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第0476話

Author: 十六子
本当なら、彼らのことなどとっくにどうでもよくなっているはずだった。

けれど、今――夏美が足を引きずりながら歩く姿を見て、瑠璃の目には知らず知らずのうちに涙が滲んでいた。

その頃、瑠璃のもとを去った隼人は、目黒家の本宅に閉じこもっていた。

朝から夕方まで、部屋にこもったまま、彼は当時の結婚式の映像を何度も何度も繰り返し見ていた。

青葉と雪菜が交互にドアをノックし、呼びかけてきたが、すべて無視した。

祖父の言葉は、まったくその通りだった。

――隼人は、最初から瑠璃を好きだったのだ。

祖父の名義で彼女と結婚したあの時、それは彼がどれほど本気だったかの証明だった。

だが彼は、かつて幼い頃に交わした約束に縛られ、六年間、蛍に欺かれ続けた。

結局、蛍は偽物だった。

本当に好きだった女の子こそは、最初からあの「約束の少女」――千璃ちゃんだ。

隼人は椅子に身を預けたまま、ふと微笑んだ。

――昔も今も、結局俺が好きだったのは、ずっとお前だけだったんだな、千璃ちゃん……

そのとき、スマホが突然鳴り響いた。

着信を取ると、顔色が一変する。

「……何だって?瑠璃が四宮華を追って交通事故に遭いかけた?……分かった、すぐに向かう」

すぐに立ち上がり、急いで服を着替える。

ちょうどお茶菓子を運んできた雪菜が、彼の様子に気づいて慌てて声をかけた。

「隼人お兄様、ようやく出てきたのね……え、そんなに急いでどこ行くの?」

隼人は一言も返さず、無言で階段を降りていった。

その様子を見た青葉も立ちふさがった。

「隼人、また瑠璃のところに行くの?あの女と瞬のせいで、この家の財産はもうほとんど奪われてるのよ?それなのに、あんたは何もしないで、まだあの女を追いかけて……まさか、本当にあの女のこと、愛してるって言うの?」

「俺が誰を追うか、あんたには関係ない」

隼人は冷ややかに言い放った。

「昔の生活に戻りたいなら、余計な口出しはするな」

青葉は言い返す言葉もなく、ただ呆然とその背中を見送るしかなかった。

……

一方その頃――

病院で夏美と別れてからというもの、瑠璃はずっと心が落ち着かず、うっかり君秋を迎えに行くのを忘れてしまっていた。

ふと気づいた時には、すでに夕暮れが迫っていた。

そのとき、また夏美から電話がかかってきた。

今回はためらわずに電話に
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