隼人の突然のキスに、瑠璃は一瞬ぼんやりとしてしまった。彼は愛していると言った。かつて憎んでいた元妻と瓜二つの女を、愛していると――。なんて滑稽な話だろう。あなたを宝物のように思い、唯一無二の存在として見ていたとき、あなたは一度たりとも私を正面から見ようとしなかった。心が石のように冷え、あなたに対して憎しみしか抱けなくなった今になって、あなたは「愛している」と言うの?隼人、すべてが遅すぎたのよ。たとえ今の私に本気で心を寄せていたとしても、あなたに無残に傷つけられたこの心を癒すことなんて、もうできない。瑠璃は体調が悪いふりをして、隼人のキスを避けた。けれども、彼のこの瞬間のプロポーズには、当然「喜んで」応じた。青く広がる海を前にして、瑠璃の心は潮のように揺れ動き、幾重にも重なる憎しみのさざ波が広がっていた。隼人、あなたが私に負わせたもの――ついに返してもらう時が来たのよ。瑠璃の顔に咲いた明るく美しい笑顔を見つめながら、隼人はじっと彼女を見つめていた。胸の奥にはじんわりとした痛みが広がり、彼の瞳は次第に陰りを帯びていった。もしあの頃、ほんの少しでも冷静でいられたなら、大切な女を時の流砂の中に失うこともなかったのに。瑠璃。もう一度やり直せるなら、お前はもう二度と俺を愛そうとは思わなかっただろうね、そうだろう?……翌日、予定通りに結婚式が執り行われた。目黒グループ所有の最高級ホテルで、瑠璃は八桁の価格がつくウェディングドレスに身を包み、ダイヤモンドがあしらわれたティアラをかぶり、ブーケを手にして、祝福と羨望の視線を一身に浴びながら、スーツ姿の優雅で華やかな男に向かって歩いていった。シャンデリアの光が交差し、幻想的な光を放ちながら、塵ひとつない女王のような彼女を取り囲み、まるで勝利のステージへと一歩一歩導いているかのようだった。隼人は彼女が目の前に歩み寄ってくる姿を見つめ、その優雅で気高い仕草に、自然と六年前の結婚式を思い出していた。彼の心臓は一瞬で早鐘のように高鳴り、瞳も春風のように柔らかくなっていった。昼食の時間、ちょうど刑務所の食堂でも食事の時間となっていた。蛍がトレーを手に座ろうとしたそのとき、前方のテレビ画面で瑠璃と隼人の結婚式が生中継されているのが目に入った。その瞬間、蛍の目
だが、この結婚式は心からのものではなかったとはいえ、瑠璃は今日、君秋がフラワーボイとして来てくれたことが嬉しかった。そして人混みの中には、夏美と賢の姿もあり、彼らが式に出席してくれたことで、ある意味、両親からの承認を得られたとも言えた。しかし、隼人の母は当然ながら不満げだった。隼人の母と親しい上流階級の婦人が祝福にやってきた。「目黒夫人、今回の新しいお嫁さんは本当にすごい方ね。お金もあって、有能で、それにあんなに綺麗だなんて。きっと今回はご満足でしょう?」「お金があって何?うちにお金が足りないとでも?綺麗な女なんてこの世に山ほどいるわよ。あの子なんて大したことないわ!」隼人の母は軽蔑したように、ちょうど招待客にお酒を注いでいた瑠璃に目を向けて白い目を向け、そっぽを向いた。そして夏美と賢の姿を見つけると、急いで近づき親しげに話しかけた。「碓氷さん、碓氷夫人、まさかあの四宮蛍が偽者だったなんて、私もすっかり信じ込んでいたのよ。結果として騙されて、ほんとに腹立たしいわ」隼人の母は憤慨した表情でそう語りながら、さりげなく自分との関係を切り離した。夏美は困ったようにため息をついた。「実の娘を見つけたと思っていたのに……目黒家と親戚になるかもしれないと期待していたけど、まさかこんなことになるなんて」隼人の母はすぐに同調した。「誰が想像できたかしら、あの四宮家の連中があんなにひどいなんて。隼人の子供を産んだという一点だけが唯一の考慮だったのよ。それがなければとっくに詐欺で訴えてたわ!」彼女は憤りを込めてそう言い放ち、さらに残念そうな顔をして続けた。「碓氷家は景都でも有名な名門だから、もし親戚関係になれていたら、それはもう素晴らしいご縁でしたのにね。残念ながらお嬢さんが今も見つからないだなんて……もっと早く見つかっていれば、隼人と何か進展があったかもしれないし、こんな女にチャンスを与えることもなかったでしょうに!」そう言いながら、隼人の母は不機嫌そうに瑠璃に睨みを利かせた。夏美もその視線を追い、純白のドレスをまとい、まるで絵のように美しい瑠璃の姿を目にして、胸の奥がなぜかきゅっと痛んだ。「実は……ヴィオラも、そんなに悪い子ではないのよ」「碓氷夫人、ご存じないでしょうけど、この女はね、隼人の元妻である瑠璃に比べて、悪さでは上
その言葉を聞いた瞬間、瑠璃の表情がわずかに変わった。――母斑。もし今この場で夏美が、自分の体にあるその母斑の形を口にしたら、これまでの計画がすべて水の泡になってしまう。「どんな母斑?」隼人が不思議そうに問い返した。「蝶の――」「隼人……なんだか急に、頭がクラクラするの……」夏美が「蝶の」まで口にしたその時、瑠璃は眉間を寄せて弱々しく隼人にもたれかかった。隼人の意識はすぐに瑠璃へと戻った。彼はすぐに彼女を抱き上げた。「病院へ連れていこう」「病院なんて必要ないわ。ただ少し、疲れただけよ」瑠璃は彼の肩に身を預けながら、かすかに囁いた。隼人に抱かれてその場を離れる彼女を見送りながら、夏美と賢の心には、どこか得体の知れない不安がじんわりと広がっていった。夜が更けて、窓辺の大きな木をそよ風が揺らし、ささやくような音を立てていた。瑠璃はベッドに横たわっていたが、まったく眠気はなかった。それでも、目を閉じて、眠っているふりをしていた。今夜は彼女と隼人の新婚初夜だった。彼が今どんな気持ちでいるのか、彼女には分からない。だが彼と肌を重ねることだけは、どうしても避けたかった。しばらくすると、バスルームから水の音が止み、隼人が静かに出てくる足音が聞こえてきた。まるで彼女を起こさないようにと、意図的に足音を抑えているようだった。やがてベッドの片側がわずかに沈み、隼人がそこに横たわったのが分かった。彼の体温と気配が、じわじわと瑠璃の側に近づいてきた。瑠璃の心臓がわずかに早く鼓動し、毛布の下にある手が静かに強ばっていく。彼がまさか、そんなつもりじゃ……そう思った矢先、頬にふわりとあたたかな吐息が触れた。キスされるかもしれない――その不安に駆られ、瑠璃は一気に目を開けた。その瞬間、彼女の瞳は深く静かな目とぶつかった。「起こしてしまったか?」男の低くて優しい声が耳元でささやいた。瑠璃は口角を少し引き上げた。「ううん」「それならよかった」隼人は穏やかに微笑み、長くしなやかな指で彼女の頬に触れ、その美しい顔がゆっくりと近づいてきた。そして、彼の唇は彼女の口元にそっと触れた。瑠璃は彼を押しのけた。「隼人……私、妊娠してるのよ。あんまり無理はできないわ」隼人は顔を上げて彼女を見つめ、その目に探るような光を
瑠璃はその微笑を浮かべたまま眠る顔を冷ややかに見つめ、薄く唇を引き結んだ。三年間ほとんど毎晩眠れなかったって言ってたんじゃなかった?なのに、昨夜はずいぶんと気持ちよさそうに眠っていたじゃない。ふん、隼人――あなたは本当に、私の死を悔やみ、不安に感じたことなんてあったの?いいえ、あなたは一度だって、そんなことなかった。彼の顔を一瞥し、瑠璃は素早く身支度を整えて部屋を出た。ちょうどその時、君秋が部屋から出てくるところだった。「君ちゃん、おはよう」彼女は優しく微笑みながら彼のもとへ歩み寄った。「学校へ行くのね?ヴィオラお姉ちゃんが朝ごはんを作ってあげようか?」君秋はその言葉を聞いて、キラキラした大きな目で見上げながらコクリと頷いた。「うん」その愛らしく整った小さな顔を見て、瑠璃の気分は一気に和らいだ。メイドたちは朝早くから朝食の準備をしていたが、それでも瑠璃は自らキッチンに立ち、君秋のために簡単で栄養バランスの良い朝ごはんを作った。君秋は食卓につき、目の前のハート型の目玉焼きをじっと見つめていたが、なかなか箸を取ろうとしなかった。瑠璃は彼の反応が気になって声をかけた。「君ちゃん、目玉焼きが苦手?食べたいものがあれば教えてね、ヴィオラお姉ちゃんがすぐ作ってあげる」そう言った直後、君秋は首を横に振った。その澄んだ目にはまっすぐな喜びが宿っていて、彼は小さな口を開き、可愛らしい八重歯を覗かせながら言った。「ありがとう、ママ」――ママ。瑠璃は一瞬、言葉を失った。まさか君秋がこんなにも早く、そして自分から「ママ」と呼んでくれるなんて、夢にも思わなかった。普通の子供なら、継母には少なくとも嫌悪感を持つものなのに。なのに君秋は、心から自分を慕ってくれている。瑠璃の目尻が熱くなり、そっと君秋の頭を撫でながら、慈しみに満ちた眼差しを向けた。「君ちゃん、ヴィオラお姉ちゃんは、あなたを本当の我が子のように大切にするからね。これからは、あなたを心から愛するママがそばにいるよ」君秋はコクリと頷き、その小さな顔にこれまで見たこともないほど自由で幸せそうな笑顔を咲かせた。その笑顔を見て、瑠璃の心もとろけるように温かくなった。これまでの愛や憎しみも、復讐も、その笑顔の前では全てが小さく思えた。朝食
君秋のその一言に、瑠璃も夏美も、目を大きく見開いて驚いた。夏美もデザイナーであり、瑠璃の体にある母斑は、まさにA4用紙に描かれたその蝶とほぼ完全に一致していた。もしかして、どこかで自分の腰の後ろにあるその母斑が見えてしまい、それを君秋が目にしたのではないか――瑠璃の胸にそんな疑念が浮かんだ。「君ちゃん、この蝶を見たって言ったけど、どこで見たの?」夏美はしゃがみ込み、目を潤ませながら食い入るように尋ねた。「碓氷夫人、こんなにたくさんのビラを印刷されたんですか?それで娘さんを探そうと?」瑠璃は平静を装い、話題をそらした。夏美はうなずいた。「ネットでもたくさん情報を出しているけど、こうした手段も一つの方法だと思って。とにかく、娘を見つけられるなら、どんな手段でも使いたいの!」その声には、切実な願いと誠意があふれていた。彼女は心から、かつて失ってしまった我が子を見つけたいと思っているのだ。瑠璃の心は揺れ動き、思わず胸が締めつけられた。……もしかしたら、私の本当の両親を責めるべきじゃなかったのかもしれない。彼らは、蛍一家に騙されていただけ。自分たちの大切な子を探すために、利用されてしまっただけなんだ。でも……「君ちゃん、お願い。どこでこの蝶を見たのか、おばあちゃんに教えてくれない?」再び、夏美の必死の問いかけが瑠璃の耳に飛び込んできた。彼女ははっとして現実に戻り、止めようとしたその瞬間、小さな声が耳を打った。「瑠璃お姉ちゃん」君秋は静かに、そう答えた。瑠璃の心臓が一瞬、強く鼓動した。夏美も呆然とした。「君ちゃん……今、瑠璃お姉ちゃんって言ったの?それって、四宮瑠璃のこと?」君秋はこくんとうなずき、突然、小さな手で瑠璃の右腰の後ろを指差した。「瑠璃お姉ちゃんの、ここのところに、このちょうちょがあるよ」「……」「……」まさか本当に、君秋があの母斑を見たことがあったなんて――三年前に「死んだ」自分のことを、当時まだ二歳だった君秋が、こんなにも鮮明に覚えていたなんて。瑠璃は完全に予想外の展開に言葉を失った。「な、なに?」夏美は混乱したまま、視界が暗くなっていくのを感じた。まるで全身から力が抜けるような感覚に襲われ、よろめきながら倒れそうになる。瑠璃はすぐに我に返り、夏美の体
賢は困惑した表情で瑠璃を見た。「千さん、どうして君が妻を病院まで?」「それは……」瑠璃が説明しようとしたその瞬間、病室の中から嗚咽混じりの泣き声が聞こえてきた。賢の顔色が一変し、すぐさま病室へ駆け込んだ。瑠璃は気を落ち着け、何事もなかったような顔で後に続いた。夏美はすでに目を覚ましていたが、今まさに泣き崩れていた。賢は心配そうに彼女のそばにしゃがみ込んだ。「夏美、どうしたんだ?なんでそんなに泣いてるんだ?」その声に、夏美はようやく賢の存在に気づいたかのように、はっと顔を上げた。涙で赤くなったその目には、取り返しのつかない深い痛みが浮かんでいた。「賢……どうして神様は私たちをこんなにも弄ぶの……どうして……」その声は震え、涙はまるで糸が切れた真珠のように次々と頬を伝って落ちていった。賢は話が見えず、ただ不安と焦りが増していくばかりだった。「夏美、どういうことだ?ゆっくり話してくれ。落ち着いて、泣かないで……」夏美は涙の中で苦笑し、青ざめた顔を上げて、賢の不安に満ちた視線を見つめた。彼女は懐から一つのペンダントを取り出した。「賢……私たちの実の娘を見つけたのよ」「なに!?本当か!娘を見つけたって!?本当に!?」賢の顔には一瞬にして喜びが広がった。「彼女はどこにいるんだ?夏美、娘は今どこにいる?」賢は興奮して問いかけたが、夏美は痛ましげに目を閉じた。「……もう、亡くなってるの」「……な、なんだって?死んだ?」賢は茫然として固まった。「私たちも、間接的に彼女を死なせてしまったのよ……」夏美は悔しさで唇を噛みしめながら顔を上げた。「四宮瑠璃こそが、私たちの本当の娘だったの……」「……な、なんだって?」夏美のその一言に、賢の全身が凍りついた。わずか数秒前の喜びは、瞬時に無残に砕け散り、その破片が胸の中に突き刺さるような痛みとなって押し寄せてきた。その傍らで、瑠璃は痛みに満ちた両親の姿を見つめながら、自分の胸にもじわじわと鈍い痛みが広がっていくのを感じた。「四宮……瑠璃が、俺たちの……娘だと?」賢は愕然としたまま目を見開いた。その脳裏には、かつて自分が瑠璃の頬を平手打ちした時の記憶がよみがえっていた。あの偽者の蛍をかばうため、彼は瑠璃を足で突き倒したことすらあった。あの時の
一瞬の出来事だった。瑠璃の叫び声が響いたその瞬間、夏美と賢の耳にその言葉が飛び込んだ。死を覚悟して身を投げようとしていた夏美は、驚きで半分以上乗り出していた体をぴたりと止め、涙に濡れた顔をぼんやりと瑠璃の方へ向けた。その視線の先には、記憶の中で憎んできた女と瓜二つの顔を持つ少女が立っていた。「お母さん、千璃は死んでなんかいないよ。私のために死のうとしないで」瑠璃は優しく微笑みながら、静かにそう言った。「もう戻って。お父さんを心配させないで」「千璃……」夏美は呆然としたまま瑠璃を見つめていたが、ゆっくりと身体を引き戻し、危険な縁から離れていった。賢もまた、しばらくの間瑠璃を見つめていたが、ようやく我に返ると急いで夏美の手を取り、病室へと引き戻した。そしてすぐさまバルコニーの扉に鍵をかけた。「き、君は……瑠璃なのか?本当に……瑠璃なのか?」夏美は震えるように瑠璃の元へ駆け寄り、彼女の手をぎゅっと握った。温もりを与えたくて、その手を包み込んだが――自分の手のひらは氷のように冷たかった。期待と感激のまなざしで彼女を見つめる夏美と賢。だが、瑠璃はただ静かに微笑んだ。「碓氷夫人、ご無事でよかったです。命を粗末にしてはいけませんよ。衝動は悪魔を呼びます」「……」夏美と賢は同時に固まった。今の言葉が、ただ、夏美を助けるための演技だったと理解した瞬間――さっきまで天国にいたような気持ちは、一気に地獄へと叩き落された。彼らにはわかっていた。瑠璃は三年前、治療不可能な病で亡くなったと。でも、もし自分たちがあの時、何度も彼女を追い詰めなければ――彼女はもっと長く生きられたのかもしれない。思い返すのは、あの日。病に侵されながら、苦しい身体で蛍と隼人の婚約式に現れた彼女。それなのに、自分たちは彼女を罵倒し、侮辱した。彼女が血を吐いて倒れかけた時ですら、夏美はそれを「演技」だと決めつけ、冷たく突き放した。だがその「演技」の結末は――彼女の永遠の別れだった。そしてそれは、今もなお、二人の胸をえぐる痛みとなって消えなかった。病院を後にする頃、夏美はもう泣いてはいなかった。その深い喪失の痛みを、誰よりも理解できるのは、瑠璃自身だった。かつて、自分の我が子が命を奪われたと知った時、彼女もまた、生きる気力を失っ
透明なガラスの壁一面の窓の外には、広大な川の流れが見え、その向こうには街全体を見下ろせるような絶景が広がっていた。こんな一等地のオフィスに座れる人間など、そうそういるものではない。だが、かつて自分は、この場所に入ることすら許されなかった。彼は自分の夫だった。それなのに、彼のオフィスには一歩も踏み入れる資格さえ与えられなかった。その一方で、彼は別の女がここを自由に出入りするのを黙認していた。瑠璃は唇の端をわずかに上げ、静かに思い返しながら、持ってきた料理を丁寧に取り出して並べた。もちろん、もう彼のためにエプロンをつけて料理を作ることなどない。かつて一方的に尽くした日々は、すでに過去のものだ。隼人の機嫌は良さそうだった。料理が彼女の手作りかどうかを疑うこともなく、美味しそうに食べていた。晩秋の午後のやわらかな陽光が、黒いシャツを身にまとう彼の肩に静かに降り注ぎ、彼の深い瞳を柔らかく照らしていた。食事の後、瑠璃は給湯室でフルーツを切り、フォークに刺して隼人の口元へ差し出した。「甘い?」彼女は笑顔で尋ねた。隼人は静かに頷き、その深いまなざしで彼女の美しい顔をじっと見つめていた。この瞬間が、少しでも長く続いてくれればと願うように……だが、フルーツを食べ終える前に、隼人は重要な電話を受け、席を外すことになった。瑠璃は、すぐに彼の私物のパソコンを調べ、自分の計画を進めようとした。だが室内を見回すと、監視カメラが設置されていることに気づいた。無理に行動すれば、すぐにバレる。仕方なく、彼女はフルーツの皿を片づけ、さらに気を利かせるふりをして、隼人のデスクを整え始めた。整理の最中、彼女はわざとマウスを床に落とし、それを拾い上げながらパソコンを操作する素振りを見せた。だが、パソコンにはロックがかかっており、中を見ることはできなかった。諦めざるを得なかったが、何も得られなかったわけではない。ちょうどその時、隼人が戻ってきた。だが、聞こえてきたのは三人分の足音だった。顔を上げた瑠璃は、隼人の後ろに立っている夏美と賢の姿を見て、思わず心が跳ねた。彼女は、夏美と賢が自分が瑠璃であることに気づいたことを隼人には話していなかった。もし今、彼らがそのことを口にすれば、全てがバレてしまう。胸中で不安を抱えながらも、瑠璃は穏や
夏美も慌てて駆け寄ってきて、焦った様子で声をかけた。「ヴィオラさん、どうして急に道路に出たりなんかしたの?危ないじゃないの!大丈夫なの?」その言葉に、瑠璃はようやく意識をはっきり取り戻し、首を振った。「少し考えごとしていて……ありがとうございます。もう行きますね」夏美と賢は、彼女の様子にどこか違和感を感じたが、瑠璃はすぐにタクシーを拾って、その場を後にした。車が目黒グループのビルの前に到着し、瑠璃は下車した。その道中、彼女の頭の中ではずっと先ほどの会話が繰り返されていた。——そんなはずない。隼人が連れて行ったあの墓が、自分のものだったはずがない。彼はあれほど自分を嫌っていた。そんな人間が、自分のために墓を建てるわけがない。ましてや、骨壺がなくなったことに必死になるなんて……あり得ない。そう自分に言い聞かせながら、大きなガラスの自動ドアへと向かって歩いていった。だが、建物に入ろうとしたその瞬間、濃厚な香水の匂いがふわりと漂ってきたかと思うと、肩に強い衝撃が走った。「ちょっと、なによ!前見て歩きなさいよ!」女の怒った声が、攻撃的なトーンで響いた。瑠璃は静かに顔を上げた。そこには派手で艶やかな顔立ちの女が立っていた。その女はセクシーな服装に、完璧すぎるメイク、腰まで届くラベンダー色のウェーブヘアを揺らしていた。遠くから見れば気品があり美しいが、近くで見るとどこか下品さがにじみ出ており、なにより香水の香りが強すぎて不快だった。そして、目にはあからさまな傲慢さが宿り、敵意に満ちていた。瑠璃は落ち着いた口調で言った。「失礼ですけど、ぶつかってきたのはあなたのほうです」「は?あんたがそこに立ってなければ、私がぶつかるわけないでしょ?」女は勝ち誇ったように瑠璃を一瞥し、両腕を組みながら鼻で笑った。「あんた、目黒グループの社員?私が誰だか分かってる?私は隼人様の人生で最も重要な女の一人なのよ!私に逆らって、どうなるか分かってるの?」その女は威圧的に睨みつけたあと、ヒールの音を響かせながら派手に去っていった。——隼人の人生で「最も重要な女性」の一人、ね?瑠璃はその傲慢な後ろ姿に、くすっと笑みを浮かべた。わざわざ言い返す気にもなれず、横のVIP用エレベーターに乗り込んだ。エレベーターを降り
「見て、あそこ」夏美は少し先を指差しながら、ふと目に哀しみの色を浮かべた。「私の娘はもう亡くなってしまった……この人生で、もうあの子に償うことはできない。でも、こうして少しでも何か残すことで、ほんのわずかでもこの後悔が癒される気がするの」「このお願いが自己中心的だってことは分かってるし、無理なことを頼んでるのも承知してる。千さん……君が嫌なら、もちろん無理にとは言わない」賢は柔らかな口調でそう言い、願いを込めた眼差しを瑠璃に向けた。瑠璃は、彼らの視線の先にある写真館を見つめ、静かに微笑んだ。——なるほど、私の顔を借りて、家族写真を残したいのね。瞬の言葉が脳裏に浮かんだ。——謝罪なんて、本心からとは限らない。ただ自分たちの気持ちを軽くしたいだけ。そういう人間は多い。家族写真を撮って、彼らの心は少し癒されるのかもしれない。けれど、自分は?瑠璃は苦笑を漏らした。目を閉じれば、まだはっきりと思い出せる。——かつて夏美と賢に冷たく突き放されたあの時の光景を。この短い間、彼らに与えてきたものは、もう十分すぎるほどだった。「申し訳ないけれど……お応えできません」瑠璃ははっきりと断った。「私は、瑠璃の代わりになるつもりはありません。彼女の悲しい人生をなぞる気はないし、その名前と関わることも、望んでいないんです」夏美と賢の胸が、ずしりと沈んだ。虚しさが心に押し寄せてきた。「誤解しないでください、ヴィオラさん……私たちはあなたを瑠璃の代用品だなんて思っていないわ。ただ、お願いが勝手すぎたと自覚している。本当にごめんなさい」夏美は慌てて謝った。目には深い悲しみがにじんでいたが、それでも無理やり微笑みを作っていた。「この間、ヴィオラさんには本当にたくさん助けてもらった。無理なことを言ったのは、私と賢の身勝手だわ」「千さん、本当に申し訳ない」賢も頭を下げた。「ヴィオラさんは美しくて賢くて、隼人様にも大切にされている。あなたがあの子のような運命をたどることなんて、決してないはず。私は心から、あなたの幸せを願っているよ」夏美は優しく瑠璃を見つめながらそう言った。けれどその瞳には、じわりと涙が浮かび、彼女は慌てて目元を拭った。そしてまた、笑顔を作り出した。「お引き止めしてごめんね。賢、ヴィオラさんをお送りして」「い
瞬から突然電話がかかってきた。瑠璃は気持ちを整えた後、通話ボタンを押した。すると、耳元に優しくて落ち着いた低音の声が響いた。「大丈夫か?あの映像、見たよな?」瑠璃は心の中で予想していた通りの内容に、静かにうなずいた。「今ちょうど見終わったところ。心配してくれてありがとう、私は大丈夫」「彼らは本当に君を大切に思っているみたいだ。ただ、あの頃は他人に騙されていて、目が曇っていただけさ」瞬はそう言って、夏美と賢の気持ちを代弁した。「……大切、か」瑠璃はその言葉を噛みしめながら微笑した。その響きが、どこか遠く感じられて仕方なかった。「瞬、今からそっちに行くわ。計画の話をしましょう」通話を終えた後、瑠璃は郊外にある一軒家へと車を走らせた。そこが、瞬の今の住まいだった。到着すると、瞬は淹れたての紅茶を持ってきて、優しい微笑みと共に彼女を見つめた。「早く終わらせたいよ。君が毎晩、彼と一緒にいるって考えるだけで、本当にやるせない気分になる」瑠璃は紅茶を一口含み、彼の気遣いと想いがじんわり伝わってくるのを感じていた。「心配しないで。私はちゃんと自分を守ってるから。……隼人が私と結婚するのは、たぶん少しは好意を持ったからだと思う。でも、この顔は彼がかつて最も嫌っていた顔。だから、私に対してそういう興味は湧かないはずよ」瞬はどこか意味深な笑みを浮かべて、軽くうなずいた。「きっと、彼は過去に君が誤解され、陥れられたことを知って、罪悪感を抱いている。でも、死んだ人間には償いようがない。だから、君の姿を通して慰めを得ようとしているんだ」彼はそう言いながら、庭の枯れた花に目をやった。その瞳には陰が差していた。「人間なんてそんなもんさ。心から謝っているように見えても、実は自分の気持ちを軽くしたいだけかもしれない」「……彼がどれだけ後悔していようと、私には関係ない」瑠璃は冷静に言い放った。「今の私の目的は、子供を探し出すこと。そして彼のパソコンのパスワードを解いて、私たちが必要とするデータを手に入れること」「そこまで回り道しなくても、もっと早く計画を進める方法がある」瞬は、何かを思いついたように微笑んだ。「取締役会の連中は、ほとんど手を回しておいた。今確実なのは、隼人が目黒グループの株式の約70%を保有し
瑠璃は振り返り、少し離れた場所に立っている男の姿を見つけた。そしてようやく、自分が無意識のうちに彼の「瑠璃」という呼びかけに応じてしまったことに気がついた。隼人の奥深い目と視線が交わった瞬間、瑠璃は何事もなかったように穏やかな笑みを浮かべた。「……瑠璃?もしかして隼人も、碓氷夫人と同じで……さっきの一件で、まだ役から抜けきれていないんじゃない?私を瑠璃と重ねて見てるとか?」冗談めいた口調でそう言いながら、彼のもとへゆっくりと歩み寄る。微笑には、どこか意味深な陰が差していた。「でも、あなたが『瑠璃』なんて親しげに呼ぶとは思わなかったわ。だって、あなたが一番憎んでいた女でしょう?瑠璃は」そう言って瑠璃は、彼の横をすれ違いながら、ベッドに腰を下ろした。片手で雑誌を手に取り、何気ないふうに言葉を続けた。「まさかとは思ってたけど……瑠璃が碓氷夫人の実の娘だったなんて、ほんと驚いたわ。しかも、生まれてすぐに家の使用人にすり替えられていたなんて。でも残念ね、四宮瑠璃って人間はもう死んでる。真実がわかったところで、遅すぎたのよ」隼人は静かに彼女の言葉に耳を傾けていた。そして彼もベッドの反対側に腰を下ろし、魅惑的な瞳で瑠璃の美しい横顔をじっと見つめた。「真実は遅れても、いずれは明らかになる」彼は静かにそう口を開いた。その言葉を聞いて、瑠璃は本をめくる手を一瞬止め、美しい瞳に皮肉の色を浮かべた。「でも、その真実が明らかになるまでに、当事者が受けた傷は誰が癒してくれるの?」彼女は小さな顎を上げ、思案顔の隼人を見つめながら、徐々にその目が冷たくなっていった。声のトーンも、次第に冷淡さを帯びていた。「たとえば瑠璃。あの子が誹謗中傷され、罠にはめられ、全てを失っていったとき、みんなが彼女を責めたわ。あなたも、その中のひとりだった。……でも今になって真実が明らかになったところで、何が変わるの?彼女はもう、いない」その「いない」という言葉は、まるで刃のように隼人の心臓を貫いた。彼は黙って、その輝くような瞳を見つめていた。「でも……もし彼女が生きていたとしたら、誤解して傷つけた人間に、償う機会を与えてくれると思うか?」隼人の問いに、瑠璃は淡く笑みを浮かべながら、雑誌をそっと閉じた。「もし……本当に『もし』っていう世界があるならね。も
「千璃……」夏美は唇を小さく動かし、その名をそっとつぶやいた。瑠璃は一瞬だけ驚いた表情を浮かべた。——それが、自分の本当の名前であることを知っていたからだ。「ごめんね、千璃……本当にごめんなさい……あなたはもう、ずっと前から私たちの目の前にいたのに、私たちはそれに気づかなかった。あの悪女、蛍のせいで、何度もあなたを傷つけ、叱り、罵って……」「ママは知ってるの……今さら、何をしても償えないって……でも、もし来世があるなら、必ずあなたに償いたい……ちゃんと、ちゃんと愛してあげたい……」夏美は涙をぼろぼろと流しながら手を伸ばし、突然、瑠璃をぎゅっと抱きしめた。「千璃……私の千璃……」その声は震えながらも、何度も優しく呼びかけてきた。——もしかすると、夢を見ているのかもしれない。瑠璃の顔を見つめる夏美の瞳には、そう思えるほどの迷いが浮かんでいた。とくに、ついさっきまで激しい感情の渦の中にいたのだから、なおさらだった。瑠璃は何も言わず、そのまま夏美に抱きしめられるのを許した。穏やかなその瞳の奥にも、じわりと潤みが広がっていた。——たぶん、これが自分の人生で初めて感じた「母の愛」だった。こんなにも温かくて、こんなにも心に残るものなんだ……しばらくして、ようやく夏美はその手をそっと離した。「すみません、ヴィオラさん……取り乱してしまって……」夏美は深く頭を下げ、心から謝った。「今夜は、本当にありがとう。ヴィオラさんがいなければ、高橋琴もあんなに簡単に口を割らなかったでしょう」瑠璃はかすかに微笑んで首を横に振った。「たいしたことではありません、気にしないでください」そう言いながら、静かに立ち上がる。彼女の顔には、終始落ち着いた色が浮かんでいた。「奥様も、早くお休みください。私たちはもう帰ります」「お見送りさせて」夏美は優しい目で瑠璃を見つめながら、丁寧に隼人と二人を玄関先まで見送った。車はすぐに遠ざかっていったが、夏美と賢は、しばらくの間その後ろ姿を見送っていた。——あの子にしてしまった数々の過ちを悔いながら。ただ、この似た顔を通してしか、心の傷を癒す方法はもう残されていなかった。そして、その悔恨は——きっと、一生埋まることはない。別荘。瑠璃は入浴を終えた後も、心はまだ落ち着かなかっ
この答えを聞いた瞬間、琴は茫然とした表情を浮かべ、信じられないというよりも、到底受け入れられないといった様子で首を振り続けた。「そんなはずない……ありえない……あんな女が奥様の娘だなんて……そんなの認めない!あんな女が碓氷家の令嬢にふさわしいわけがない!あいつはただの—」「いい加減にしなさい!」夏美は怒りに震えながら怒鳴りつけた。「よくも私の娘をそんなふうに罵れたわね!ふさわしくないって、あなたにそんなことを言う資格があるの?人として最低なことをやらかしておきながら、どの面下げて私の娘を非難するの?琴、あなたには人間としての心がないの?恥を知りなさい!」夏美は抑えきれない憤りに声を震わせながら責め立てた。瑠璃が取り違えられて生きてきた年月、どれほどの苦労を重ねてきたのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。「夏美、大丈夫か?」今にも倒れそうな彼女を見て、賢は慌てて支えた。夏美は涙を止めることができず、胸を押さえながら声を震わせた。「賢……心が痛いの……本当に痛くてたまらないの……本来なら、あの子は何も不自由なく、穏やかで裕福な生活を送って育っていたはずなのに……まさか、こんな目に遭うなんて……」そう言いながら、涙に濡れた赤い目で琴を睨みつけた。「あなたが碓氷家に来てから、私たちは粗末に扱ったことがあった?良い待遇を与えて、結婚の手助けもした。でもその結果がこれ?感謝しろなんて一言も求めなかった、けど……恩を仇で返すなんて、どういうつもりなの?宝華はいい子だった。私も賢も、彼女が実の娘じゃないと気づいたときだって、決して冷たくしなかった。でもあなたは?あなたは私の娘に何をしたの?あの時すり替えるなんてことをしなければ、千璃が死ぬようなことにはならなかった!」「奥様……私だって、こんなふうになるとは思ってなかったんです。あの時ちゃんと瑠璃を姉に預けて、面倒見てもらうよう頼んだんです!」琴は弁明しながらも、不満そうに口を尖らせた。「でも、奥様の娘はうちの宝華を殺したんです。そうなると、あの子は死んで当然じゃないですか?罪の報いを受けたんです!本当に可哀想なのは、うちの宝華のほうですよ!」「……っ!」その居直ったような言い草に、夏美と賢は怒りを抑えられなかった。あまりにも身勝手で、あまりにも理不尽だった。自
「滑稽ね。さっきまで娘の仇を討つなんて大見得切ってたくせに、今じゃ自分の娘だって認めることすらできないの?」「……」「確かに碓氷宝華は、子どもの頃から何不自由ないお嬢様生活を送ってきたかもしれない。でも、哀れだったわ。だって、あんな母親を持ったせいで、死ぬまで本当の意味でお母さんって呼んだこともなかったんだから。あの子は、目を閉じることすらできずに逝った。あなたも一生その後悔を抱えて生きるのよ」「黙れ!黙りなさいってば!もう言わないで!」琴は再び感情を抑えきれず、立ち上がって瑠璃に手を上げようとした。だが隼人は冷酷にその手首をつかみ、そのまま突き飛ばした。琴はドサリと地面に倒れ込んだ。「もう一度でもヴィオラに手を出したら、碓氷宝華の墓をぶっ壊してやる!」なっ……琴は恐怖に震えながら、這うように隼人のもとへ近づき、彼の足元にひざまずいた。顔面蒼白で必死に懇願する。「隼人様、それだけはやめてください!お願い、宝華のお墓は壊さないでください!私が悪かったんです!もう二度としませんから!本当にもうしませんから!」「本当に自分の過ちを認めるっていうなら、あの時のことを全部話せ。そうじゃなきゃ、後悔することになるぞ」琴はその言葉に凍りついた。躊躇いがはっきりと顔に浮かぶ。けれど、隼人の暗くて深い瞳の中にある絶対的な威圧感を見て、本気で恐怖した。以前、蛍から聞いていた。隼人は、あの瑠璃の子供すら手にかけたって——そんな人間が、他に何をしないっていうの?「まだ言えないのか?」隼人の声は冷たく響いた。整った顔立ちは、すでに苛立ちを隠しきれていなかった。琴はビクリと震えながら、怯えきった様子で夏美と賢の怒りに満ちた表情を見上げ、ついに覚悟を決めた。「……そうです、あなたたちの推測は間違ってません。宝華は確かに私の実の娘です……あの時、奥様と私は同じ頃に妊娠していて、出産もわずか二日しか違わなかったんです。私はあなたの家柄や生活が羨ましくてたまらなくて……だから、私の娘とあなたの娘をすり替えたんです……」その告白を聞いて、夏美と賢は思わず息を呑み、背筋に冷たいものが走った。瑠璃は静かに琴の話を聞いていたが、その胸の内では怒涛のような感情が渦巻いていた。——私、親に捨てられたんじゃなかったんだ。すり替えられてた
「見る目はあるわね。そうよ、私は千ヴィオラなんかじゃない。私が――四宮瑠璃よ!」厨房の外に立っていた隼人は、その言葉を耳にしていた。彼の深く静かな瞳には、微細な光が浮かび、それがやがて無言の嵐のように心の中で渦を巻いた。それでも彼は、ただ黙って、そこに立ち尽くしていた。一方、琴はその言葉を聞いた瞬間、完全に逆上した。「やっぱり!やっぱりあんたはあのクソ女!」手にした包丁を大きく振りかざし、怒りに染まった赤い目で瑠璃を睨みつけた。まるで今にも彼女を八つ裂きにしそうな勢いだった。「今日は、私の宝華の仇を絶対に取ってやる!」「あなたの宝華?あれは碓氷夫人の娘でしょ?あなたと何の関係があるの?私が仮に碓氷宝華を殺していたとしても、それを咎める権利があるのは碓氷さんと碓氷夫人だけ。あんたはただの家政婦よ、何の資格があって私に説教するの?」琴の感情は頂点に達し、瑠璃の言葉が核心を突いたことで、完全に精神のバランスを崩していた。「資格がないって!?私ほど彼女の仇を討つ資格のある人間なんていないわ!あんたは冷酷非道なクソ女よ!私の宝華を殺したんだから、今日は……今日という今日は、あんたに私の娘の命の代償を払わせてやる!」絶叫とともに、彼女は包丁を振りかざし、瑠璃へ突進した。その瞬間――夏美と賢が命懸けで飛び出し、彼女の行動を必死に止めた。隼人もすぐさま瑠璃を抱き寄せ、危険な位置から彼女を遠ざけ、その体をしっかりと守った。賢は琴を取り押さえ、包丁を床に叩きつけた。琴は半ば膝をつきながらも、まだ狂ったように叫び続けていた。「四宮瑠璃!絶対に殺してやる!娘の仇は絶対に取るんだから!」だがその時、夏美の一言が空気を切り裂いた。「やっと認めたのね。宝華があなたの実の娘だって」その言葉に、琴はハッとしたように動きを止めた。目を見開き、徐々に正気を取り戻したかのようにあたりを見回す。そして、顔を強く横に振った。「ち、違います!奥様、誤解です、宝華お嬢様が私の娘なわけないです……あの女が、四宮瑠璃が私を挑発して、私はただ……私はただ、宝華お嬢様のために……」琴は否定しながら、隼人に庇われている瑠璃を、憎々しげな目つきで睨みつけた。取り繕うように言葉を並べた琴だったが、夏美はすでに冷ややかな視線を向けていた。
彼女の笑顔はまるで咲き誇る花のように華やかで、その瞳は言葉を語るように生き生きと輝き、まるで星屑がその中で瞬いているかのようだった。電話を切った隼人は、立ち上がって瑠璃のもとへ歩み寄った。「ヴィオラ、碓氷夫婦が今夜、俺たちを自宅に招きたいそうなんだ」瑠璃は手を止め、わずかに目を伏せた。「どうして急に招待なんて?」「頼みたいことがあるらしい。お前に協力してほしいそうだ」隼人は彼女の顔を見つめながら、二人の「頼みごと」の内容を静かに伝えた。それを聞いた瑠璃は、くるりと身を翻し、指先で彼のネクタイを引き寄せた。小悪魔のような笑みを浮かべて、まるで愛らしい少女のような表情で囁いた。「あなたの顔を立てて、引き受けてあげる」隼人は彼女の美しく華やかな顔立ちに見惚れ、心臓の鼓動が一気に早まるのを感じていた。夕暮れ時。木々の隙間から差し込む夕陽が、金色の光となって地面にこぼれ落ちていた。瑠璃は隼人の腕を取り、ふたり並んで碓氷家の門をくぐった。すでに待っていた夏美と賢は、彼女の姿を見た瞬間、言葉にできないほどの感情がこみ上げた。その顔は、まさに自分たちの愛娘・瑠璃と瓜二つだった。もう手に入らないその笑顔。今こうして目の前に「似た顔」があるだけでも、傷だらけの心がほんの少し癒される。たとえ、それがどんなに身勝手な感情だったとしても。それでも今、夏美と賢は心から瑠璃に近づきたいと思っていた。「ヴィオラさん、隼人様、ようこそ」夏美は心からの歓迎の笑みで招き入れ、名残惜しそうに瑠璃の顔を見つめた。「本当に美しいお顔ね。今夜はどうぞよろしくお願いします」「碓氷夫人、ヴィオラで構いませんよ」瑠璃は穏やかに微笑んだが、その胸中には冷ややかな皮肉が流れていた。――この顔で、私はかつてあなたたちの前に立っていた。でも、あのとき受けたのは、冷酷で容赦ない仕打ちだけだった。人の心とは、なんと移ろいやすく、そして恐ろしいものか。そのころ、台所では琴が来客に気づいて顔を出していた。そして、瑠璃の姿を認めた瞬間、目に怒りの炎が宿った。「奥様が言ってた貴賓って、あの女!?あんなのが宝華さんの足元にも及ばないくせに!」内心では瑠璃を切り刻んでやりたいほどの憎悪に燃えていたが、今は耐えた。彼女はよそ行きの笑みを浮か