結婚相手を探していないなんてことがあるはずがない。「こんにちは」少し不安になった。もしかして、この電話は婚約を解消したいという話だろうか。私と翔太、悠斗との間のごたごたは、すでに社交界で大きな噂になっている。しかし予想外のことに彼はこう尋ねてきた。「前に決めたドレスが店に届いたみたいだ。今日、一緒に試着してみる？」私はそっと答えた。「ええ、じゃあ後ほど」ウェーディングドレス店に着いた時、井上勝弥はまだ来ていなかった。ソファに座ってカタログを眺めていると、視界に飛び込んできたのは見覚えのある三つの人影だった。翔太と悠斗、それに中村香織。中村香織は両手に二束の花を抱え、二人に囲まれて幸せそうな顔をしている。私に気づいた彼女の表情が一瞬で曇る。翔太は一歩前に出て、怒った声で問い詰めてきた。「紗也乃、お前どこに行ってたんだ？電話も出ないし、メッセージも無視して！俺たちがどれだけ探したと思ってるんだ！」中村香織は翔太が私に近づかないよう慌てて彼の腕を引いた。「翔太お兄ちゃん、そんなに怒らないで。紗也乃は今、結婚の準備で忙しいんだよ。私たちのことなんか構ってる暇ないんだから」怒りを抑えていた翔太だったが、その挑発的な一言で再び逆上した。「本当に井上と結婚するつもりか？俺たちを何だと思ってる！」私は手にしていたカタログを放り投げた。「何だって？空気でしょ」翔太が言葉を失う中、中村香織が彼の腕に胸を寄せながら慰める。「翔太お兄ちゃん、怒らないで。今日は私たちウェディングドレスを試着しに来たんだから」彼女がどこまで進展しているのか興味深かったが、誰と結婚するつもりなのだろう？その疑問に答えるように悠斗が咳払いをして言った。「紗也乃、誤解しないで。香織ちゃんが他の人のドレスを見て綺麗だと言う
愛は空虚に、妄念は砕け散る 第4話
沈黙を破ったのは、ついに口を開いた悠斗だった。「とにかく、先に紗也乃を病院に送るべきだ。彼女に何かあったら中村家に説明がつかない」その一言で翔太はようやく私を支えるために動いた。エレベーターの中、私は立つこともままならず、彼に寄りかからざるを得なかったが、彼は露骨に嫌そうな顔をし、片手だけで私を支えた。車に乗り込むと、中村香織はためらうことなく助手席に座り込んだ。かつてそこには「紗也乃姫専用」と書かれたステッカーが貼られていたが、いつの間にか「香織姫専用」に替えられていた。私は目を閉じた。外を見ると、いつの間にか雨が降り始めていた。病院が近づくにつれ、中村香織が急に悠斗に向かって不安げな声を上げた。「悠斗お兄ちゃん、私のネックレスが紗也乃の家に忘れてきちゃったみたい……それ、パパが亡くなる前にくれた最後の誕生日プレゼントなの！どうしても見つけたい！」悠斗の表情が一変した。「そんな大事なもの、今すぐ探さなきゃ」翔太も即座に言った。「じゃあ、何をぐずぐずしてるんだ！車を回せよ！」私は痛みで全身が冷汗にまみれ、服はぐっしょり濡れていた。その状況でも、私は二人に懇願するしかなかった。「お願いだから、先に私を病院に送ってくれない？」言い終わるや否や、翔太が声を荒げた。「またかよ！いつまで意地を張るつもりだ！あれは彼女の父親が残した形見だぞ！」悠斗も眉をひそめて言った。「誰もお前を送らないなんて言ってない。ネックレスを見つけたらちゃんと送る」目の前の角を曲がればすぐに病院があるというのに。痛みで死にそうになっているというのに。一週間前、山頂での低体温症の記憶が蘇る。あの時、凍えた身体で二人に助けを求めたが、彼らはただ中村香織を抱きしめるだけだった。もう、自分の命を賭けてまで彼らの気持ちが変わることを期待するわけにはいかない。私は力を振り絞り、なんとか体を支えて座り直した。強い口調で言った。「角を曲がった先で降ろして。自分で病院に行くから」車内が一瞬静まり返った。次の瞬間、翔太は勢いよくドアを開け、雨が激しく降りつける道を指差した。「降りたいなら、今すぐ降りろ！俺たちの時間を邪魔するな！」全身の血が逆流するような怒りと失望を感じながら、私は意地で車を降りよう
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