LOGIN「鏡よ、鏡。この国で一番美しいのは誰?」『それは、ハロルド陛下でございます』――自分より年上の現国王は、幼少時はとても己に優しくヒーローだったのだが、今は二面性のあるただの意地悪な仕事を押しつけてくる存在だ。継母であるマリアローズは、いつも白雪王と評されるぐらい麗しいハロルドと仕事をしつつ、目を据わらせている。※白雪姫を下敷きにした異世界恋愛ファンタジーです。ツンデレ二重人格ヒーローと、頑張り屋の純粋ヒロインのお話です。国王(白雪)×継母(皇太后)。
View Moreその日から、ハロルド陛下はずっと不機嫌だった。マリアローズは時々首を傾げたが、何故機嫌が悪いのかさっぱり分からない。 クラウドの案内をはじめて五日が経過してある日、マリアローズはハロルド陛下から呼び出された。本日も不機嫌そうなハロルド陛下は、マリアローズに開封済みの封筒を差し出す。「エグネス侯爵家が夜会を催すそうだ。お忍びだから王宮ではおおっぴらには開けなくてな。代わりに奥方が帝国出身のエグネス侯爵家に身分を明かして歓迎の夜会を開いてもらうことになった。同伴してもらう」「クラウドにですの?」「クラウドがいいのか? 残念ながら、俺だ。悪かったな」「いいえ? 私はハロルド陛下の同伴をするのだとばかり思っていたので、違うのかと驚いたのです」 マリアローズがそう述べると、憮然とした様子で小さく二度ハロルド陛下が頷いた。「それで夜会はいつですの?」 尋ねながら、マリアローズは招待状を取り出した。そして目を剥いた。「きょ、今日!?」 ぎょっとしたマリアローズに対し、なんでもないことのようにハロルド陛下が頷く。「十六時には出る」「待っ、お、お待ち下さい! ドレスの用意も何もしておりません!」「――ドレスはこちらで用意した。既に後宮に届いている頃だ」「えっ」「なんだ? 嫌なのか?」「いいえ。貴方にそんな気遣いが出来たことに驚愕して……」 信じられないものを見るように、小首を傾げてマリアローズが瞬きをする。長い睫毛が揺れている。彼女の緑色の瞳が零れ落ちそうになっているのを、青色の目でハロルド陛下が呆れたような顔で見ていた。「では、準備して参ります」 気を取り直してそう告げ、マリアローズは後宮へと戻った。 すると、深いサファイアのような色彩の、ロングドレスが届いていた。薄らと輝く布地で、本物の宝石のような色合いだ。首の後ろに伸びた紐で留める形で、腰元が細い。思わずうっとりと魅入っていたら、時計が十五時を告げた。時間が無いとハッとする。「みんな、お願いね!」 侍女達に声をかけると、彼女達は皆、勢いよく頷いた。こうして懸命な努力の結果、十六時には王宮の前でハロルド陛下の差し出した手に、マリアローズは無事に指先を載せることが出来た。本日のハロルドは、緑を基調にした夜礼服だ。 走り出した馬車の中で、ハロルド陛下がポットから紅茶を注ぐ。「あら、
さすがに後宮には立ち入らせる事が出来ないため、マリアローズは王宮の南側の庭園の案内をしていた。紫色の桔梗が咲き乱れている。 「いかがですか?」 「うん。綺麗だね」 「よかったわ。クラウドの瞳の色に似ているわね、この花は」 「僕はマリアローズになら、この色のドレスを贈っても構わないぞ」 「紫色のドレスですか? パラセレネ王国の後宮は、困窮しているわけではないので、お気遣いなく」 「そ、そう」 そんなやりとりをしながら、二人で庭園のベンチへと向かった。そして並んで座る。 「そういえばマリアローズは、エルバ王国の出自なのか?」 「ええ」 「ふぅん。三年前に僕も出かけた。良い国だった。海に面した国だろう? 潮風と白い鳥が印象的だった」 それを聞いて、マリアローズは目を丸くした。白い鳥が、脳裏に浮かんでくる。潮風の香りも、ここにはあるはずがないのだが、薫ってくる気がする。 すると快活さを感じさせる表情で、クラウドが続ける。 「特に海産物は絶品だったし、街の者達も良くしてくれた。民に活気のある国だったな」 「そうですか」 「国王陛下夫妻も、とてもよくして下さった。僕の国にも、エルバ王家から侯爵家にミーナ夫人が嫁いでいて、夜会でお会いしたこともある」 「まぁ! ミーナお姉様をご存じなのですか?」 「うん。優しい方だったよ」 思わぬ場所で母国と家族の話を聞いたら、懐古の念が浮かんできて、涙腺が緩んだマリアローズは、涙が見えないようにしようと空を見上げた。白い雲を見上げて涙を乾かしていると、今度は無性に嬉しさで胸が満ちた。結果、自然と笑顔が浮かんできたから、その表情のままでクラウドを見やる。 「ありがとうございます」 クラウドはその表情に対し目を丸くしてから、心なしか照れたように顔を背けた。 「……これは、ハロルドも心配するのが分かるな」 「え?」 「いいや、なんでもないよ」 濁したクラウドは、それからチラリと王宮を見上げた。そしてニヤリと笑ったので、不思議に思ってマリアローズもそちらを見上げる。そこには執務室の窓から、こちらを見ているハロルド陛下があった。 「あ……仕事をさぼってる」 思わずマリアローズが呟くと、クラウドが吹き出した。肩を揺らして笑っている。 「僕はそういう事じゃないと思うけどな」 「では、
三日後の夕方――。 本日もマリアローズは、書類と戦っていた。涙ぐみそうになるのを堪え、キレ散らかしそうになるのを我慢し、ハロルド陛下の嫌味に耐えながら、頑張っていた。 「はぁ、終わったわ。やっと、やっと帰れる……!」 マリアローズが思わず泣きそうな笑顔で右手の拳を大きく握った時の事だった。 また一番上の抽斗を見ていたハロルド陛下が、それを閉めると不意に告げた。 「マリアローズ様、この後ソニャンド帝国から大切な客人が来るんだ。俺に同伴してくれ」 「えっ」 虚を突かれてマリアローズは、目を見開いた。 「そ、そんなお話、聞いていませんわ……! 私は、帰るのです……帰る……帰りたい」 「帝国からの客人を蔑ろにするわけにはいかないだろう、皇太后陛下」 「どうして朝言って下さらなかったの?」 「今思い出したからだ」 「はあぁぁ!?」 マリアローズは思わず巻き舌になり、強ばった笑みを浮かべながら怒った。 隣国からの客人となれば、正装して出迎えなければならない。思わずマリアローズは壁の時計を見る。 「何時にいらっしゃるの!?」 「もう来ている。宰相閣下が接待中のはずだ。俺とマリアローズ様は、公務の都合で夜に会うと伝えてある」 「夜……夜、ね? まだ夕方だわ! 急いで着替えて参ります」 慌ててマリアローズは窓の外を見た。そこには綺麗な橙色の空が広がっている。 「? 別にそのドレスで構わないだろう」 「構うのです! ドレスは女性の武器なのです!」 「何を着ても似たり寄ったりに見える。顔が同じだからな」 「見る目が無いのですね! それにどうせ私は、陛下から見たらその辺のカボチャと似たり寄ったりの顔に違わないでしょうけれど! 陛下はいいですわね! 麗しいお顔で!」 「――まぁ俺は鏡を見慣れてはいるが」 「とにかく! 着替えて参ります!」 こうして慌ててマリアローズは、後宮へと戻った。そして侍女長に状況を伝えて、皆に準備を手伝ってもらうこととなった。首元が深く大胆に開いたアンティークグリーンのドレスと同色の長い手袋を身につける。白い首から肩、背中が見えるノースリーブのドレスはとても上品で美しい。マリアローズは、前正妃様から受け継いだ大きなエメラルドのついた首飾りを身につける。それと同時進行で侍女には、髪をまとめてもらった
「ありがとうございます、みんな……!」 ドレスを着替えて後宮の庭園へと向かうと、侍女達が総出でお茶会の用意をしてくれていた。彼女達は、マリアローズが本当は優しい性格の頑張り屋だと知っている。気心の知れた侍女達の完璧な用意に、マリアローズは泣きそうなほど感動した。彼女達の手助けがなかったならば、あの激務と並行してのお茶会など不可能である。 シンプルな銀色のケーキスタンドは、快晴の空から降り注ぐ日の光で輝いて見える。焼きたてのスコーンとクロテッドクリーム、なによりそのそばにある苺のジャムは匂いもよく、ルビーのような色彩は見ているだけで甘美さを想像させる。その他も完璧だ。 ティーポットやカップを見渡し、肩から力を抜いたマリアローズは、侍女の一人が引いてくれた椅子に座って、開始時刻を待った。 少しすると日傘をさした淑女達が集まりはじめる。残暑が落ち着いてきた秋の庭園の薔薇のアーチをくぐってきたご令嬢や貴婦人達を、立ち上がってマリアローズが出迎えた。白を基調とした薔薇やユーパトリウムに彩られた緑の庭園にある、白いテーブルクロスの掛けられた長方形のテーブルに、一人、また一人と座っていく。 マリアローズは時折振り返り、それを確認していた。その時だった。 「マリアローズ皇太后陛下」 儚さが滲み出ているような、か細い声がした。そのソプラノの声の持ち主が、ナザリア伯爵令嬢のサテリッテだとすぐに思い当たったマリアローズは、顔を入口側へと戻す。すると声と同じように儚さを体現したかのようなご令嬢がそこには立っていた。現在十八歳の彼女は、この国の貴族としては結婚適齢期だが、まだ許婚がいるといった話は、マリアローズの耳には入っていない。国内の貴族女性の婚姻関係を、マリアローズは大体把握している。それもまた必要な仕事だからだ。 「ごきげんよう、サテリッテ」 「私のことを覚えていてくださって光栄です」 するとサテリッテが、花が舞うようなと言う表現が相応しいとしか言いようがない表情をした。きっとその花は薄紅色をしているだろう。赤い肉厚の唇をしていて、少し垂れ目だ。体躯はとにかく細い。長い黒檀のような髪をしていて、深窓のご令嬢というに相応しい印象を与える。肌は雪のように白い。彼女はたおやかに左手を持ち上げて頬に当てる。彼女は左利きだ。確か趣味は絵画だったはずだ。 「ど