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第718話

Author: 月影
凌央は小さく息を吸い込み、そっと腰を下ろした。

そのまま静かに横になった。

乃亜との間に、手のひら一枚ぶんの距離をあけて。

わずかな動きでも、この静けさが壊れそうで怖かった。

目を閉じると、懐かしい香りがふわりと鼻をくすぐる。

胸の奥がざわめき、押し寄せた波がなかなか引いてくれない。

どれほど時間がたったのか、気づけば、彼も眠っていた。

乃亜が目を覚ますと、窓の外はもう薄暗い。

ごしごしと目をこすり、勢いよく上半身を起こした。

病室はしんと静まり返り、人影はない。

「ママ、行かないで......」

耳元に、やわらかく甘い声が落ちてくる。

視線を落とすと、璃音がすぐそばに横たわっていた。

頭には包帯、小さな顔は雪のように白い。

その大きな瞳は、まっすぐ乃亜を見つめている。

そこには、期待と不安が入り混じっていた。

「ママ」

返事がないのが不安だったのか、璃音は小さな手で乃亜の服の裾をぎゅっと握った。

「頭、痛い?」

乃亜はそっと抱き上げ、膝の上に座らせる。

「痛くない」

小さく首を振るその姿は、壊れそうな人形みたいで、胸がちくりと痛んだ。

「痛いときは、ちゃんと言ってね。恥ずかしいことじゃないんだからね」

こんな小さな子に、こんな痛みを背負わせるなんて。

普通の子なら泣き叫んでもおかしくない。

なのに、この子は、あまりにも我慢強すぎる。

「だって、あなた私のママだもんね」

璃音は首に腕を回し、頬を乃亜の顔にすり寄せながらも、声は真剣だった。

乃亜のアーモンドアイが細められる。

「......なんでママって呼ぶの?」

心の奥で、ある考えがよぎる。

早く璃音とDNA検査をしなきゃ。

もしかして、この子は......自分の娘?

荒唐無稽に思える。

でも、もしも、あの子が死なずに生き延び、偶然凌央に引き取られていたとしたら......

いくつもの可能性が頭を巡る。

答えは調べればすぐに分かる。

もし璃音が本当に、あの日失った娘の千鶴だったら。

そのときは、きっと凌央は渡してくれない。

乃亜は考えた末、明日検査を受けると決めた。

「ママに似てるからだよ!」

璃音は、まるで「欲しいものは欲しい、それだけ」と言い切る男のように即答した。

乃亜は思わず笑い、頬をつまんだ。

「じゃあ約束。二人きりの時
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