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第418話
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永遠の毒薬 第652話
乃亜は助手席で、指先をリズムよく肘掛けに打ちつけていた。視線は前方に向いたまま、頭の中ではフル回転で考えを巡らせる。どうすれば、この山奥の村への崩れた道を最短で復旧できるか。そればかりを考えていた。窓を叩きつける激しい雨。まるで世界が水のカーテンで閉ざされたようだった。前が見えない。進むべき道すら霞んでいる。そんなときだった。「ドンドンッ」と、急かすようなノックの音が車内に響いた。......乃亜は気づかなかった。沈黙の中に沈んでいたから。だが、運転席から低く震える声が響く。「......お嬢さん、外......誰か、立ってます」運転手は、バックミラーを何度もちらちら見ていた。その顔は明らかに怯えている。山の中って、狼とか......出るんじゃなかったでしたっけ？そんな言葉を聞いた瞬間、乃亜は目を開いた。じっと、雨の向こうを見つめる。そのときだった、雨の帳の向こうに、琥珀色の瞳が浮かび上がった。深い。暗い。けれど、どこか惹きつけられる光。夜の闇の中で、星が一つだけこちらを見つめているようだった。男はその場から一歩も動かない。視線が、乃亜を射抜いてくる。車内には、張り詰めたような沈黙が落ちた。乃亜は眉をわずかに上げた。どこかで、この目を見たことがある。運転手はハンドルをぎゅっと握ったまま固まっていた。逃げ出す準備でもしているのか、肩が妙にこわばっていた。時間がゆっくりと流れる。そして、乃亜は静かに視線を外し、ドアに手をかけた。「......乗って」低く、冷たい声だった。だがその声には、不思議な説得力があった。男は、その言葉を聞いた瞬間に動いた。ぴたりと反応して、まるで獣のような素早さで車に飛び乗る。一瞬の迷いもなかった。「助かった」男はそう言いながらドアを閉めた。乃亜の視線が、じわりと彼の顔をとらえる。......坂下勝美。前に一度会った男。凌央の口からも、何度かその名前は聞いていた。女にだらしない。チャラい。そんな印象だった。けど、なんで、こんなところに？しかもこの雨の中、ずぶ濡れで......偶然？それとも、まさか、尾行？乃亜の脳内を疑念が駆け抜ける。男はジャケットを脱ぎ、濡れた髪を手早く拭い始めた。動きに一切の無駄がなく、むしろ洗練されてい
永遠の毒薬 第651話
やっぱり。携帯の画面には、いくつもの不在着信が並んでいた。その中でも、「咲良」の名前がいやに目に刺さる。乃亜の胸がギュッと締めつけられた。嫌な予感が、瞬時に全身を駆け巡る。考えるより先に、指がリダイヤルを押していた。数回のコールの後。「乃亜！」受話器の向こう、咲良の声は今にも泣きそうだった。焦りと恐怖がにじみ出ている。「どうしたの？落ち着いて、何があったの？」「わ、私たち......村の人たちに閉じ込められたの......もう、外に出られない！お願い、助けに来て！」胸の奥を鈍く殴られたような衝撃が走った。「彼ら、何か要求してきた？何でもいい、まずは応じて。今すぐ行く！」「うん！」咲良の返事を聞いた瞬間、乃亜は布団を跳ねのけた。息子のことは、今は後回しだ。まずは、咲良たちを救わなきゃ。バッグに荷物を詰めながら、すぐに別の番号にかける。「急ぎの件。聞いて」「どうした？」「腕に覚えのある奴を何人か、今すぐ集めて。現地で合流。急いで」「了解！すぐに動くよ！」電話を切ると同時に、乃亜は階段を駆け下りていった。そのころ村では、雨が上がったばかりの地面が、ぬかるんでいた。雨粒はまだ、細く冷たく降り続けている。湿った土の上には水たまりが点々と残り、空の灰色を静かに映し返していた。咲良たちは、粗末な小屋に閉じ込められていた。一つだけある小さな窓から、かすかな光が射し込んでくる。それが、室内の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。カビと湿気が混ざった空気が、肺の奥にじわじわと染み込む。息をするたび、咳が出そうになる。屋根を打つ雨音が、静かに続いていた。電話を切った咲良は、ようやく肩の力を少し抜いた。張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。長時間、ぎゅっと握りしめていた手が白くなっていて、血がゆっくり戻ってくるのを感じた。咲良は深呼吸をひとつして、落ち着こうとした。そして、視線の端で隣の同僚の様子を伺った。彼女は震えていた。両手を小さく握りしめ、唇を噛み、今にも泣き出しそうだ。「咲良さん......乃亜さん、本当に来てくれるの？助かるのかな......」その声は蚊の鳴くように小さかったが、必死だった。咲良は彼女の手をそっと握り返し、優しく言う。「大丈夫。乃亜は絶対に来てくれる。きっ
永遠の毒薬 第650話
乃亜はほんの一瞬、言葉に詰まった。それから静かに、少しだけ肩を落とすように答えた。「......百パーセント勝てるって、断言はできない」どんなに自信があっても、絶対なんて言えない。それが、プロとしての誠実さだった。「じゃあ、いい。ほかの弁護士に頼む」直人の声には、温度がなかった。冷たく突き放すような調子だ。乃亜は眉をひそめ、でもすぐに微笑んでみせる。「......そう、好きにして」誰に頼もうが、彼の自由だ。自分を選ばなかったことに、引き止める理由なんてない。まさか、こんなにあっさり引き下がるとは思っていなかったのだろう。直人はほんの一瞬、沈黙した。そのまま、乃亜は電話をぷつんと切った。受話器の向こうで鳴り続ける無機質な通話終了音が、耳にじんと残る。一言も、引き止めてこなかった。莉子の離婚訴訟が成功すれば、それだけで莫大な報酬が入る。それを手放すなんて、乃亜にとっても大きな損失のはずだ。それなのに、何の未練も見せないなんて。携帯が震えた。直人はその音で思考を遮られ、通話に出た。「状況は？もう弁護士見つけたのか」「いや、まだ探してる」「なんで乃亜を外した？」「......勝たないといけないからだ。少しのミスも許されない」「はあ？これ、裁判だぞ？どの弁護士が『絶対勝てる』なんて言うんだよ」電話の向こうで、呆れたような声が響いた。「いいや、俺は負けたくない。何があっても」「......ったく。じゃあ一人紹介する」「誰だよ」「昔、桜華市で無敗だった弁護士だ」「ちょっと、じらすなって。早く言えよ」「......悠」「は？あいつ、死んだって話じゃなかったか？まさか怪談か何か？」確かに、悠の名は桜華市では伝説級だった。だが、何年も前に亡くなったと噂されている。「死んでないよ。海外にいた。最近、戻ってきた」直人は思わず背筋を正した。「......じゃあ、あの時亡くなったって話は何だったんだ」背中にぞわりと冷たいものが走る。これ、マジでホラーじゃないか？「細けぇことはいいんだよ。勝てりゃそれでいいだろ」「......本人に会わせてくれ。自分の目で見ないと信じられん」「分かった。頃合い見て連絡する」電話が切れたあと、直人は携帯を開いて悠の名を検索する
永遠の毒薬 第649話
今すぐ、この女に思い知らせてやりたい、そんな危うい衝動が、腹の奥で静かに燃えていた。「凌央！なんで黙ってるの？返事しなさいよ！」乃亜の声が鋭くなった。抑えた怒りが、声の端ににじみ出ている。「お前が拓海と離婚して、俺のところへ戻ってくるなら。その時、息子に会わせてやってもいい」さらりとした口調。凌央の唇は、無意識にゆるく吊り上がっていた。「じゃあ......もし私が離婚もしない、戻りもしないって言ったら、息子に一生会えないってこと？」胸の奥に、怒りが込み上げては沈んでいく。息苦しいほどだった。もし目の前にいたら。間違いなく、ひっぱたいてる。クズ。そんな男、生きてる価値ない。「どう思う？」凌央は平然とした声で、逆に問い返してきた。「......わかった」乃亜は、それだけを言って電話を切った。三年も一緒にいたからわかる。この男、一度決めたことは絶対に変えない。何を言っても、無駄だ。だったら今は、感情的にならずに考えるべき。この状況、どう切り抜けるか。通話の終わった携帯を見つめ、凌央は眉をひそめた。乃亜が、電話を途中で切るなんて。昔の彼女だったら、絶対にそんなことしなかった。どんなに怒っていても、最後まで話を聞こうとしていたのに。変わったな、あいつ。ふと気づく。自分はずっと、昔の乃亜と比べてばかりいた。あの頃の笑顔、言葉、態度。どれも脳裏に焼き付いて離れない。でも、乃亜はもう前に進んでいる。新しい人生を生きている。それなのに、自分だけが過去に取り残されているなんて、情けないにもほどがある。......でも、認めたくなかった。苦しんでるなんて、自分で口にしたくない。だから、子どもを使って彼女を引き止めようとしてしまう。最低だと分かっていても、そうするしかなかった。乃亜はパソコンを開き、すぐに凌央の携帯の位置を追跡し始めた。その頃、書斎にいた凌央は、二箱目の煙草を吸い終えようとしていた。商売の場では、冷静で非情な判断を下せるのに。女一人、どうにもできないなんて、こんなこと、人生で初めてだ。夜が明け始めた頃。ようやく、乃亜は彼の携帯の現在地を突き止めた。......島だった。ナビを頼りに車を走らせたものの、島には厳重な警備が敷かれていて、通行証がない者は中に入れない。当然、門前で止
永遠の毒薬 第648話
舞衣は思わず一歩、身を引いた。そのとき、車のドアが開き、運転手がサッと降りてくる。「雪葉様、お迎えにあがりました」恭しく頭を下げながら言った。雪葉は迷いなく後部座席のドアを開け、舞衣を軽く押し込む。「はい、まずはご挨拶からね」そう言って、自分は助手席に乗り込んだ。舞衣が座り直したとき、隣にいた男が目に入る。仮面をつけた男。瞬間、心臓がドクンと跳ねた。膝の上に置いた手が、無意識のうちに固く握られていた。怖い。この男、何かが違う。空気が重い。冷たい。ここから逃げたい！けれど、そんな願いもむなしく、車は静かに発進してしまった。「蓮見様、こちらは私の親友の舞衣です」雪葉が振り返って、にこやかに続ける。「以前からあなたに憧れていて、ぜひ一度お会いしたいって」男は微動だにせず、「あぁ」とだけ答えた。その声は無機質で、まるで氷のように冷たかった。「舞衣、何か話してみて」雪葉が目で促す。パチパチと何度もウィンクしてくる。でも、身体が動かない。舞衣は硬直していた。まさか雪葉が、こんな男を紹介してくるなんて！どう見ても、関わってはいけないタイプ。一緒にいたら、いつか命を落とすかもしれない。そんな、得体の知れない恐怖が込み上げてきた。「舞衣、黙ってちゃだめ。研究所の話とかでもいいから！」再びせかされ、舞衣はようやく深く息を吸い込んだ。唇を引きつらせながら、震える声で言葉を紡ぐ。「はじめまして......舞衣と申します。えっと、わたし......」けれど、言葉を言い終える前に。「知ってる。桜坂家の令嬢で、渡辺家に嫁ぐはずだった女だろ」男の声が、低く冷たく響く。それだけで背筋が凍るようだった。「......っ」舞衣は唇を噛み、視線を落とした。目元がじんわりと熱を帯びる。四年前。彼女は間違いなく、桜坂家の誇りだった。父は桜華市でも有力な人物で、誰もが一目置いていた。けれど今や、ただの落ちぶれた娘。すべてを失い、価値をなくした存在。それでも、現実を受け入れきれずにいた。「俺が助けてやる。ただし......条件がある」男は淡々と、けれどはっきりと言い放つ。その言葉に、舞衣は何も返せなかった。胸の奥が、冷たい鉛のように沈んでいく。嫌だった。で
永遠の毒薬 第647話
今、舞衣には、どうしても頼れる後ろ盾が必要だった。桜坂家を救うために、それしかなかった。雪葉が前に「いい人を紹介する」と言ってくれた。その彼女から、突然電話がかかってきた。もしかして、本当に話が進んでるのかも。会ってみて、悪くなければ受け入れるつもりだった。今の自分たちには、選り好みなんてできる立場じゃない。舞衣がセントラルビルに着くと、雪葉は洋服店の試着室の鏡の前にいた。高級ブランドの服。どれもこれも、軽く数百万円はくだらない。昔は、私もこんなの買ってたんだよね。でも今は、その一着が命取りになる気がして、息が詰まりそうだった。「舞衣、そこに座っててね。あと二着だけ着てみたいの」雪葉は、黒いロングドレスを優雅にまとっていた。その姿は、まるで映画のワンシーンから飛び出してきたみたいだった。どの角度から見ても完璧。まばゆいほどの美しさだった。舞衣はすぐに頷いた。「うん、大丈夫、待ってる」雪葉、幼い頃からの友達。でも七年前、突然、桜華市から姿を消した。そしてつい最近になって、ようやく戻ってきた。七年間、どこで何をしていたのか、舞衣にはわからない。でも今の雪葉は、とにかくお金持ちだ。彼女の周りには、桜華の上流階級の人間ばかり。舞衣は、かつてならその世界とは無縁だった。学歴も肩書きもあって、金持ちの放蕩息子たちなんて相手にしなかった。でも今は違う。桜坂家が落ちぶれた今、必死でその輪に入り込もうとしている。心の奥がキュッと痛んだ。昔と今、違いすぎる。それでも、笑顔を作るしかなかった。悔しさも苦しさも、ぜんぶ飲み込んで。夜になると、舞衣はその苦しみをすべて、紗希のせいにした。もし、あの女が直人をしつこく追いかけてなければ......私は、こんなことにはならなかったのに。そうやって、誰かのせいにしなきゃやってられなかった。自分が間違ってるなんて、少しも思えなかった。「舞衣、新しいドレス選んで。プレゼントするから」雪葉はにっこり笑って、舞衣の前に立った。ドレスの裾がふわりと揺れて、その笑顔が妙に優しく見えた。舞衣は自分のドレスに視線を落とす。数年前、学会に出席するために買ったもの。普段は研究所で過ごしてるから、スカートなんて滅多に着ない。一度だけ着て、そのま
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