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第0517話

Auteur: 十六子
瑠璃は不満そうに目を上げたが、思いがけず隼人がすぐ目の前に迫っていた。彼の息がほんのりと彼女の頬を撫で、整った顔立ちが穏やかに視界に映り込んできた。

心臓が、一拍だけ速く跳ねた。

彼の顔色が本当に悪く、力もない様子に見えたため、瑠璃は熱を帯びた頬をそっとそらしつつも、彼を拒まなかった。

彼女は君秋の小さな手を取り、柔らかく語りかけた。

「君ちゃん、ママと一緒に帰りましょう」

「うん!帰る!パパとママと一緒におうちに帰る!」

君秋は大きな目を輝かせ、元気にうなずいた。

隼人は瑠璃の温もりを感じながら、白い唇の端にほっとした微笑みを浮かべた。

邸宅に戻ると、瑠璃は隼人を支えながら部屋へと連れて行った。

ベッドに彼を座らせると、彼女はすぐさま踵を返した。

「千璃ちゃん……」

彼の低く静かな声が、窓の外の夜風のように彼女の耳に届いた。

「行かないでくれ」

瑠璃は足を止め、振り返って彼の目を見た。そこには、切実な願いが込められていた。

だが彼女の表情は淡々としていた。

「隼人。あなたを病院に連れて行って、また家まで送ったのは……あなたに未練があるからじゃない。ただ……もうあなたと何の因縁も残したくなかったからよ」

隼人の目から、瞬時に光が消えた。これが、かつて自分が瑠璃に与えた痛みだったのか。

その一言は、彼の心を容赦なく打ち砕いた。言葉にならない後悔と苦しみが、胸を焼いた。

彼は静かに目を伏せ、唇に自嘲の笑みを浮かべた。

瑠璃はもう一度背を向け、ちょうどそのときスマートフォンが震えた。

今回は――瞬からだった。

通話を繋ぐと、先ほどまでの冷たい声色とは違い、彼女の顔にはわずかな笑みが浮かんだ。

「瞬、大丈夫よ。心配しないで。君ちゃんが寝たら、すぐ戻るわ」

その会話を聞いていた隼人の胸の奥に、燃え上がるような独占欲が湧き上がった。

彼女が部屋を出ようとしたとき――隼人はついに動いた。

背後から足音が迫り、瑠璃が振り返った瞬間、目の前に彼の険しい表情が急に迫ってきた。

一瞬の驚きで動けず、後ろへ下がった彼女の背が壁にぶつかった。

「ドンッ」

隼人の手が壁につき、彼女を閉じ込めるように囲い込んだ。

「行かせない」

その声は低く、命令のようだった。深く鋭い目からの独占欲が、彼女の瞳をまっすぐに見据えていた。

瑠璃は反発す
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