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愛は煙のように、やがて消えて

愛は煙のように、やがて消えて

By:  山嶺しずくCompleted
Language: Japanese
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私・早瀬雪乃(はやせゆきの)は、崩壊寸前の名家・神谷家に嫁ぎ、その再建にすべてを捧げた。 けれど、神谷家の御曹司・神谷司(かみやつかさ)は外で放蕩三昧。 その母は、私の努力と功績を根こそぎ奪おうとした。 私は冷静に策を講じ、自らの財産を一つ残らず取り戻した。 やがて司は、地に膝をつき、涙ながらにすがる。 「お願いだ……行かないでくれ」 私は彼を見下ろし、何の未練もなく背を向ける。 そして、作家男性の手をそっと取り、こう言い放った—— 「あなたなんて、私の人生にはもう必要ないの」

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Chapter 1

第1話

結婚四周年の記念日。

私・早瀬雪乃(はやせゆきの)は、家でただひたすら夫・神谷司(かみやつかさ)の帰りを待っていた。

その夜、司は、初恋の芦沢美優(あしざわみゆ)のために、街じゅうを埋め尽くすほどの花火を打ち上げていた。

私は花火に巻き込まれてやけどを負い、病院に運ばれた。

焦げついた傷跡を見ても、彼は美優を気遣い、ドアの外に立たせたまま、冷たく言った。

「見るな。目が汚れる」

帰宅した私は、ベランダの洗濯機の中で、黒のシースルーストッキングを見つけた。

黙って取り出し、丁寧に畳み、リビングのテーブルの上に置いた。

そして静かに、ロンドン行きの航空券を予約した。

——支払いを済ませた瞬間、玄関の廊下から司が入ってきた。

以前は煙草なんて吸わなかった男が、いまでは外で三十分も煙をくゆらせてから家に入るようになった。

パソコン画面のフライト情報を目にして、彼は小さく笑った。

「旅行か?」

私は視線を上げず、短く答えた。

「ええ」

彼はそれ以上何も言わず、ソファに腰掛け、スマホをいじり始めた。

テーブルの上に置いてあった、私が毎晩煎れていた目に優しいハーブティーを手に取り、ひと口すすった後、ふと尋ねた。

「君、いつからお茶なんて淹れられるようになった?」

私は顔を上げず、さらりと答える。

「先週」

——でもこのお茶は、四年間、私が彼のために毎晩作ってきたものだった。

彼は再び煙草をくわえ、煙をゆっくりと吐き出す。

私は無意識のうちに、そっと椅子を引いた。やけどを負ったばかりの体は、火の匂いに敏感になっていた。

その気配に気づいた彼は、私をちらりと一瞥し、淡々と口を開いた。

「医者に聞いた。大したことないらしいな。明日は、自分で会社に行けるだろ」

以前の私なら、反射的に怒鳴っていたはずだ。

でも今はただ、マウスを動かしながら淡々と答えるだけだった。

「ええ、送ってもらわなくて結構です」

今日、医者から告げられた。脚の傷は、皮膚移植で回復できる。

けれど——もう人工授精はできない、と。

私は下腹部に視線を落とした。そこには、排卵誘発剤の注射痕が無数に残り、色の褪せた痕がくっきりと刻まれていた。

司は、私に触れることすらしなかった。

それなのに、彼の母親は「孫を産め」と私に迫ってきた。

数えきれないほど注射を打ったが、妊娠できなかった。

私が俯いたのを見た司は、少し眉をひそめ、こちらへ歩み寄ろうとした。

その瞬間、着信音が鳴り響いた。

電話の向こうから、美優の甘ったるい声が聞こえてくる。

「司くん、来てよ。今日、私の誕生日なんだから」

司は微笑み、私に背を向けたままドアを閉めると、「今夜は帰らない」とだけ言い残した。

翌朝、着信音で目を覚ました瞬間、耳に飛び込んできたのは、彼の命令口調だった。

「十分後降りてこい。会社まで送る」

私は慌てて準備し、松葉杖をついて車の前に立った。

助手席のドアを開けると、美優がにこやかに笑っていた。

「雪乃さん、ここは違うよ」

「……ああ」私は静かに後退し、後部座席へと乗り込んだ。

司は車を走らせ、いくつも角を曲がり、小さな屋台の前で停車した。

得意げに、彼はこう言った。

「美優、君が一番食べたがってた肉まんの店、ここだぞ」

私は心の中で苦笑した——結局、私は「ついで」だったのだ。

二人はなかなか戻ってこなかった。

冬の車内は、暖かい。だが密閉された空間で酸素は薄れていき、意識が朦朧としてきた。

ようやくドアが開き、冷たい風が吹き込んだ。私はむせ返るほど深く息を吸い込んだ。

彼が席に戻ると、美優はすぐさま肉まんを取り出し、胸を揺らして笑いながら差し出す。

「私の大好物なんだから。はい、あーん」

司は笑って一口かじった。肉まんの肉汁が溢れ、彼は言った。

「ジューシーだな」

車が地下三階の駐車場に着くと、二人はカードキーでエレベーターに乗った。

振り向きもせず、司は私に冷たく言った。

「君は来るな。社内で噂されると面倒だから」

扉が閉まる。

私の社員証で行けるのは、99階まで。

でも、私の席は100階——彼のオフィスのすぐ隣にある。

かつて私は彼にこう頼んだ。「通行権限をください」と。

けれど彼は、こう言い放った。

「100階は、部外者立ち入り禁止だ」

それなのに、美優が帰国した途端、彼は迷いもなく、彼女の席を自分のオフィスに用意させた。

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第1話
結婚四周年の記念日。私・早瀬雪乃(はやせゆきの)は、家でただひたすら夫・神谷司(かみやつかさ)の帰りを待っていた。その夜、司は、初恋の芦沢美優(あしざわみゆ)のために、街じゅうを埋め尽くすほどの花火を打ち上げていた。私は花火に巻き込まれてやけどを負い、病院に運ばれた。焦げついた傷跡を見ても、彼は美優を気遣い、ドアの外に立たせたまま、冷たく言った。「見るな。目が汚れる」帰宅した私は、ベランダの洗濯機の中で、黒のシースルーストッキングを見つけた。黙って取り出し、丁寧に畳み、リビングのテーブルの上に置いた。そして静かに、ロンドン行きの航空券を予約した。——支払いを済ませた瞬間、玄関の廊下から司が入ってきた。以前は煙草なんて吸わなかった男が、いまでは外で三十分も煙をくゆらせてから家に入るようになった。パソコン画面のフライト情報を目にして、彼は小さく笑った。「旅行か?」私は視線を上げず、短く答えた。「ええ」彼はそれ以上何も言わず、ソファに腰掛け、スマホをいじり始めた。テーブルの上に置いてあった、私が毎晩煎れていた目に優しいハーブティーを手に取り、ひと口すすった後、ふと尋ねた。「君、いつからお茶なんて淹れられるようになった?」私は顔を上げず、さらりと答える。「先週」——でもこのお茶は、四年間、私が彼のために毎晩作ってきたものだった。彼は再び煙草をくわえ、煙をゆっくりと吐き出す。私は無意識のうちに、そっと椅子を引いた。やけどを負ったばかりの体は、火の匂いに敏感になっていた。その気配に気づいた彼は、私をちらりと一瞥し、淡々と口を開いた。「医者に聞いた。大したことないらしいな。明日は、自分で会社に行けるだろ」以前の私なら、反射的に怒鳴っていたはずだ。でも今はただ、マウスを動かしながら淡々と答えるだけだった。「ええ、送ってもらわなくて結構です」今日、医者から告げられた。脚の傷は、皮膚移植で回復できる。けれど——もう人工授精はできない、と。私は下腹部に視線を落とした。そこには、排卵誘発剤の注射痕が無数に残り、色の褪せた痕がくっきりと刻まれていた。司は、私に触れることすらしなかった。それなのに、彼の母親は「孫を産め」と私に迫ってきた。数えきれないほど注射を打っ
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第2話
99階のエレベーターが静かに開く。私は松葉杖を頼りに、ゆっくりと非常階段へと向かった。治りきっていない足の傷。その上から履いたヒールが皮膚を削り、血が滲む。そのとき、スマホが震える。【神谷司様とその同伴者は、1階で開催中のビジネスイベントにご出席ください】催促の通知が、無機質に表示された。立ち上がり、知らせに行こうとしたときだった。司が私の目の前に現れ、無言で膝をつき、私の足首に手を添えた。「次からは、スニーカーにしな」隣に置いてあったフラットシューズを差し出し、穏やかに履かせる。そして一言。「もう、パーティーには来なくていい」ちょうどそのとき、ドアが開いた。ドレスアップした美優が、完璧な笑みを浮かべて現れる。彼女が司の隣に並ぶと、彼は立ち上がり、迷いなく彼女の手を取った。「君は見映えがしない。これからは美優に任せるよ」私は、わずかに頷いた。何も問わず、何も反論せず。司が不機嫌そうに眉をひそめる。「……理由も聞かないのか?」私は唇を噛み、声を抑えて答えた。「神谷社長、商談がまだ残っています。一階のパーティーもお急ぎのようです。ここで私に構っている暇はないでしょう」「……神谷社長?ずいぶん他人行儀だな」そう笑った彼の言葉も、美優の甘え声にかき消される。「も〜う、早く行こうよ。ずっと立ってたら足が疲れちゃう」彼はすぐに態度を変え、優しく彼女に微笑みかけた。「わかったよ、美優。君を疲れさせたくないからな」そして、ふたりは連れ立って去っていった。夜、司は少し疲れた顔でオフィスに戻ってきた。そして、真っ赤なコートを私に投げ渡した。「寒いからな。下でちょうど良さそうなのがあった」私はコートを見て、表情を曇らせた。「ねえ、結婚して四年……私がこういう派手な色を一度も着たことがないの、知らなかったの?」彼は顔を背け、ドアを乱暴に閉めた。「気に入らないなら着なくていい」Instagramを開くと、美優の投稿があった。彼女の周囲には、十数個の紙袋。【誰かさんが寒がりな私のために、コートをたくさん買ってくれたの♡】帰宅後、私は洗った黒のストッキングをバッグに入れ、テーブルの上に置いた。数分後。司がバッグを手に、私の部屋に現れる。「なんだ、嫉妬
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第3話
会議室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。司と美優、そして他の同僚たちが整然と並び、私に無言の視線を注いでいた。私は静かに頭を下げ、席に着く。資料を開いた途端、目に飛び込んできたのは——美優に奪われた、あの案件だった。「今回の件で、会社は通常の十倍の手数料を支払った。全部、君のせいだ」司の声が、冷たく響く。「そうよ。自分の力もないのに案件を抱えるから、私たちまで苦労する羽目になるの」美優が追い打ちをかけるように言う。私は視線を上げず、静かに答えた。「ご迷惑をおかけしました。ただ、この案件の正式な責任者は、私ではありません」司は契約書を指差す。「名前があるじゃないか。責任者欄に、君の」私は契約書の最後のページをめくり、スクリーンに映した。「最終ページの署名が、会社の正式な責任者と定められています」プロジェクターに映ったその文字。——そこには、美優の署名が、はっきりと記されていた。空気が凍りつく。全員の視線が、次々と美優に突き刺さる。顔から血の気が引いていく彼女。——あの時、私が九割まで進めていた案件を横取りし、手柄にしようとした。だが、相手に見透かされ、逆に出し抜かれた。涙が今にもこぼれそうな目元で、彼女は俯く。その瞬間だった。司が彼女を抱き寄せ、皆の目の前でそっと腕を回した。「今月、営業部全体の給与を一割カット。会社の損失分として。特に雪乃——君は年末賞与と、これから三ヶ月分の給与、すべて差し引く」静まり返る会議室に、ひび割れたような怒りが沈殿していく。半月後、給与明細が配られた瞬間、社内は嘆きと怒りに包まれた。その一方で、美優は「業績優秀者」として表彰され、給与は五割増。彼女は嬉しそうに、言った。「私がここまで来られたのは、皆さんのおかげです。これからも応援してくださいね」誰も声を発さなかった。無音の会場に、彼女だけが浮いていた。やがて、その空気に気づいた彼女は、何も言えずに出ていった。私は黙って、営業部全員の口座番号を控え、減給分を自分の貯金から補填した。「この数年、皆さんと一緒にこの会社を築いてこられたことは、私の誇りです。でも——この会社の名前は、結局のところ、私の姓ではありません」その言葉に、同僚たちの目が悔しさ
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第4話
裁判所からの呼出状が届いて間もなく、司から一通のメッセージが届いた。「また何か企んでるのか?」私は返事をしなかった。数日後、彼はまるで取り憑かれたように私に何度も連絡してきて、「プロジェクトに戻れ」としつこく迫ってきた。私は一言だけ返した。「もう退職しました」そして彼のすべての連絡先をブロックした。しばらくして、仲の良かった同僚から電話がかかってきた。泣きそうな声で言う。「お願い、戻ってきてよ、雪乃さん……社長がもうおかしくなってる。あなたを見つけられなかったら、今月の給料全部カットするって脅されてるの」私はあきれた。「だったら、うちに来ればいい」私は今暮らしているゲストハウスを見渡しながら続けた。「うちは食費も住居も全部込み。お給料だってちゃんと払うわよ」神谷家で働いて七年。その間に築いた人脈も、資本も、私の財産だった。私と司のいざこざで、無関係な社員たちに火の粉が降りかかるのは、本来あってはならないこと。だからこそ、私は責任を取るべきなのだ。電話口の同僚はしばらく沈黙したあと、何も言わずに切った。半月が経った頃、司はようやく私が戻らないと悟ったらしい。彼はロンドンまで飛び、私の家のチャイムを鳴らした。玄関先に立つ彼を見て、思わず目を見開いた。あれほど私の両親や家族に無関心だった男が、どうやって住所を突き止めたのか。「どうしてここが分かったの?」そう問いかけると、彼は笑って言った。「君は俺の妻だ。心が通じ合ってるんだよ」その一言に、背筋がぞわっとした。彼は私の手を取って、手の甲にキスを落とす。「雪乃、機嫌なおしてよ。な?一緒に帰ろう」私はその手を振り払った。「私はあなたと離婚するつもりよ。裁判所からの通知、見なかったの?」私たちの押し問答に、近隣の家々の灯りが次々と灯り始め、窓から顔を出す人も現れた。このままでは近所の噂になる。私は彼を近くのカフェに連れて行った。席に着くと、彼が先に口を開いた。「最近、なんだか綺麗になったな。会社で疲れてたんだろ。だったら、長期休暇をあげるよ」私は鼻で笑った。「社長、私は書面で退職を届け出ましたし、あなたも署名したでしょう」司の顔がさっと曇る。「俺は許可していない」私はコーヒーをかき混
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第5話
ロンドンの静かなカフェ。テーブルを挟み、私と司が向かい合って座っていた。まるで深い谷のような沈黙が、私たちの間に横たわっていた。店員が飲み物とパンを運んできたころ、ようやく彼が口を開いた。「もし美優の存在が、君が俺から離れたい理由なら……彼女を追い出すことだってできる」そう言って、彼は財布から一枚の写真を取り出した。それは、明らかに学生時代の美優とのツーショット。彼女の腹は、わずかに膨らんでいた。「当時は俺も若くて、軽率だった。美優が大学に入ったばかりの頃、俺は彼女を妊娠させた」司の声はかすれていて、どこか壊れかけていた。「本当はそのまま結婚しようと思ってた。でもちょうどその頃、神谷家の経営は傾き始めていて、母は俺に政略結婚させようと必死だった」彼は視線を落とす。「母は美優に中絶を強制し、海外へと送り出した」少し沈黙が流れた後、彼は続ける。「彼女には申し訳ないと思ってる。だから帰国したとき、少しでも償いたかった。でも……君を傷つけるとは思ってなかった」彼はスマホを取り出し、家の監視カメラの映像を再生した。「君が入院してる間、美優は体調を崩して、うちで療養してた。彼女は言ったんだ、もう一度俺との子を産めたら出ていくって」そして、悲しそうに私を見つめる。「でも……俺はその誘惑に耐えた。彼女を家から追い出した」カラン、とグラスの音。店の時計が午前0時を告げた。私は彼の真っ直ぐな視線をかわし、スマホの画面を指さした。「もう帰る時間よ。美優のことはあなたの問題。私は関係ない。「ただ……あなたが私を傷つけた。だから、私たちは終わりにするの」その瞬間、彼の瞳が冷たく変わった。「離れるなら、後悔するなよ。神谷家の後ろ盾がなくなった君が、どうやって生きていくつもりだ?」まるで駄々をこねる子どものような言い草だった。彼は先に席を立ち、カフェを出ていった。私はロンドンに残り、家の一階を改装して小さなバーを開いた。穏やかで、自由な日々だった。——だが、平穏は長くは続かなかった。裁判所からの連絡。離婚調停のため、神谷グループ本社のあるA市へ出廷しなければならなかった。開廷前日、司の母が、海を越えてやってきた。彼女は老舗パン屋の店内で私と向かい合い、ケーキをすすめてきた。
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第6話
裁判が終わった後、司が私を呼び止めた。真剣な眼差しでこちらを見つめながら言った。「命を懸けて君を救ったあの時のことを思い出してくれ……もう一度だけ、やり直すチャンスをくれないか?」その隣では、美優も必死に同調していた。「雪乃さん、もし司さんが彼の母親の資産隠しを法廷に報告してくれなかったら、第二審なんて始まらなかったし、あなたも財産なんてもらえなかったよ。司さんにはやっぱり雪乃さんが必要なの。お願い、私たちを許して……どうしても司さんを諦められないの。なら……私たち、二人で一人の夫を愛するって形でも、いいじゃない……?」私は黙って司の目を見つめた。彼が何も否定しなかったということは、つまり——それが本心ということだ。私は二人に目で合図し、裁判所の建物の陰へ誘導した。彼らは私が心を動かされたと思ったのか、嬉々として後をついてきた。人気のない場所で足を止め、私は周囲を一瞥した。そして、手に持っていた書類ファイルで、美優の頬を鋭く打った。パシッ——乾いた音が鳴り響き、頬には赤みが浮かび上がった。彼女は目を見開き、呆然と立ち尽くした。次の瞬間、司の腕にすがりつき、涙ながらに叫ぶ。「司さん、やり返してよ……!」そう言いながら、私に手を振り上げたが、全く力が入っておらず、私は軽くかわした。彼女はただ、司に守ってほしかっただけだった。だが——彼の反応は、予想外だった。彼は私の前に立ち、美優の腕を制した。「もうやめろ。これ以上、雪乃を傷つけるな。君のせいで、俺は彼女を大切にできなかった。人として最低なことをした。もう二度と、俺の前に現れるな」そう言って彼は美優をその場から追い払うと、私の前に跪いて懇願した。私は無言で彼を立たせた。彼は私の手を握り、希望に満ちた目で私を見つめる。その期待を断ち切るように、私は静かに言った。「『男児膝を地に屈せず』って言葉、知ってる?あなたのその膝で、私の中の最後の罪悪感すら消えたわ」——火事の夜、命懸けで私を救ってくれたあなた。あの姿は、今でも私の中に英雄のような記憶として残っている。だからこそ、二審の時も私は情を残して証拠をすべて提出しなかった。彼に何かしらの救いを残しておきたかった。でも——今、自分の手でその最後のチ
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第7話
ロンドンでの穏やかな日々。ある日、下のテラスで日差しを浴びながらコーヒーを飲んでいた私の前に、影が差した。顔を上げると、A市から私を訪ねてきた元同僚の姿があった。私と司の離婚劇は、社内でも相当な話題になったらしく、ほとんどの社員が私の居場所を知っていたらしい。驚いて外の街路樹を見やると、そこには数人の懐かしい姿が——かつて商務部で一緒に働いた仲間たちだった。彼らの話によれば、現在の神谷グループは舵を失い、なんと美優がそのトップに就いたという。各業界の取引先は一斉に反発し、とりわけ、私が辞める直前にウォッカ六杯で勝ち取った商社が、すでに撤退を表明し、新たなパートナーを探しているとのことだった。神谷グループは崩壊寸前。彼らは、私にもう一度旗を掲げてほしいと願ってやって来たのだった。私と司の泥沼は、確かに彼らの生活をも巻き込んだ。そのことへの罪悪感もあり、私は再びA市へと向かった。翌日、神谷グループは経営状況に関する記者会見を開くことになっていた。私はホテルで髪を整え、赤い口紅を引き、昔着ていたスーツを羽織った。会場に向かうと、誰一人私を止める者はいなかった。ほとんどの社員が、私の顔を覚えていたのだ。記者会見のホールでは、美優が記者たちの質問攻めに遭っていた。彼女は汗だくで、言葉を詰まらせている。私の姿を見た瞬間、彼女の顔がこわばり、警備員に退場を命じた。だが、警備員は動かなかった。彼らは——美優よりも、誰がこの企業の「本当の主」であるかを理解していた。私は腕を組みながら壇上に上がった。その瞬間、警備員が美優を引きずり降ろし、彼女はもがいたが、すぐに制止された。私は一度、咳払いをし、落ち着いた声で言った。「皆さん?」どよめいていた会場は、一瞬にして静まり返った。私は首をかしげ、いたずらっぽく微笑む。「お久しぶりです。本日は、私が皆さんのご質問にお答えします」事前に同僚たちから資料を受け取り、神谷グループの現状は把握済みだった。衰退はしていたが、かつて私が築いた基盤が残っている限り、立て直しは可能だった。記者たちの質問に、私は次々と的確に答えていった。美優は黙り込んだまま、ただその様子を見つめていた。会見終了後、記者も投資家も満足して去っていった。その
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