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第1538話

Author: 夏目八月
翌朝は早い時刻からの準備となったが、大皇子と潤は意気揚々として自信に満ちていた。

一方の二皇子は憔悴しきり、目の下に濃い隈を作っている。

一晩中悪夢に苛まれ続けた。自分の首が胴から離れ血まみれになる夢か、大皇子の両足が折れて凄まじい悲鳴を上げる夢か——どちらかばかりだった。

吊り上げられた侍従の言葉も、夢の中で何度も蘇る。

夢の中でも、今の覚醒した状態でも、恐怖は変わらない。全身の震えが止まらずにいる。

德妃は青嵐を伴って自ら着替えの世話をしながら、今日すべきことを繰り返し耳元で囁き、心を落ち着かせようとする。大皇子の命を奪うつもりはないと、何度も約束した。

息子の表情がわずかに和らぐのを見ると、今度は権力の魅力を語りかける。権力を手にすれば大和国を平和に治め、歴史に名を残す帝になれると。

德妃は我が子のことを誰よりも理解していた。野心がないわけではない。ただ最近、太后が意図的に皇子たちを引き合わせ、共に学ばせ、遊ばせ、武芸を習わせて兄弟の絆を深めようとしている。

子供というものは情に厚いものだが、こうした小さな甘い毒に惑わされて輝かしい未来を断ち切ってしまえば、取り返しがつかない。

説得が続く中、二皇子の眼差しが次第に決意を宿し始める。

身支度を整えると、母子は手を取り合って部屋を出た。

清和天皇は夜明け前から朝廷の文武百官を引き連れて天壇での祭天の儀を執り行い、妃嬪や皇子、皇女たちの行列が到着する頃には、既に全ての準備が整っていた。

皇室庭園は至る所に紅い飾りが舞い、濃やかな祝賀の雰囲気に包まれている。

清和天皇は今日、殊のほか上機嫌だった。祭天の際には心の内で願いを込めた——自分がもう数年長生きできるようにと。

国師が占いを立て、必ずその願いは叶うと告げた。

国師の卦と丹治先生の治療があれば、天皇も信じる気になれた。

皇子や皇女たちを全て御前に召集し、まず叩頭による寿ぎを受ける。

清和天皇は一人一人に褒美を与え、笑顔を浮かべながらしばらく言葉を交わした。

今日は太后の御出座はない。この厳寒では外出によって風邪を引き、御体を損なう恐れがあるためだった。ただし清和天皇は出宮前に、既に太后の御前で叩頭を済ませていた。

子どもたちには愛馬との交流を促し、馬術競技の開始は午の刻頃と定めた。

馬術競技の後には興を添える様々な遊戯や演
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